咲〈オロチ〉編   作:Mt.モロー

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2.アンチ宮永サイド

 阿知賀女子学院 麻雀部部室

 

 昨日、阿知賀女子学院 赤土晴絵に、千里山女子高校麻雀部監督 愛宕雅枝から練習試合の申し込みがあった。受けはしたが、明日から始まる個人戦に、千里山は2名出場するはずで、こんな土壇場での練習試合は、かえってコンディションを崩すことにならないかと、他校ではあるが心配になった。

 ――その千里山女子高校麻雀部の総勢6人が、晴絵の目の前にやってきていた。

「ずいぶんと突然ですね」

「申し訳ない、松実さんと新子さんは大丈夫でしたか?」

 愛宕雅枝は、バリバリの大阪人らしからぬ標準語で答えた。彼女は、練習試合の相手として松実玄と新子憧を希望していた。

「玄! 憧!」

 晴絵に呼ばれた玄と憧が駆け寄ってきた。

「お久しぶりです」

 玄は、園城寺怜との再戦が嬉しそうであった。笑顔で挨拶している。 

「ああ……どうも、ご迷惑をお掛けします」

 怜らしく丁寧にお辞儀をしていたが、その表情はいささか沈んでいた。

「どうも……」

 やや遅れて、憧も因縁のある江口セーラに挨拶をした。玄とは違い、あまり嬉しくはなさそうであった。

「なんやー憧ちゃん、きとったんかいな、また楽しく遊ぼうで」

「ち、ちょっと! 近すぎるわよ」

 憧は、息がかかりそうな接近戦を挑むセーラを押しのけた。

「ええやないかー」

「セーラ! ええ加減にせんと」

 部長の清水谷竜華がセーラを羽交い絞めにして引き離していた。監督の雅枝は、恥をさらすなとばかりにセーラを睨みつけた。

「明日が個人戦の初日ですので、私らもあまり長居はできません。半荘二回ほどで結構です」

「それだけでいいのですか?」

 交通の便が良いとは言えない阿知賀に、わざわざ東京から出向いての練習試合。半荘二回は少なすぎるように思えた。晴絵は雅枝に疑念の目を向けていた。

「申し訳ない。これは普通の対局ではありません。これから船久保に説明させますが、気を悪うせんと聞いてやって下さい」

 雅枝は言葉どおり、本当に申し訳なさそうに晴絵に謝った。そして、2年生の船久保浩子に目配せをした。

「松実さんは宮永姉妹、新子さんは原村和に想定して、うちの園城寺と江口は闘わせてもらいます。お二人は普通に打って頂いて結構です」

「私が……宮永姉妹? どっちの?」

「……両方です」

「???」

 玄は何が何だか分からないようで、首を傾げていた。

「おお……見えてきたでー! 憧ちゃんが原村に見えてきたでー! 一部以外はな」

「帰る!」

 憧は本気でムカついているようで、からかったセーラに背を向けて立ち去ろうとしていた。

「わわわ、新子さん、ちょっと待ってーな! 部長、泉! このアホを乙女モードにしたって下さい!」

 浩子の指示で、竜華と一年生の二条泉が暴れるセーラを取り押さえて、別室に連れ込んだ。

「面白いものをお見せしますから……どうか機嫌を直して下さい」

「面白いもの? 女装した江口セーラなら、前に見ました!」

「じょ、女装て……あれは曲がりなりにも女でして……」

「……ああ、ごめんなさい」 

 憧も少し落ち着いたのか、言い過ぎを反省していた。――別室のドアが開き、制服に着替えたセーラが現れて、顔を真っ赤にして憧の前まで進んだ。

「さっきは……どうもすんませんでした」

「……」

 先程までとのギャップに憧は言葉が出なかった。そして、遅れてやってきた笑いの波が憧を襲った。

「く……!」

 立っていることが困難になり、憧はしゃがみ込んで笑いを堪えていた。

 

 

 練習試合が始まった。一回目の起家は松実玄で、南家 江口セーラ、西家 園城寺怜、北家 新子憧の席順であった。

 怜がクリアすべき課題は困難を極めていた。圧倒的な力でドラを保持し続ける松実玄からドラを奪う。あの宮永照ですらできなかったことなのだ。これまでのように数手先を見るだけでは不可能だろう、一度その力を捨てて、さらに進化させなければならない。

(場の支配者の作り出す未来像は改変不可能……)

 それを不可解とは思わなかった。怜は準決勝での宮永照との対戦結果を経て、自分の力をこう結論付けていた。“確実に予知できるのは目ではっきりと見える情報のみ”。単純にいうのならば、自分の自摸牌、他家の捨て牌と上がり牌だけなのだ。なるほど、怜には面子のチーやポンが見えることもある。だがそれは、不純物である自身の希望や予測が混じった不確実な予知なのだ。だから、それを改変しても、場の支配者の捨て牌や和了に何の影響も及ぼさなかった。

(浩子がヒントをくれた。見えている間はなんも変わらない。先が見えんようになったら……そこからや……)

 この半荘は、試行錯誤してその状態を作らなければならない。常に一巡先を読み続け、それが途絶える条件を探る。そこから先は――怜にも分からなかった。

 配牌が終了した。親の玄が字牌を捨て、続くセーラも同様に風牌を切った。怜の自摸番、手牌にある【北】は不要牌なのでそれを切る。そしてそれを、北家の憧が副露する。怜の予知はそう教えてくれていた。

(崩してみるか……)

 怜が切った牌は【四筒】、当然憧は鳴かなかった。しかし――

(やっぱりそうか……変わらんか)

 憧の捨て牌は【六索】だった。それは、怜が予知したものと完全に一致していた。

(……予知を外すことができれば……次の一歩に踏み出せる)

 怜が直面している課題には明確な答えがなかった。それは探しださなければならない。その為に阿知賀まできたのだ。目の前にいる松実玄は、宮永姉妹に匹敵する支配力を持っているのだから。

 

 

 一昨日、江口セーラは、監督の愛宕雅枝に呼び出され、個人戦の立ち回りの確認をされた。当たり前ではあったが、セーラの考えはすべて見透かされていた。

「セーラ、お前、負けるつもりやろ?」

「……」

「怜の為にか?」

 嘘をついても仕方ないので、セーラはその質問に頷き、理由を話した。

「個人戦はオカがあります、多く点数を稼いでも勝てません。どんだけ一位になれるかが勝負の分かれ目です」

「セーラ、受けに回ったらアカン! 去年の二の舞になるで」

 顔も口調も厳しかったが、雅枝の言葉には優しさがあった。セーラは笑顔になり、静かに言った。

「私は、洋榎とは違います。自分の打ち筋を信じて貫き通すことはできません」 

 雅枝の娘である愛宕洋榎とセーラは、よく似たタイプとして比較される。だが、セーラ自身は迷惑なことだと思っていた。洋榎が口癖のように言っている“格の違い”。それがよく分かっていたからだ。

「洋榎は関係あらへん。五位決定戦は負けたかもしれんが、個人戦でぶつかったら叩きのめしたらええんや」

 そのセリフにセーラは苦笑した。そして――

「監督……姫松の末原も、私と同じことを考えてると思います」

 考えに考えた末の自分の選択。その選択は、おそらく姫松高校でも行われているはずであった。察しのよい雅枝は口を引き結んで言った。

「……怜の露払いか?」

「個人戦決勝は半荘10回の闘いです。ほっといたら、その10回全部トップになるやつらがおりますから」

「お前が宮永姉妹と当たるとは限らんで」

「わかっとります。ただ、当たるかもしれません。そん時は……どんな手を使ってでも、2位以下にしてやります」

 滅多に笑うことのない雅枝が口角を上げた。

「……明後日、阿知賀と練習試合をする。怜の対戦希望は松実玄や、セーラ、お前はどうする?」

「ああ……あの子がええな、憧ちゃん」

「新子憧か……お前の苦手なタイプやな」

「かなわんな、監督には」

 

 

「ポン」

 東一局 9巡目、新子憧がセーラの捨てた【一索】を鳴いた。捨て牌から推察すると、混全帯九を狙っているように思えた。

(早上がりの手やないが……だけど、そこがこの子の怖いとこや)

 2回の対戦を経て分かったのは、憧は鳴いた後、驚くほど手が進む。今もそうだ、どんどん自摸が手牌に入っていっている。

 そして14巡目、その憧が和了した。

「ツモ、混全帯九、三色同順。500、1000」

「【北】を待ってたら、お得意の3900やったのにな」

「【北】は出ない気がして……あなたが【一索】を切ってくれて助かったわ」

 “お得意の3900”という言葉が気に障ったのか、憧は不機嫌そうに答えた。

 続く東二局も憧が鳴きを起点にして和了、今度は“お得意の3900”であった。

(そうや、俺はあんたが苦手や……負け惜しみで『ザンク三回より跳満上がったほうがええ』なんて言ったけど、跳満なんてそうそう上がれるもんやないからな)

 東三局 13巡目、セーラの手牌は平和、断公九、一盃口の聴牌。

(だけどな……)

「リーチ」

 場に松実玄がいる以上、ドラは引けない。ここで跳満を上がるには、一発で自摸るしかない。

(譲れんもんはあるんやで)

 セーラは自摸牌を取り、表面を指でなぞった。そして、その牌を表にして叩きつけた。

「自摸、12000!」

 憧が悔しそうな表情で見ていた。なぜだか分からないが、セーラにはそれが心地良かった。

 

 

 龍門渕高校 麻雀部部室

 

 龍門渕高校の麻雀部部室は、まるで豪華な屋敷のゲストルームであった。奥行きのある室内は、アンティークなインテリアでコーディネートされており、その中にポツンと違和感の塊のような雀卓が置かれている。

 天江衣はその雀卓に座っていた。そこに執事のハギヨシが音もなく近づいてきて囁いた。

「衣様」

 勘の良い衣は、そのハギヨシに驚かずに振り向いた。

「きたか?」

「はい、お見えになりました」

「そうか……」

 衣は椅子から飛び降りて、メイド達のいる控室の扉を開けた。

「純、早く早くー! 豊音がきたよー!」

「はい、はい、今行きますよ」

 井上純、国広一、沢村智紀、杉乃歩の四人は立ち上がり、部室へと移動した。

 別の扉から、ハギヨシの先導で宮守女子高校の麻雀部のメンバーが現れた。その中でも、ひと際目を引くのは、身長197cmの姉帯豊音であった。

「わあー凄い! 並んで並んでー」

 衣は、子供のように喜び、純に豊音の隣に行けと指示をした。純は面倒くさそうに並んで豊音に向かって言った。

「あんた、本当にでかいな」

「よく言われる……でしょ?」

「まあね……」

 その巨体に似合わぬ高く透き通った声に、純は少々驚いていた。

「なんでメイド服着てるの?」

 衣に匹敵する低身長の鹿倉胡桃が聞いた。

「これは制服でしてよ。四人は、私のメイドですから」

 龍門渕透華が遅れてやってきた。既に次期当主の風格が漂っていた。

「ご無沙汰しております。透華お嬢様」

「熊倉先生、本当にお久しぶりです」

 熊倉トシは、以前に現当主に請われ、龍門渕透華に麻雀の指導をしていたことがあった。宮守女子高校のメンバーは、それを聞いていなかったらしく、二人の関係に驚いていた。

「本日はご多忙中にもかかわらず、ご対応頂きまして有り難うございます」

「ゆっくりと懐かしいお話でもしたかったのですが、午後からは姫松の皆様がいらっしゃいますので」

 トシは余裕の笑みを見せていた。姫松高校とのバッティングを意外とは思っておらず、むしろ、曲者の赤阪郁乃ならば当然だと思っていた。

「……衣を宮永姉妹に見立てて?」

 トシの目的を吟味するように透華は尋ねた。

「はい。しかし、衣様は妹のほうに」

「あら、では、お姉さんは?」

 宮永咲と宮永照をなぜ区別するのかが解らなかった。その為、透華の表情は当惑気味であった。トシはそれを見て、目を閉じ、軽い会釈をしながら――「あなた様に」と言った。

「わ、私?」

 透華の当惑はさらに深まっていた。頭を上げたトシの顔には、謎めいた笑いが浮かんでいた。

「左様で御座いますよ、透華お嬢様」

 

 

 ――3時間後

 

 龍門渕透華と天江衣は、疲労しきって、部室にある応接セットに腰を掛けていた。

 宮守女子高校との練習試合。軽い気持ちで透華は受け入れたが、相手側はそうではなかった。個人戦出場者の姉帯豊音と小瀬川白望は全力で仮想宮永姉妹の透華達を潰しにきた。なんとか二人で五分にまでは持ち込んだが、天江衣は大きな衝撃を受けていた。

「衣……」

 透華は心配そうに衣を覗き込んだ。

「透華……多分……豊音は、衣の天敵になる」

「六曜? 衣はあれが苦手ですの?」

 衣は疲れたように首を振った。

「熊倉トシ……あの御仁は、豊音の力は六曜に由来すると言っていた」

「ええ」

「なぜ教えたと思う?」

「……教えても問題ないと判断した。熊倉先生お得意の紛れかも」

 外見に似合わず頭脳明晰な透華は、瞬時に答えを返した。衣は満足したのか少し頬を緩めた。ただ、次に彼女から放たれた言葉は衝撃に満ちていた。

「豊音と局を重ねる毎に……衣から力が奪われていくような気がした」

「……」

 今まで聞いたことのなかった弱気な発言に、透華は黙らざるを得なかった。そして衣は、その小さな声のまま話を続けた。

「透華……九曜(くよう)を知っているか?」

「くよう? なんですの?」

「では七曜(しちよう)は?」

「日曜日から土曜日まで? 惑星のことですわ」

「そう、実際は太陽と月は惑星ではないが、そんなところだ」

「……九曜はそれプラス2? 天王星とか?」

「天王星以後が発見されたのは比較的最近だよ」

「……」

 好みの話題なのか、衣の声は大きくなっていた。

「古代天体観測者は見えない星があると考えていたんだ」

「見えない星?」

「太陽と月を食する星、それが残りの2つだ」

「日食、月食ですの?」

 衣は頷き、その表情は恐れを含んだものに変わった。

「計都(けいと)と羅睺(らごう)……その星をそう呼ぶ。豊音の背後に羅睺が見えたように思えた」

「羅睺……」

「羅睺の姿は恐ろしい。三つの目を持った三つの顔、そして、頭の上には……九匹の蛇」

「咲にぶつけるつもりね……熊倉先生」

 二人の会話がひと段落するのを見計らっていたのか、絶妙のタイミングで執事のハギヨシが現れた。

「透華お嬢様」

「ハギヨシ……お見えになりましたの?」

「はい」

「通して下さいまし」

「はい、お嬢様」

 深々と頭を下げてから、ハギヨシは一度部屋を後にして、姫松高校麻雀部の6人を招き入れた。

「ごめんなー、忙しいとこ押しかけて。透華ちゃんも衣ちゃんも今日はよろしくなー」

「と、透華ちゃん……」

「……衣ちゃん」

 監督代行の赤阪郁乃が真っ先に乗り込んで、透華と衣に暴言を吐いた。背後から愛宕絹恵と上重漫が走り寄り、郁乃の腕を掴んで後方に引きずり下げた。

「すんませんでした。あの人、ちょっと天然なんで」

 入れ替わりで、末原恭子が透華達の前で郁乃の無礼を詫びた。あ然としていた透華であったが、気を取り直して恭子に笑みを向けた。

「……末原さん、衣との対局をご希望でしょうけど、今、衣はかなり弱体化していますのよ」

「姉帯さんですか? 代行が言うとりました」

「……」

 透華は、先程までいた熊倉トシから、赤阪郁乃を見かけで判断するなと警告を受けていた。その警告が現実になった。郁乃を目で探し、部屋の奥に見つけた。呆れたことに、真瀬由子に説教されてシュンとしていた。透華は深くため息をついた。

「それで、衣ともう一人は?」

「あなたです」

「愛宕さん……」

 姫松の絶対的な支柱、愛宕洋榎が透華と向かい合い、一気に場の空気が張り詰めた。そして洋榎は、言葉による先制パンチを仕かけた。

「私たちの希望は……冷たいあなたです」

「……」

 

 

 北陸新幹線 上り車内

 

 席を向かい合わせにして、宮守女子高校の6人は座っていた。窓側にいる姉帯豊音と小瀬川白望は、対局で疲れているのかよく眠っていた。中央には鹿倉胡桃と留学生のエイスリン・ウィッシュアートが、最も通路側には顧問の熊倉トシと臼沢塞が座っていた。

「赤阪郁乃に一本取られたかねえ……」

「そうですね」

 ポツリとつぶやいたトシに、塞は相槌を打った。

「衣様を疲弊させることはできたけど、透華様は残念だったね」

「去年のインターハイの状態にできませんでした」

「まったく……曲者め……」

 苦笑しながらトシが言った。彼女が考えていた仮想宮永照は、昨年のインターハイで突如発現した“冷たい龍門渕透華”だったが、惜しくもその状態にできなかった。しかし、午後の姫松との対局では、そうなる可能性があった。

「でもシロの打ち筋の確認ができました」

「そうだね、それは大きな収穫だった」

 塞は横を向いてエイスリンに聞いた。

「エイちゃん、シロは?」

「シロ、ネテル」

「豊音も、叩いても起きなそう」

 豊音は大きいので見れば分かるが、真面目な性格の胡桃らしく、きちんと報告した。塞はそれが面白く感じられ、声に出して笑った。

 ふと振り返ると、トシが涙ぐみながらみんなを見ていた。

「先生?」

「あんたたちは、なんでみんな三年なのかねえ……」

「え?」

「来年もあるのなら……あるいは」

 トシが言わんとしていることが塞には分かっていた。インターハイが終われは、この麻雀部は一旦廃部になる。何しろ部員がいないのだから。来年、新入部員が入り、活動再開するかもしれないが、この自分達の闘いを引き継ぐ者はいない。それは悲しいけれど事実でもあった。

「だからです。だから私たちはこのインターハイにすべてを賭けています」

「すまないねえ……今年だけでは……豊音も白望も優勝はできないよ」

「……」

「二人にできることは一つしかない。宮永姉妹を止めること……」

 トシは自分の不甲斐なさを詫びるように言った。そんなトシに、塞は首を横に振り、こぼれんばかりの笑顔でこれまでの感謝の気持ちを伝えた。

「先生……それでもいいじゃないですか」

「塞……」

「夢みたいでした。たった三人しかいなかった麻雀部が、インターハイにまでこられたんですよ……」

 3年間苦楽を共にしてきた胡桃も頷いた。

「その夢が、明日も明後日も続きます。そのうえ、無敵の怪物姉妹に一泡吹かせてやれるのなら……シロも、豊音も本望だと思います」

 トシの唇が震えた。そして、目を閉じて静かに言った。

「そうかい……」

「はい」

「じゃあ、やろうじゃないか、怪物退治を」

「……はい」

 

 

 永水女子高校 宿泊ホテル

 

「ただいま戻りました」

 薄墨初美は他のメンバーと別行動をとっていた。一度地元の悪石島に戻ると言って、今、合流した。初美は巫女装束のままであった。その顔は異様で、唇はルージュを塗りたくったかのように真っ赤で、目もウサギのごとく赤かった。

「初美ちゃん……あなた、“ボゼの目”を使うつもりね」

 石戸霞は薄墨の家に伝わる秘術を知っていた。それを使う者は、ボゼの如き様相になると聞いていた。

「儀式は済ませてきました」

「あれは禁忌のはずです。薄墨の叔父様は許されたのですか?」

「はい、すべては姫様の為に……父もそう言っていました」

 霞は不安であった。秘術とは何であるか分かっていたからだ。それは強大な力をもたらすが、その対価として使う者は必ず害を受ける。もちろん、当主の神代小蒔もそれは承知している。小蒔は初美の赤い目を見据えて厳に戒めた。

「許しません。霞ちゃん、春ちゃん、初美ちゃんから――」

「姫様!」

 初美が大声で嘆願した。

「姫様は前に、贄になっても良いと言われました」

「そう言いました」

「では、贄とは何ですか?」

「倒すべき相手を油断させるものです。宮永姉妹を倒すのは初美ちゃんです」

「私にはそんな力がない! 姫様も分かっているはずです」

「……」

 霞には、初美の気持ちがよく分かっていた。強い敵を倒す為には犠牲が必要になる。それを小蒔にさせるわけにはいかない。だとしたら、それは自分達の役目、それが六女仙なのだから。

「喜ばれる贄とは、適度に強く、適度に弱い……“ボゼの目”は適役ではありませんか?」

「初美ちゃん……無事ではすみませんよ」

「贄とはそういうものですから」

 初美の主張は受け入れられた。しかし、小蒔の表情は厳しいままであった。

「私が、宮永のどちらかを油断させます。だから、姫様は最初の一撃で封じて下さい」

「“オモイカネ”を使えと?」

「はい、魔物は私たちが封じなければなりません」

 霞は不安を通り越して、恐怖を伴う戦慄を覚えた。“オモイカネ”は九面とは違う。自由に出し入れはできない。一度降ろしたら一定時間それは継続される。つまりは、個人戦の期間中、小蒔は“オモイカネ”の状態で戦い続けることになる。

(小蒔ちゃん……それは本家にとっても禁忌のはずよ……)

 本家の姫、神代小蒔は決断していた。その禁を破ることを。

 

 

 新道寺女子高校 宿泊ホテル 

 

 団体戦で良い結果が残せなかった新道寺女子高校は、個人戦にすべてを賭けていた。それは鶴田姫子を優勝させることだった。もう一人の出場者である白水哩は、姫子の為に上がる回数を優先することになる。その為、優勝ラインには届かないだろう。だが、姫子は違う。リザベーション・ディレイによって、トップ4に食い込める可能性があった。  

 今、行っている模擬戦は、その姫子が宮永姉妹に対抗できるかのシミュレーションで、目的は面子にいる“飛ばない”花田煌を飛ばすことであった。

 

 花田煌は監督の比与森楓から、この模擬戦の狙いを聞いていた。現在は南三局、煌の持ち点は、リザベーション・ディレイの破壊力によって4900点まで削られていたが、その闘志に陰りはなかった。

(姫子……ここは自力で上がらなければ、私を飛ばせませんよ)

 普通に打ってもかなりの強さを見せる姫子であったが、ディレイが発動している時には、それに頼りきった打ち方になってしまう。煌はそれが気に入らなかった。

 16巡目、姫子は前巡から安牌を切り続けている。

 煌の自摸番、有効牌を引き聴牌した。【北】【一萬】のシャボ待ちだが、役がないので自摸でなければ上がれない。

(親の江崎先輩は聴牌してないと判断したのですね……流局狙い、そんな弱気で、あなたはいいのですか?)

 次の局は姫子の親跳がディレイによって確定していた。6000オール、自分は飛んでしまう。だがそれは、この局が流れたらの話だ。

(あなたの最大の武器……それは、あなたの最大の弱点でもある)

 17巡目、煌は山から【北】を引き当てた。そして、何時になく真剣な表情で姫子に向って言った。

「私を飛ばせないようじゃ、宮永姉妹に勝つなんて絵空事ですよ。長野県民をなめてもらっては困ります」

 煌はゆっくりと牌を倒した。姫子はそれを呆然と見ていた。

「ツモ、300、500です」

「花田……」

「一本場です。一本場で、あなたは上がるしかない」

「……」

 続く南四局は、親の姫子が予定通り跳満を上がった。これで煌の持ち点は“0”になった。しかし、まだ終わりではない。終わらせたいのならば、この一本場で姫子は自力で上がらなければならない。

 

 

 白水哩は、姫子の後ろで、その手配を眺めていた。7巡目に平和を聴牌していたが、立直はかけなかった。待ちは【一萬】【四萬】。

(なんばしよっとか、立直ばかけんか)

 哩は憤懣やるかたなかった。姫子は勝負所で消極的な打ち方を見せることがある。今もダマ聴に構え、自摸か煌への直撃で決着をつけようとしている。

(花田ば甘うみとっと、後悔すっぞ)

 8巡目、上家の江崎仁美が【四萬】を捨てた。当然姫子はスルーする。山越しを狙う為だ。

 次巡、仁美はスジ牌の【一萬】を自摸切りした。姫子にとって最悪の展開であった。どんどん上がり牌が減っていく。

(そん状態ん花田には、そがん小細工は通用せん)

 局は15巡目まで進んだ。和了が絶対条件の姫子は、自模牌の【南】を切る以外になかった。しかし、それは煌に副露されるだろう。

「ポン」

 予想どおり煌にその【南】を鳴かれた。彼女の聴牌はほぼ確定している。流れは完全に煌に傾いていた。

(姫子、次ん勝負や。上がらんば……お前は負ける)

 16巡目、姫子が引いてきた牌は字牌であった。それを見た哩は、ゆっくりと目を閉じた。――煌の自摸宣言が聞こえた。望まないシミュレーションの結果が出た。だが、まだ終わりではない、明日の予選は何が何でも勝ち抜き、その後に問題点を修正したらいいだけだ。諦めるわけにはいかない、このインターハイは姫子と二人での最後の闘いなのだから。

 

 

 阿知賀女子学院 麻雀部部室

 

 園城寺怜の様々な試みは、すべて失敗に終わっていた。未だに予知を外すことができないでいた。

(それにしても……この子凄いな)

 松実玄は前回の対戦時とまるっきり異なっていた。この対局、実に手が進みにくかった。聴牌まで持っていくのに非常に苦労した。

(玄ちゃんは宮永妹の逆やな……)

 その理由を怜はそう推測していた。宮永咲は自らの意思でドラを操作する。それに比べ、松実玄は無意識に操作するのだ。手が進まないのは、見えていないドラ牌が玄に集まりやすくなっている為だ。現に決勝戦で宮永照はそれを見抜き、片岡優希と辻垣内智葉に先行していた。

(厄介やな……来年も阿知賀には苦労しそうや)

 南三局15巡目、怜は、その苦労をして聴牌した。

(……そうや、まだ試してないことがあった……)

 次巡、怜は上がり牌を自模った。

(私の力は、上がる為の力……だからこんなんは考えもせんかったわ)

 試していないこと、それは上りの放棄であった。怜はその上がり牌を捨てた。

 ――怜の心の視界が真っ暗になった。

(……これや)

 怜は手がかりを見つけて興奮していた。

 ――オーラスが始まった。心の視界は暗いままだ。怜はこれから何をすべきかを、経験的に理解していた。治せば良いのだ。怜の人生の大半は病気との闘いであった。だからそれには慣れている。今は心を落ち着かせ、能力の再生を待つ。きっとそれは不純物が取り除かれた自分の望むものであるはずだ。

(焦ったらあかん……信じるんや、これまでと同じや)

 オーラスが終わった。この半荘のトップは江口セーラであったが、今回は勝つことが目的ではないので、メンバーにも笑顔がなかった。

「どうや? 少し休憩をはさもか?」

「いや、よかったら、このまま続けてほしいんやけど」

 セーラが阿知賀の二人に確認を取った。

「いいけど」

「私も問題ないけど……園城寺さん大丈夫ですか?」

「大丈夫や。ありがとな玄ちゃん。それとな、二人とも私のことは怜って呼んでな」

 玄と憧は笑顔で頷いた。

 

 

 二回目の半荘が始まった。怜は待った。ひたすら待っていた。だが、視界は暗いままだ。局も次々と進んでいき、南場に突入したがまだ復活しない。さすがの怜も焦り始めていた。

(なんでや……なんで治らんのや……このまま終わるわけにはいかんのや)

 怜は、自分がなぜ闘っているかを考えていた。重病を克服し、予知の力を手に入れた時。それを自分の為ではなく、これまで支えてきてくれた清水谷竜華や江口セーラの為に使おうと思った。そしてそれが怜にとっても喜びになった。しかし、団体戦準決勝で宮永照に力及ばず敗れ、また二人に迷惑をかけてしまった。だからその雪辱を果たさなければならない。それが、自分のできる恩返しなのだから。

 南二局、怜の心の視界に鮮やかに光が戻った。

(10局……かかりすぎや……)

 再び見え始めた未来、このピュアな未来は改変できるはずであった。3巡目、自分が切った【五萬】を玄が鳴き【八索】を捨てる未来が見えた。怜は捨て牌を変更し対子で持っていた【発】を切った。すかさず改変された未来が視界に映し出された。玄の捨て牌が【五萬】に変わっていた。そして現実――玄は【五萬】を河に置いた。

(掴んだで……これで、私はあの怪物と闘える……)

 自摸番が回ってきた。怜は現実の視界と心の視界の区別がつかなくなっていた。引いた牌は赤ドラの【五筒】であったが、それがどちらなのか分からなかった。そして怜はそのまま気を失った。

 

 

「怜!」

 セーラが異常に気がつき、対局を中止し、怜を介抱した。千里山のメンバーも集まり、怜を雀卓から移動させていた。

 憧は心配そうに怜を見ていたが、玄はそうではなかった。雀卓の前で棒立ちになっていた。

「玄?」

「同じ……あの時と……咲ちゃんからドラを奪われた時と……」

 憧は雀卓に目を向け、怜が最後に自模った牌を見た。

「こ……これは……」

 赤ドラの【五筒】、怜は松実玄からドラを奪っていたのだ。

 

 

 龍門渕透華 自室

 

 龍門渕透華は、姫松高校との対局中に覚醒した。そして終局時にいつものように倒れてしまい、自室のベッドに運ばれていた。その脇には天江衣と透華専属のメイドである国広一が待機して見守っていた。

「……」

「あ、目を覚ました!」

「一、みんなを呼んできてくれ」

「うん」

 一は嬉しそうに立ち上がりメンバーを呼びに行った。

「衣……すべて覚えていますわ……」

 横になったまま、透華はつぶやいた。

「だろうな……今回は違ったからな」

「たいしたものですわ。愛宕洋榎……あんな打ち手もいるのですね」

「ああ……だが負けたわけではない」

 透華は肘をついて体を起こした。その顔は不機嫌そうであった。

「いずれ決着はつけます」

「透華……」

「わかっていますわ」

 完全に目覚めた透華は、ベッドを降りて立ち上がった。

「来年、龍門渕がインターハイに出るには、清澄を倒さなければなりません」

「できるか?」

「当然ですわ」

 透華は振り返り、衣と目を合わせた。

「宮永咲は……私が引き受けます」

 

 

 北陸新幹線 上り車内

 

「なんや長野っちゅうのは魔境みたいなもんやな」

「ええ、そうですな」

 二人掛けの座席に姫松高校、愛宕洋榎と末原恭子が座っていた。二人は龍門渕高校との練習試合で、あの天江衣と冷たい龍門渕透華を相手に、ほぼ互角の闘いを繰り広げた。

「あそこの他に、宮永妹もおれば原村も片岡もおる。おっそろしいとこやな」

「何言うてますのや、主将は一歩も引かんかったやないですか」

「そらそうや、引いたら私の負けやからな」

 洋榎は何気なく言っているが、恭子にはその恐ろしさがよく分かっていた。愛宕洋榎は自分スタイルに完全なる自信を持っている。全くぶれない、まるで岩のようであった。負ける時でさえも自信をもって負ける。洋榎にとって、勝ち負けはただの結果でしかなく、彼女の闘いの本質は、いかに自分のスタイルで相手を圧倒するかなのだ。だから強い。紛れもなく強い。

「恭子はどうすんのや? こないだの作戦に変更ないか?」

「ええ、精々、あの姉妹の足を引っ張ります」

「もったいないな、あの龍門渕はんと闘えるんやから、普通に勝負してもええんちゃうか?」

「……まあ、妹は泣かしたりますけど」

「そやな、3回目はさずがにな」

 恭子は照れくさそうに笑った。

「主将はどうですか?」

「まあ、見せつけたるわ」

「……あれですか?」

「そうや……格の違いをな」

 

 

 三箇牧高校 宿泊ホテルロビー

 

「遅くなってすまん。色々と寄る所があってね」

「ええよ、まだ8時やし寝るのは早いで」

 藤田靖子は荒川憩の独特な話し方が好きだった。小鍛治健夜によって搔き乱された心が安らぐ気がしていた。

「ここじゃなんだから、そこの茶店に入ろうか?」

 靖子はホテルに併設されている喫茶店を指さした。憩も頷き、二人で入店した。

「何頼んでもいいよ」

「そうですか……じゃあ、このコーヒーで」

 メニューに目を向けた。“スペシャルコーヒー”と書いてあった。値段は2000円。

「に、2000円」

「だめですか」

「い、いやいいよ……」

 せっかくなので靖子も同じものをオーダーした。そしてそれが運ばれてきた。

「違いがよく分からないな……」

「そうですか、私はおいしいと思うけど」

 靖子は、そのバカ高いコーヒーをテーブルに置いて、本題を話した。

「憩、明日はどうだ?」

「去年は2位やったから、ステップアップをするなら優勝しかないなあ」

「できそうか?」

「うーん、やっぱりチャンピオンは苦手やな。それなりに対策はしてきたけど」

 憩は、言葉とは異なる笑顔で答えた。

「宮永照は止めるのが難しいか?」

「せやなあ、一度止めさえすれば、なんとかなるんやけどな」

 靖子は、再び“スペシャルコーヒー”を手に取り飲んだ。その苦さでしかめっ面になっていた。

「妹は……どうだ?」

「ああ、咲ちゃんなー、あの子おっかないなー」

「だめなのか?」

「まさか……あの子は弱点がありますから」

 憩は日本茶を飲むように、両手でコーヒーカップを持って飲んだ。実に美味そうであった。

「なんやと思います?」

 憩からの質問、靖子はその答えが分かっていた。今日ここに来たのは、本人にそれを確認する為だった。

「宮永咲は……親では上がれない」

「そうですな……致命的ですわ」

 靖子は笑った。それは上下の歯がはっきり見えるほどの強烈な笑いであった。

 


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