咲〈オロチ〉編   作:Mt.モロー

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8.守護者達の動揺

 試合会場 VIPルーム

 

 “巨人”ウインダム・コールの要望により、「WEEKLY麻雀TODAY」の記者である西田順子がVIPルームに呼ばれていた。英語が苦手な順子は、同僚の埴渕久美子を連れてきて、通訳として“巨人”との間に立たせていた。

「このたびは、独占取材のご協力有難うございます」

「条件はスコヤから聞いていると思うが、そちらはノープロブレムかな?」

「先程、姉妹の母親と電話で確認いたしました。お二人は面識がおありで?」

「それは彼女を知っているのかという質問かね?」

「ええ……まあ、そうです」

 “巨人”は高級そうな腕時計を眺めて言った。

「まもなくランチタイムだね。ニシダ、イギリスで一番おいしい料理を知っているかね?」

「イギリス料理……思い浮かびません」

「それはね、トーストだよ」

 アングロ・サクソン人らしい、嫌みたっぷりな笑顔を浮かべていた。小鍛治健夜が隣で呆れた顔をしている。

「トーストって……料理ですか?」

「残念ながらイギリスの食文化は廃れてしまってね。とはいえ、すべてのイギリス人が味音痴なわけではない、私は一応グルメ気取りでね」

「イギリス人としてはですか?」

「そのとおり、だから案内してほしい、あなたは職業柄そういったことには詳しいはずだ。日本のすばらしいランチタイムを満喫したいものだね」

 超の付くVIPであるウインダム・コールの頼みだ。断れるはずがない。西田は友人のグルメ本編集者に連絡し、店の予約を取ってもらっていた。

「和牛料理のお店ではいかがですか?」

「結構だね。さあ、アイ・アークダンテに連絡したまえ、ウインダム・コールは少し遅れるとね」

 西田の笑顔が引きつった。宮永姉妹の母親の旧名、それは、“巨人”の言ったアイ・アークダンテに間違いがなかった。

 

 

 北海道・東北・関東エリア待機室 宮守女子高校

 

「先生……」

「……一匹目の怪物退治だよ」

 画面にはルームMの対局者が表示されている。臼沢塞と熊倉トシの会話はそれを見てのものだった。その部屋の席決めが確定し、名前の並びが入れ替えられた。

 

 対局室 ルームM席順

  東家 吉田律子   島根代表(3年生)

  南家 小瀬川白望  岩手代表(3年生)

  西家 工藤良枝   富山代表(2年生)

  北家 宮永照    西東京代表(3年生)

 

「最悪ですね……宮永照がラス親です」

「そんな悲観的ではないねえ、結局は同じだよ、止めたらいいだけさ」

 試合が開始された。小瀬川白望がダルそうに牌を自模っている。

「シロ、メガネ……シテナイ」

 留学生のエイスリン・ウィッシュアートが心配そうに言った。

「エイちゃん、眼鏡は2局からだよ」

「ウン」

 鹿倉胡桃も熱のこもった目で画面を見ている。宮守女子高校麻雀部の最後の希望、それは個人戦に出場している小瀬川白望と姉帯豊音だった。廃部目前の麻雀部が、このインターハイで残せる爪痕は、“絶対王者”の撃破か“魔王”の撃破しかない。

「さっき三尋木咏が面白いこと言っていたねえ」

「面白いことですか?」

「王道とか覇道とかねえ……」

「ええ」

「私達がやろうとしているのは邪道だよ……勝つ為にならなんでもする。人はそれを卑怯と言うかも知れない。だけどね、邪道には邪道の理由があるのさ」

「“絶対王者”を倒す為ならば、それは許される……」

 塞は邪道という言葉の意味を噛み締めていた。これから開始される白望の闘いは、まさに邪道としか呼べなかった。何しろ、麻雀に道具という概念を持ち込もうとしているのだから。

「後ろ指をさされても動じない、覚悟を決めた邪道、それには強固な精神力が要るんだよ」

「シロにできますか?」

 熊倉トシは3名の部員を交互に眺めた。口には笑みを浮かべている。

「その質問は違うねえ……これはシロにしかできないんだよ」

 

 

 中国・四国・九州・沖縄エリア待機室 永水女子高校

 

「小瀬川白望……」

 滝見春は、そうつぶやいて画面を見つめていた。

 これで午前中の試合は終わる。永水の出場者である薄墨初美は既に棄権しており、神代小蒔も現在は予選通過圏外にいた。

「いけるかも、この人はなにかをやろうとしている」

 石戸霞と狩宿巴は、顔を見合わせた。これが最後のチャンス、これ以上“オモイカネ”の起動が遅れたら、小蒔の予選敗退もありうるのだ。

「春ちゃん、できる?」

「時間がかかるけど……」

 霞は春と共に立ち上がり、仮眠室への移動を巴に告げた。

「必ず合わせます……」

「お願いします……後がありません」

 巴が悩まし気に忠告した。霞にもそれは分かっている。宮永咲との対戦は一回では不十分、二回目にこそ意味があるのだ。だから小蒔はなんとしてでも予選通過しなければならなかった。

 

 

 対局室 ルームM

 

 小瀬川白望と姉帯豊音には、それぞれ違うターゲットが熊倉トシから指示されていた。白望の担当は“絶対王者”宮永照、豊音は“魔王”宮永咲、相性を考えて決めたとトシは言っていたが、天性のめんどくさがり屋の白望にとっては、どちらでも良い話だった。しかし、一度決められたことは、途中で投げ出さないで確実に実行する。それも白望の特徴であった。

(一局目……早上がりで取らなきゃ)

 トシの作戦は3段階で、その第1第2は安くてもいいので絶対上がるように指示されていた。ただ、白望は引きが強くはないので、早上がりは苦手ではあった。

 二向聴から始まった白望の手牌は、8巡目でも一向聴止まりだった。3から5までの三色同順を狙っていたが、上家と被っているようにも思えた。

 白望は対面の“絶対王者”を眺めた。“照魔鏡”の真っ最中のようで、常に目が合っている。トシから話を聞いていたのでなんとか平静を保てているが、そうでなければ圧倒されているほどの眼力だ。

(目の動きを完璧に読む、そんなことできるのかな…………できるんだろうな)

 宮守女子高校麻雀部のメンバー全員は、顧問である熊倉トシを絶対的に信頼していた。もちろん白望もそうだ。不可能とも思える照の能力であるが、トシがそうだと言ったのだ。疑う必要はない。

「リーチ」

 東家の吉田律子が立直をかけた。“絶対王者”が上がらない東一局、だれもが死に物狂いで和了を目指す。多少のリスクは承知のうえなのだろう。律子の捨て牌は赤ドラの【五萬】だった。

「チー」

 白望の副露、9巡目にしてようやく聴牌できた。待ちは【六筒】か【九筒】で、【六筒】ならば断公九も乗る。

(間に合うかな……)

 そんな不安が頭をよぎったが、この局は律子にツキがなかったようだ。13巡目で白望は【六筒】を引き当てた。

「ツモ……、三色同順、断公九、ドラ1。1000,2000」

 東一局の終了時に宮永照にすべてを読まれたと感じてしまう。それが、多くの者が語る“照魔鏡”であった。白望もそれを体感していたが、その感覚を無視できる呪文を、トシから聞いていた。

「たんま……」

 白望が右目を押さえて後ろに振り返り、各部屋に一人配置されている運営の監視員を呼んだ。

「コンタクトに埃が入って目が痛い……眼鏡にしてもいいですか?」

 バックからケースに入った眼鏡を取り出して監視員に渡した。

「……普通の眼鏡だね。いいでしょう、こちらにきてください。私の目の前でコンタクトを外してください」

 監視員が眼鏡を返しながら言った。白望はダルそうに立ち上がり、部屋の奥でその作業を行った。

 まるでパーティーグッズのような黒縁の眼鏡は、呆れるほど似合っていなかった。工藤良枝などは思わず笑ってしまっていた。

「おまたせ……」

 白望は席に戻り、やはりダルそうにサイコロを回した。東二局の始まりだ。

(チャンピオン……やり直してもらおうか……)

 白望には、心なしか宮永照が怒っているように見えていた。

 

 

 中部・近畿エリア待機室 姫松高校

 

 会場に設置されたモニターにもルームMの有様が映し出されていた。

 解説の三尋木咏がうんざりしたように言った。

『……熊倉のばあさん……ひどいねぃ』

『この眼鏡は、福路選手の戦法と同じでしょうか?』

『まあ、質が悪いけどね、この局、お姉ちゃんは小瀬川白望に取らせるだろうねぃ』

『局を進ませたくないからですか?』

『そう、お姉ちゃんはラス親だから点差は問題ない。だけど、残2局と残3局では意味が違ってくる。何しろ相手は、予測不能な熊倉のばあさんだし』

 

 赤阪郁乃の予言が的中した。宮守女子高校 小瀬川白望は対局中にコンタクトから眼鏡に変えた。宮永照から“もう一局”を奪う為にだ。

「でもチャンピオンはラス親だから、この局をこの子が取っても、結局は挽回されると思うのよー」

 真瀬由子が話しかけた相手は郁乃であったが、その彼女は腕を組んで画面を睨んでおり、口を開かなかった。

 いつもと雰囲気が違っていた。由子も、無言のまま画面を眺めているしかなかった。

「あ、小瀬川さん上がりましたね。7700か……」

「チャンピオンとの点差は15000点……でも、次からのスタートだと余裕ですね」

 上重漫と愛宕絹恵も由子と同じ考えなのか、最終的には宮永照が勝利すると言っていた。

「さすがはチャンピオン、用心深い」

「え?」

 ようやく郁乃が口を開いたが、相変わらず会話が噛み合わない。

「まさかなあ、ここまでやるとは思わんかったでえ」

「なにがですか?」

「これは普通の眼鏡やろうなあ」

 3人は、慌てて画面に目を戻したが、見た目ではまったく区別がつかなかった。

「普通じゃない眼鏡て……さっき代行が言った眼鏡ですか?」

「3局残しなら不慮の事態も対応可能と思たんやろなあ。チャンピオン、リミッター外してくるで」

「いきなり高いのがくる?」

「もう一本の眼鏡は、ラス親潰しに使うやろからな。それにな、この小瀬川ちゃんは容易な相手ではない、それはチャンピオンも分かっとるはずや」

 郁乃はハアと息を吐いて、しょうがないと言わんばかりの取り繕った笑顔になった。

「熊倉のばあちゃん、えろう楽しんどるなあ……」

 

 

 対局室 ルームM

 

(予定通り……チャンピオンの次は高めがくる。リミッターを外すと……必ず隙ができる)

 熊倉トシの狙いは、宮永照にリミッターを外した連荘モードに入らせることであった。  

 小瀬川白望は、トシの指示で、それが初めて発現した団体戦決勝の先鋒戦を繰り返し見せられていた。11連荘という一見無双にも思える継続率だが、照は決して楽に打っておらず、何度も他家に迫られていた。しかし、照の隙を見つけたところで、自分がなにをどうすべきかは分からなかった。白望はトシにその答えを請うていた。

(普通に打て、か……)

 それがトシの答えだった。はっきり言って、なおさら混乱してしまったが、続けて言われた自分に対するトシの評価が、本当の答えだったのかなと思った。

(「シロ、私はね、お前を初めて見た時に、この子は宮永照を倒せるかもしれないと思ったんだよ。宮永照は、戒能良子やお前みたいな特殊な打ち手は苦手にしている。だからね、普通に打つのが、一番いいのさ」)

「リーチ」

 東二局 一本場、宮永照が10巡目で立直した。白望には次の巡目で照が一発で上がるように思えていた。

「ツモ。門前、立直、一発、平和、一盃口、ドラ1、3100,6100」

(嫌な予想は……当たるんだな)

 照は対面にいるので、白望は軽く腰を浮かせて点棒を中央に置いた。手を戻す際に、山の牌をじゃらじゃらと崩してしまった。

「……すみません」

 直ぐに投入口に入れるので謝ることはなかったが、白望はそれをした。すべてはトシの思惑通りに事が進んでいる。宮永照に逆転されるのも含めて。

(一度リミッターを外したら、その試合は元に戻せない。先生……時がきました。普通に打って対抗してみます。……ダルいけど)

 照は無駄な麻雀は打たない。最後の上りやめは至極当然なことだ。だから、照にビハインドの状態でラス親を迎えさせなければならない。そうしなければ第3段階には移れない。

(満貫以上……チャンピオンから素で上がるのは……キツいな)

 白望は、今一度現状を見つめ直した。――眼鏡に変えてから3局目、自分の手牌は“照魔鏡”により筒抜けだろう。そして、照はリミッターを外しているので安い点数でも和了可能、確実にそうしてくるはずだ。要するに、照がやりたい放題できるということだ。

 ――東三局、親の工藤良枝から配牌が始まった。

 好配牌だった。【七萬】の刻子と【二萬】【三索】【北】の対子があり、高めの役も狙えそうだった。しかし、その後が続かなく無駄自摸を繰り返し、3巡目まで一向に手が進まなかった。そして、迎えた4巡目、上家の吉田律子が切った牌は【北】、白望の動きが止まった。

「度々すみません……たんまです」

 白望は迷っていた。一枚目の【北】、普通にスルーしても良さそうだが、なにかが白望の判断を鈍らせていた。

 

 

 中部・近畿エリア待機室 清澄高校

 

(宮永照は一向聴……この子焦っているのかしら?)

 小瀬川白望の迷いは2回戦でも見ていたが、竹井久には今回のそれはなにか違うように思えた。

「優希、小瀬川さんのこれってどんな感じなの?」

「たんま……」

 右手を額に当てて、白望の物まねをしているらしかったが、本物の声を知らないので、評価のしようがなかった。

「優希……それって似てるのか?」

「クリソツだじぇ」

 須賀京太郎が久の気持ちを代弁してくれたが、そんな物まねは、細かすぎて笑えないのも本音であった。

「【北】をポンしたじぇ、小瀬川は手が進まないので焦って対々和に逃げたとみたな」

 1分近く迷った末に、白望は【北】を晒した。優希の言うように、早めの仕かけをしたかに見えたが――

「じぇー! 索子の対子を落としたじょ!」

「混一色じゃ……この河……見たことがある」

 染谷まこが眼鏡をいじりながら、真剣な顔で言った。

「混一色って、宮永照は一向聴なのよ、わざわざ手を遅らせるの?」

「何千という対局を見たわしじゃが、この河の形は数回しか見たことがない」

「……」

「ただの混一色じゃない……」

 久は画面に目を戻した。まこの言葉は予言となっていた。白望には次々と萬子が入っていった。対する宮永照は8巡目に聴牌していたが上がれていない。なにかリズムを狂わされている様子だ。

 そして、白望は、それを完成させた。

「やりおった……小瀬川白望、こんな土壇場で……赤ドラも含めてドラ2か……」

「まこ……これって……」

「役満の国士や九連を除けば、最強の待ちじゃ……8面張、上る確率は約4分の1」

 

 

 対局室 ルームM

 

(聴牌……)

 白望が普通に打った結果の聴牌形、その破壊力は理想的だ。

【二萬】【二萬】【二萬】【三萬】【四萬】【五萬】【六萬】【七萬】【七萬】【七萬】

 8面待ち、【九萬】以外ならどの萬子でも当たりで、後は宮永照が上がらないことを祈るだけであった。

 11巡目、ここまで引っ張れたのは奇跡に近いが、もうそろそろ限界だ。照がこっちを見ている。聴牌は察知されたようだ。

(どうぞ……あなたの自摸番です……)

 照が牌を引いて、手牌の横に置く。彼女のルーチンで、和了の場合はすぐに牌を倒す。――今回は違った。彼女は自摸牌の索子を打牌した。

 順番が回ってきた。白望は山にゆっくりと手を伸ばし、牌に触れた。その瞬間、白望の全感覚にそれは伝わった。

(きたか……)

 勝負を決める牌【一萬】、白望は気怠そうに牌を倒した。

「ツモ……、混一色、ドラ2。2000,3900」

 早上がりを仕かけた“絶対王者”の、僅かな隙を突く鮮やかな勝利だった。

 同卓の吉田律子と工藤良枝が信じられないという顔つきで見ている。照の表情は変わらなかったが眼光は鋭かった。白望は眼鏡を外し、疲れたとばかりに目をしばたたき、眼鏡を雀卓の上に乗せた。各自が置いた点棒を回収する。照の点棒は遠いところにあるので、腰を浮かせて取った。戻る際に肘で眼鏡を引っかけて床に落としてしまった。

「あ……」

 白望は慌てた素振りで席を立った。ガリッという嫌な音がした。

「ああ……」

 片側のレンズが外れ、フレームも曲がった眼鏡を拾い、面子に見せた。またぞろ振り返り、監視員を呼ぶ。

「すみません……スペアと変えても?」

「……仕方がありません。確認しますので一度渡してもらえますか」

「……はい」

(対面用……)

 バックの中をごそごそとまさぐり、青いケースを取り出し、監視員に渡した。

 

 

 中部・近畿エリア待機室 千里山女子高校

 

「貪欲に攻めますね……」

 宮永照に対抗策の波状攻撃を繰り出す小瀬川白望に、二条泉は驚きの感想を漏らしていた。

「うちに足らんのはこういうところやな。勝負は綺麗事やない、お前の言ったように貪欲に掴みに行くもんや」

 愛宕雅枝は怖い顔になっていた。それは自分たちのもろさを熊倉トシから教えられたことへの反省が込められていた。

「チャンプ……負けますかね?」

「ないやろな……松実玄ん時みたいに小瀬川は無視して早上がりしたらええ、なにせ宮永照はラス親やからな」

 オーラスが既に開始されていた。宮永照は三向聴、小瀬川白望は二向聴からのスタートだ。

「監督……部長達に伝えなくていいんですか?」

「伝えん方がええな」

「なんでですか?」

「同じ手は二度目は通じない。これは“絶対王者”だけやない、妹の“魔王”かて同じや。ええか泉、宮守を見習おうやないか、恥も外聞も有らへん、勝てばええのや。浩子達にはそれを追求してもらう」

 

 

 対局室 ルームM

 

 小瀬川白望は、対宮永照の第3段階として、光の反射を抑制するPLフィルター機能付きの眼鏡を掛けていた。その性質上若干レンズが暗めで違和感があるが、一般的に出回っている減光タイプの眼鏡と監視員は判断したらしく、使用が許可されていた。現在、照は白望の手配が見えておらず、白望はフリーハンド状態なので迷う必要はなかったのだが――

(なぜだろう……こんな所で)

 5巡目、断公九の二向聴で有効牌を自模った。捨て牌の選択が二つあった。平和も追加できるものとそうではないもの、待ちを考えると前者を選ぶのが最適だが、白望は迷った末に後者を選んだ。

 7巡目にも似たような展開があった。普通なら迷わないところで迷ってしまう。なにか不自然なものを白望は感じていた。

(そうか……)

 白望は照を見た。見えていないはずの自分の目に、冷たい視線を送っている。

(迷ってたんじゃない……私は……迷わされていたんだ)

 気がついた。2回の迷いは宮永照の打牌によって発生していた。それは白望の手牌にパズルのように絡み合い、無意識のうちに悪い選択をさせていたのだ。

(“絶対王者”か……)

 照に畏怖の念を抱いてしまった。一局や二局取ったところでどうにかなるものではない。彼女はその二つ名のどおり、絶対的は強さを持っているのだ。

「リーチ」

 宮永照の立直、白望は思わず身震いをしてしまった。

「ロン」

 その圧迫感に耐えられなくなったのか、吉田律子が振り込んだ。

「立直、一発、平和……」

 照がドラ牌に手を伸ばし、裏ドラを確認する。乗れば勝負は決まる。

「5800」

(裏ドラに頼ったのか……? チャンピオン、あなたの隙は、まだ消えていない)

 勝負は次の一本場に持ち越された。白望には照にいつもの緻密さがないように思えていた。ならば勝ち目はある。

(先生……もう一度です。もう一度普通に打ってみます。……めんどいけど)

 

 対局室 ルームM 現在の点数

  小瀬川白望 38600点

  宮永照   37500点

  工藤良枝  14400点

  吉田律子   9500点

 

「一本場」

 宮永照の一本場宣言、最後の局が始まった。

 気持ちは落ち着いている。その証拠に、配牌が面倒くさかった。雀卓ももっと進化して、サイコロの出目に合わせて自動配牌すべきだと、無駄な考えごとをしてしまった。そうだ、いつもどおりだ、普通に、普通に打てばいい。そうすれば配牌も白望の期待に応えてくれる。

(平和の二向聴……これで勝負です)

 実によい配牌だった。親の照が字牌を捨てる。続く律子もそれに倣う。白望の手牌には単独で【東】があるのでそれを切らねばならない。照が鳴く可能性もあるが別にいい。自分の聴牌を優先する。自摸番が来て【三索】を引いた。有効牌、これで一向聴、白望は予定のまま【東】を捨てる。

「ポン」

 照が白望の河から【東】を持っていく。特急券を使うつもりだ。完全なスピード勝負になった。

 身悶えするような自摸が続いた。照は既に聴牌しているのか、前の局から自摸切りをしている。そして8巡目。

(張った……)

 白望は聴牌した。待ちは【一索】と【四索】であった。

 9巡目に突入した。危険ゾーンに入っている。白望は照の自摸から目を離せない。

 

 その自摸の最初は普通であった。宮永照は自摸牌を掴み、ルーチンどおりに手牌の横に持ってこようとしていた。しかし、その途中で動きが完全に止まった。

「さ……き」

 意味不明な言葉を言った後、自摸牌は照の指から滑り落ち、雀卓に弾んで表になった。

【一索】

 ただ事ではなかった。照の眼球は小刻みに揺れている。

「チャンピオン……」

 その呼びかけに我に返ったのか、照の眼球の揺れは収り、白望に目を合わせた。

「その牌は……切ったんですか?」

 照の目が下に移動した。なかなか現状把握ができないようであったが、やがて、目を元に戻し、静かに言った。

「……はい」

「ならば……あなたの負けです……チャンピオン」

 白望はゆっくりと牌を倒した。

「ロンです……」

 

 

 対局室 ルームD

 

(咲……さん)

 原村和の全身に悪寒が走った。信じられないぐらいの嫌な予感がしていた。おそらくそれは自分に対してのものではなく、宮永咲に対するものだろう。

(なにが……なにがあったの?)

「原村! 原村!」

 だれかが呼んでいた。

「…………はい」

 知らない制服を着た女性が自分を呼んでいる――そうだ、思い出した。自分は今対局中だったのだ。

「どうした? なぜ自模らない?」

「す、すみません」

 和は慌てて牌を自模る。ほぼパニックの状態で、ろくに牌を確認しないで自摸切りした。

「それ当たりだよ……7700点」

 先程自分を呼んだだれかに上がられた。和は点棒を用意しなければと焦ってしまい、バラバラと床に落としてしまっていた。面子の3人が呆れ顔で見ている。

(咲さん……一体なにが……)

 

 

 対局室 ルームB

 

 大星淡は初めてのチョンボを経験していた。自模時に眩暈のような感覚に襲われ、山の牌を2枚崩してしまった。監視員がやってきて、本部と連絡を取っている。

「大星選手、罰則が決まりました。この局は上りを放棄してもらいます」

「はい」

 監視員の指示で競技が再開される。淡は、この局はただの作業を続けるしかなかった。

(サキ……)

 淡にも分かっていた。さきほどの嫌な感覚は宮永咲に関連するものだと。

(まさか……テルーと……)

 淡が最も恐れているのはそれであった。自分や原村和との対戦前に姉妹対決が実現することだ。

(お願い……違って!)

 淡は目を閉じて、大きく首を振った。

 

 

 北海道・東北・関東エリア待機室 宮守女子高校

 

 小瀬川白望の栄和は会場の時間を止めていた。だれもなにも話さない。ただ、画面を眺めているだけだ。臼沢塞も例外ではなく、口を開けたまま固まっている。

 

 最も回復が早かったのは、実況の針生えりであった。

『2、2度目です。“絶対王者”公式戦2度目の敗北です!』

『戒能ちゃん以来か……2年ぶりだねぃ』

 会場全体がどよめいてきた。事の重大さをだれもが理解し始めていた。

「すっげー! あんたらすっげーよ!」

「素敵です! 感動しました」

 偶然かどうかは不明だが、塞達の前にいた有珠山高校の岩館揺杏と本内成香が興奮して話しかけてきた。桧森誓子は拍手している。その拍手が会場全体に伝わって大拍手となり、宮守女子高校麻雀部を包み込んだ。

 エイスリン・ウィッシュアートと鹿倉胡桃が塞に抱きついて泣いている。

「みんな……立ってお辞儀して」

 そう言った熊倉トシの頬も、涙に濡れていた。塞は二人と一緒に立ち上がり、深々と礼をした。拍手が大きくなっていった。

(シロ……あなたのおかげで、宮守女子はインターハイに確かな爪痕を残せたよ……それはね、私達の軌跡……私達が存在したという証。これで私は、思い残すことはない)

 塞は自分が声を出して泣いているのが分かっていた。会場の大拍手がそれを消してくれている。だからもう少し、もう少しだけ泣かせてほしいと考えていた。

 

 

 北海道・東北・関東エリア待機室 白糸台高校

 

「なんか……居心地が最悪ですね」

 亦野誠子がきょろきょろしながら言った。もう拍手は終わっていたが、どよめきは継続されていた。観衆は2年ぶりの“絶対王者”陥落に沸き返っているのだ。

「仕方がないよ、判官贔屓は世の常だ」

「宮永先輩……なにがあったのでしょうか?」

 渋谷尭深も心配そうだ。

「まあ、推測はできるが」

「妹ですか?」

「そうだ。尭深、咲ちゃんは試合が終わったのか?」

「はい、オールトップで終わりました」

「そうか……」

 予想外な話であった。弘世菫は宮永咲が大きなダメージを受け、それが宮永照に伝播したのだと考えたのだ。しかし、彼女はスムーズに試合終了したと言う。

「でも、淡もチョンボしましたし、なんか変ですね」

「そうだな……」

 とは言いつつも、菫にはそれがなんなのか分からなかった。後は本人達に聞くしかないと思っていた。

 

 

 選手仮眠室

 

 滝見春は、長時間の“操作”の実行により極度に疲労し、ベッドで眠っている。石戸霞はその脇で心配そうに見守っていた。

「成功しました……」

 春は薄く目を開けて言った。顔色が随分と悪い。

「お疲れさま……ゆっくり休んで」

「はい……姫様に伝えてください」

 再び目を閉じる。すぐさま微かな寝息を立て始めた。

 霞は、毛布を春に掛けて立ち上がる。

「春ちゃん、後で迎えに来ますからね」

 聞こえてはいないであろうが、霞はそう言って部屋を後にした。

(小蒔ちゃん、準備はすべて整いました。次は、あなたの番です)

 とは言ったものの、霞は不安で堪らなかった。小蒔の使う“オモイカネ”は未知なもので、それがどんな結果をもたらすのかは、分家には伝えられていなかった。

(おばあ様……信じて良いのですね? 姫様を……小蒔ちゃんを……)

 

 

一般観覧席 特別室

 

「随分と人気ですな……戒能プロ」

「いやあ、阿呆というすばらしい別称の藤田プロには勝てませんよ」

 絶対に仲がよさそうに思えない会話だったが、二人は普通の顔をしていた。

「次か?」

「イエス、宮永咲と姫様は午後一で対戦します」

「お前の予想は?」

「宮永はあの状態になります」

「そうか……」

 

 特別室のモニターに大きく昼休みと表示されていたが、裏の音声では、針生えりと三尋木咏の解説は続けられている。

 

『宮永照選手の敗北により、全勝は5名になりました』

『その5人がトップ5?』

『1位から4位迄はそうですが、5人目の全勝の宮永咲選手は順位が9位です。8試合中4試合がプラマイゼロの20ptでしたので』

『ふーん、それじゃあトップ5の発表いってみよう!』

 

 1位 荒川憩    北大阪代表  247.6pt

 2位 辻垣内智葉  東東京代表  206.4pt

 3位 園城寺怜   北大阪代表  202.2pt

 4位 愛宕洋榎   南大阪代表  200.8pt

 5位 鶴田姫子   福岡代表   198.9pt

 

『西高東低かねえ、まあ1位と5位はチートプレイヤーだしね、知らんけど』

『チートプレイヤー……』

『そうだねぃ、理由が分からない強さはチートと呼ぶしかない』

『荒川選手のポイントは他の追随を許さないものがありますね』

『あのさあ、えりりん。この子だって一回しか負けてないんだよ』

『荒川選手でしょうか?』

『この子が負けたのは、昨年の個人戦決勝のみ、相手は宮永照』

『確か飛ばし終了で終わったと記憶していますが』

『だからね……今年はルールを変えたんだよ、つまんねーから』

『三尋木プロもルール作成メンバーの一人ですね?』

『今年のオーラストップ4はきついよお、泣いちゃう子が出るかもねぃ』

『飛び終了無しですか?』

『そう……何点離れていても逆転可能』

 

 

「私は反対したんだがな……麻雀は積み重ねが大事だと言ってね」

 藤田靖子が苦々しく言った。

「結果的にはグッドでしょう? 実に荒川が有利だ」

「……でもな、有利になるのは憩だけではないよ」

「ええ、宮永咲にも有利ですね」

「そうだ……他家の足枷がなくなる。“魔王”の独壇場だ」

 


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