咲〈オロチ〉編   作:Mt.モロー

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11.反逆者たち

北海道・東北・関東エリア待機室 白糸台高校

 

 多くの選手達がインターハイ個人戦予選を終了していた。モニターには競技終了者の暫定順位表が表示されていた。白糸台高校からの出場選手である大星淡は今のところ6位で予選通過を決めている。しかし、もう一人の出場選手である宮永照の名前は暫定順位表にはなく、別枠の12名の中にあった。彼女達は最終得点が確定していない為、そのように扱われていた。まだ19回戦を闘っている部屋があり、そこが終わらなければ照達の最終戦は開始されない。それが理由だった。

「部長、この残っているメンバーは凶悪すぎますね」

「予選最後の打ち上げ花火か……組み合わせ次第ではとんでもないことになるな」

 現在のこの状況は、中盤戦の宮永咲の3連続南入で試合進行にばらつきが出たことによって発生していた。亦野誠子と弘世菫の懸念は、その中に以下の猛者が含まれていたからだ。

 

 西東京代表 宮永照(三年生)

 東東京代表 辻垣内智葉(三年生)

 福岡代表 白水哩(三年生)

 北大阪代表 江口セーラ(三年生)

 北大阪代表 園城寺怜(三年生)

 北大阪代表 荒川憩(二年生)

 長野代表 宮永咲(一年生)

 

(照……もしも、ここで姉妹対決になったらどうするつもりだ?)

 その答えは分かっていた。弘世菫の親友の宮永照は、東風戦だろうが半荘戦だろうが、間違いなく過去の清算を選択するに決まっている。だから菫はそうならないように願った。照は『麻雀でなら咲と話せる』と言っていた。ならば、その時間は長いものであってほしい、菫は心からそう思っていた。

 ――宮永咲の19回戦が終わり、最終戦の面子が発表される。その結果に待機室は大きくざわめいた。

 

 対局室 ルームD

  西東京代表 宮永照(三年生)

  東東京代表 辻垣内智葉(三年生)

  北大阪代表 荒川憩(二年生)

  山梨代表 岡部文美(二年生)

 

 対局室 ルームK

  北大阪代表 園城寺怜(三年生)

  岡山代表 新免那岐(三年生)

  島根代表 湊未希(二年生)

  徳島代表 田辺景子(二年生)

 

 対局室 ルームY

  福岡代表 白水哩(三年生)

  北大阪代表 江口セーラ(三年生)

  石川代表 鈴石麗砂(二年生)

  長野代表 宮永咲(一年生)

 

「去年の決勝卓と同じ相手……」

「東風戦だし、宮永先輩大丈夫かな」

 昨年の照の連覇は、決して楽なものではなかった。三尋木咏がチートプレイヤーと呼ぶ荒川憩の必勝パターンを、なんとか抑え込み逃げ切ったというのが正直な感想であった。

「蟻地獄ですか……」

「荒川と辻垣内が相手だからね、岡部の体力次第だが」

 当然このケースは想定してあった。チーム内の練習でも、かなりの時間を割いてシミュレートしてきた。照の荒川封じの打ち筋は、抜け出せそうで抜け出せない蟻地獄のようなものであった。渋谷尭深は練習中にその地獄を存分に味わっていたので、畏怖を込めてつぶやいていた。

(尭深、怖い奴はもう一人いるぞ。辻垣内智葉……三度目の正直、彼女がこの一戦にかける思いはだれよりも強いはずだ)

 

 

 対局室 ルームD

 

 辻垣内智葉にとって、それはデジャヴとしか思えなかった。目の前には、去年の決勝戦で苦汁を味わわされた宮永照と荒川憩がいて、去年と同じように憩が照に笑顔で絡んでいる。

「お久しぶりですチャンピオン。この日を指折り数えてましたで」

 そうだ、去年はこの荒川スマイルにまんまとやられた。試合前の軽口のやり取りに、智葉は警戒を緩めてしまったのだ。

「途中で指が足りなくなりそうだな?」

 その反省を踏まえて、智葉は憩にちゃちゃを入れてみた。

「いややなあ、辻垣内さん――」

 憩は智葉に両手の指を広げてみせて。

「――両手だけで1023まで数えられるんやで」

「365……」

「え?」

「365をやってみせて」

 照が意地の悪い要望をした。十進法の365は二進法では101101101になる。それを指で表すには人差し指と小指を単独で曲げる必要があり、大多数の人と同じく憩も小指に連動して薬指も曲がっていた。

「こ、これが365や……」

「相変わらずだな荒川。その手には乗らないよ、私はあんたの怖さを知っているからね」

「辻垣内さん、そんなに構えんといてーな。私はか弱い下級生なんやで」

「笑わせるなよ。か弱い下級生なんて言葉は、あんたには当てはまらない」

 憩は困った顔をしているがまったく信用できない。なぜなら、彼女は紛れもないタヌキだからだ。普段は表情のない照も、冷めた笑顔を見せている。もちろん智葉の顔も同様だ。

 ――ドアが開いて岡部文美が入ってきた。漫画でよく見る、目の周りに縦線が書かれているような表情だった。

「私は……さっき妹さんにボコボコにされました……」

 文美は照に向かって恨み節を言った。

「その悪夢が終わったと思ったら……今度はあなたですかチャンピオン……」

「ゴメン……」

 なぜか照は謝った。それは智葉の笑いのツボに嵌った。我慢できなくなり、大きな声で笑ってしまった。

(岡部、その気持ちは理解する。けどね、恨むというのは消極的な敵意だ。この化物達に勝つにはそれでは不十分だよ……)

 文美が形式上に牌をめくり場決めが終わった。それぞれ席に着いて、試合開始のブザーが鳴る。荒川憩を馬鹿にできなかった。智葉もこの日を待ち焦がれていたのだ。

(こう考えるのさ、この化物は“私が叩きのめす”ってね)

 辻垣内智葉の闘争心はピークを迎えていた。

 

 

 中部・近畿エリア待機室 清澄高校

 

 画面には雀卓に座っている宮永咲が映し出されていた。その部屋はルームYではなく、さっきまで試合をしていた部屋であった。つまり彼女は5分余り椅子に座ったままだった。見かねたのか、部屋付きの監視員が移動を開始するように咲を注意している。

「咲ちゃん!」

 片岡優希が大きな声を上げた。咲は、監視員に促され、立ち上がる時に大きくよろめいていた。倒れはしなかったが、足取りは重そうだった。

「部長……咲のやつ、大丈夫じゃろうか?」

「……最終戦、信じるしかないわ」

 口ではそう言ったが、やはり心配になる。竹井久は、最悪のケースを想定した対策を打つことにした。

「まこ、優希と一緒に対局室に向かって。係員に説明して咲の部屋の前で待っていて」

「部長はどうすんじゃ?」

「だれかが試合を見てなきゃどうするの? まこ、急いで、和と合流してね」

「……そうじゃの、すまんかった部長」

 染谷まこは優希の肩を叩いて移動を開始した。できることは行ったが久の気掛かりはなくならない。

 ――団体戦の副将戦で原村和が倒れた姿がフラッシュバックした。

(咲……なにが起きているの……。あなたは、なにと闘っているの?)

 画面は他の部屋に切り替わる。すでにルームDとルームKでは試合が始まっていた。――ルームYも映し出される。そこでは白水哩と江口セーラが立ったままなにかを話していた。おそらく、今その部屋に向かっている咲についてだろう。

(まこ、優希……お願い、急いで)

 ゾンビのようにゆらゆらと歩く物体がルームYの2人に近づいていた。久はそれが咲だと思い、愕然とした。もう試合が行える状態には見えなく、大会運営部への連絡を考えていた。

「……かわいそう」

 そう言ったのは、隣の隣に座っている風越女子高校の吉留末春であった。

「この咲と2回連続……今おみくじを引いたら間違いなく大凶だよ、この子」

 隣の池田華菜も気の毒そうに言った。華菜達の言っている意味が久には分からなかった。画面に向き直り、目を凝らして歩いている“物体”の確認をした。

「……鈴石麗砂さん?」

「ええ、さっきの試合で咲に-29.6ptを喰らってますからゾンビ化すると思いますよ」

「ああ……」

 肩の力が抜けてしまった。前のめりだった姿勢を崩し、椅子にもたれかかった。しかし、まだ安心はできない。何しろ咲は、未だにルームYに現れていないのだから。

 

 

 

 対局室 ルームY

 

 江口セーラはこの振り分けの意味を考えていた。園城寺怜は、日頃の行いのおかげか、このデンジャラスなメンバーが残っていた最終戦で、ラッキーな部屋に振り分けられていた。彼女なら全勝で予選を終えるはずだ。対して自分の部屋には、新道寺のエース白水哩と“魔王”宮永咲がいた。去年のベスト3が集結したルームDと比べたら、幾分かはましではあったが苦戦は必至だ。

(要は明日や、明日、両宮永の足を引っ張たらええのや。その為にはここで確認しておかなならんことがようさんある)

 セーラは自分の限界を知っていた。高校生トップクラスの実力と評価されながらも、勝ちきれない自分にもどかしさを感じていた。今日の予選にしても、セーラはすでに2敗している。最終順位は無敗と1敗勢でトップ10は埋まってしまうだろう。つまりはそこが自分の限界なのだ。

(せやな……でも怜の為なら、私の力を有効に使える)

 悩めるガラスのエース園城寺怜、彼女がどんな想いで闘っているかをよく知っているセーラは、この最後のインターハイを彼女のサポートに使うことを決めていた。

 ――ドアがだれかによって開けられた。

 体中の産毛が凍り付くような感覚、その冷気と共に宮永咲はやってきた。

(……な、なんやこの顔は)

 ふっくらと丸みのあった咲の頬は、やつれて影が見えていた。だがその目は大きく見開かれ、まるで減量に減量を重ねたボクサーのように闘争本能だけが剥き出しにされていた。

「……遅れてすみません」

 場決め牌をひっくり返して咲は席に着いた。隣の鈴石麗砂はチラチラと横目で咲を見ながらブルブルと震えていた。

「宮永さん……大丈夫?」

 哩が心配そうに聞いた。咲は少し間をおいてから返答した。

「大丈夫です……始めましょう」

 ブザーが鳴る。セーラの確認すべきこと、それは、この“魔王”に捨身の作戦が通じるかどうかだ。勝とうとは思わない、いかにして宮永姉妹をトップから蹴落とすか、それが自らの役割だ。だから、ここでその課題の確認を行う必要があるのだ。

 

 

 一般観覧席 特別室

 

「宮永咲が潰れたら、小鍛治健夜は止められますか?」

「そう考えている。妹だけでもダメで、姉だけでもダメだろう。あの人は宮永姉妹と自分とでトライアングルを構成しようとしている。中でも宮永咲は最高の打撃力を持つ攻撃面の支柱だ。その脱落で構想そのものが瓦解する」

 ルームYは鈴石麗砂の親から始まっていた。藤田靖子は、戒能良子が話題にした咲の状態を確かめる。――モニター越しなのではっきりとは分からないが、ひどく疲れているように見える。霧島一族が彼女に仕かけている“オモイカネ”というものの影響かもしれない。

「姫様は、宮永を殺すつもりか?」

「はい」

 相変わらず恐ろしいことを平気でいう奴だと思い、靖子は寒気を覚えていた。

「生きる死ぬの話ではありません。彼女は明日の決勝には出てこられないでしょう。仮に出たとしても、これまでとは別人になる……姫様は宮永咲を雀士として殺そうとしています」

「宮永の疲労は見て判る。けれども、彼女は依然として打ち続けているぞ?」

 良子は一瞬靖子に目を向け、すぐさま画面に戻す。そして、冷たい口調で説明する。

「彼女は想定を超えた存在でした。しかし、結果は同じです。このまま自滅するか、姫様との再戦で抹殺されるかです」

「……止めることは……できるのか?」

「止めたいのですか?」

「……」

「藤田さん、あなたは、小鍛治健夜の作り出そうとしている世界に憧れているのでは?」

「そんなことはない!」

 良子が冷たい目で見ている。靖子は正面から向かい合い、その目に抵抗する。だが、心の中では、自分に言い聞かせるように同じセリフをつぶやいていた。

(小鍛治健夜の暴走は、だれかが止めなければならない!)

 

 

 対局室 ルームY

 

 リザベーションは白水哩にとって心の支えであった。一年生からインターハイに出場していた哩であるが、その初年に自分の上の存在を知ってしまった。団体戦の大将戦で、同じ一年生の宮永照に成す術もなく敗北し、その挫折感に哩は打ちのめされ、長いスランプに陥ってしまった。そんな哩を救出したのは幼馴染の鶴田姫子であった。翌年に彼女が麻雀部に加わり、それが哩の活力となった。リザベーション、それは哩と姫子の二人だけの秘密の力だ。だれにも破られなかった。それが“絶対王者”宮永照であろうとだ。しかし、それは、予想外の手法で破られてしまった。“絶対王者”の妹、宮永咲は自分と姫子の繋がりを断ち切ったのだ。

(宮永……私にはわかる。お前はリザベーションば恐れたんじゃなか、恐れたんな4局ちゅう少なか局数や)

 哩は、切られたのを承知の上で、リザベーション4を実行していた。この結果は姫子には伝わらないが、咲を相手に自分の技が通じるかどうか試さなければならない。

(姫子に火力で上回る相手か……お前といい、大星といい、今年ん一年はやばか奴ばかりばい)

 リザベーションの失敗は珍しいことでなない。何しろ麻雀は相手がいる勝負なのだから、先に上がられたり、決められた翻数に届かなかったりもした。そのうえで成功率があまり高くないリザベーション4の選択は、ドラを操る咲への対応と、その咲に立ち向かうには、最低でも倍満が要求されるからであった。

 

 ルームY

  東家 鈴石麗砂

  南家 白水哩

  西家 江口セーラ

  北家 宮永咲

 

 東一局、9巡目。白水哩には下家の江口セーラが聴牌しているように思えていた。だが、彼女には上がろうとする意志が感じられない。

(らしゅうなかね江口……いや、お前もなにかば試しとんか?)

 哩は気を取り直し、集中する。リザベーション中の今、哩には虚空から鎖が伸びて四肢に巻き付き、体を引き千切ろうとしていた。その解除の条件はコミットした翻数での和了。苦痛に打ち勝つ強い意志が求められた。

 哩の自摸番、引いてきた牌は【五筒】の赤ドラ、これで聴牌だ。上がれば門前、平和、ドラ1の3翻だが、ドラで聴牌したので、それは咲に察知されているはずだ。彼女はリザベーションを破る為に槓でドラを増やすつもりだろう。だから哩は、あえて3翻で待っていたのだ。

(宮永……私の手牌は平和で順子しきゃーなかぞ。リザベーションば潰すには頭ん【一索】ばドラにすっしきゃーなか)

 【九索】は河に三枚見えている。その内の一枚は咲が切っていた。確率で言えば、王牌にそれがあるのは低い。だが、哩は不安を拭えない。対面にいる宮永咲は“魔王”の二つ名にふさわしきオーラを発していたからだ。

 咲の自摸番だ。彼女はゆっくりと牌を並び替えて倒した。

「カン」

 咲が槓ドラをめくる。それは、哩が恐れていた【九索】だった。

 ――虚空から新たな鎖が伸びて、哩の首を繋いだ。力が加わり、哩は心の中で悲鳴に近い呻きを漏らした。コミットメントが達成できなかった責任として、苦痛を受けなければならない。それがリザベーションの掟だ。

(姫子……私達は、互いに依存しすぎとった……。私達は、自分ん力で強敵ば倒すことば諦めとった……)

 哩は、リザベーションがいかに屈折した戦法であるかを認識した。圧倒的な個の力を持つ宮永姉妹には、だれかに依存して勝つという考え方自体が間違いだと思い知らされた。

(姫子、強うなれや、一人で宮永咲ば倒すっまで……。羨ましか、姫子はまだ来年がある)

 非情な現実は、少しだけ哩を感傷的にさせていた。しかしながら、哩の個人戦にかける想いは、そんなものでは揺るがない。そうだ、これが鶴田姫子との最後のインターハイなのだ。やれることはすべてやり尽くす。そう心に決めていた。

 ――この局、哩は上がれなかった。咲が得点させようとしていた江口セーラもそれを拒否していたので、咲はのみ手の2000点で和了した。

 東二局、哩の親番だ。“魔王”の支配下では和了は不可能とされている。配牌を終え、理牌をする。ドラが幾つかあるが高めが狙えそうだ。哩は、あえてリザベーションの実行を決意する。

 ――虚空から鎖が伸びて、四肢、首、胸、胴に巻き付き、体を締め上げた。哩はその苦痛に身悶えながら上り翻数をコミットした。

(リ、リザベーション……7)

 

 

 対局室 ルームD

 

 ルームD

  東家 岡部文美

  南家 辻垣内智葉

  西家 宮永照

  北家 荒川憩

 

「ツモ、門前、平和、断公九、一盃口、ドラ1。2000,4000」

 東一局、宮永照の上る可能性の低さゆえにか、辻垣内智葉は15巡まで粘り、手を満貫まで仕上げて上がった。

 荒川憩は、眉一つ動かさぬ智葉に、点棒を渡しながら考えていた。

(もしも麻雀が、将棋やチェスと同じに一対一の勝負やったら……だれもあんたには勝てまへんな辻垣内はん)

 智葉の祖父は、剣聖と呼ばれている辻垣内流抜刀術始祖の辻垣内善吉であった。智葉自身も若くして師範代の肩書を持っていた。彼女は抜刀術のノウハウを麻雀に活用していた。抜刀術は刀を抜く前に勝負は決まっている。僅かな心の動きも見逃さずに、沈着冷静に機先を制する。智葉の麻雀は、まさにそれであった。

(でもな……麻雀は四人でやるもんやで、そんでな、私と打つ3人はな、普通には打てまへんのや。それは、あんたも同じやで辻垣内はん)

 東二局、親は辻垣内智葉に移った。彼女はサイコロを回しながら、憩を軽く睨む。なぜか? それは、憩が“治癒魔法”を使うかどうかの確認の為だ。

(“怖い”の対義語はありまへんで、しいて言うなら“平気”やろうか? でもな、そら“怖がらへん”言うやせ我慢にしか過ぎへんのや)

 配牌を終えた憩の手牌は、平和、断公九の一向聴。智葉に取られた2000点を上回る形で取り返そうとしていた。これが、だれもが恐れる憩の“治癒魔法”だ。どんなに点数を削っても、魔法のように治されてしまう。しかも点数を増やされてだ。最後には必ず負ける。憩との対戦者は、その刷り込まれた意識と闘い、そして無慈悲な現実を見せられるのだ。

(先ずは見せとかなアカンなあ……)

 

 

 北海道・東北・関東エリア待機室 臨海女子高校

 

 画面には3部屋が同時に映し出されていた。実況の針生えりと解説の三尋木咏は、すべての部屋を同時進行で混乱することなく実況解説を行っている。それがプロフェッショナルというものなのであろうが、やはり驚かざるを得なかった。ネリー・ヴィルサラーゼは、絶対に自分にはできないことだと感心していた。注目するトピックスがあったのか、ルームDが拡大された。

 

『くしくも昨年の決勝戦と同じ顔合わせになりましたが、ここからどのように試合が動くと予想されますか?』

『辻垣内智葉と荒川憩、えりりんは二人をどんだけ知ってるの?』

『質問に質問ですか……。まあ、辻垣内選手は剣豪のお孫さん、荒川選手は認知心理学の権威の娘さんでしょうか』

『そうだねぇ、それで、どっちが役に立つと思う?』

『麻雀は心理戦の要素がありますので、荒川選手でしょうか?』

『答えはね、どっちも役に立たねーんだよ』

『……そうでしょうか?』

『例えばね、辻垣内が剣道十段で、荒川が柔道十段だとするよ』

『十段……そんな段数あるのですか?』

『さあねぃ』

『……』

『だけどね、ここはボクシングの試合会場で、相手はそのチャンピオンだよぉ』

『宮永選手ですか?』

『彼女には居合だの心理学だの、そんな小細工を蹴散らすだけの力があるんだよ』

『――ルームD、東二局は荒川選手が平和、断公九の2700点で取り返しました。これはいつもの“治癒魔法”で良いですか?』

『人間の心の弱さを攻める。それが荒川の心理学を使った打ち方だろう? 普通の人間ならひとたまりもないねぃ』

『普通の人間ですか?』

『……宮永照。私はねぃ、この子の打ち方を……知ってるよ』

 

 

臨海女子高校 麻雀部監督 アレクサンドラ・ヴィントハイムが画面を苦々し気に見つめている。

「三尋木が知っているはずはない。歳が足りなさすぎる。少なくとも私か姫松の監督ぐらいでなければな」

「監督……それっておばさん自慢ですか?」

「……」

 雀明華の厳しい問いかけに、あまり感情を表に出さないアレクサンドラがムッとしている。ネリー・ヴィルサラーゼはメガン・ダヴァン、郝慧宇と顔を見合わせて笑った。

 そのアレクサンドラは手帳を取り出してなにかを書いている。そして、そのページを破って郝に渡した。

「なんと読む?」

「テレサですか?」

 そう言って郝は、紙をメガンに渡した。

「テリーザ」

 ネリーにもそれが回ってきた。紙には「Teresa」と書かれていた。ネリーはそれを人の名前だと思い答える。

「テレーザ」

 雀にも渡す。彼女はフランス語で「テレーズ」と言って、アレクサンドラにそれを返した。

「同じ名前でも、国によってこんなにも違うのだな、実に面白い」

 滅多に見られない楽しそうな顔でアレクサンドラは笑っていた。そして、その顔のまま画面に目を戻した。

「テレーゼ・アークダンテ……一瞬ではあったが、ヨーロッパの麻雀界は彼女に制圧された。ダンテズシーオレム、悪魔の定理と呼ばれ、破るのは不可能と言われていた。おそらく宮永照は彼女の血縁者だろう」

「それでは宮永姉妹はハーフなのデスカ?」

「いや、テレーゼは彼女達の祖母だ。母親の名前はアイだよ。私は彼女をよく知っている。アイ・アークダンテ、悪魔の定理の後継者だ」

 ネリーもその話は知っていた。ただ、あくまでも都市伝説としてだ。なんでも、秘密の方程式があり、それを麻雀に当てはめ、確実に上がることができるらしい。とてもまともな話とは思えなかった。

「智葉はそれを知っているのデスカ?」

「ああ、知っている。だが、それを知ってもどうにもならない」

「なぜデスカ?」

「ダンテズシーオレムは解くことができないのだ。私も智葉もチャレンジしたがだめだった。これまでに解いた者は一人しかいない……」

 それは漠然とした胸騒ぎだった。なにかぼんやりした気分の悪さがネリーにその質問をさせた。

「一人って……もしかして、あの人ですか?」

 あの人でアレクサンドラには通じたようだ。彼女は頷いてその名前を言った。

「そうだ、ウインダム・コールだ」

 

 

 対局室 ルームD

 

「ツモ、門前。500オール」

 東三局、宮永照の和了、彼女の親番でそれは開始された。

(まったく厄介やなあ。去年と同じですかチャンピオン? 止めな話にならへんけど、それがなによりもややこしい)

 照の戦術は見えている。見えていても止められない。荒川憩をもってしても、そんな弱音を吐かせるのが宮永照の連続和了だ。去年は倍満に到達した時点で試合が終わった。

 続く一本場、僅か7巡目で照が立直で上がる。憩は、辻垣内智葉に目を向ける。団体戦でとんでもない連荘を経験しているせいか、実に冷静だ。

(辻垣内はん、ここはあんたの出番やで、満貫以降にチャンスがある)

「二本場」

 照の宣言で、その配牌が始まった。憩の手牌は悪くはない。役無しではあるが二向聴で、後はスピード次第であった。だが、憩はこの局でのインターセプトは難しいと考えていた。

(次は5800、まだ止められへん。上がり続ける連荘は、あれの応用やろう? 満貫までは綻びが見えへん)

「リーチ」

 6巡目のチャンピオンの立直。憩の手は進まず二向聴のままだ。

(ダンテの定理、おとんが言うとったことが正しいんかいな)

 憩は、宮永照の連続和了を、その母親と噂されていたアイ・アークダンテの定理の応用と考え、父親の助けを借りて解こうとした。しかし、認知心理学の権威でも、それは解けなかった。ただ、ヒントらしいものは掴めた。

(「憩、これはお前と同じなのかもしれないよ。法則に心理的ななにかを加えているんだよ」)

 憩は反発した。そんなものを入れたら定理として成立しないからだ。

(「定理と言われているだけで、それは証明されていない。もっと不完全なものかもしれないね」)

 生まれが関西ではない憩の父親は、普段は標準語で話した。口調は優しいが、やはり東京言葉はどこかトゲがある。

(そら私が不完全言うてんのと同じやで)

「ツモ、立直、面前、ドラ1。2200オール」

 予想通りの結果だ。ここからが勝負だ。止めなければ憩の“治癒魔法”は使えない。なぜなら、現状の宮永照はそれが入り込む隙がないからだ。

「三本場」

(辻垣内はん、あんたの助けが必要です。フォローするさかい、チャンピオンの後の先を取っとくんなはれ)

 だが、その目論みは、無残に打ち砕かれた。チャンピオンは慢心していなかった。荒川憩、辻垣内智葉を相手に、同じ手が通じるとは思ってはいなかったのだ。

「ツモ、門前。800オール」

(なんやて……リミッターは切れていたのか……)

 “怖さ”の対義語はない。憩はそのとおりだと思った。目の前の絶対的な“怖さ”には“平気”を装うしか反抗する術がなかった。

 

 

 個人戦会場 連絡通路

 

 予選を終えた原村和は、まだ試合の途中である宮永咲の部屋の前にいた。ルームY、和の最終戦のルームCからだと、端から端に移動するようなもので随分と時間がかかった。

 ――聞き覚えのある声で、背後から名前を呼ばれた。

「のどちゃーん!」

「優希、それに染谷先輩も……」

 和はなぜチームメイト2人がここにいるかを考えていた。その解答は、多分和の心配事と同じだろう。

「咲さんに……なにかあったのですか?」

「まだだじぇ、でもなんかやばい感じがする」

 片岡優希はそう言って通路に設置されている椅子に座った。和もその隣に座る。

「和、咲はどんな感じじゃ?」

「タイミングが合わなくて……〈オロチ〉の状態になってからは、一度しか会っていません」

 染谷まこは優希の隣に座り、咲の試合前の状態を和に伝えた。

「そんなにですか……?」

「ああ……恐ろしゅう疲れとって、なんやフラフラしとった」

 和は思わず立ち上がってしまった。その手を優希が掴む。

「のどちゃん……今はなにもできないじぇ。咲ちゃんを信じて待つしかない」

「……そうですね」

 和は半ば強引に気持ちを落ち着かせ、ルームYという部屋表示の下にあるモニターを眺めた。白水哩、江口セーラ。咲に対して腹に一物を持っていそうな面子が集まっている。

「……咲さん」

 それは心の声であるはずであったが、想いが強すぎる為か、つぶやきとして和の口から漏れていた。

 

 

 対局室 ルームD

 

 ルームDの対局は、スローなペースで進んでおり、まだ東二局の序盤戦だった。その理由は幾つかあるが、大きなものは宮永咲の疲労状態にあった。牌を自模る動作や切る動作が、まるで初心者のように遅かった。もちろん自分達の責任もある。セーラも白水哩も警戒心からか長考になることがしばしばあった。スピーディーな打牌は、全局降りを決めていると思われる鈴石麗砂だけであった。

「リーチ」

 8巡目に咲が立直をかける。セーラはそれに表情を曇らせる。

(立直か……これは間に合わんかな)

 咲のこの状態は色々と制約がある。監督の愛宕雅恵と船久保浩子は、それを崩せばなにかが変わるのではないかと言っていた。ポイントは3っつあり、1つ目は親で上がる。これは自分だけではなく、他家も含めてだ。2つ目は決められた局数での終了を阻止する。半荘では8局、東風戦なら4局だろう。そして3っつ目は宮永咲からの和了提示を拒否する。

 それは困難なこと。そういう風土がこのインターハイに蔓延しつつある。だがセーラはそう思わなかった。

(1つ目は親で張ってん奴に差し込んだらええ。2つ目は局の途中で私が飛んでしもたらええ。3っつ目はそのままだ。焼き鳥になればええんや)

 ――セーラは昼休みでの監督との会話を思い出していた。

 

 

 5時間前 中部・近畿エリア待機室 千里山女子高校

 

 後半戦開始直前に監督の愛宕雅恵は戻ってきて、園城寺怜と江口セーラに様々な指示を矢継ぎ早に出していった。時間が無くあまり頭には入らなかったが、一通りの対策は示された。

「トイレに行くけどセーラは?」

「オレはええで、竜華、一緒に行って」

 セーラは監督に話さねばならないことがあった。ただ、それは怜には聞かせられない。そのことを事前に伝えていた清水谷竜華は無言で頷き、怜と一緒に化粧室に向かって行った。

 一呼吸置いて、セーラはそれを話した。

「監督……怜と妹は私が当たらんようにします」

「そないなの抽選やさかい分からへんぞ」

「抽選で当たったら仕方おまへん。ただ、怜がトップ4に残ったら確実です」

「……ほんまにそれでええのか? セーラはここでやり残したことはあらへんのか?」

「そらいっぱいありますよ。せやけどね、今年はそれをせえへんと、後悔するやり残しを作ることになるんです」

「全勝組から妹を外すのか?」

「監督……なんやかんや言うてや、怜は宮永姉の打倒がテーマなんですよ。妹には相性が悪すぎる。僅か8局ではなんもできんといて終わる」

「江口先輩……」

 一年生の二条泉が目を潤ませている。セーラはいつもの強い口調で後輩を叱咤激励した。

「なんや、妹は泉が倒せばええだけやろう。隣には船久教授かているんやさかい、お茶の子さいさいやろうが」

「……はい」

 

 

 ――セーラの9巡目の自摸番が回ってきて、現実に戻される。手を伸ばして自摸牌を取る。【六萬】の有効牌で、三色同順の一向聴になった。ドラも二枚あり、立直をかければ相当な火力になる。セーラは宮永咲の支配とはそういうものだと思っていた。勝とうとすればするほど深みに嵌っていく。上がれば、その後に欲が出てしまい、立直をかければ咲に狙われる。巧妙な罠が仕組まれていた。

(とはいうても、飛ばされるってのは難儀なものやな)

 飛ばされるならば、白水哩しかないと考えていたが、彼女は高めを狙っている様子で、まだ差し込みができる状態ではなかった。

(凄まじい汗やな……そうやなあ、あんたも三年生やからなあ)

 哩の意気込みは尋常ではなく、セーラはそれに感じ入った。彼女は自分の親番に上がろうとしているのだ。それは“魔王”の支配下では無駄な足掻きとまで言われていた。

(大したもんや……白水さん、あなたは自分の力だけで反逆しようとしとる。そんなあなたから見れば、私の選択は腰抜けや思うかもしれまへんな)

 セーラは一向聴すら拒絶する。打牌は自模って来た【六萬】だ。

(でもな、分かっとくんなはれ。上りの放棄……そら私にとってなによりも辛いことですのや)

 宮永咲がゆっくりと手を伸ばす。それは余裕のある遅さではなく、体力的な要因による速度低下に見えた。咲は自摸牌を手牌の横にくっつけ、バラバラと倒した。そして、その疲労感漂う顔を上げて、息を詰まらせながら点数を申告した。

「ツモ、立直、一発、門前……ドラ1。2000,3900」

(なんやて……こいつは……宮永妹は、今、普通やない……)

 なにかがおかしかった。チームメイトの船久保浩子の分析により、咲が嶺上開花で上がる確率は3割にも満たないので、この和了も不思議ではない。しかし、なにか大きな違和感があった。セーラの悪癖が出ていた。咲が弱体化しているのならば、一度だけ力勝負を挑んでみたいと思っていた。次の東三局はセーラの親番なのだ。

 

 

 対局室 ルームD

 

「六本場」

 宮永照の宣言で辻垣内智葉は積み棒を増やした。

 あらゆる視点から照との再戦を検証していた智葉にとって、この展開は想定の一つにあった。高点数の役は早く上がれない。それは当たり前のことだった。点数を一定の範囲に抑え、すばやい上りを連続するのは、面子に荒川憩というもう一人の怪物がいるこの場では最適の選択だろう。

(とはいうものの……これはひどいな)

 智葉はこれまでの経緯を振り返った。

 

 ルームD 東三局五本場迄

  東一局      辻垣内智葉 8000点(2000,4000)

  東二局      荒川憩   2700点(700,1300)

  東三局      宮永照   1500点(500オール)

  東三局(一本場) 宮永照   3300点(1100オール)

  東三局(二本場) 宮永照   6600点(2200オール)

  東三局(三本場) 宮永照   2400点(800オール)

  東三局(四本場) 宮永照   4200点(1400オール)

  東三局(五本場) 宮永照   7500点(2500オール)

 

 現在の持ち点

  宮永照    47800点

  辻垣内智葉  23200点

  荒川憩    17200点

  岡部文美   11800点

 

 

 東三局 六本場、ほぼ100%照はのみ手で上がる。自分の手牌は対抗するには程遠かったので、智葉は顔を上げて面子を見渡した。岡部文美は実に分かりやすかった。早く終わってくれ、そんな顔をしている。荒川憩は笑っている。というか、いつもの表情なのだ。自らの破壊力に絶対的な自信を持っているのだろう。『早く照を止めろ』憩は智葉に笑顔で圧力をかけてくる。

(分かっているよ荒川。でもここでは無理だ)

「ツモ、門前。1100オール」

 また元に戻された。もう一ルーチン繰り返せば、荒川憩に役満縛りを強制できる。もちろん届かない、そして上がれば岡部文美は飛んでしまう。恐ろしいほどに計算されている。

「七本場」

 智葉は積み棒を置きながら、照魔鏡の謎を解いた福路美穂子のことを考えていた。

(福路さん、あなたには感謝しています。私の闘いは照魔鏡との闘いでした。宮永照にはその他にも謎がたくさんありますが、私にとってそれはどうでも良いのです。ただ、照魔鏡だけは、何らかの形でけじめをつけたかった)

 配牌が始まる。智葉の気持ちは晴れ晴れとしていた。その理由も分かっていた。団体戦でメガン・ダヴァンとネリー・ヴィルサラーゼの試合は智葉に衝撃を与えた。彼女達は勝負を超越した闘いをしていた。自分に納得する為に全力を尽くして戦っていた。

 智葉は手牌を揃えた。断公九の一向聴でドラもある。

(メグ、ネリー、私にもその時がきたよ。この一局にすべてを賭ける)

 そして再び福路美穂子を思い出す。なぜ彼女は照魔鏡を破れたのか? それは、彼女には自分にはない特性があるからだ。

(あなたは諦めが悪い。自分がだめでも、他家を使って抵抗してくる。それが私にない部分だ)

 智葉は荒川憩と目を合わせる。気がついたのか、憩は笑顔を強調した。

(いいだろう……ここが勝負だ。荒川、私をサポートしろ!)

 

 

 中部・近畿エリア待機室 姫松高校

 

『ルームK試合終了! 圧倒的でした。園城寺選手プラス36.7ptで全勝終了です。これで同じく全勝で終えた愛宕選手を抜いて暫定トップになりました』

『とは言っても、これでもまだ荒川憩には届いていない。彼女がマイナスで終われば園城寺怜がトップになれる可能性はあるけどねぃ』

『三尋木プロ……つまらない所だけは現実的ですね』

『うふっは、キツイねぇ、えりりん』

『……』

 

 

 針生えりが言った暫定2位の愛宕洋榎は、20分ほど前に競技を終え、待機室に戻っていた。むすっとした顔で腕を組み、状況の成り行きを見守っている。

「運が良かっただけや。私も園城寺も運が良かった」

「でも、お姉ちゃんは白糸台の大星と当たったで」

「園城寺怜かて沖縄の銘苅や静岡の百鬼を退けてる」

「……」

 妹の愛宕絹恵が顔色をうかがうほど、洋榎は真剣であった。そしてルームYで宮永咲と白水哩という強敵を相手に闘っている江口セーラにエールを送った。

「セーラ、いったらんかい! 自分の本気ぃその怪物に見せたれや」

「主将、江口がなんか怖うなってますね」

 末原恭子は、セーラが前局までとは闘い方を変えてきたのを感じ取っていた。

「中学ん時のセーラが出とる……危のうてしゃあない」

「お姉ちゃんはなんべんかぼろ負けしたことがあるんですよ」

「……」

 洋榎が嫌な顔を妹に向ける。ようやく本来の彼女が出てきたようだ。

「ホームランか三振かのバッターに直球勝負をしたのや、しゃーないやろ」

「主将、野球ネタ好きですね」

「……しかもセーラは勝負強かった。ええとこで連続アーチ掛けたりする」

「今の江口はええとこで負けてるイメージがありますね」

「オカンに矯正されたからな。でも弱なったわけやないで、2割でホームラン40本のバッターから3割でホームラン30本のバッターになったんや、油断も隙もない」

「……強さと勝ち負けは一致しないということですか?」

 洋榎は顔を動かし、恭子に向かい合う。

「納得がいかんか? 恭子、昨日話し合ったはずやで、宮永姉妹、荒川憩の心理的圧迫は無視したらええんやろ。ちゃうのか?」

「そうです……主将ならそれができます」

「……恭子」

 言い方が気に入らなかったのか、洋榎は怪訝そうに恭子の名を呼んだ。

「気にせんで下さい。だから主将は、いつもどおり闘って――」

「……」

「こいつらを……ぶちのめしたって下さい」

 

 

 試合会場 連絡通路

 

 県大会でもそうであったが、園城寺怜にしてみれば、この個人戦は無茶振りに近い重労働であった。丸一日の対局、それは怜の体力をほぼ削りきってしまっていた。普通ならば、無駄道などせずに仲間の元に帰るべきだが、まだ試合の終わっていない江口セーラが気になり、彼女の対戦部屋であるルームYに足を向けていた。

(セーラ……私が気付いてないと思とるんか? 何年つき合うとると思ってんねん)

 昨日の阿知賀での練習試合からか、彼女の打ち筋にちぐはぐさが目立っていた。そのせいか、今日の予選でも意外な伏兵に足元をすくわれて2敗していた。明かにセーラは自分を殺した闘いをしていた。

(前も言ったはずやで……私の望みは、セーラと竜華への恩返しや、だからそないなことはしてほしゅうない)

 江口セーラと清水谷竜華、2人は怜の友人であったが、同時に憧れの存在でもあった。才能溢れる彼女達に周囲の期待は高かった。本来なら、それに応える為に、もっと我儘な時間消費をしてもだれも文句は言わない。しかし2人は、病弱で麻雀も弱い怜の為に、多くの時間を使ってくれた。

(私の一巡先を観る力を……まるで自分のことみたいに喜んでくれたなあ)

 重病の克服を経て発現した怜の能力。それを彼女達に教えた時の笑顔が忘れられない。これで自分は役に立てる。2人が悔し涙を流したインターハイをなんとかしてあげられる。怜はそう考えたのだ。だが、現実は冷徹な仕打ちを怜に与えた。“絶対王者”がそこに配置され、傍若無人な闘牌で怜を打ちのめした。

(これはな、私の問題やでセーラ……チャンピオンとは、自分の力で幕引きをする。勝ち負けやない、きっとな、闘った結果が私のゴールやと思う)

 僅か数十メートルの距離が長く感じられる。怜はいったん立ち止まって息を整える。

(わかっとんねん……未来視の再起動はどんなに急いでも5局以上かかってまう。8局縛りをかけてくる宮永妹は、本当に私の天敵やな。だからな、あの子に負けても、私は気にせーへん)

 姉の宮永照とは違い、妹の宮永咲とはまだ対戦していない。なので、通常の未来視でも怜が対抗できる可能性は十分あるのだが、セーラはそう考えていなかった。なんとか怜と咲の対戦を阻止しようと躍起になっいた。

(セーラ、分かってないのはあんたや……浩子のシミュレーションでも分かったやろ、妹を倒せんのは、あんただけやで)

 ――ルームYの前に人が集まっていた。

「あれ……? 園城寺さんか?」

 緑色の髪の眼鏡っ子が広島訛でそう言った。見覚えがある。確か清澄高校の次鋒のはずだ。

「ああ、清澄の……なにしてはるんですか?」

「うちの咲の塩梅が良うないけぇ、ここで待機しとるんです」

「今何局ですか?」

「東三局だじぇ」

 清澄一年生トリオの2人がそこにいた。片岡優希と原村和は、宮永咲の状態を案じているのか元気がない。

「怜ー!」

 背後から自分を呼ぶ声が聞こえた。振り返ると清水谷竜華と二条泉がこちらに走ってきている。

「遅いから心配したよ、監督が迎えに行けって」

「そう……ゴメンな」

「げ……原村……」

 泉が和を見て固まっていた。怜は、後輩を少しいじってやろうと思った。

「原村さんは、うちの“日本で最強の高1”を知ってるんやったね」

「……?」

 和は、必死に思い出そうとしていたが、なかなかそれができない様子であった。

「アハハ。面目丸つぶれやな泉」

「ほ、ほら、去年インターミドルで対戦した二条泉ですよ!」

「……??」

 和の考えこみが更に深くなった。竜華の笑いも更に大きくなっていた。

 

 

 対局室 ルームY

 

 東三局 8巡目。良い配牌から良い自摸が続き、江口セーラは2,3,4の三色同順を【二萬】【五萬】待ちで聴牌していた。この役は捨て牌からの判別が容易なので、待ちは筒抜けだろうなとセーラは考えていた。

(手牌にドラがない……私に上がらせるつもりはないということか。せやけど聴牌したで)

 セーラは不要牌の【六索】を打牌した。前局に引き続いて気迫十分の白水哩には危ない牌であったが、研ぎ澄まされたセーラの感覚が、それを捨てても良いと教えてくれていた。

(抜き身の刀か……。監督、私のことをそう言うてましたな)

 愛宕雅恵は、高校入学時からセーラを気にかけ、直接指導してくれた。その際に雅恵は、セーラをよく抜き身の刀に例えていた。

(『お前は実によく切れる刀だ。けどな、抜き身なので知らず知らずの内に自分も切ってしまっている。そしてよく切れる分、折れやすい。だから私が上出来の鞘を拵えたる』)

 彼女はそう言って、セーラを熱心に指導した。それにより、爆発的な勝ちは減ったが勝率はグンと上がった。しかし、それはムラがあるが飛びぬけた攻撃力を持つ雀士から、平均的な高レベルの雀士への転身でしかなかった。まだまだ過渡的、雅恵はそう言っていたが、セーラの心にはわだかまりがあったのも事実であった。

(何度も言いましたが、私は洋榎とは違います。純粋にあなたの下で育てられた彼女とは違い、私は抜き身だった頃を覚えています。だから私は……洋榎には、いつも一歩及ばない)

 目前の攻撃力の権化とも言える咲を見て、セーラは自虐的に笑う。

(同じや……お前も私と同じや。相手をブチのめすことしか考えてへん。野獣のような奴やな)

 咲の自摸番、彼女は山から牌を引き、手牌に入れてから4枚を晒した。

「カン」

【二萬】、セーラの三色同順は完全に封じられた。ただ、嶺上開花は成らなかった。そして槓ドラをめくる、表示牌は【一萬】であった。咲は連続した圧力をセーラに仕かけた。

(下らんな宮永ぁ……。三色を潰す、ドラを4枚乗せる、それで私が怖がって「ハイ、すんませんでした」とでも言うと思ってんのか?)

 ここは自分が親なのだ。上がりさえすればいいだけだ。咲は必勝パターンの嶺上開花を外した。勝機はまだある。一度だけだ、一度だけ抜き身の自分を取り戻し、“魔王”に力勝負を挑む。過渡的と雅恵は言っていたが、ならばこそ必要なのだ。過去の自分への未練、それを断ち切れるかどうかを、セーラは“魔王”との対決で確認をしたかったのだ。

 

 

 白水哩は三度リザベーションを実行していた。明日の本選でも宮永姉妹と同室になるかもしれない。そこで自分が躓いてしまっては悲願である鶴田姫子をトップ4に送り出すことは叶わない。なぜならば、本選は1敗でもしたら脱落するサバイバルゲームになるからだ。

(私ば完封すっつもりか? それができたんな一人しかおらんぞ)

 宮永咲が嶺上開花を外し、哩に自摸番がやってきた。

(だれやて思う?)

 哩は、もう周りは見ていない。見ているのは卓上の牌だけだ。全精神を集中し、“魔王”の支配を突破しようとしていた。その無謀とも思える行為、それを行う理由は、過去に自分を完封した相手が関係していた。

(私を何度も完封した相手はな……宮永照……お前ん姉や)

 順番が回ってきて牌を自模った。有効牌、これで門前、断公九、平和、ドラ1、コミットしたリザベーション4の条件を満たした。後は上がるだけだ。

 

 

(聴牌したか……白水さん、今回はあんたも敵やで)

 9巡目に入った。江口セーラは場の緊張感にしびれていた。張っているのはおそらく3人、宮永咲、白水哩、そして自分だ。山に手を伸ばす。セーラの鼓動は速さを増し、肌は張り詰めた空気によりヒリヒリと痛んだ。忘れていた感覚であった。自分はこの状況下で常に勝ち抜いてきた。だから自模る牌、捨てる牌には疑念を持たない。必ず勝てるという自信がある。

 自摸牌は【一索】で上り牌ではなかった。だが失望はしない。それ所か、セーラはその牌を使用し、己の意思を“魔王”に叩きつける。

「リーチ」

 咲との対戦では禁じ手に近い立直だ。セーラは不敵な笑みと共にそれを行った。

(何もかもが異常な空間や。宮永、お前はそれを作り上げた。せやからな、私もそれに答えたる)

 咲も山に手を伸ばす。団体戦の結果を考えるならば、セーラは咲からの狙い撃ちが濃厚な場面だ。しかし、そうはならなかった。咲はぎこちない動作で字牌を捨てた。

 セーラは歯を見せて笑った。

(もう一周や、もう一周回ってこい!)

 白水哩も自摸動作に入った。彼女もここが勝負所と考えているのか、気迫が物凄い。ゆっくりと腕を伸ばし、牌をつまむ。そのまま軽く持ち上げ、親指で盲牌し、僅かに考えて牌を河に捨てた。望む牌ではなかったのだ。しかし、哩も落胆してはおらず、その目は次の自摸牌へと向けられていた。

(回ってきたで……)

 セーラはここで上がれなければ勝ちはないと考えていた。“魔王”より与えられた僅かなチャンス。ここで仕留めそこなうと、確実にそれ以上の反撃を喰らい、血祭りに上げられる。そんな考えが頭をチラリとよぎるが、恐怖感は全く存在していなかった。

(思い出した……このアドレナリンの味、以前の私は、このスリルに病みつきやった)

 この感覚に間違いはない。セーラは経験による勝利を確信していた。

 しかし――

 引いた牌は【三筒】。

 セーラの笑顔が消えていく。愛宕雅恵が抜き身の刀と比喩したほどの勝負感覚が、初めてセーラを裏切ったのだ。

(なぜや……)

 宮永咲を見る。なにかの力が働いているとすれば、彼女以外にはいないはずだ。

 ――顔を上げるのさえ辛いのか、咲は俯き、セーラの打牌を待っていた。

 立直しているセーラに他の選択肢はない。自摸牌の【三筒】を切った。

「チー」

 咲がその牌を副露する。セーラは思わずつぶやきを漏らした。

「チー……だと」

 その言葉に反応したのは白水哩だった。顔を上げて、晒らされた咲の牌を呆然と眺めている。先程までの気迫が消滅していた。その理由は疑いなくセーラと同じだ。

(聴牌していなかったのか……私は……幻影と闘っていた)

 続く鈴石麗砂は怖がるように安牌を捨てた。そして、白水哩は明らかに降りていた。少し考えて、安牌の索子を河に置いた。

 セーラはなにをしたら良いのか分からなくなっていた。いや、自摸番なのでそれを行えば良いのだが、なんの為に行うのかの意義が見いだせなかった。とはいえ、それを放棄するわけにもいかないので、牌をつまみ確かめた。

【七筒】

(これか……? お前は単騎待ちでこれを待っていたのか?)

 咲が断公九を作り上げているのは分かっていたが、待ち牌は最後まで絞り込めていなかった。【七筒】の可能性は十分あるが、セーラは自らの立直によって選択の自由を奪われていた。――下家の咲は、セーラの捨てた牌をじっくりと確認し、牌を倒した。

「ロン……断公九、ドラ4。8000です」

「待った!」

 礼に反する行為であったが、セーラは大声を上げて面子の行動を止めていた。山を崩されては困る。なんとしてでも確認したいことがあった。

「大声出してすまんな。宮永、山の牌を確認してええか?」

 咲は上目遣いでセーラと目を合わせて頷く。

 セーラは、咲が鳴かなければ自分が自模ったであろう牌をめくった。

【五萬】、しかも赤ドラだった。

(そうか……分かってたんか。ここにこの牌があることが)

「江口さん……」

 先程までとは違うとても温和で顔で哩に呼ばれた。『結果は同じ。自分でも【七筒】を振り込んでいた』。言葉ではなかったが、その顔はそう言っていた。セーラも哩も、結局は咲の掌で踊らされていたのだ。

 セーラは目を閉じて小さく笑う。

(なんかの映画で観たな……ええ刀は鞘に入ってるもんやってな。そうやで、だからな、お前も鞘に入っとけよ宮永……)

 セーラは目の前にある雀牌を大きな音を立てて投入口に入れる。面子の3人もそれに倣った。

「宮永、大丈夫か? 顔色が尋常やないで?」

 人懐っこい笑顔で咲に声をかける。

「……あと、一局ですから」

 咲は辛そうに答え、サイコロのボタンを押した。

(せやな……結果は見えてる。満貫を上がらせる。2試合連続でお前にいびられとる鈴石なら喜んで上がるやろ)

 対局室ルームYは最終局に入った。セーラの立ち回り方は決まっていた。多分白水哩もそうだろう。傍観者に徹すること、この局は鞘に入って存在だけを咲に知らしめる。白刃を振りかざすのは今日ではなく明日だ。なぜだか分からないが、セーラは明日も咲と闘う予感がしていた。

 

 

 対局室 ルームD

 

「ポン」

 辻垣内智葉はドラ牌である【四索】を副露し、断公九ドラ3で聴牌した。東三局七本場の3巡目での荒川憩からのアシスト。智葉は憩の河を眺め、苦笑いをした。

(予定どおりか? 高評価ありがとうと言っておくよ)

 宮永照に先行する為には、役牌、断公九などの鳴いても成立し早上がり可能な役が望ましい。憩はそう考えたのか、最初に【北】を切った。智葉の自風牌で他者には不要牌になりやすいからだ。次巡、憩の打牌は【白】、三元牌で河に見えていないものの選択だ。それでもリアクションのない智葉に対して、憩はドラ牌を捨てた。早上がり以外にも得点差も考えられる優等生と智葉を評価したのだ。

(この手で自摸ならば、なんとか勝負できるだろう?)

 荒川憩の“治癒魔法”は自分の失点のみに作用する。基準点は関係ない、単純な失点の累計だ。この七本場を捨てている憩は12000点ほど失うだろう。なので“治癒魔法”は跳満以上で発動すると推測できる。ただ、恐ろしいのは、それでも照には届かない。憩が勝利する為には、魔法を三倍満に積み上げるか、一本場で照に競り勝つしか方法がない。

 もちろん智葉は、憩に勝たせるつもりは毛頭なかった。しかし、自分が求める均衡状態を作り出す為には、憩の“治癒魔法”の力を借りるしかないのも確かだった。

 ――4巡目の照の自摸だ。リミッターを切っているはずなので、翻数の制約はなく、いつ上がられても不思議ではなかった。

(あの団体戦決勝……お前は“照魔鏡”だけで私に勝利した)

 照の母親と想定されている宮永愛の“ダンテの定理”は解読不可能とされていた。智葉もアレクサンドラ・ヴィントハイムも少ない資料でなんとかそれを試みたが、あるようでない法則性や無意味と思われる打牌で混乱し、やはり解読できなかった。宮永照は更に難解で、アレクサンドラ曰く『宮永照は定理を不完全な形で行っている』らしかった。なるほど、ならば話は早い。不完全を完全にするには、それを補う他のパーツが有ればいいのだ。

(それが“照魔鏡”だろ? 母親にも妹にもない、お前だけの強力で確実な武器だ)

 照が【九萬】を捨てた。彼女が聴牌しているかどうかは、見切りの達人の智葉でも分からない。“ダンテの定理”に従って打っている間は智葉の見切りは通用しない。だからこそ、照の心を揺るがす均衡状態が必要なのだ。

(松実玄の役満直撃、小瀬川白望の八面張、福路美穂子の三倍満和了、それらと同じ状況にお前を追い込んでやる。そして私は……そこで“照魔鏡”ともう一度対決する)

 早い巡目での聴牌なので、智葉の待ちは良好ではなかった。【四索】と【七索】の両面待ちで、【四索】は自らが刻子を晒している為に残りは一枚で、【七索】も照が持っている気配が濃厚だった。

 智葉は山から牌を引いた。全くの無駄牌であったが、照がすでに捨てている牌なので躊躇なく切った。

 怖いほどの静寂さで場は進んで行く。照の自摸ごとに胃がひっくり返るような不快感が襲ってくる。それを終わらせるのは彼女が上がるか、自分が上がるかだ。

 6巡目の岡部文美の【七索】自摸切りを、智葉は平然と見逃した。彼女から上がると逆転が不可能になるからだ。ただ、これで苦しくはなった。照の振り込みは100%ない。それが“照魔鏡”だと福路美穂子に証明されていた。智葉の選択肢は自摸上りしか残っていないのだ。

 憩が智葉を見ている。笑顔ではあったが、少しだけ影ができていた。

(心配するな……私は役割を全うする。だからお前もそうしろ)

 7巡目の照の自摸、相変わらず見切れない。かろうじて萬子を集めていることは、捨て牌から読めていたがそこまでだった。

 照はいつものルーチンを繰り返した。手牌の横に置かれた自摸牌、手牌と共に倒すのか? 打牌するのか? その間合いだけは智葉にも見切れていた。 

(よし、大丈夫だ)

 照が字牌を切った。和了無しが分かっていた智葉は、すぐさま自摸牌に手を伸ばす。次はない、この自摸が勝負を決める。

 親指に【四索】の情報が伝わる。

(ドラ4になったが、点数はあまり変わらんな)

 智葉は顔を上げて牌を倒す。憩は小さな溜息をして笑っていた。

「ツモ、断公九、ドラ4。2700,4700」

 

 

(上出来やで、辻垣内はん)

 宮永照の連荘がようやく止まった。荒川憩はこう考えていた。結局は速度と辻垣内智葉の意志力だったのだろうなと。速度勝負は無謀、それが対宮永照の定説だった。なぜならば、速度勝負を挑む者は、照の連荘を恐れるがゆえに、自ずと打ち筋を崩してしまうからだ。それでは勝負にならない。足回りはそのままでエンジンだけハイパワーにした車のようなものだ。無論、それは自分にも当てはまる。だから人並外れた精神力を持つ智葉にそれをさせたのだ。

 憩は“治癒魔法”を始める為のサイコロを回した。

(魔法ってな。かけられるほうが協力してくれなダメなんやで)

 大前提が必要であった。これは照の上がり続ける和了と同じで、必ずそうなるという認識を相手に持たせなければならない。憩の場合は、削れば削るほど最後に取り返されるという認識だ。これまでの実績で、それは必要十分だろう。

 憩は次のステップに移行する。それは対戦相手の正確な分類であった。

(心理学なんて麻雀では役に立たん。そらそうや、ただそれはな、選択肢が多すぎるからや。だったら、それを限定したらええ)

 理牌を終えた。すばらしい手牌だった。【東】が刻子であり、【中】対子、筒子の対子が二つもあった。しかも一つは赤ドラ付きで、うまくいけば倍満に持っていける。

 一巡目、憩は【発】を捨てる。続く岡部文美は完全に憩の術中にはまっていた。あれこれ考えた末に【中】を切った。

(そうやろなあ。あったらそれを切るやろなあ)

「ポン」

 いきなりの副露に文美は青くなっていた。ここは手を進める為に彼女を利用する。

 憩は余っていた【二筒】を静かに河に置いた。再びの文美の自摸番、まだ始まったばかりで、流れが読めない彼女は、迷った挙句に【五筒】を捨てた。

「ポン」

 二つの刻子が憩の前に晒される。一つは【中】、もう一つは赤ドラ2枚を含む【五筒】だ。すでに3翻で、役牌があるので憩がなにを狙っているかは特定しきれない。

(あんた以外はな……チャンピオン。けどな、私は手牌を見られているからこそ、あんたを信用できるんやで)

 人間は思ったより複雑で、性格分類も確実なものは存在しない。しかし、憩は恐ろしく狭い範囲で特性論を当てはめた。つまりは麻雀にだ。自模った牌の要不要を判断して切る。突き詰めて言えば、麻雀にはそれしかない。対戦相手の特性を正確に分類できると、次のアクションが予測可能だ。今の文美の動きも、憩の筋書きどおりの結果だった。ただ、なぜ文美が【五筒】を持っていると分かったか? それは憩にも不明であった。そこが自分と他人が違う所だと思っていた。ほしい牌がどこに有るかなんとなく分かる。その感覚があるからこそ“治癒魔法”は可能なのだ。

(『そんなオカルトありえまへん』。私も言ってみたいなあ、原村ちゃん)

 藤田靖子から宮永咲を倒すように指示されていた。しかも最大限にダメージを与えてだ。憩は、それ自体は問題なくできるだろうと思っていた。けれど彼女の側にはデジタルの極北原村和がいる。憩は和に苦手意識を持っていた。できることなら対戦を避けたかった。

 ――憩は宮永照を見た。僅かではあるが雰囲気が変わっている。まだ自摸番が回ってこないうえに、倍満を一向聴している者が見えている脅威、それが彼女に変化を与えたのかもしれない。

(“絶対王者”だろうが“魔王”だろうが逃れられまへんで。なにせ、麻雀を打つのは……所詮は人間やからな) 

 ――5巡目の自摸で、憩は倍満を驚異的な速度で聴牌した。待ちは【一筒】【八筒】のシャボ待ちであった。

 宮永照も含めて、この局は完全に憩に支配されていた。倍満和了をだれも止めれらない。“治癒魔法”はここに完成したのだ。

「ツモ、混一色、対々和、W東、中、ドラ2.8000オール」

 7巡目での倍満和了、だがこれでは終われない。憩は照に1000点足りないので、次の一本場で普通に勝つしかなかった。

(かなわんな、チャンピオンとのガチ勝負は分が悪い)

 

 

 ルームD 現在の持ち点

  宮永照    38400点

  荒川憩    37400点

  辻垣内智葉  24200点

  岡部文美       0点

 

 

「0点……」

「ゴメンな岡部ちゃん……もう一局やから辛抱してな」

 その点数表示に茫然自失になっていた岡部文美に、荒川憩は済まなそうに励ましの言葉をかけた。この点数は憩が意図したものではない、全くの偶然か、あるいは――

(あんたの仕業か……チャンピオン)

 宮永照からの強力な圧力を実感していた。まずい、このままでは自分は負ける。憩はそれから逃れるように乱暴な動作で投入口に牌を流し込んだ。

「一本場」

 牌がせり上がり、憩から自摸を始める。岡部文美、辻垣内智葉も続いたが、宮永照が動かない。

「……どうした宮永、なぜ自模らない?」

 なかなか動かない照を智葉が注意をした。

「……咲」

 憩には、照がそう言ったように聞こえた。

「宮永!」

 智葉が再び彼女を呼びかける。心配の為か、声は随分と大きくなった。

 それでも彼女は動かなかった。手を雀卓の上の置き小刻みに震えている。そして彼女は、もう一度、妹の名前を呼んだ。

「咲……」

 

 

 対局室 ルームY

 

「宮永! 宮永!」

 江口セーラの予想通り、東四局は宮永咲が鈴石麗砂に満貫を差し込んで終了した。試合終了のブザーが鳴ったが咲は立ち上がらない。点棒を渡した姿勢のまま固まっていた。

「どうした宮永!」

 ただ事ではなかった。セーラは咲に駆け寄った。肩を触っても反応がなかったので、慌てて脈を確認した。

「脈はある。けど、意識が……」

「監視員!」

 白水哩が部屋付きの監視員に説明している。監視員はおどおどしながら本部と連絡している。セーラは咲の態勢を楽になるように変えた。

 ドアが勢いよく開けられて、真っ先に入ってきたのは清澄高校の原村和であった。

「咲さん!」

 和の声や表情はパニック気味だが、行動は冷静だった。無理に揺り動かしたりせず、咲の傍にいて手を握り見守っている。

 同じ清澄の片岡優希と染谷まこも和の隣でドクターの到着を待っていた。

「セーラ……」

 チームメイトの園城寺怜、清水谷竜華、二条泉も入ってきた。この状況にそれ以上の言葉が出ないらしかった。

 女性のドクターが駆けつけ、咲の容体を診ている。すぐに救護員に指示が出され、咲はキャリアーに乗せられて毛布を掛けられた。ドクターはまこに咲を病院へ搬送することを告げていた。救護員はキャリアーを移動させる。和と優希はそれに付き添っていく。

 まこもセーラ達に礼をしてから別方向に移動していた。おそらく仲間に情報を伝える為だろう。こちらの仲間も心配そうに見ていた。

(宮永……頼む、棄権しないでくれ。私は、お前と明日闘いたい……)

 不謹慎なのは分かっていたが、セーラはそう思っていた。

 

 

 中国・四国・九州・沖縄エリア待機室 永水女子高校

 

 神代小蒔は、身動きせずにジッと画面を見つめ、宮永咲がどこかに運ばれていくのを眺めていた。

「小蒔ちゃん……」

 石刀霞は、小蒔の手が震えていることに気がついた。

「目を逸らしてはいけません。これは私が行っていることなのですから」

 小蒔の言葉は、だれかに向けられたものではなかった。それは自分への言葉なのだ。宮永咲を再起不能にしてしまうかもしれない。それが心優しき小蒔の心理的葛藤になり、苦しめているのだろう。

「すべての責任は私にあります。だから、これからなにが起ころうとも、私は逃げません」

 小蒔の手の震えが止まった。『なにが起ころうとも』その言葉には、小蒔自身が再起不能なることも含まれている。わが姫様は、きっとそれを覚悟したのだと霞は思った。

 

 

 北海道・東北・関東エリア待機室 白糸台高校

 

「サキ!」

 大星淡はそう叫んで、待機室を出ようとしていた。

「淡! どこに行く!」

 大声でそれを止めたのは亦野誠子だ。淡は苛立出し気に答える。

「どこって、サキが倒れたんだよ!」

「考えろ淡! お前の宮永咲への思いは知っている。だけどな、今は移動してもいい時なのか?」

「……」

 本当は咲の所に行きたいのであろうが、淡はそれをわきまえた。無鉄砲に見える彼女だが、そういう分別はできるのだ。

「淡、まだ照の試合が終わっていない。咲ちゃんの見舞いはそれからだ」

「……はい」 

 弘世菫の注意に淡は素直に従い席に戻った。――画面を見る淡の顔色が変わる。

「菫! これって……」

 淡だけではなく、誠子も渋谷尭深も同じだった。一様にこれはやばいという顔をしていた。菫も画面に目を向けた。

「照……お前……」

 菫も例に漏れなかった。ショック状態から立ち直った宮永照が、対宮永咲の切り札を実行していたからだ。

「……気がつくかな?」

「つくさ……この配牌は、明らかに異常だからね」

 淡が悔しがっている。これに咲が対応できるかどうかは別問題だが、存在を知られてしまった。それは照の大きな損失になってしまった。 

 

 

 対局室 ルームD

 

(なんだこれは……?)

 東四局一本場は、もう11巡目であったが、辻垣内智葉は3巡目から二向聴で足踏みしていた。全く手が進まなかった。この局を全力で挑もうと思っていた智葉の心は、すでに折れそうになっていた。

 12巡目に突入する。親の荒川憩も絶望感で笑顔が消えていた。智葉の同順自摸、結果は同じで、二向聴変わらずであった。

 無駄牌の萬子を河に置いた時に、智葉はその異常に気がついた。

(これは……順子場か……?)

 

 

 試合会場 VIPルーム

 

「スコヤ……これはなんだね?」

 “巨人”ウインダム・コールは宮永照の奇行について質問した。小鍛治健夜はそれに短く答える。

「Uncontrollable(制御不能)」

「これは私に対するものではないね?」

「はい、咲ちゃんですね」

「……」

 モニターでは全試合が終了していた。ルームDは宮永照の平和で決着がついた。トップに変動はなく、この試合は照が制した。

 “巨人”は顔の前で手を組み、まるで祈るように額をそこに置いた。

「この姉妹の敵は……本当に私なのかね?」

「……」

  健夜は答えられなかった。自分が清澄の監督になろうとしている理由、それは、今の“巨人”の質問とほぼ同じだからだ。彼女達はなにを恐れているか? それを見い出し取り除く。それこそが自分に与えられた使命だと、健夜は思っていたのだ。

 

 

 東海道新幹線 上り 車内

 

 高鴨穏乃はやりすぎを反省していた。2人掛けの席の周りには、菓子や弁当の空き箱が散乱していた。穏乃も新子憧も満腹状態で動けなくなっていた。そんな2人のスマートフォンが同時に震えた。

「メール、優希ちゃんだよ……」

 もたもたしていた穏乃より先に、憧が確認する。

「読んで」

 同じ内容ならば見なくてもいいかと考えてしまった穏乃は、自堕落にも読み上げを依頼していた。憧は嫌な顔をしていたが、画面を目で読んでいる。

 突然、憧の手が穏乃の口を押さえる。訳が分からなかったが、構わず憧はメールを読み上げる。

「咲ちゃんが試合で倒れた。これからのどちゃんと一緒に信濃町のでっかい病院に向かう」

「んー!」

「手を離すから大声出さないでね」

 憧が怖い顔で了解を求める。穏乃はそれに大きく頷いた。

 手が離され、穏乃は大きく息を吐きながら言った。

「咲さん……」

「優希ちゃんらしいね、信濃町のでっかい病院で分かるのかな?」

「行こうよ、咲さんだけじゃない。和も心配だから」

「和は、咲ちゃん一辺倒だからね」

 穏乃は窓から外を眺めた。まだ静岡辺を走っている。速いと思っていた新幹線だが、今日ばかりは遅いなと感じていた。

 

 


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