咲〈オロチ〉編   作:Mt.モロー

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第八話 国麻への道のり~大阪編

 高校球児にとっての甲子園、あるいは関東大学生にとっての箱根駅伝など、その競技に(たずさ)わる人間が最終目標に定める大会は数多くある。当然、皆、それに出場し、優勝することを夢見て、血の(にじ)むような努力を積み重ねることになる。

 高校生雀士ならばインターハイがそれに該当するだろう。特に今年のインターハイは、歴史的な変換点として今後語り継がれる大会になった。とはいえ、多くの偏移点(へんいてん)がそうであるように、現時点では実に奇怪な大会であったという評価だ。なぜならば、団体戦も個人戦も、宮永姉妹の対立により無茶苦茶にされてしまったからだ。

 少なくとも、“絶対王者”宮永照だけならこんなことにはならなかったであろう。そこに妹の“魔王”宮永咲が登場したことによって、大会は混沌に包まれてしまった。

 結果的に、団体戦は、妹の宮永咲がいる清澄高校が、姉の宮永照の所属する白糸台高校を衝撃的に撃破して優勝した。個人戦は姉妹の大暴走の末、宮永照が姉妹対決を制して、史上初の個人戦3連覇を決めた。

 ではなぜこの(いびつ)な大会が歴史的変換点となりうるのか? それは日本麻雀界の欧州化が急激に進んだことにあった。小鍛治健夜が始動させた“ニュー・オーダー”構想は、欧州の“巨人”ウインダム・コールが起こしたムーブメントの日本版なのだ。

 保守的とされる日本麻雀界は、健夜と宮永姉妹による最強で最悪なトライアングルが形成されることを恐れた。

 そして、その恐怖は、これまでの価値観、世界観を一変させることになった。

 

 とはいえ、その変革の渦の真只中(まっただなか)にいた高校生雀士たちは、もっと純粋で、ある意味高校生らしい悩みに苦しむことになる。ただ、その理由にも宮永姉妹が深く関与していた。

 

 

 姫松高校麻雀部部室

 

 9月上旬、今月末から開催される国民麻雀大会は、ブロック大会と本大会の二部構成になっていた。まずは地区ブロックを総当たり戦で勝ち残り、それから本大会に進出する。末原恭子もインターハイの成績が評価され、大阪代表の一人に選出されていた。

 強豪校がひしめく大阪のオールスターなのだから、例年どおり優勝候補の上位に挙げられてもおかしくはない。しかし、今大会はそこまで評価は高くなかった。

 主力メンバーになるはずの荒川憩が不出場を決めており、千里山女子の三人も態度を保留していた。そして、恭子の同級生である愛宕洋榎も、出場を決めかねていた。

 なぜこんなことになったのか? そのわけははっきりしていた。彼女たちが目標に定めている宮永姉妹が早々に出場辞退を表明していたからだ。

 

「主将、回答は今週いっぱいですよ」

「主将か……ほかの学校はとっくに代替わりしてるのに、なんでうちだけ国麻まで任期があるんかいな?」

 

 愛宕洋榎と末原恭子は、卓に入っておらず、部室の隅にある待機所で部員が打つのをぼんやり眺めている。

 

「話をそらさんと。主将が出な、国麻も長野に持っていかれますよ」

「ええんちゃうん。長野は魔境やさかい」

「……」

 

 今日は水曜日だ。洋榎は昨日も一昨日も卓に入っておらず、下級生の指導ばかりしている。残りひと月ほどの主将の役割を果たそうとしているように見える。だが、恭子にはそれがある状態をごまかすためだと推測していた。

 

 燃え尽き症候群

 

 大小の差こそあれ、大きな大会を終えた競技者には、必ずそれはやってくる。一握りの目標を達成した者、その他大多数の夢破れた者たち。たとえ同様の努力をしていたとしても、その結果から得られるものは不平等極まりない。もしも二年生以下ならば、来年の雪辱を励みにすることもできる。しかし、洋榎は三年生で、名門姫松高校の主将として常にモチベーションを高く保っていた。その目標が一気に消えてしまっては、立ち直りに時間がかかるのも仕方がないと思った。

 だから、恭子は監督代行の赤阪郁乃に相談して、荒療治を施すことにした。

 

「明日千里山のメンバーが来るんよ」

「セーラのアホもぐずっとるみたいやな……おかんから聞いたわ」

「……主将」

「恭子、今日は一緒に帰ろか、少し話もしたいし」

「……」

 

 自分のスタイルへの絶対的な自信。その岩石のような精神力が洋榎の強さだった。なるほど、宮永咲は強い。それは恭子自身がよく知っている。洋榎が完全敗北したのも頷ける話だが、それしきのことで砕け散るような軟弱な岩盤ではなかったはずだ。恭子は、洋榎にそれを思い出してほしかった。

 

 

 天王寺公園 遊歩道

 

 通学で使用しているメトロの動物園前駅には有名な通天閣の脇を通るのが一番の近道だった。とはいっても、恭子たちは多感な高校生だった。時には寄り道もしたくなる。その場合は、この天王寺公園にくることが多かった。美術館や動物園、大きな庭園もある。大阪のど真ん中とは思えないほど緑も豊富だ。

 末原恭子と愛宕洋榎は、和気橋という公園内の河底池にかかる真っ赤な橋の上にいた。6時をすぎていたが、気温はまだ30℃以上あった。二人は涼を求めてこの橋にきていた。

 

「差を見せつけられたちゅうこっちゃ。ちょいやそっとじゃ埋められへんほどのな」

「差?」

「なあ恭子……うちらは、小学生の頃から麻雀が強いてちやほやされてきたやん」 

「特に洋榎はそうやろうな。おかんが元プロやし」

 

 洋榎が頷いた。まだ明るいので、その表情がよく見える。

 

「そんな迷惑そうに笑わな」

「実際迷惑やった。絹なんか、麻雀やるのは嫌やって言うてサッカーやりだす始末や」

「おかんはなんて?」

「しばらく別の世界をみるのもええやろって」

「……自信があったんやな」

 

 洋榎の言いたいことが分ってきた。たしかに、恭子を含めた姫松のメンバーは、小学生、中学生と優秀な成績を残し、敷かれたレールの上をすべるように姫松という名門校に進学した。その間には、自らの力への自惚(うぬぼ)れ、それゆえの努力への妥協。鼻持ちならないエリート意識が存在していた。だが、宮永姉妹にはそれがなかった。高校生になるまで一切の外部接触を避け、徹底的に自らの力を追求していった。

 “ちょっとやそっとでは埋められない差”とは言い得て妙だなと思った。

 

「咲はな、うちとの対戦中にわろてん」

「わろた?」

 

 洋榎が恥ずかしそうに笑う。この顔を見せる時は、彼女は本心を語っている。

 

「うちは対局中の無駄話がいつもより多かった。きっと……怖かってんろうな」

「……」

「ほんならな、あの子は、普通にわろてん」

「分るで……その気持ち」

 

 洋榎が不思議そうにこちらを見ている。なにが不思議だというのだ? 自分は宮永咲と3度も対戦しているのだぞ。彼女のことは洋榎以上によく知っている。

 

「恭子はなんべんも闘ってるから咲に関してはそやろうな」

「……宮永照ですか?」

「まあ……うちもおねえやさかいね」

「……」

「もしも絹が、あの子のように最強で、あの子のように無限に優しかったなら……」

「どんな期待にも応えたい……ですか?」

「そう思うし、それがでけへんかったら……宮永照のようにぶっ壊れてまうやろうな」

「それが……“差”ですか?」

 

 辺りはだいぶ暗くなってきた。河底池には通天閣やなにやらの外灯が映され、ゆらゆらと揺れている。洋榎はそれを眺めながら、間接的な答えを返した。

 

「絹とは絶対にそうならへんし、なる必要もあらへん。せやけどなぁ……あの姉妹はそうなってもうた」

 

 なるほどと恭子は思った。

 洋榎が言ったように、自分たちは、宮永姉妹がそれほどのものであることを知らなかったのだ。

 宮永姉妹の祖母は欧州チャンピオン、母親は全日本チャンピオンだ。その二人に、姉妹は極限状態で純粋培養されていた。それは、仲睦(なかむつ)まじかったであろう姉妹を引き裂くほどのものだ。

 姉妹の両者との対戦を恭子は思い出していた。

 

(宮永照は……関係の修復を諦めとった。せやけど咲は違うた)

 

 福路美穂子と共闘した宮永照戦。あと一歩までは追い詰めたが、結局は“絶対王者”の勝利への執念によって敗北した。妹を倒すことに憑りつかれた照の姿に、恭子は鬼気迫るものを感じた。

 宮永咲との3度目の闘いは、それ以上の衝撃であった。自分がすでに敗北者であることを咲から教えられた。言葉ではなかった。〈オロチ〉と呼ばれた凶悪な闘牌に潜むメッセージとして告げられた。試合中の記憶がなくなるほどの衝撃だった。

 しかし、と恭子は考える。

 なぜそんなことをしなければならない? 照のように、歯が立たないと思わせたらいいはずだ。なのに、咲は、あえて相手の弱点を教えてくれる。

 

(それが洋榎の言うた優しさか……照さん、こら結構辛いな)

 

 あの凶悪な側面の状態でも、咲は内なる優しさを閉じ込められていなかった。その二面性が姉を苦しめ、自分をも苦しめる。恭子には、それが絶対に解決できない問題に思えた。しかし、咲は諦めていなかった。倒れても、傷を深くしても、闘うことを止めていなかった。

 

「今は勝たれへん……その気持ちはよう分かる。せやけど、内向きになったらだめやで」

 

 直ぐには埋められない“差”ではあるが、絶対埋められない“差”ではない。それは洋榎だって理解しているはずだ。いつになく感傷的に話す洋榎に、恭子は、少しじれったくなっていた。

 

「国麻に出ーへんなんて言うてへんで」

「……」

「明日が楽しみやで。セーラと話ができるからな」

「……」

 

 真夏ならば、まだ薄明るい時間帯だが、9月中旬にもなると、辺りはもう真っ暗になっている。とはいっても、都会の夜にはあちこちに光源があり、恭子と洋榎を様々な色で照らす。

 

(複雑やな……)

 

 洋榎の表情は、言葉とは真逆の顔だった。それは、まるで恋愛に苦しむ少女のような、複雑な表情であった。

 

 

 千里山女子高校 放課後 廊下

 

「江口、自分は今日部室に入らんでもええ」

 

 千里山女子高校麻雀部監督の愛宕雅恵が、江口セーラを廊下で捕まえてそう告げた。

 

「なんでですか?」

 

 少し反抗的な口調になってしまった。たしかにインターハイ以後、自分には覇気(はき)がなくなっている。セーラはそれを自覚していたが、闘う意思は見せていたはずだ。

 

「勘違いするな。そこの小会議室で清水谷たちと国麻の対策をしろ。私もあとで行く」

「……国麻ですか」

「なんや、出ーへんのか?」

「……いいえ」

「明日は姫松との合同練習もあるんやからな。気合い入れて行けや」

 

 唯我独尊(ゆいがどくそん)だったセーラにも頭が上がらない人間がいた。その一人である愛宕雅恵の指示なのだ。きっと無意味ではない。そうは思うが、あまり気が乗らないのも事実であった。

 

(咲……なんで出ーへんねん)

 

 宮永咲は一年生だ。たとえ国麻に出たとしてもジュニアBの枠になる。セーラは対戦することはできない。ただ、あの子の成長を観ることができる。地獄のような姉妹の葛藤を乗り切り、様々な問題を抱えつつも、再出発した宮永咲を確かめたかった。なぜならば、彼女は、セーラが完全敗北した相手であり、倒すべく目標に定めた人間だからだ。

 

「ちーっす」

 

 雅恵に指定された小会議室のドアを開けると、清水谷竜華と園城寺怜がテーブルの上に置かれたA4用紙を眺めている。

 

「なんやそれ?」

 

 セーラが二人に向かい合って座ると、怜が無言でA4用紙をセーラに渡す。

 

「ジュニアA長野メンバー?」

「もう長野はメンバーがほぼ確定してる。セーラ、感想を聞かして」

 

 その用紙には、よく知っている名前が羅列(られつ)されていた。国麻は団体戦になる。だれが先鋒かとかはまだ分からないが、その5人の名前の説得力は、優勝候補筆頭にふさわしいものであった。

 

 

※※※ ジュニアA長野メンバー(順不同) ※※※

 

 福路美穂子(風越女子高校三年生)

 竹井久(清澄高校三年生)

 加治木ゆみ(鶴賀学園三年生)

 龍門渕透華(龍門渕高校二年生)

 天江衣(龍門渕高校二年生)

 

 

「天江衣が出るんか?」

「セーラのライバルやな」

 

 怜は飄々(ひょうひょう)と話しているが、セーラにはその意味が分からなかった。

 

「去年あれだけブレイクしたのに天江衣は国麻にも秋季大会にも出ーへんかった。なんでや思う?」

 

 首を(かし)げているセーラに、竜華が追加質問をする。

 

「確か、興味があらへんやら言うとったような……」

 

 忘れたふりをしたが、昨年聞いた衣の答えはよく覚えていた。自分が言うのもなんだが、その存外(ぞんがい)な言い分には嫌悪感すら覚えた。

 

「でも、今年は出るんやで」

「……咲に負けたからか?」

 

 インターハイ長野地区予選で、天江衣は、絶対的な優位の状態から、咲に逆転負けを喫していた。セーラは何度もその動画を観ていた。実に異様な展開だったが、セーラには衣の心境が理解できた。彼女は負けを望んでいたのだ。

 負けを望むということは受け入れるということだ。衣も自分と同類だった。つまりは、宮永咲の(とりこ)になっているのだ。

 

「セーラは天江衣と闘いたい?」

「そら興味あらへんな」

「ほな、セーラは大将以外やな」

「?」

「順不同って書いてあるけど、長野のオーダーはほぼそれで確定や。船Qの分析によると天江衣のポジションは大将や」

 

 まあ、船久保浩子でなくてもそう考えるだろう。最も効果的な天江衣の使い方は、彼女を大将に置いてプレッシャーをかけることだ。

 

「その船Qは?」

「泉がジュニアBで選ばれとる。あっちも長野がやばいからな」

「なんで? 咲は出ーへんのやろう?」

 

 竜華と怜が、顔を見合わせて含み笑いをしている。

 

「セーラ、それってもう恋愛やんな」

「咲ちゃんが恋しゅうてしゃあないのとちがう」

「そんなんちゃう」

 

 二人もそんなことは承知で冷やかしているのだろうが、セーラはステリックに反応してしまった。顔もやや赤くなっているはずだ。ここは話題を変えるしかない。

 

「長野のジュニアBってだれがおる?」

「咲ちゃん以外の清澄の二人と――」

 

 こういう時の竜華は意地が悪い。わざと咲の名前を強調して言った。

 

「――東横桃子、南浦数絵。二人共、地区個人戦で咲ちゃんを苦しめてたな」

「……」

「南浦って、南浦プロのお孫さんやろ。ほんまに隙がないな。中学生枠を狙うしかあないか」

 

 そこに原村和と片岡優希が加わるのだ。怜が言うように、つけ入る隙がない。セーラが腕組みをして考えていると、逆に竜華が話題を変える。

 

「ジュニアBは船Qに任せといて、うちらは大阪の布陣を考えよ」

「そうやな。長野の先鋒は福路か……厄介(やっかい)やな」

「今のとこ福路さんは宮永姉妹と闘うた唯一の人やで。厄介所の話ちゃう」

 

 相対的に考えるのならば、大阪側の先鋒は怜しかいない。福路美穂子の対応力を、怜の未来予知に全振りさせるためだ。怜も大量得点はできないが、美穂子もイニシアティブをとれない。

 

「あの二人を相手に闘い切る……すごいなあ」

 

 大阪では名前を知らぬ者がいない強者である清水谷竜華。彼女を怯えさせる宮永姉妹と美穂子は対等に闘っていた。なるほど、怜の言うように、厄介では済まない話だ。

 ただし、セーラは、竜華の言う「すごい」という言葉に頷きはしたが、怯えの感情は(いだ)かなかった。それどころか、美穂子が羨ましいとさえ思っていた。

 

「清澄の部長は次鋒なん?」

「それは船Qの保証付きや」

「なんで?」

 

 セーラも怜と同じ疑問を持った。場を整える重要なポジションである次鋒には、竹井久の博奕性(とばくせい)の高い戦法は不釣り合いだ。

 

「洋榎さんを固定するためだって」

「……なるほどな」

 

 先鋒戦で優位性を保てないのなら、次鋒戦に引き継ぐ。長野の布陣を考えた人間は、それを想定している。しかも、対大阪用としての竹井久の配置、こちらとしては、相性の良い愛宕洋榎を置くしかない。

 

「加治木ゆみって、あの加治木か?」

「どの加治木や?」

 

 怜や竜華にとっては、加治木ゆみという名前はそれほど印象に残っていないのだろう。ただ、セーラにとっては、その名前は天江衣よりもインパクトのあるものであった。

 

「あれや、咲に槍槓(チャンカン)を決めた加治木や」

「また咲ちゃん?」

 

 怜と竜華はもはや呆れ顔だ。

 

「やかましい! 大阪はだれや」

「セーラやろな」

「……うち?」

「衣ちゃんは嫌い、龍門渕さんは、セーラの苦手な阿知賀の子と同じタイプや。だとしたら、加治木さんの相手はセーラや」

「……」

 

 セーラは、一度だけ姫松高校の末原恭子と対戦したことがあった。その時は、持ち前の瞬発力で圧倒できたが、次は勝てないかもと思った。加治木ゆみは、その恭子と同じタイプだとセーラは考えていた。

 

(積み上げた情報だけで槍槓を決める……うちにはでけへん。そんなん末原かて難しいやろ……勝てるか?)

 

 わずかな情報しかない加治木ゆみの存在が、セーラの中で巨大化していた。その根拠となるものは――やはり咲だった。長野団体戦決勝でゆみは咲の嶺上開花を一度の槍槓で封じてしまった。その実績が、セーラに無言の圧力をかける。

 

「副将と大将は?」

「衣ちゃんは末原さんに任せるわ。うちなら、龍門渕さんを弱いままで処理できると思う」

 

 セーラの気持ちの揺れを無視するかのように、二人は議題を先に進めた。まあそうだなとセーラも思い直す。誰と当たろうが、自分のスタイルを貫いたらいい。それが、咲との対戦から得た結論だった。

 

「完璧やな。竜華ならあのお嬢さんをいなす。末原は天江を暴れさせなええ。要は洋榎と俺がポイントやな」

 

 小会議室のドアがノックされ、「入るぞ」との声と同時に、愛宕雅恵が入室してきた。彼女は、意味ありげに封筒をテーブルの上に置き、セーラたちを見回した。

 

「どないや?」

「これです」

 

 竜華が大阪側のポジションを追記したA4用紙を雅恵に渡す。

 雅恵はそれを乱暴に取り、眼鏡を上げて確認した

 

「監督、老眼ですか?」

「私にはお前たちと同年代の娘がおるんや、苦労が絶えへん。老眼にもなる」

 

 冗談なのだろうが笑顔ではない。まあ、“娘”が洋榎ならさもありなんという感じだ。

 

「ご苦労さん。まあ完璧やな」

 

 褒められていると思ったが、監督の表情は厳しいままだ。そして、テーブルの上の封筒を指差す。

 

「清水谷、その封筒を開けてみぃ」

 

 竜華が封筒を開けると、中には同じようなA4用紙が入っていた。

 ――その紙にはこう書かれていた。

 

先鋒 園城寺怜

次鋒 愛宕洋榎

中堅 江口セーラ

副将 清水谷竜華

大将 末原恭子

 

 完全に読まれていた。自分たち三人が作成したオーダーは、指導者レベルの人間には当たり前すぎるものだということだ。

 

「自分らは優れた雀士や。麻雀だけなら私でも勝てん」

「……」

「責めてるわけちゃう。自分らの不足してるものに気ぃ付いたらええ」

「これは監督が」

 

 雅恵が笑いながら頷く。

 

「こらな、久保が仕向けた罠や。長野の布陣をわざと公にして、対戦相手からオーダーの自由を奪う。なんともやらしいやろ?」

「久保って誰です?」

「風越のコーチや。長野では発言力が強い」

「……」

「小鍛治健夜の恐ろしさを直接知らない第二世代。実績こそそれほどでもないが、客観性に優れた策士や。あの福路を育てた人間言うたほうが分かりやすいか」

 

 言葉がなかった。麻雀に限らず、団体競技は、試合前の駆け引きが非常に重要になる。セーラたちは、久保貴子の策略に、まんまと嵌っていたのだ。

 

「私は国麻には口出しでけへんが、お土産は持たせられる」

「お土産ですか?」

「そうや」

 

 そう言って雅恵はもう一枚の封筒を竜華に渡した。

 

「私は泉を引率(いんそつ)せなあかん。姫松には自分ら三人で行かんかい。着いたら赤阪にそれ見せいや」

 

 封筒の中身は、やはりA4用紙だった。そして書かれていたのも、大阪代表のオーダーだ。だがそのラインナップはセーラたちの考えが及ばないものであった。

 

 ※※※ ジュニアA大阪オーダー ※※※

 

 先鋒 愛宕洋榎

 次鋒 江口セーラ

 中堅 清水谷竜華

 副将 末原恭子

 大将 園城寺怜

 

「監督……これって長野にオーダー変更させようとしてるんやないですか?」

「まさか。久保は手札を変えへん。絶対的な自信を持ってるからね」

「……」

「天江はいなしたらあかん。宮永のように力でねじ伏せる。怜、あいつは手強いで、覚悟しぃや」 

 

 

 翌日 姫松高校麻雀部部室

 

 千里山女子高校の三人が騒がしく部室に進入してきた。いや、騒がしいのは江口セーラだけであった。彼女はふっ切れた様子で、しきりに愛宕洋榎に絡んでいる。

 その洋榎は迷惑そうにセーラに対応している。

 

「自分、元気だけはええな。ただ、そら空元気やろ。宮永が出えへんさかいやけくそになってるんとちゃうか?」

「自分こそいつまでうじうじしてんねん。早う出場するって言えや」

「なんやて」

「なんや」

「なんや」

「なんや」

 

 果てしない「なんや」問答が始まりそうだったので、末原恭子は一番インパクトのある話題を場に提供した。

 

「園城寺さん、天江衣と闘えますか?」

 

 洋榎とセーラを含め、全員の時間が一瞬止まった。効果覿面(こうかてきめん)だったなと思ったが、時間が戻ってからの千里山グループの反応は意外なものであった。

 なんと、三人で集まってひそひそ話をしていた。そして、清水谷竜華から封筒を渡される。

 

「これ……洋榎ちゃんのお母さんから。赤阪さんに渡せって」

「……見てもええですか?」

「かまわんよ」

 

 中身は恭子の予想どおりのものだ。大阪メンバーのオーダー表だ。

 

「やっぱうちが先鋒か……代行とオカンはつるんでるのとちゃうのか」

「まあ、指導者同士ですから」

「赤坂さんも?」

「ええ、まったく同じオーダーです」

「……」

 

 妙な一体感がそこにあった。高校生の自分たちと、指導者たちでは、観てきたものの量が違い過ぎる。それを思い知らされた。ただ、それは経験を積み重ねることで補える。これも一つの財産だと恭子は割り切った。

 

「おくれてゴメンなー。わざわざ来てくれておおきに」

 

 監督代行の赤阪郁乃が現れ千里山の三人を労っている。最近は以前のようなエキセントリックな言動はなりをひそめ、監督らしい行動が目立つようになった。

 恭子は、さきほど竜華から受け取ったオーダー表を郁乃に手渡す。

 

「代行、これ、愛宕監督からです」

「お母さんから?」

 

 郁乃は、近くに洋榎がいる場合、わざと愛宕雅恵をお母さんと呼んだ。その都度、洋榎の機嫌は悪くなる。今も彼女は眉をひそめている。

 

「洋榎ちゃんは先鋒、セーラちゃんは次鋒。一致したな。これでええか?」

「ええんちゃいますか? おかんも代行も同じ意見なら、うちはそれに従うまでです」

 

 あいかわらずの反応だ。洋榎の気分はまったく盛り上がっていない。

 だが、さすがと言うべきか、郁乃は、洋榎のハートに火をつける材料を仕入れていた。それは、恭子にも予想できなかった材料だ。

 

「そういえばなー、洋榎ちゃんにビックニュースがあるんやで」

「……なんですか?」

「ちゃちゃのんも出るんやて」

「……あのクソガキ出るんか」

「クソガキって、主将、口が悪いですよ」

「あいつだけは、もういっぺん泣かしてやらな気ぃ済まへん」

 

 千里山の三人が恭子に探りを入れる。

 

「愛宕さん、佐々野さんとなんかあったん?」

「はい、宮永に負けて泣いてるとこを佐々野さんにおちょくられたんですわ」

「ダッセー!」

 

 セーラが大笑いしながら洋榎につっかかった。

 

「洋榎! 自分なにやってんねん。佐々野におちょくられて――」

「――やかましい! それよりもセーラ! 自分もいけるんか? うちが後ろを任せとるんやで」

「万全や! 自分も精々福路にメタクソにされんよう頑張りや」

「上等やないか。うちが出るからには優勝以外はない。清水谷、園城寺も、気合い入れとけや」

 

 要はきっかけだった。以前のようなエネルギッシュさを取り戻すには、なんらかのきっかけが必要だった。自分でもこのままではいけないことが分かっていたはずだ。しかし、急に復活することには照れがあったのだと思う。愛宕洋榎とは、見かけによらず繊細な生き物なのだ。

 

 

 広島 鹿老渡高校 麻雀部

 

 佐々野いちごは、さきほどから大きなくしゃみを連発していた。寒気を感じ、身震いもしていた。

 

「ちゃちゃのん、どしたん? 風邪でもひいた?」

 

 同級生の問いかけに、いちごは大きく首を振った。

 

「こりゃ呪いじゃ……東の方から邪悪な波動を感じる」

 

 いちごは、再びくしゃみを連発した。

 




次話:「国麻への道のり~九州、東北編」

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