咲〈オロチ〉編   作:Mt.モロー

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18.写真

 インターハイ団体戦決勝の試合終了時間は、午後11時を超えてしまった。それは、運営部の想定を大幅に超えていた(運営部は遅くとも9時台で終了すると考えていた)。その為、試合後は表彰式のみ実施され、記者会見やMVPの発表は翌日の午前9時より、別会場で行われることとなった。

 表彰式の終了後、各校の選手たちは、運営スタッフによって、マスコミ関係者から守られながら、車に乗り込んでいた。電車で来ていた清澄高校は、運営部よりタクシーが手配され、帰途についた。

 ――各校、複雑な思いはあるであろうが、ここにインターハイ団体戦は終了した。そして、それは来年のインターハイへの始まりでもあった。

 

 

 翌朝 午前7時 阿知賀女子学院 宿泊ホテル

 

「うう……眠い……」

「シズ、早く着替えて。もうすぐ会場に出発だよ!」

 顔も洗わずにぐずぐずしている高鴨穏乃は、同室の新子憧にどやされていた。彼女は7時30分の出発にあわせて、既に身支度を終えていた。

「今日は制服だからね」

「ジャージじゃダメ?」

「あのねえ……」

 穏乃は、呆れ顔の憧をぼーっと見ていた。

 昨日、ホテルに着いたのは午前1時近くであった。そこからみんなで集まって、いろいろ話し合い、その末にインターハイ4位という結果を何となく受け入れることができた。

 その後解散となり、部屋に戻ったが、穏乃はなかなか寝付けなかった。うとうとし始めたのは3時ぐらいであったが、完全な眠りにはつけなかった。

「憧は……眠れた?」

「全然」

「……」

「シズ! 気持ちを切り替えて!」

「うん……」

 憧に手を引っ張られて、無理やり洗面所に押し込まれた。

(なんだかんだ言って、一番引きずっているのは私なのかな……)

 穏乃は冷水で顔を洗い始めた。そして、その冷たさが、精神的な意味での穏乃の目も覚まさせていた。

(そうだ、昨日、赤土さんが言ってた。来年は今日から始まるって。また、わくわくする日々が始まるんだ……今日から)

 そう思うと、穏乃は何だか楽しくなった。まだやっていないことが沢山ある。原村和とも闘っていないし、大星淡とも再戦したい。そしてなによりも穏乃には、絶対に倒さなければならない相手がいたのだ。

(咲さん、待っててください)

 清澄高校 宮永咲は、もはや恐怖の対象ではなく、自分の目標に変わっていた。彼女のことを考える時、穏乃の顔には、怯えではなく笑顔が浮かぶようになっていた。

 

 

 阿知賀女子学院 移動車両内

 

 やはり、みんな眠そうではあったが、既に来年への一歩を踏み出しているのか、だれも暗い顔をしていなかった。高鴨穏乃は、そんなメンバー達の顔を眺めて薄笑いを浮かべていた。

「何笑ってるの? 記者会見の後でも考えてる?」

 新子憧が、苦笑しながら穏乃に聞いた。

「そうだよ、どこに行く? 東京見物!」

「あー、どこでも連れてくぞ、宥はどこがいい?」

 赤土晴絵が運転しながら助手席の松実宥に訊ねた。

「私は……」

「赤土さん、お姉ちゃんは、今日は別行動だよー」

 言い辛そうな宥に代わって、妹の松実玄が答えた。

「そりゃ、なんで?」

「お姉ちゃんは、今日はデートだよー」

「く、玄ちゃん」

「えー! デート! だれと?」

 穏乃は驚きの声を上げた。その隣では、憧が顎に手を当ててニヤニヤしていた。

「わかったわ、相手は弘世菫でしょ?」

「……うん。試合の帰りに誘われて……」

 憧の推理は当たっていたようだ。宥は顔を真っ赤にして言った。

「玄は心配じゃないの?」

 鷺森灼が2列目の席から後ろを振り返えった。

「女同士だし。それに弘世さんは、きっと悪い人じゃないよ」

「でも、玄さんと同じでおもち好きなのかも?」

「……」

 穏乃は冗談で言ったつもりであったが、玄はそれを真剣に受け止め、考え込んでしまった。

「じょ、冗談ですよ――」

 ――穏乃のスマートフォンが鳴った。それを取り出し、かけてきた相手を確認する。

「和だ……」

 穏乃は通話ボタンを押した。

「はい……和?」

『お久しぶりです。今、邪魔ではありませんか?」

「うん、大丈夫だけど……」

『……』

 原村和は言葉を選んでいた。それはそうであろう。昨日、熱戦を繰り広げて優勝したチームが、敗北したチームに電話をかけているのだから。

「和、昨日のことは気にしないで、私と和の仲だよ、なんでも普通に話してよ」

『はい……』

「それで? どうしたの?」

『今日の午後、穏乃は予定ありますか? 憧、玄さんもですが……』

「それって、会いたいってこと?」

『そうですね、阿知賀のみんなに会いたいですね』

「ちょっとまってて」

 穏乃は通話口を指で塞いでから、みんなに伝えた。

「和からです。私と憧と玄さんに、今日会いたいって」

「いいよー、私も和ちゃんに会いたいよ」

「私も、ほんとに久しぶりだよね」

 玄と憧は、本当に嬉しそうに一発OKを出した。残るは部長と監督の許可をもらうだけだ。

「私は晴ちゃんと一緒に行動するから。いいよね晴ちゃん?」

「ああ、和によろしく伝えてくれ」

 灼と晴絵も笑顔でOKしてくれた。穏乃は通話に戻った。

「もしもし?」

『はい』

「いいよ、四人で会おうよ」

『はい……それが』

「え?」

『こちらから、もう二人いいでしょうか? 一人は優希、あ、片岡優希です』

「片岡さん? いいよ、玄さんもOKって。で、もう一人は?」

『……咲さんです、宮永咲さん』

「……」

 穏乃は無言で、通話口を塞いだ。

「ど、ど、どうしよう……咲さんも来るって」

 その無防備な慌て方をみんなに笑われた。憧にスマホを奪い取られる。

「もしもし和! うん。久しぶりだねー! 咲ちゃんも来るんだって? もちろんOKだよ。 え、穏乃? 穏乃は固まってる。 それで? どこで? ――」

 ――いつどこでの確認を終え、憧は電話を切った。そして、笑顔でスマホを穏乃に返した。

「いい機会じゃない? 昨日の勢いはどこ行ったの?」

「……そうだね。で、場所は?」

 穏乃も笑顔を取り戻して答えた。しかし、逆に憧の表情が疑問を含むものになった。

「それがね……動物園だって。郊外の」

「動物園?」

 確かに疑問であった。原村和とは、ほぼ3年ぶりに会うことになる。きっと、話がはずむだろう。穏乃にも話したいことがいっぱいあったが、和はその場所に動物園という、似つかわしくない場所を指定してきた。憧じゃなくても、なぜだろうと考えてしまう。

(片岡さんか咲さんが動物好きなんだろうか?)

 ともあれ、幼馴染との再会は嬉しいものであり、穏乃はそれを心待ちにしていた。

 

 

 ――予定通りに、午前9時より、団体戦ベスト4の全選手が集まり、MVPと優秀選手の発表式が都内ホテルの一室で行われる。もちろん、それが終わった後は、合同記者会見も実施される予定で、マスコミ関係者は目をギラギラさせていた。

 定刻に式が始まり、進行役の針生えりが壇上に立ち、インターハイ団体戦のMVPと優秀選手が発表された。

 MVPは清澄高校 宮永咲であった。その圧倒的な闘牌によって、白糸台高校3連覇を阻止した実力に、審査サイドは満場一致で決めていた。

 しかし、優秀選手3名の選考は難航した。とは言え、2人目までの選考は全く問題がなかった。その2人とは以下の選手であった。

 1人目は白糸台高校 宮永照。本大会の最多得点、最多和了などの4冠王であり、文句のつけようがなかった。

 2人目は千里山女子高校の園城寺怜。準決勝で敗れはしたものの、その闘いは多くの人に感動を与えていた。

 そして、難航した3人目。白糸台高校 渋谷尭深、清澄高校 原村和、阿知賀女子学院 高鴨穏乃の中から選出されることになったが、その評価は甲乙つけがたかった。結果、審査サイドが選んだのは阿知賀女子学院 高鴨穏乃であった。準決勝での超新星 大星淡の撃破、決勝でのMVP宮永咲への三倍満直撃など、大物へのキラーぶりが高く評価されたのだ。

 その後、合同記者会見が開催された。一言でいうのなら大混乱であった。多くの記者の質問が宮永姉妹に集中し、収拾がつかなくなった。その為、運営側は予定されていた時間を大幅に短縮して強引に終了させた(それが大混乱を招いたとも言えた)

 選手達は、再び、運営スタッフに守られながら、会場を後にすることになった。

 

 

 東京郊外 動物園入り口前

 

「穏乃!」

「やあー和! 相変わらず時間ぴったりだねー」

「はい。でも、結構慌てました」

 幼馴染の原村和達は記者会見の会場から直接来たのか、清澄高校の制服のままであった。

「本当だ。セーラーのままだね」

「私達だって同じだよ。あなただけジャージに着替えたけどね」

「憧も着替えればよかったんだよ」

「着替えってそんな簡単じゃないよー。シズちゃんは特別だよ」

 松実玄が苦笑しながら言った。高鴨穏乃は、途中で立ち寄ったトイレで、制服からジャージに着替えていたのだ。

「穏乃は子供の頃からそうでしたね、いつも動きやすい服装ばっかりで……」

 和は懐かしそうに目を細めて言った。

「穏乃ちゃんには私と同じ匂いを感じるじぇ」

「そういえば、優希もそうですね」 

 和は、チームメイトの紹介を始めた。それが嬉しくて仕方のないという素振りであった。

「中学からの友達の片岡優希です」

「よろしく!」

 優希は軽くお辞儀をした後、じーっと憧を見つめていた。

「な、何? 優希ちゃんどうしたの?」

「なぜ憧ちゃんは髪をのばしたのだ? また切って、私と入れ替わって遊ぼうじぇ」

「ええー、だってもう身長とかも違うし……」

「でも、ホントに憧ちゃんの若い頃にそっくりだねー」

「玄……若い頃って、私まだ15なんだけど」

「玄さん、それをいうのなら子供の頃では?」

 そんな何気ない会話にも、穏乃の頬は緩みっぱなしであった。この空間、この時間、それは、穏乃が心待ちにしていたものであった。

「穏乃、咲さんですよ……」

 和の隣には、ショートカットの少女が恥ずかしそうに立っていた。

「初めまして、宮永咲です」

 咲は、昨日とは別人のように優しく微笑み、頭を下げた。

(この人は……こんなに素敵に笑うんだ……)

 少し緊張していた穏乃の表情も、咲につられて笑顔になった。

「咲さん、MVPおめでとうございます」

「ありがとう……穏乃ちゃんも優秀選手に選ばれてよかったね」

 不思議なことに、咲からの褒め言葉は心地が良かった。まるで、親に褒めてもらったかのように、穏乃は童心に帰っていた。

「へへへ」

「あ、なんかすごい嬉しそう。でも私が審査員だったら、和を選ぶなー。凄かったよあの制御は」 

 相変わらずの表情で憧が穏乃をからかった。そんな憧にも、咲は優しく語りかけた。

「うちの部長がね、憧ちゃんがいてくれて助かったって。いなかったら中堅戦で終わってたって言ってたよ。私もそう思うなー」

「そうかな……」

 憧が顔を少し赤くしていた。滅多に見られない顔なので、玄が驚いて憧を覗き込んでいた。

「憧ちゃんも嬉しそうだね」

「玄さんも……凄かった。あんな顔のお姉ちゃんを見たのは久しぶりですよ」

「えへへ」

 玄も同じであった。阿知賀の3人は、完全に宮永咲に懐柔されていた。しかし、それは悪い意味ではなかった。穏乃は、咲へのわだかまりが解消し、普通に話せるようになった。そしてなによりも、久しぶりに会った和の、嬉しそうな顔を見られた。

「ところで、咲ちゃんは何で私達と会いたいって思ったの?」

 憧が咲に聞いていた。憧独特の、打ち解けた相手との話し方であった。

「高鴨穏乃ちゃん、新子憧ちゃん、松実玄さん」

 咲は、それぞれの顔を見ながら名前を呼んだ。

「和ちゃんはね、みんなのことを本当に楽しそうに話すんだよ。だから私も、みんなとお話してみたいと思って」

「咲さん……」

「和ちゃん……」

 顔を赤くした和と咲が、手を握り合っていた。何か空気が変な方向に変わったと感じた穏乃達は、片岡優希に解説を求めていた。

「な、なんなの? この空気は……?」

「慣れが必要だじぇ」

「優希ちゃんはもう慣れたの?」

「まあ、日常茶飯事だからな」

 玄と憧の質問に、優希は淡々と答えていた。

「和って……こんな趣味だったの?」

「さあ……それは、私にも分からないじぇ」

 結構ディープな質問をしたつもりだったが、優希は平然と話していた。明らかに、この手の質問に慣れている様子であった。

 

 

 郊外動物園 エントランスホール

 

 8月の下旬、東京の残暑は厳しかった。時折、風が吹いて穏乃達の髪を揺らしていたが、その風は阿知賀のものとは違い涼しくはなかった。

 ひとまずは、その涼をえる為に、エントランスホールで椅子に座り、冷たい飲み物を飲むことにした。

「でも和、なんでここなの?」 

「それは……咲さんのわがままです」

 穏乃は、そもそも持っていた疑問を和に聞いた。和は僅かに眉尻を下げて答えた。

「咲さん、動物が好きなの?」

 和の隣にいる咲を見た。咲は下を向いていた。

「……だって、だってここには……」

 と、咲はそう言ってから顔を上げた。その目は光り輝いていた。

「花田先輩がいるんだよ!」

「……は、花田先輩?」

 何のことか全然分からない穏乃であったが、咲の勢いに負けて復唱してしまった。

 和が困った顔で、補足説明をした。

「新道寺女子の花田煌さんです。あの人は私と優希の中学時代の先輩なんですよ。玄さんは準決勝で対戦していますよね?」

「花田さん? あの『すばら!』って人」

「玄ちゃん! それを言ってはダメだじぇ!」

 優希が、まずいとばかりに大声を上げた。――しかし、手遅れのようだった。咲が目の輝きを増量させて優希を見ていた。

 優希は、仕方がないという仕草で立ち上がり、咲に向かって言った。

「ほほう、おねだりですかな? おぬしも好きよのう……」

 咲は、弾けるような笑顔で席を立って、優希から離れた。

 優希は手を顔の前にクワガタのように構えて咲と向き合った。

「宮永さん! MVPおめでとうございます。すばらですよ!」

「そうかな……」

「でもそれは見せかけですよ! 私と対戦していませんから! 来年は私に合わせて先鋒になって下さい!」

「えー、それはちょっと」

「すばら! ならば今ここで勝負してあげます」

 優希はそのままの格好で咲を追いかけた。当然、咲はそれから逃げる。

「和ちゃーん、助けてー。オオスバラクワガタに襲われるー!」

「咲さーん、逃げて下さいー!」

「分かったー!」

 無意味な逃走であった。咲は、あっという間に捕まってしまい、その両腕に挟まれて楽しそうに笑っていた。

 さすがの穏乃も呆れ果てて、苦笑いしながら和に聞く。

「何……この茶番は……?」

「失礼な……これは咲さんのお気に入りのオオスバラクワガタです」

「オオスバラクワガタ?」

「以前、花田先輩の写真を咲さんに見せたら、クワガタに似てるって大騒ぎして……」

 咲を擁護していた和だったが、話しているうちに、穏乃と同じ苦笑いになっていた。

「そういえば……」

 玄が何かに気がついたのか、全く関係のない方向に顔を向けた。穏乃もそちらを向くと、ある看板が目に入った。“大クワガタ展 開催中”

 一瞬思考が止まってしまった。

(まさか……これが理由?)

 側にいる玄の様子がおかしかった。口に手を当てて、ブルブルと震えていた。

「く、玄さん?」

「ここにも……沸点の低い人がいたわ」

 必死に笑いを堪えている玄を見て、憧も苦笑いで言った。

 その苦笑い三人衆は、ほぼ同時にドリンクを手に取り、ストローで飲んだ。

「ごめんなさい……、優希がここの広告を見つけてしまって」

「いいよ、こうやって和と会えたんだから」

 謝られる理由はなかった。懐かしい和にこうやって会うことができたのだ、場所やシチュエーションは関係ない。申し訳なさそうにしている和に、穏乃は笑顔で答えた。

「和ちゃーん、早く入ろー!」

「咲さーん! そんなに走ると、また転びますよー!」

 動物園の入り口付近に向かって咲と優希が一緒に走っていた。和は心配そうに立ち上がって注意をしたが――それは無駄に終わった。

「ああ……」

「だ、大丈夫なの咲ちゃん?」

 結構な勢いで転んだように見えたので、憧も心配になっていた。

「ええ、転び慣れてるので、咲さんは受け身が完璧です」

「……」

 しかし、それは冗談ではなかった。咲は、すぐに立ち上がり、優希と一緒に券売機の前に並んでいた。

「あなたも大変ね……」

「本当に……。すぐ転ぶ。一人にするとあっという間に迷子になる。もう……大変です」

 『大変だ』とは言いつつも、その和の表情は、子供の頃によく見た、彼女の嬉しい時の表情だった。

「和、嬉しそうだよ?」

「そ、そんなことありません!」

 その表情も良く知っていた。照れ隠しの真っ赤な顔。穏乃の記憶にある図星をつかれた時の和の表情であった。

 

 

 動物園内

 

 高鴨穏乃にとっても、こんなに楽しい時間は久しぶりであった。原村和の連れてきた新しい友人、宮永咲と片岡優希は、まるで子供の頃の自分たちのように、はしゃいで園内を巡り、それにつきそう和も笑顔が絶えることがなかった、松実玄や新子憧も同様で、もちろん穏乃もそうであった。そして、そういう時間はあっという間に過ぎていく。ここから見えている太陽は、もう西日になりつつあった。

 ハイペースで園内を周り、みんな少し疲れていたので、パラソル付のテーブルで、休憩を取ることにした。それぞれ自販機で購入した飲み物を手に椅子に座った。

「疲れたねー」

 玄が飲み物を飲みながら言った。穏乃もそれは感じていたが、まだまだ不足であった。この6人でなら、まだ何時間でも遊べる。できれば今日が終わってほしくなかった。

 一息ついた後、咲と優希が立ち上がり、和に向かって言った。

「和ちゃん、私と優希ちゃんで、もう一回花田先輩を見てきてもいいかな?」

「はい、気をつけて下さいね」

 2人は、穏乃たちにもお辞儀をしてから“大クワガタ展”の方向に歩いて行った。

「気を使ってくれたの?」

「ええ、咲さんはそういう人ですから」

 和は優しい目で咲たちを眺めていた。

「昔はこの4人でよく打ったよねー」

「ええ、また打ちたいですね」

「今度、玄さん家で合同合宿しようよ、清澄と阿知賀でさ」

「そうね、桜が咲く頃に」

 阿知賀の3人の提案に、和も懐かしそうに笑っていたが、少し陰が見えた。

「阿知賀の桜は本当にきれいですからね……。でも、その桜には、みんなとの出会いと別れの両方の記憶がありますので……」

「……」

「私がネット麻雀にのめり込んだのは、みんなと離れ離れになったことが原因でした」

 そう言って和は、ちょっとだけ寂しそうな顔をした。

「私は……親の仕事の都合で転校を繰り返して、仲良くなった友達とも、そのたびに別れていました。だから、それは慣れていたはずだったのですが、穏乃達との別れは……本当に辛かった」

「私も……同じだったよ」

 赤土晴絵がいなくなり、麻雀クラブも解散して、憧も別の中学へ行った。和ともクラスが別れてしまい、その時期は、穏乃も独りぼっちであった。それは、泣きたくなるほど辛かった。

「はい……」

 和がそう言って笑ってくれた。穏乃は、長い間引っかかっていた何かが取れたような気がした。だから、もう和とは普通に話すことができる。そう、あの小学生の時のように。

 ――そして、しばらくの間、4人はその頃に戻っていた。阿知賀の話、清澄の話、次から次へと話が出てきた。とりとめのない話も多かったが、4人はその時間を存分に楽しんでいた。

「咲さんて不思議だね」

 穏乃は、僅かに真剣な顔になり、話題を変えた。

「不思議ですか?」

 和が、それこそ不思議そうな顔で穏乃に聞いた。

「実はね……昨日まで私は、咲さんが憎かったんだ」

「このシズが『宮永咲!』って呼び捨てにするぐらいだったんだよ」

 憧が話を付け足した。それを聞いた和の表情が変わった。

「その気持ち分かります……」

「え?」

「私も、咲さんへの初めての感情は憎しみでした」

「和……」

 それは、自虐的な笑顔であった。明らかに和は、咲を憎んでいたことを後悔していた。

「初めての対戦で、私はプラマイゼロを3回連続で決められました……しかも、その後、咲さんはこう言ったんです『自分は麻雀が好きではない』と」

「それって、今年?」

「はい、4月でした……」

 和の性格をよく知っている穏乃達にしてみれば、和が咲を嫌うのはさもありそうに思えた。

「でも、いまは仲が良さそうだね?」

「はい……私の誤解でしたから……」

 玄の質問に、和は正直な答えを返した。そして、穏乃に視線を合わせて、穏やかに聞いた。

「……穏乃は? どうして咲さんを憎んでたのですか?」

「……怖かったんだよ、心底ね。憧に教えてもらった」

「……」

「でも今は違うよ! どんどん咲さんを好きになっていくなー!」

 穏乃も正直に答えた。咲に怯えていたこと、それを憧に指摘されたこと、和には隠す必要がなかった。いや、逆に和に聞いてほしかったのだ。

 和は、そんな穏乃に、今日一番の笑顔で言った。

「そうですね、本当に不思議ですね、咲さんは」

(本当だね……。阿知賀は、先鋒の玄さんから私まで、ずーと咲さんに翻弄されたみたいなものだよ、だから、憎むというのは自然な感情で、こんなに仲良くはできないはずだけど……なぜかな)

 穏乃にも訳が分からなかった。しかし、今日も、これからも、咲と友達でいたいという気持ちには嘘はなかった。

「シズが聞かないから、私が聞くけど、昨日と今日の咲ちゃんはずいぶん違うよね?」

 憧と玄にしても、咲への気持ちは穏乃と同じであろう。だからこそ、知っておかなければならないことがある。聞き辛くはあるが、憧の質問は、その大事なものであった。

「複雑なんです……昨日の咲さんは別人ですから……」

「それじゃあ、咲ちゃんは昨日のこと覚えてないの?」

「いえ、試合は覚えてると思います。でも咲さんは〈オロチ〉の状態は特別だと考えているみたいです」

 和の言った〈オロチ〉。穏乃はその言葉に聞き覚えがあった。

「〈オロチ〉か……大星さんもそう言ってた」

「お姉さんにそう呼ばれたと言ってましたので……」

 この話は和にも辛いのか、哀しそうな表情になっていた。だから穏乃は、話の方向をちょっとだけ変えることにした。

「……和は、〈オロチ〉と打ったことあるの?」

「ありません……昨日初めて見ました」

 わざと自慢げな顔をしてやった。和がムッとした顔になり、してやったりであった。しかし、和は、思いもよらないバイオレンスな反撃をしてきた。

「痛い、痛い、和! つねらないで!」

 和の左手が離れ、彼女も自慢そうに言った。

「私なんか、咲さんと同じ学校なので、毎日対局できるんですからね!」

 本当にムカついた。穏乃も同じ手段で制裁を加えることにした。

「痛い! 穏乃、痛い!」

 長かった。本当に長かった。和ともう一度遊ぶ! それは麻雀だけではない。こうして、あの頃のように、みんなで遊びたかったのだ。

 穏乃は笑った。心から笑った。そしてそれは4人に連鎖していった。

 ――落ち着いてから、和が咲について話し始めた。話の内容は重かったが、和の表情は、暗いものではなかった。

「――咲さんは、東京に来てから、ずっと沈んでいたんですよ。お姉さんとの対決を怖がっているみたいでした」

「お姉さんとは仲が悪そうだよね」

「何年も、口をきいてもらえなかったみたいですね……」

「……」

「でもね、昨日の試合が終わった後、咲さんは本当に明るかった。今までに見たことがないぐらいにね。そして、今日もこんなに……。きっと、お姉さんとの間で、何か、いいことがあったんだと思います」

 和の目には、薄っすらと涙が浮かんでいた。

「和は、咲さんのことが好きなんだね」

「ええ、好きですよ。大好きです」

 玄が目をキラキラさせて、和を見ていた。それに気がつき、和は必死に弁解した。

「そ、そういう意味ではありません」

「えー、どうだか」

 憧もいやらしい目つきで和に言った。

 顔を赤くして俯いていた和であったが、やがて、表情を真剣なものに変えて、自分の決意を呟いた。

「でも……私は、咲さんを倒さなければなりません」

「和……それは譲れないよ。私もそれを人生の目標に決めたんだから」

 真顔で食い下がる穏乃を見て、和は笑い顔になった。

「……そう言うと思いました」

「え?」

「穏乃! 咲さんは強いですよ、中途半端な考え方じゃ私が許しませんよ」

 初めて見る原村和の力強い笑顔、高鴨穏乃は楽しかった。そして、新子憧と松実玄に、その楽しさを伝えた。

「面白いね、本当に面白い。憧、玄さん、麻雀部を復活させて本当に良かったね」

「和! 来年の優勝は阿知賀だからね!」

「優希ちゃんにも伝えておいて、今年のようにはいかないって」

 そう、来年のインターハイは今日から始まっている。憧と玄からも、その意思が和に伝達された。

「はい!」

 和らしくない図太い声での返事であった。

(伝わったよ、和。来年、また来年ここで……みんなで遊ぼう!)

 ――西日は既にオレンジ色に変化して、穏乃達の影を長くしていた。

 宮永咲と片岡優希が戻ってきて、遠くで呼んでいた。

「和ちゃーん、みんなー。あっちで写真を撮ろうよー!」

「でっかい花田先輩を見つけたじょー!」

「はーい、今行きます!」

 6人は“大クワガタ展”前に移動して、大きなクワガタのオブジェの前に並んだ。

「玄さんも入ってよ!」

「えーじゃあだれが撮るの?」

「あちらの動物園の方に頼んではどうでしょうか」

 玄は、すみませんと言って、動物園のユニホームを着た男性に、カメラを渡して戻ってきた。

「お願いしまーす」

 

 

 エピローグ

 

 ――この翌年からの数十年間、麻雀界は“宮永時代”に突入した。それは、暗黒の時代と呼ばれることが多いが、一方では最も華やかな時代との評価もあった。麻雀界の価値観が一変した時代、だれが強いかを競うのではなく、だれが宮永姉妹を倒すかがメインテーマとなる、屈折した時代であった。

 その時代を代表する選手は、姉の宮永照と、妹の宮永咲の年齢から前後2歳までの選手達で、総称して宮永世代と呼ばれていた。

 

 

 ここに、奇跡的な写真が1枚ある。動物園で撮られたらしいその写真には、宮永世代を代表する6人が並んで映っていた。

 写真の左端で笑顔を作っているのは松実玄であった。彼女は、宮永照をして『顔を見るのも嫌』と言わしめるほどのキラーぶりを見せた選手だ。

 そして、その隣には新子憧も映っている。芸術的とまで言われた副露テクニックによって、姉妹の両方に苦汁をなめさせ続けた。

 一段下がって中央のオブジェに抱き着いて笑っているのは、高鴨穏乃で、宮永咲の天敵と呼ばれ、数々の名勝負を繰り広げた。

 その隣で高鴨穏乃の逆側からオブジェに抱き着いているのは片岡優希。“東場の神”、東場だけなら、宮永姉妹をも凌駕するとも言われた強者であった。

 その片岡優希の脇には、宮永咲の永遠のライバルと呼ばれた原村和が笑顔で立っていた。彼女は〈オロチ〉を初めて破った者として歴史にその名前を残す。

 そして、写真の右端で、恥ずかしそうに笑っているのは、宮永時代を築いた一人、宮永咲であった。嶺上開花を主な武器に闘うが、なによりも恐れられたのは〈オロチ〉という特殊な状態での闘牌であった。その支配力は凄まじく“人類最凶”と呼ばれ、原村和に破られるまでは無敵の魔王として君臨していた。

 ――この写真がだれのものかは分かっていない。しかし、この写真に関する逸話が後世に伝えられている。それは、いつの頃であるかは不明だが、原村和の話として記録されていた。

 

 ―中略―

 ――この写真の皆さんには共通の秘密があるとお聞きしましたが?

『私達は玄さんからもらった写真を、大切に大切に保管していました。そして挫折した時や落ち込んだ時は、この写真をこっそり引っ張り出して眺めるのです』

 ――原村さんだけではなく皆さんそうなのですか?

『はい、咲さんや優希にも聞いたことがあります。もちろん穏乃達もです』

 ――写真を眺めていると挫折等は克服できますか?

『気持ちの復活はできますよ、この写真にはそんな力があります』

 ――それはなぜだと思いますか?

『この写真には、私達がどんなに望んでも、決して帰ることのできない、夢のような、美しい時間が、刻まれていますから』

 

 

 

                            団体戦編  完




 初めてあとがきを書きます。
 約1年に渡り、稚拙な文章にお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました。咲<オロチ>編は、この20話で完結となります。
 とは言え、書き残した事が幾つかありますので、外伝的なお話を3話ほど投稿させていただきます。いつになるかは未定ですが、何卒宜しくお願い致します。
 
                               Mt.モロー

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