おまけ「軍艦道のひみつ(民明書房刊)」より抜粋
「軍艦道の歴史」
倭寇。中国明代に東シナ海に出没した海賊の総称である。日本人や中国人などで構成されており、西日本にはこの倭寇の拠点となる村が多く築かれた。
やがて戦国時代に入ると、倭寇の村々でも男たちは戦へと駆り出されることとなる。代わりに船を操り貿易船を襲って生計を立てるようになったのは、村に残った女たちだ。
江戸時代になると、この女倭寇は「船薙刀」と呼ばれる武術として確立した。船薙刀は瀬戸内海で発展し、いくつもの流派が生まれることとなる。
この歴史が大きく動いたのは、幕末だ。海防論の高まりとともに船薙刀は注目を集め、沿岸防衛の要として幕府から奨励された。
かの坂本龍馬を輩出した坂本家も、船薙刀の家系であったという。龍馬は海援隊を設立した際、船薙刀の使い手を商船の警護として重用した。これがブルーマーメイドの始まりだ。
一方、船薙刀も大きく形を変える。竜馬の妻、お龍は船薙刀に西洋から輸入されたスポーツの概念を取り入れ、近代競技としてこれを確立させた。さらに沿岸防衛の観点から、船薙刀に当時としては最新鋭の大砲や軍艦が導入された。こうして普段から武器に親しむことで、戦時には優れた兵士を養成するという目的から軍艦道はスタートしたのだ。
時代は下って1941年。
日米交渉妥結によって日米開戦の危機が過ぎると、対米英戦用に大量建造された軍艦が無用の長物となったのだ。これにより軍艦道で使われる軍艦はこの時の(ルールブックではポツダム宣言(国際連合設立に関する世界宣言)発表の1945年8月15日までに建造、もしくは計画されたもの」が主流となった。
事情は欧州でも同じである。ナチス・ドイツがフランス・東欧占領後、イギリスと講和を結んだため欧州は全体的に戦車・軍艦などの武器が余るようになったのだ。ヒトラー暗殺後のドイツ内乱を経てもなお、武器はだぶつき、それらを使って戦車道・軍艦道が盛んとなっていく。
「仲が悪いの? 軍艦道と戦車道」
一言でいうなら、悪い。特に日本は。
それには、前述の両競技の歴史がある。
近代武道として確立したのは軍艦道の方が先だ。しかし、その前身となる船薙刀、馬上薙刀となると、江戸時代に確立した船薙刀に比べ、馬上薙刀は平安時代から続く伝統がある。
そのため双方が双方を「新参者」といい、自分の方が歴史があると主張している。
また戦車道は陸軍。軍艦道は海軍が支援したため、陸海軍の不仲が競技レベルまで引き継がれているのだ。
今、戦車道の方がプロリーグ発足、世界大会開催などで乗りに乗っている。軍艦道もこれに続けるのか、これからの活躍に期待だ。
「豆知識」
運動会などで名物となっている騎馬戦。実は騎馬戦は、馬上薙刀と船薙刀が起源である。
船薙刀は「刀手」「櫂手」「漕手」などから成り立っている。これはそのまま、馬と乗り手に分業する騎馬戦に引き継がれ、馬上薙刀のルールでこれを行うことになったのだ。まさしく両競技の融合した姿が騎馬戦なのだ。
私たちの身近にも、軍艦道と戦車道はあるだ。
(「軍艦道のひみつ」民明書房刊、軍艦道研究会著より一部抜粋)