咲〈オロチ〉編   作:Mt.モロー

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 この「ダークサイド」は、外伝として公開していますが、正確には外伝ではなく「魔王への刺客」の時系列に沿ったひとつのエピソードです。しかし、タイトル通り非常にダークであり、挿話すると「魔王への刺客」のテンポを崩してしまいます。とはいえ、とても大切な話なので、外伝として投稿することを決めました。本編を継読頂いている読者様には、一度目を通して頂けたらと存じます。


21-外伝 魔王への刺客「ダークサイド」

インターハイ運営事務所

 

 戒能良子は度肝を抜かれていた。

 宮永咲が見せた脳内補正トリックは、まるで難易度の高いパズルのようなものであった。荒川憩個人の資質、宮永咲の牌のチョイス、場の閉塞感(へいそくかん)。どれひとつ欠けていても成立しなかったであろう。だが、良子を驚かせていたのはそこではなかった。

(最大のポイントは辻垣内智葉の飛び終了か……)

 最も重要な要因は、この対局以前に仕込まれていた。辻垣内智葉の強さを熟知している荒川憩は、そのことにより正常な判断力を喪失していた。

「まずいことになったねぃ……」

 画面を見入っていた三尋木咏が、そうつぶやいて立ち上がる。

「委員長、聞かれたくない話がある。ちょっと戒能ちゃんと席を外すよぉ」

 咏の勝手な言い分に、大会委員長は渋い顔になっていたが、「まあ、三尋木プロの素直なところは好きですからね」と言って、許可を出した。

「委員長に好きだと言われても、なんにもときめかないねぇ」

 わがままにもほどがある。さすがに委員長も不機嫌さを隠せない様子だ。

 咏はそんなことは気にもかけずに委員長の前に進み出た。

「鍵を」

 と言って、咏は手を伸ばす。着物の袖が空調からの風で揺れている。

「……戒能プロに見せるつもりですか?」

「それは話し次第だけどねぇ」

「……署名を忘れずに」

 委員長は、机の引き出しを開けて雑なストラップの付いた鍵を取り出し咏に渡した。

「あいよ」

 咏はそれを受け取り、委員長にウインクしてみせる。無論、委員長は無視の一手だ。

「戒能ちゃん、付き合ってもらうよ」

 咏はそう言って運営事務所のドアを開ける。拒否権はないに等しいので、良子も後に続いた。

「どこまでだと思う?」

 外に出るなり咏が質問を投げかける。シチュエーションを考えると、宮永愛が娘にどれだけのデータを与えているか? と言うことだろう。

「推測にすぎませんよ?」

「もちろん。それで?」

「Everything(すべてです)」

「だろうねぇ、アレクサンドラまでレパートリーに入っているんだからねぇ」

 臨海女子高校の監督であるアレクサンドラ・ヴィントハイムは、欧州の実力者ではあったが、強豪と呼べるほどの雀士ではなかった。宮永咲は、その彼女まで模倣できるのだ。データ量は膨大なものであろう。

「あの子はね……佐々木小次郎なんだよ」

「……」

「ずいぶんと意外そうな顔するねぇ」

 ほんとうに意外なのだから仕方がない。あの三尋木咏から佐々木小次郎という言葉が出てくるなど予想できなかった。

「だとすると……意味は分かってるみたいだね」

富田勢源(とだせいげん)の陰……ですか?」

「博識だねぇ、そうだよ、宮永咲は……宮永照の陰だよ」

 佐々木小次郎には不明な点が多い、出生もそうであるが、彼がいかにして剣豪と呼ばれるようになったのかも実際は分かっていない。諸説ある中で、小次郎が中条流富田勢源の弟子であったという説がある。富田勢源は小太刀(一尺三寸(約50㎝))を得意としており、小次郎はその打太刀(うちたち)(稽古相手)を務めていた。勢源の命により、小次郎の持たされる太刀はどんどん長くなり、最終的には三尺(約1m)にもなった。これが小次郎の代名詞ともいえる物干し竿(ものほしざお)の原型だ。やがて小次郎はその物干し竿を自在に操れるようになり、秘剣“燕返し”を開眼(かいがん)する。

「宮永愛はどんな気持ちだろうねぇ。姉のトレーニングパートナーをしているうちに、妹が怪物化してしまった。彼女の“燕返し”は現状無敵だよ」

「宮本武蔵はいますよ」

 咏がいやらしく笑う。

「それは姫様かい? それとも荒川憩?」

「……あるいは宮永照かも」

「ほう、それじゃあ姫様は勝てないのかい?」

「まさかですよ」

 話はそこで終わった。咏は足を忙しく動かし、前に進む。最も、着物の制約があるので良子の普通の歩行速度を超えることはなかった。

 

 ――警備員のいるゲートを通過し(三尋木咏の顔パスであった)、No.3と表示されたドアの前で咏は止まった。

「私たちがなぜ宮永咲を問題視しているか分かるかい?」

 確かに過剰反応であると良子は思っていた。絶対的な強者が問題であるのならば、一昨年の宮永照でアクションを起こさねばならなかった。宮永咲の強さが飛びぬけているのは間違いないが、姉との差はさほどではない。

「彼女の悲運は、小鍛治さんに目をつけられたことだよ」

「三尋木さんは、それほど小鍛治さんが怖いのですか?」

「怖いねぇ……とっても怖い。私たちはあの人にそれだけのことをしてきたからねぇ」

 咏が言った私たちとは、咏個人のことではなく日本麻雀評議会のことだろうなと考えた。小鍛治健夜と日本麻雀評議会の確執、それは良子の耳にも入っていた。

「戒能ちゃん、これは踏み絵だよ。前にも言ったけど、このインターハイ以後は体制が変わる。戒能ちゃんの立ち位置を教えてほしい」

「ニューオーダー派かアンチ・ニューオーダー派か……ですか?」

「そのとおり。ニューオーダー派には赤阪郁乃や藤田のバカ。それと野依さんも加わるはずだよ」

「アンチ派は?」

「その他のすべて……プロ雀士はぬるま湯につかる保守派が多い」

「私もそうだと?」

「霧島一族だからねぇ。姫様が動いた以上は、戒能ちゃんはどうにもできないだろう?」

 返す言葉がなかった。良子は破門同然に一族から追放されていたが、一族への帰依(きえ)の心は強くなる一方であった。それを咏に見抜かれていた。

(そうか……この人は最初から自分の陣営に引き込むつもりだったのか)

 三尋木咏のしたたかさを認めるしかなかった。

「……踏み絵とは?」

「もう踏んでいるよぉ」

 咏が鍵を取り出し、ドアを開ける。埃っぽいその部屋は、大会期間中に日本麻雀評議会がレンタルしている機材置き場のようだ。明かりをつけると、中央に簡素な事務テーブルと椅子が置いてあり、周囲には積み上げられた段ボール箱や予備の雀卓が雑に並べられている。

「知ってると思うけど、小鍛治さんを最後に、日本人雀士は世界選手権でベスト8にも入れていない。団体戦はもっと(ひど)くて一回戦すら突破できない(てい)たらくだよぉ」

 咏は着物が汚れないように慎重に段ボールの海に入っていく。その一番奥にある箱から、一台のノートPCとバインダーを取り出し、テーブルの上に置いた。

「インターハイの運営委員は当番制だけど、私は麻雀評議会の役員でもあるからね」

「……」

 咏はノートPCを起動させる。普通のOSで動くようだが、良子はそのPCが量販されたものではないことに気が付いた。

(外部インターフェイスがない……いや、CDはあるのか)

 古いものであることは確かだが、なにより異様なのはUSBやCOMポートなどの端子が一切付いておらず、かろうじて“CDROM”と書かれたディスクポートがあるだけの不思議なノートPCであった。

「これはWMSO(ワールド・マージャン・スタンダード・オーガニゼーション)から支給されたPCだよ。正確にはウインダム・コールからだけどね」

「外部との通信をシャットアウトするほど重要なデータが入っているのですか?」

「ウインダム・コールは、自分の試合の牌譜を公表していないし、他者が公表することも許可していない。今現在、彼の打ち筋を確認できるのは、若手選手時代のデータだけだよ……公式にはね」

「公式ではないものがあるのですか?」

「11月のウインダム・コール杯は高額な参加報酬と、もしも彼に勝てたら20億という膨大な賞金ももらえる。その代わりと言ってはあれだけど、試合内容には秘守義務(ひしゅぎむ)が発生する」

「……」

「とは言っても、隠そうとすると逆にアンダーグラウンドに流れてしまう。だからこのPCだよぉ」

 咏からバインダーを渡される。そこに挟まれている紙には、日本の麻雀界を代表する名前の署名があった。最後の署名は、目の前にいる三尋木咏だ。

「ウインダム・コールと対戦した者にはもうひとつの報酬が与えられる。それは、試合の牌譜の記録だよ」

「なるほど……データはそのPC内に限定されるということですか」

「そうだよ、このPCには小鍛治健夜とウインダム・コールの試合の牌譜データがある。それを見る者はそこに署名しなければならない」

 雀士は自分の試合を記憶している。秘守義務があるとはいえ口頭伝承(こうとうでんしょう)は抑えられないものだ。だから、それを管理しろと言っているのだ。この孤立したPCと閲覧名簿で最低限の情報伝達にとどめろということなのだ。

「どうする戒能ちゃん……見るならそこに署名してよ」

 咏も真剣な表情だ。おそらく見たら最後で保守派としての立ち回りが要求される。そう、三尋木咏のようにだ。しかし、良子は迷うことなく署名した。先ほど指摘されたとおりであった。自分は霧島一族の人間。維持と継続を義務付けられた世界に生きてきたのだ。

「パスワードを入れるからちょっとあっち向いてて」

 咏がカタカタと音を立ててパスワードを入れる。良子はそれを数える。打ち間違いがなければ16桁のパスワードだった。

「どうぞ」

 咏に指示された画面には、半荘二回分のデータがあるようだった。良子はタッチパネルに指を触れて操作する。

「後ろで見てるけど気にしないで、そういうルールなんだよ」

「はい」

 それはそうだろう。データは抜き出せないが、紙に書いて記録もできる。監視は絶対条件のはずだ。

 良子は興奮していた。あの小鍛治健夜とウインダム・コール試合を見ることができるのだ。興奮するなというほうが無理筋だ。

 東一局をクリックする。そこに現れた牌譜に、良子は衝撃を受けていた。

「これは……」

 

 

 ――夢中で読み漁ってしまい、時間の概念を忘れていた。どれほど時間が経ったのだろうか? もしかしてインターハイも終わってしまったのではないだろうか? 良子は不安になり咏に尋ねる。

「どのぐらい時間がかかりましたか?」

「20分ぐらいだねぇ」

 なんという濃密な20分なのだろうと思った。まるで自分が半荘2回分打ったような疲労感があった。それほどの衝撃がこの牌譜にはあった。

「二人はほぼ互角だったのですね……」

「半荘二回ともウインダム・コールが取ったけどね。彼はこれ以降の試合を半荘三回に修正している」

「あれは小鍛治さんが原因だったのですか……彼は半荘をひとつも落とさずに勝ち続けることができないと悟った」

「そうだね、一回は相手に取らせて、残り二回を勝つ。彼の勝ち方の基本はこの小鍛治戦の影響だよ」

 咏がPCとバインダーを回収する。

「話は戻るけどね、宮本武蔵は生涯(しょうがい)無敗だったらしいけど、それはどうしてだと思う?」

「負けそうな相手とは闘わなかったからですか?」

「対戦相手を徹底的に調べて、勝てると判断できるまでは闘わない。小鍛治健夜もその一人のはずであった。けれど、小鍛治さんは彼の想定を上回っていた」

「……小鍛治さんは二回目の半荘を調査に使っているようでしたが?」

 咏がPCを元の段ボールの山の中に戻し、着物に付いたホコリを払いながら出てくる。

「ウインダム・コールとの再戦はないと判断した。だから、次世代の為に彼の能力を調べた。私はそう聞いたよ」

「直接ですか?」

「同じだよ……それを見たら、そうするしかないだろう? 小鍛治さんをとっ捕まえて聞いたよ」

 良子は笑うしかなかった。まったくであった。自分もそうしていたと思った。

「でもね、過去に小鍛治さんと同じことをしたヤツがいるんだよ。だれだと思う?」

「……分かりません」

 咏が含みのある笑顔を作る。こういう時の咏は意地が悪い。

「テレサ・アークダンテ……宮永愛の母親だねぇ」

「彼女はウインダム・コールの秘密を解いたのですか?」

「まさか……でもある程度は分かったはずだよ。少なくとも孫にコピーさせるレベルにはね」

「三尋木さん……あなたは……」

 咏の笑いが凄みを増していく。

「おやあ、どうやら気が付いたみたいだね。そうだよ、宮永咲は小鍛治健夜だってコピーしただろうさ、でも完全にはコピーできなかった」

「だから……ウインダム・コールと小鍛治健夜の能力を合わせて……」

「そうさ、それが“燕返し”の正体さ……だから無敵だよ、なにしろ原形が無敵なのだからねぇ」

 良子の手は汗がにじみ出ていた。大きく世界が変わろうとしている。いつの間にか、自分もその最前線に立っていた。もはや傍観者(ぼうかんしゃ)ではいられない、直接ニューオーダー派と対峙しなければならない。

「世界ランキング2位の肩書で、小鍛治さんはリーグ戦をランク分けしようと提案した。戒能ちゃんも聞いたことあるだろう?」

「ええ、サッカーのようにM1とM2に分ける提案だと記憶しています」

「本音で言えば、私も賛成だよ。万年最下位のチームが堂々とリーグに残っているのは進歩がないからねえ」

「でも評議会は拒絶した」

 咏が扇子を広げて口を隠す。噂話を話す高校生のようだ。

「ほとんど追放だったよ……永世名人などと言う取るに足らない称号を与えて、小鍛治さんの発言権を奪った」

「……復讐ですか?」

「怖いだろう? 小鍛治健夜の暗黒面は深いよ。もしも解放されたら、この麻雀界は滅茶苦茶(めちゃくちゃ)にされてしまう」

「その尖兵(せんぺい)となるのが……」

 三尋木咏が良子をジッと見つめる。お前に闘う意思はあるのか? 彼女の目は、そう問うていた。

「そう、宮永姉妹だよ。だから……二人が潰れるのは望ましいのさ」

 


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