・モモン、蒼の薔薇のピンチを救う
・アルベド「パンドラ、ゲットだぜ!」
モモンが去った後、蒼の薔薇は王城にあるラナーの私室を訪れていた。
ラナーからの依頼――食糧庫襲撃犯の捕縛――に失敗した事を依頼主に報告するためだ。
依頼の失敗、それは別段珍しい事ではない。想定外の事態に対処が困難な駆け出しの銅や鉄級であれば頻繁に起こりうる事であるのだが、蒼の薔薇はアダマンタイト級――人類最高峰の冒険者である。つまり、蒼の薔薇が失敗したという事は人類では誰も無し得ないという事実に直結する。
一歩間違えれば大混乱の事態に発展したであろうが、幸いなことに今回の依頼は冒険者組合を通さなかったため、彼らが事実を闇に葬る必要は無かった。
だが、そんな些細なことは彼女たちの頭から抜け落ちていた。いま彼女たち――イビルアイを除く――にあるのは王国の存亡に関わる事実を伝えなくてはならない、という使命感であった。
「『民が望む国を創れば良い』、ですか……。王族の一人としては耳が痛い話ですね」
ラキュースが事の経緯を話し終えると、ラナーは困ったような笑顔を浮かべながら心情を吐露した。
そんなラナーの表情を見つめながら、気まずそうにラキュースは尋ねる。
「この事実を……公表する?」
冒険者の道を選択したとはいえ、貴族の肩書も持つラキュースにとって王国の行く末は気掛かりだろう。
だが、イビルアイはそんな事に気を配る余裕は無かった。胸に抱く想いはただひとつ。
――モモンと気まずい別れ方をしてしまったこと。
八本指と魔導国の繋がりをモモンの口から説明されるという全く想定外の状況に流されたとはいえ、結果的には皆でモモンを問い詰めてしまった。対するモモンの反応は普段の優しげな口調ではなく、まるで聞き分けの無い幼子たちを諭すような強い口調だった。思い起こせば、絶体絶命の危機を救ってくれたモモンに礼の言葉すら伝えていない事実に愕然とする。
……怒っているだろうか。
考える程、慚愧の念に胸がぎゅっと締め付けられる。
こんな時すら涙を流せない己の身体が忌々しい。
そんなイビルアイの想いを余所に、会話は続いていた。
「――公表はしません。したところで対処できないのですから」
薄々は予想していた答えに蒼の薔薇の面々は頷くが、心の片隅でラナーならば、という想いがあったため僅かに表情を曇らせる。
「それよりも……」
ラナーにしては珍しく言葉を詰まらせる。
何かを考えているのだろう。目線を下げて床の一点を見つめていたが、やがて独り言を呟くようにひとつの疑問を口にする。
「……なぜ、魔導王の部下はわざわざモモン様に情報を流したのでしょう」
「決まっている! モモンに恩を売るためだ! それしかあるまい!」
モモンの名を出されてイビルアイは即座に食い付く。
実際それしか考えられなかった。如何に強大な力を持つ魔導王でも、モモンの力は脅威なのだろう。
「……そうですよね。それしかありませんよね。……ひとつ確認したいのですが、皆様とモモン様の間で最近何か変わったことはありませんでしたか?」
イビルアイを除く蒼の薔薇の面々は一斉にイビルアイに視線を集めると、ティナが代表して応える。
「イビルアイがモモンさんと連絡を取り合うようになった。まさに通い妻」
ラナーの瞳の色が変化したように見えた――のも一瞬、華のような笑顔を浮かべた普段の彼女に戻る。
「まぁ! それは、おめでとうございます」
「ふん。嫌味か? それも今回の件で全てパーだ。助けても礼の一つも返さない、礼儀知らずな我らに愛想を尽かしたに違いない」
イビルアイの言葉に、彼女を除く全員が申し訳なさげな表情を浮かべる。皆、その事実に気づいていたが、うまく言い出せるタイミングが無かったからだ。
そんな彼女たちの表情を窺っていたラナーは落ち着いた声で告げる。
「モモン様はその程度の事で腹を立てるような器の小さなお方ではないと、お見受けしています。いずれにせよ、もう一度お会いして直接お礼を申し上げるべきですね」
「……そうね。イビルアイ、モモンさんの所へは全員で行きましょう」
ラキュースの言葉に全員は神妙な顔で頷いた。
その後も今回の件の対策について話し合いは続いたが、積極的な解決策が出ないため解散となった。
蒼の薔薇が去ってから部屋に残されたラナーは拭いきれなかった疑問について思考する。
(蒼の薔薇が計画の邪魔になるから始末するための命令と考えていたけれど……蒼の薔薇は生きて戻り、それを救ったのはモモンさんだった。アルベド様とモモンさんはナザリックの同志のはず。なぜこのような茶番を? アルベド様はモモンさんに蒼の薔薇たちを救う理由があるのを知って、それを理由に計画に関わらせるよう動いた……違うわね。純粋に協力関係を築きたかった、というのが一番納得がいくかしら。魔導国も一枚岩ではない? ……いえ、少なくともアルベド様には魔導国とは別の思惑があるようね)
アルベドの思惑まではさすがに考えが及ばないが、導き出した答えに納得する。ふと、鏡に映る自分の姿を見ると濁った瞳に歪んだ笑みをしていることに気づいた。
(これ以上考えるとアルベド様やデミウルゴス様に気づかれてしまうわね……でも、あぁ……早く彼の地で偉大な方々とお話ししてみたいわ。其のためにも、今は計画通り事を進めるとしましょう)
――数日後、エ・ランテルに到着した蒼の薔薇は、真っ先にモモンの邸宅を目指した。
門番に用件を告げると、モモンは外出していないとのことで、驚いたことにモモンは屋敷で待っているという。
イビルアイも中庭から先に進むのは初めてだ。若干緊張しながら、彼女たちは固まって中庭を歩いていく。
中庭から少し離れたところに見える厩舎らしき建物の前には、十人ほどの亜人たちに混ざって魔獣とアンデッドの姿が見えた。あの魔獣がモモンの騎獣――ハムスケなのだろう。亜人の方は恐らく
この様子だけでも多くの種族がこの街で暮らしていることが窺えた。
やがてモモンの屋敷に到着すると、イビルアイは扉を押し開き中に入る。無礼かもしれないが、モモンの屋敷には使用人が居ないことを本人から聞いていたからだ。
奥に進むと――応接間らしき場所で長椅子に腰掛ける全身鎧のモモンの姿が目に入った。
座ったままモモンはイビルアイ達に声を掛ける。
「――よく来たな。何もないところだが歓迎しよう」
モモンに促されて皆、緊張した面持ちで対面の長椅子に座っていく。イビルアイも逸る気持ちを抑えてそれに続いた。
ラキュースが皆の顔を眺めて彼女たちが頷くの見るとモモンに向き直って一斉に頭を下げた。
「危ないところを助けて頂き、本当にありがとうございました。あの場での無礼をお許しください」
モモンは肩を竦める。
「些細な事だ、気にする必要は無い。それよりも皆、無事で何よりだ」
モモンのその言葉を聞いてラキュース達は安堵の表情を浮かべた。
――だが、イビルアイはこれで終わらせるつもりは無かった。王都を出る前から決めていたことを実行する。
右手の薬指に着けていた指輪を外し、仮面に手を掛けゆっくりと……外した。
素顔――白い肌、赤い目、唇から僅かに犬歯――をモモンの前に晒した。
「モモン、今まで黙っていて本当に済まなかった。見ての通り、私はアンデッド――かつては『国堕とし』と呼ばれた
イビルアイは必死だった。今まで隠していた事実、そして今回の無礼に対してモモンに応えるために。
モモンの様子を窺うが、やはり兜に覆われた表情を見ることは出来ない。
するとイビルアイの想いに気づいたのか、今度はモモンが自らの兜に手を掛けて脱いだ。
「仮面を外した相手に対して兜を被ったままでは私の方こそ無礼だな。……別に私は隠している訳ではないのだがな」
兜を外した素顔は黒髪で細目で――そして、英雄と呼ばれるに相応しい優し気な顔立ちだった。ヤルダバオトの件で王城で見たときと寸分変わりない素顔だ。
とはいえ、間近で直視することは初めてであるため、イビルアイは自らの胸が高鳴るような感覚に襲われて咄嗟に胸を押さえた。勿論、心臓は動いていない。だが、この想いは本物だと確信していた。
「……驚いては、いないのですね」
「ああ、以前からそうではないかと考えていた。――第五位階の魔法に高い身体能力を持つ幼い少女が唯の人間では少々無理がある。しかし、『国堕とし』か……だから十三英雄の事も知っていたのだな」
そこからはイビルアイの独擅場だった。今までの想いをぶちまけるように『国堕とし』となった経緯から十三英雄との冒険、今に至るまでの話が日を跨いでも続いた。
長時間の話にも拘らず、モモンは疲れた様子も見せず、時に笑顔で、時に驚いた表情を見せながらイビルアイの話に真剣に耳を傾けていた――二人を除く者は夜も更けた頃、一旦外で宿を取り、明日出直すと言って屋敷を出ていった。
翌日の日も高く上った頃、再びラキュース達がモモンの屋敷を訪れていた。
イビルアイはやり切ったような清々しい表情でモモンと談笑していたが、仲間が姿を現すと普段の不敵な様子に戻って声を掛けた。
「遅かったな。まだまだ話し足りないが……私の話すべきことは大体終わったぞ。次はお前たちの番だな」
「あなたが良くてもモモンさんがお疲れでしょう? モモンさん、長い間彼女の話にお付き合い頂いてありがとうございました」
普段通りのイビルアイと向かい合って微笑んでいるモモンの様子を見て、ラキュースが苦笑しながらモモンに告げた。
「はっはっは、心配無用だ。私はこの程度で疲れるような鍛え方をしていないのでな」
「やっぱ、すげぇな……モモンさんは」
ガガーランが感嘆の声を上げ、ティアとティナ、イビルアイも首を何度も縦に振る。隣の屋敷には魔導王がいることも忘れたかのように、和やかな雰囲気に包まれていた。
「話は変わるが――」
モモンが真剣な表情で口を開くと場の空気が張り詰めた。
「『蒼の薔薇』は魔導王の事をどう考えている」
イビルアイたちは顔を見合わせて、何と答えるべきか判断に迷っていたが……やがてラキュースが口を開く。
「戦争とはいえ、十八万人もの人間を殺す魔法を行使するアンデッド……人の世にあってはならない存在だと思っていました。ですが――このエ・ランテルにおける多種族を平和的に統治することは、魔導王以外には成し得ないものでしょう。王国への工作も……民を救うという点では納得できます」
「これほどの統治を見せる魔導王は素直に『すげぇ』って思うぜ……ここならイビルアイが仮面外して出歩いてても、誰も何とも思わねぇだろうしな」
「ここの民の表情は王国の民と正反対。この統治が続くなら魔導王を認める」
「強大な力を持つ者が平等の支配を行うのはある意味理想。止める者がいないと少し怖いけど」
ガガーラン、ティア、ティナがそれぞれ意見を述べた。モモンが沈黙を守っているイビルアイに顔を向けると、彼女はモモンの眼を見つめて言った。
「モモンは、魔導王を信じたのか?」
彼女たちはモモンを一斉に見ると固唾を飲んで返答を待った。各人に複雑な感情はあるが、結局のところモモン次第ということだ。モモンはイビルアイの眼を見つめて応えた。
「魔導王は善か悪か……その判断は難しい。王国兵やビーストマンのように敵対する者には容赦無く命を奪っている。だが、一方では傘下になる者や救いを求める者には他国の民であろうと慈悲を与えている……あれ程の力があればもっと傲慢に振る舞うものだ」
モモンは一息にそこまで話すと、彼女たちを見まわして続けた。
「――私は魔導王を信じる」
イビルアイはモモンの言葉を聞いて笑顔で応えた。
「モモンがそこまで言うのなら……私も信じよう」
蒼の薔薇が去った後、パンドラズ・アクターはアインズの執務室にてイビルアイから得た成果を報告していた。
「素晴らしいぞ! まさかあの怪しげな仮面の少女がそれほどの情報源だったとはな! 特に八欲王の空中都市にあるという
「はっ。危険性についてはもう少し詳細に聞く必要があるでしょう」
アインズはパンドラズ・アクターからの報告に上機嫌だった。何しろ今まで手探りだったぷれいやーと
「よくやったぞ、パンドラズ・アクター。褒美として何か望みがあれば言ってみるが良い」
パンドラズ・アクターは自然な振る舞いで頭を下げるとアインズに返答する。
「子として、父上がお悦びになられる事こそが何よりの褒美に御座います。ですが、敢えて申し上げますと――イビルアイ及び蒼の薔薇のメンバーの救済をお願いしたく存じます」
(むっ……そうしたいところだが、エントマにはイビルアイの声を与える約束をしてしまったからなぁ。上司として部下との約束を反故にするのは問題だろう)
アインズが悩んでいるとパンドラズ・アクターが続けて言った。
「父上が悩まれているのはエントマ嬢への褒美の件ですね。その件で、アルベドにエントマ嬢を連れてくるようお願いしております」
(アルベドを呼び捨て? いつからこいつらそんな仲に……いや、子供同士、仲が良いのは喜ばしいことだが)
「それから父上、ちょっとお耳を――」
パンドラズ・アクターはアインズの隣に立つと耳元で囁いた。お付きのメイドに聞こえないように配慮したのだろう。
「――それで良いのか?」
「はっ、父上からお伝え頂ければ」
アインズとしてはエントマを騙しているようで微妙な気分に陥ったが……背に腹は代えられないとも言うし、と深く考えないようにした。
暫くするとドアをノックする音が聞こえる。中に入ることを許可するとメイドが扉を開けて二人が部屋に入ってきた。
「アルベド、ご苦労だった。……エントマよ、わざわざ呼び出して済まないな」
「はっ、アインズ様のお呼びとあれば如何なる時にも馳せ参じます」
エントマは頭を下げたままアインズに返答した。
「まずは面を上げよ。お前を呼び出した理由は……既にアルベドから聞いているのだろう?」
「はっ! イビルアイという者の声を頂く件は、謹んで辞退させて頂きます」
「そうではない。……いや、そうなのだが……エントマ、今のアルシェという者の声に慣れ親しんでしまったのか、可愛らしいお前には今の声が合っていると、私は考えている。イビルアイの声はハスキーでお前の良い部分を消してしまいそうでな」
エントマの表情は相変わらずだが、両手をばたつかせている様は一目で慌てているのが分かった。
「わ、わたしが可愛いだなんてぇ、そんな勿体ないお言葉をぉ」
こほん、とアルベドが咳払いする。それは大きな咳払いだった。それに反応してエントマの動きがぴたっと静止する。
「――という事でエントマには後日、改めて別の褒美を用意しよう」
「はっ! 有難きお言葉」
アインズは手を振るとエントマとアルベドに告げる。
「ではアルベド、エントマよ。下がるが良い」
「はっ!」
二人が退出するのを待ってからパンドラズ・アクターが口を――開いたままだが――開く。
「父上、では蒼の薔薇は――」
「感服したぞ、パンドラズ・アクター。この根回しも含めて、な。――蒼の薔薇はアインズ・ウール・ゴウンの名に於いて保護することを約束しよう」
愉快そうに笑う父の姿を見ながら、パンドラズ・アクターは全身で喜びを感じて父に向かって敬礼していた。
個人的な妄想によるイビルアイの救済ルートです(もう少し続きます)。
オバロの謎の半分を占めると言われている250年の知識がイビルアイの切り札。ニニャの日記より効果は抜群ではないでしょうか。
イビルアイが心を開かないとダメ+それだけではエントマ問題は解決しないので、モモンさんに頑張ってもらえば、と考えてこの話はスタートしました。
急がないように、展開がご都合にならないように苦心したつもりですが…面白くするのは難しいですね。
誤字報告有難うございます。修正しました。