『今、両校の選手が審判艦『八丈』後部甲板に整列しました。なおこの試合は主審を神奈川県軍艦道協会理事、宗谷真霜、副審は平賀冴が務めます!!』
美野里響子の声がスピーカーを通して響き渡った。
主審を務める真霜は選手たちの前に立っていた。
「ただいまより、横須賀女子海洋学校『晴風』と横須賀宇佐マリーン学園『ホノルル』による単艦戦を行います。なおこの試合は日本軍艦道連盟の定める公式規則にのっとって行われるものとします。スポーツマンシップにのっとって気持ちの良い試合をしましょう。気をつけ! 礼っ!」
「「「お願いしますっ!」」」
あいさつの後、お互いの生徒たちが自分たちの艦に戻る中、
「み、ミケちゃんっ!!」
明乃を引き留める声がした。
「…………」
明乃は立ち止まる。自分のことをこの名で呼ぶのは、ここには一人しかいない。
「もかちゃん……」
振り返ると、群青色の将校服に身を包んだ知名もえかが立っていた。
「えっと、その……。元気だった? ミケちゃん」
「うん、もかちゃんも……」
明乃は震えそうになる声を必死で抑える。無意識に明乃は後ずさっていた。
もえかはそんな明乃に駆け寄る。
「あ、あの、がんばろうね! 試合!」
「艦長! こんなところにいたんですか!?」
気まずい空気を切り裂いたのはましろだった。
「まったく、他のみんなはもう乗り込んでますよ! 艦長が遅れるなんて、まったく」
そういってましろは明乃の腕をとるとそのまま明乃を引っ張ってずんずんと行ってしまう。
「ミケちゃんっ!」
もえかは叫んだ。
だがそれに振り返ったのは、
「…………」
ましろだった。
明らかに敵意をにじませた顔でもえかをにらみ、そして何も言わずに明乃を連れて晴風のタラップを登っていった。
「ミケちゃん……」
あのまま彼女を呼び止めて、自分はなんて言葉をかけるつもりだったんだろう。そんな問いがもえかの胸に広がる。
「ヘーイ! キャプテン! もしかしてあの子がキャプテンの元ガールフレンド? とってもプリチーね」
「黙って」
「ふぎゃっ!?」
ひたすら空気の読めないハリウッドのみぞうちにひじ打ちをくらわせると、もえかは制帽を深くかぶり直して晴風に背を向けた。
ただひたすらの後悔と、こんな状況になってもなお言い訳をしてしまう自分の醜い心を軽蔑しながら。
――――――
「被弾っ!!」
あの日あの時。戦艦信濃艦橋に立っていたもえかは、あまりの衝撃に倒れ込んでしまった。
「被弾箇所! 艦橋直下!」
「被害微小! 戦闘に問題ありません!」
「通信装置に若干の異常! 大丈夫です、すぐに復旧できます!」
優秀な艦橋要員たちが矢継ぎ早に報告を上げる。どうやら、大したことはないらしい。もえかは立ち上がり、戦闘指揮に戻ろうとする、が。
「艦長! 筑摩が艦隊を乱してこちらへ!」
「どういうこと!?」
夜戦のためよく見えないが、信濃と敵艦隊の間に影が躍り出ているのがわかった。
「艦橋がやられたと思ってるんじゃ……」
「筑摩に発光信号! 至急陣形に戻るように!」
このままじゃ筑摩が狙われる。そう思いもえかは指示を飛ばした。しかし、
「待ってください、艦長」
これに副長が異を唱えたのだった。
「このまま筑摩をおとりにしましょう」
「何言ってるの!」
もえかは怒鳴った。長野艦隊は、決して人を犠牲にした勝負をしない。これはもえかが心に誓っていたことだった。何よりこんな事、筑摩艦長の明乃が認めるはずがない。
それでも副長は、意見を曲げなかった。
「現在我が方は敵の火力に押され陣形が乱れつつあります! これでは我々の得意とする戦法が崩されてしまうんですよ! 今なら筑摩一隻の犠牲で陣形を整え直せます!」
「でも……」
「負けてもいいんですかっ!?」
もえかの心が動いた。
長野県初の快挙。前例のない結成3年目で決勝進出。絶対女王宇佐マリーンの牙城を崩せるか。
いろいろな言葉が脳裏をつら着く。
地元の期待。家族や親類、友人たちの応援。何より故郷を背負っているという思い。
「わかった」
大丈夫。ミケちゃんならわかってくれる。
「発光信号で前後の艦に指示。……筑摩には、わからないように」
なぜ筑摩への通信をしなかったのかは、もえか自身分からなかった。ただ失念していたのか、自分にも明乃の説得が面倒だという思いがあったか。
ただはっきりしているのは、このもえかの行為は明乃の自分に対する信頼を深く傷つけたこと。そして名誉ある勝利と引き換えにかけがえのない親友を失ったこと。この二つだけだ。
――――――
晴風は順調に航海を始めた。
「……大丈夫でしたか? 艦長」
晴風の艦橋に入ったましろは、そっぽを向いたまま明乃に尋ねた。
「うん……。ありがとう、シロちゃん」
明乃は少しだけ寂しそうに答える。
「いえ、試合前に体調を崩されても困るので」
「あれ? シロ顔真っ赤ジャーン」
「うるさい西崎さん! 余計なことを言うなっ! あと宗谷さんもしくは副長とよべっ!」
にやにやしている芽衣をましろは叩いた。
「たしか、向こうの艦長は岬艦長のお知り合いなんですよね?」
二人の事情を知らない幸子は無邪気にそう聞いた。
「う、うん。なんだか久しぶりに会えた気がして、ちょっと動転しちゃんて」
明乃は明るく答えた。芽衣はさらにちょっかいをかけるように、
「お、これはあれ? シロにライバル登場?」
「なんのだ」
「さあねぇ~」
そう言ってわざとらしく口笛を吹く。
こんなやり取りが何十分か続いて、
「あ、あの~。もうすぐ試合開始ポイントです」
鈴が遠慮がちに報告した。
「ありがとう、鈴ちゃん。つぐちゃん、『八丈』に通信お願い」
『りょうかーい』
電信員八木鶫は、審判艦に通信を入れる。そしてしばらくして、
『ニイタカヤマノボレ!!』
鶫の声が伝声管を通して晴風に響いた。
「ニイタカヤマノボレ」は軍艦道において試合開始を合図する通信文だ。この通信が届いた瞬間、すべての戦闘行動が許可される。
明乃は腕を振り上げた。
「おーもかーじ、30度よーそろー! 両舷原速前進!」
「おーもかーじっ!」
晴風の機関がうなりを上げた。
そして明乃はましろの方を振り向く。
「シロちゃん、Z旗を上げて」
「Z旗ですかっ!?・・・・・・わかりました」
普通なら絶対にあげない旗、Z旗。ましろは他の乗員にこれを伝えるべく、伝声管に向かって声を張り上げた。
「Z旗掲揚っ!」
明乃もましろの声に続け、この旗に込められた意味を読み上げる。
「我が校の興廃この一戦にあり! 各員一層奮励努力せよっ!!」
軍艦道におけるZ旗とは、艦隊戦決勝において掲げられる、いわば絶対に負けられない試合の前に士気を高めるための旗だ。
普通単艦戦、それも地区予選であげられるものではない。だが、この試合は横須賀女子にとって文字通り興廃をかけた一戦なのだ。
「『仁義なき作戦』発動!!」
「「「了解!!」」」
艦橋から、機関室から、射撃指揮所から、明乃に答える声がする。
「晴風」は乗員31人の思いを乗せ、大海原に航跡を描くのだった。