咲〈オロチ〉編   作:Mt.モロー

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第七話 弘世菫の災難

 前髪を上品に切りそろえた青くストレートな長髪。それは弘世菫の外観的な特徴の筆頭に上げられるものだ。170cm後半の高身長と合わせて、遠くからでも余裕で菫と判別できるだろう。

 董は、その自慢の長髪を無造作に後ろに束ね、亦野誠子から借りた、猫科の動物のエンブレムがついた野球帽を被っている。そして、暑苦しそうな大きなヘッドホンも付けて、カッターシャツにジーンズという、まったくもって菫らしからぬいでたちだった。それには、明らかに変装の意図が読み取れた。

 

「照……聞こえるか?」

 

 カッターシャツの襟で隠してある咽喉(いんこう)マイクを使い、董は、自分をこんなにひどい状況に追いやった宮永照との連絡を試みる。人が多いとはいえ、空港ラウンジ内での電話はマナー違反になるので、小声で会話するしかない。

 

『聞こえる。今どこ』

「南ウイングの広場」

 

 下を向きながら必要最低限の応答をする。

 巨大空港である羽田の到着ラウンジは、出迎えの客でごった返していた。菫は、その人ごみに埋もれるようにして、親友の母親である宮永愛を監視していた。

 当然ながら、変装など初めてのことなので、平常心ではいられない。あちこちにいる空港警備員の目が気になる。 

 

『菫、お母さんは観察力が尋常(じんじょう)じゃないよ……気を付けて』

「あのなあ……」

 

 なんで自分がこんなことをしなければならないのか? いまさらながら菫は後悔していた。

 

 

 ――それは一昨日のことであった。

 親友の宮永照から電話があり、妹の宮永咲が羽田空港にくるのでそれを見届けてほしいと依頼された。

 

(「自分で迎えに行け」)

 

 最初はそう言って突き放した。妹との距離を縮める良い機会ではないかと考えたからだ。それに、照の家は空港からモノレールで数駅の範囲にある。わざわざ自分が出向くのはバカバカしい話であった。

 

(『咲とは、もう少し時間がほしい』)

 

 そう言われると、董には返す言葉がなかった。しかし、神レベルの視力を持つ照ならば、妹に見つからずに監視できるはずだ。

 ――その疑問に対する答えは、実に幼稚なものであった。

 

(『ばれたら恥ずかしいから』)

(「恥ずかしい?」)

(『自分の意気地のなさが……とても恥ずかしい』)

(「……本当だな」)

 

 納得はできないが、照の言葉には、少なくとも嘘はなかった。これが最後という条件で渋々ながら引き受けることにした。

 

(『咲もお母さんもとても目がいい。気づかれないように変装してくれる』)

(「……」)

 

 変装するなど考えたこともなかった。手詰まりになった董は、アウトドア派の亦野誠子に助けを求めた。

 誠子は面白いことを見つけたとばかりに、変装用の野球帽や、カッターシャツ、ジーンズを準備してくれた。なるほど、野球帽やジーンズは自分のイメージからはかけ離れている。ただ、薄いグレーのカッターシャツなら面接用として菫も持っていた。さほど違和感のない服装だ。

 

(『そのシャツは登山用で(えり)が大きいんです。絶対に必要になりますよ』)

(「なんのために?」)

 

 誠子が楽しそうにもう一つアイテムを見せた。

 

(『咽喉マイクのヘッドセットです。見届けるだけなんてつまんないですよ。これで宮永先輩に実況したらどうですか?』)

(「なんで……こんなものを持っている?」)

(『だから登山用ですよ。これがあればステルス会話もできますよ』)

(「……」)

 

 もう後には引けなかった。気が乗らないながらも、董は試着させてもらい、首に咽喉マイクを取り付ける。ヘッドホンはわざと音楽用の大き目のものを選んだ。これならば、コードが下に伸びていても自然に見える。

 誠子がマイクの使い方を楽しそうにレクチャーしてくれる。そんな彼女とは真逆に、董の気持ちは、どんどん憂鬱(ゆううつ)になっていった。

 

(「なぜ自分がこんなことをしなければならない?」)

 

 

 ――後悔しても仕方がなかった。そう、仕方がないのだ。不器用な親友のためならば、探偵の真似事だってしてやる。

 

『お母さんは?』

「出口付近で中を見ているよ。心配そうだな」

『まあ、私の妹だからね……』

「一人旅か……親としてはドキドキものだろうな」

『そうだね』

 

 照の母親でもある宮永愛は、厳しい表情で到着口を睨みつけており、山門の仁王像のようにピクリとも動かなかった。宮永咲の乗った飛行機が着陸してから結構時間が経っている。一向に現れない娘が心配すぎてそんな状態になっているのだろう。

 その愛が、安堵の表情に変化した。肩の力も抜けてゆっくりと到着口に歩み出した。

 

「よかったな照。どうやら無事に着いたようだぞ」

『お母さんは、笑ってる?』

「少し遠くてはっきりしないが、そう見える」

『咲は?』

 

 こちらからはっきり見えるということは、相手からも良く見えるということだ。だから菫は、ギリギリ愛が見える位置にポジショニングしていた。そして、この位置からでは咲を捉えることができない。

 

「待て、移動する」

『……』

 

 近くにあった空港マップを確認するふりをして二人が見える場所に移動した。

 咲は今にも抱きつきそうであったが、なんとか自制している様子だ。しかし、その表情はなんとも嬉しそうに笑っていた。

 

「咲ちゃんも笑っているよ」

『……そう』

「二人は久しぶりに会うのか?」

『そうだね』

 

 その後、宮永親子は、手を繋いでモノレール乗り場に向かっている。

 

「手を繋いでいるよ」

『咲は……手を繋ぐのが好きだから』

「照、これからどうしたらいい。モノレール乗り場まで追跡するか?」

『……』

 

 それから数分間、照は返事をしなくなった。

 しかし、董は返事を催促(さいそく)したりはしなかった。なぜそうなのかが分かっているからだ。宮永照は、今泣いているのだ。それも、言葉が発せられないほどにだ。ようやく取り戻せた姉妹の愛情は、長い断絶を経ているだけあって、深く尊いものなのだろう。

 しばらくして、明らかに涙声の返事があった。

 

『うん、乗るまでいいよ。ありがとう』

「了解だ」

 

 なんとも涙もろいものだ。昨年までの宮永照からは想像ができないほどだ。彼女には絶対的な強者が持つ冷酷さがあった。だが、それを崩壊させたのは、長く存在を否定していた妹の宮永咲だった。しかし、それは悪いことではなかった。逆に感謝の念を覚えるぐらいだ。とっつきにくかった親友を、より身近に感じられるようになった。

 

(照だけじゃないか……)

 

 そうだ。と、思い直した。咲が変えた人間はもう一人いた。その人間について、親友に釘をさしておかなければならない。

 

「照、淡には内緒にしておけよ。なんで自分を除け者にしたとかうるさいからな」

『うん、分かった』

 

 我儘一辺倒(わがままいっぺんとう)だった大星淡も、咲との出会いによって変貌を()げていた。まだまだ過渡的ではあるが、これからどうなるのだろうという心配はなくなった。これも咲に感謝するしかない。

 

 モノレールの改札口が見えてきた。ようやく菫も苦行から解放されそうだ。

 

(なに!)

 

 ――それは油断だった。いつもの冷静な菫ならば、咲の癖を忘れていなかったであろう。だが、その時、董はそれを完全に失念していた。

 宮永親子が突然振り返り、こちらに向かってくる。菫は、慌てて迂回路(うかいろ)を探した。ちょうどトイレ表示の横道があったのでそこに入った。

 

(しまった! 行き止まりか)

 

 そこは貫通路ではなかった。もう引き返すことはできない。後ろから足音が一つ聞こえてきた。おそらくは咲だ。彼女はかなりトイレが近いと照から聞いていた。

 

(並んでなければいいが……)

 

 一部屋だけ空いていた。自分が入ると咲を並ばせてしまう。菫は空いていた化粧台でうつむいて手を洗う演技をした。その後ろを咲が通り過ぎて個室のドアが閉められた。 

 菫は、ふうと息を吐いて無意味に濡れた手を拭いてトイレから出た。

 

「照にも困ったものね」

 

 心臓が止まるかと思った。照の言ったとおり、宮永愛は本当に観察力が鋭い。完全に見破られていた。

 

「……気がついていましたか?」

 

 愛が苦笑いを浮かべて頷いた。素直ではない娘に困り果てている様子だ。

 

「一緒にくるかって聞いたら、こないって言ったのに」

「まあ、本人も悩んだのだと思います。すみません。咲ちゃんには内緒でお願いします」

「菫さん、ありがとうね」

「それでは」

 

 菫は、逃げるようにして通路から脱出した。リアルタイムで照と会話していることまで見破られたくはなかったからだ。

 

「照、すまん。愛さんにはばれた。でも咲ちゃんへの口止めを頼んだ」

『聞こえてた。もう改札でしょう? そこまででいいよ』

「ああ」

 

 緊張が解けてかなり楽になった。菫はかなり距離をとって二人を観察することにした。トイレから戻った咲は、再び母親と手を繋ぐ。照でなくとも微笑ましく見える光景だ。二人が改札を越えるのを見届けて、董も帰途に着こうとした。

 

「すみません」

 

 肩を優しく叩かれた。振り返ると紺色(こんいろ)の帽子と制服を着た、女性警備員が2名立っていた。まあ、怪しまれても仕方がないかと思った。だが、この件に関しては冷静に対応できそうだ。

 

「はい」

「恐れ入りますが、身分証をお持ちでしたら拝見させてください」

「学生証になりますが?」

「大学生ですか?」

「いいえ、高校生です」

 

 菫は、白糸台高校の学生証を手渡した。

 警備員は怪しむ目つきで、学生証と菫を見比べている。変装中なのだから、当然そうなるだろう。

 

「首に変なものを付けていますね」

「これはマイクです」

 

 相方の警備員が無線でだれかと話をしていた。これは言い逃れできないなと思い腹を括った。

 

「よろしければ、事務所で少しお話をお聞きしたいのですが?」

「承知しました。その前に相方と話をしても良いですか?」

「どうぞ」

 

 菫は、声帯の振動をよく拾うように、咽喉マイクを指で押さえた。

 

「照、聞こえていたか? すぐに助けにこい」

『待ってて』

 

 

 ――不審者として扱われた菫ではあったが、調査は穏やかに行われた。やがて、宮永照が駆けつけると、彼女を知っている警備員が現れ、無事に解放された。

 照に、いくつか文句を言いたかったが、彼女の平穏な顔を見ていると、なにも言えなくなった。

 

「照、私は空腹だ。上にレストランがあるのだが?」

「いいよ」

 

 それなりの報酬は受け取らなければならない。菫は、老舗のイタリアンをその報酬として要求した。

 酸味の効いた上質のパスタに舌鼓(したづつみ)を打ちながら、照に質問をする。

 

「いつなら大丈夫なんだ?」

「咲と?」

「そうだよ」

「やっぱり……時間が決めるものじゃないかな。なにげなく……自然に話せる日がくると思う。昔みたいに」

「そうか」

 

 これ以上の追及は無意味と考え、菫は、照としばらく雑談してから自宅に戻った。

 

 

 ――午後8時20分。疲労し切っているが、受験勉強は休めない。ただ、その前にやらなければならないことがある。

 菫は、スマホで渋谷尭深(しぶやたかみ)に連絡をする。

 

『はい』

「こんな時間にすまない。私だ」

『部長からの電話は、たしかに珍しいですね』

「急ぎの頼みがある。だから電話をした」

『なんですか?』

「清澄の染谷の電話番号を教えてほしい」

 

 意外に思えるかもしれないが、チーム虎姫の戦力アナリストは尭深なのだ。ハーベストタイムという極端にリスキーな技は、緻密な分析力がなければ実行が不可能だ。それは、あの団体戦決勝で証明済みだ。一歩間違えば自滅の危険性をはらみながらも、尭深はハーベストタイムを強行し、他校を恐怖のどん底に落とし込んだ。

 

『ルーフ・トップは10時まで営業しています。まだ間に合います』

「助かったよ、ありがとう」

 

 尭深との電話を切り、今教わった電話番号を入力する。

 菫は、通話ボタンを押す前に、一度考えをまとめることにした。

 

(お節介(せっかい)すぎるか……)

 

 あの姉妹は放っておくべきだと思っていた。照が言ったように、自然に任せて元に戻るのを待っていたほうが良い。それは分かっている。それは分かっているが、照との会話が、董のお節介心を刺激した。

 

(お前が言ったんだ……時間じゃないって。それにな、今日の災難に対する報復だって認められるはずだぞ)

 

 まあ、それは詭弁(きべん)であった。あの平穏な親友の笑顔が続くのならば、余計なことだってしたくなる。報復云々(ほうふくうんぬん)はその理由付けにすぎない。

 菫は、通話ボタンを押して、スマホを耳に当てる。

 

『はい、ルーフ・トップです』

 

 完全な標準語だった。それに、声質も染谷まことは違った。多分、従業員のだれかだろう。

 

「私、染谷まこさんの友人の者ですが」

『はい、お名前をお伺いしてもよろしいですか?』

「白糸台の弘世とお伝えください」

『友人たぁ嬉しいのぉ。弘世さん』

「……染谷か? 普段は広島弁じゃないのか」

『普段も広島弁だけど、電話はお客さん相手じゃけぇの』

「……まあいい。今、電話しても大丈夫か?」

『今日も暇じゃけぇ。それに弘世さんは特別じゃ』

「染谷、咲ちゃんは国麻に出るのか?」

『もちろん選ばれる思うけど、うちゃ出すつもりはない。そりゃ現部長も同じじゃ』

「うちの照もそうだよ。エントリーはされるが出場はしない」

『???』

 

 目の前にはいないが、染谷まこの困った表情が目に浮かぶようであった。そう思うと、董の口角(こうかく)が上がる。

 

「染谷、私に協力しろ。国麻で姉妹を完全和解させる」

 




次話:「国麻への道のり」
8/19 順番を入れ替えました(詳細は活動報告にて)

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