男である筈の人間が、ある日、女の子になってしまいました。なんて言ったならば、皆が口を揃えて言ってくるだろう。小説・漫画の読み過ぎだ、と。
しかし、現実は小説より奇なり。
その『奇』がこの身に降りかかってしまえば、常識など考えずに受け入れるほかない。
「どうしたもんかなー……」
「どうしたんですか、ヤマカさん」
「あ、ハムヒト」
「僕はハムヒトじゃなくて
「実は気になることがあるんだけどさ」
「無視ですか……で、気になることって?」
この家の主である男――ハムヒトは、明らかに人でない格好の俺なんかを快く居候させてくれた命の恩人である。
「俺って男と女、どっちに見える?」
「……へ? そりゃまあ、少なくとも男には見えませんけど……」
「ふむ……」
俺の体を伏し目がちに観察していたハムヒトが、俺と目を合わせてくる。なんだかこちらが目をそらすのも負けたようで癪なので、じっと見つめ続けてやる。
あ、目をそらした。俺の勝ちである。
そして若干顔が赤いぞハムヒト君よ。
「……ヤマカさんは、男だとか女だとか、たまにそういうこと聞いてきますよね」
「まあ、ね……」
読みかけの本を床に置き、自分の身体を見下ろす。
「なんていうのかな……まあ、あれだよ」
男物の白いTシャツの下にある体は、人間の男だった頃の名残りなど一切ない。浅黒い、いわゆる褐色肌。そんな小柄な少女。
肩越しに背中を見れば、小悪魔を彷彿とさせるファンタジーなオプション。小さな翼が一対と、先端がハート型の尻尾だ。黒く滑らかな薄皮の下で脈動する血管。その生々しさが、羽や尻尾はコスプレグッズなどではないと証明してくる。
普通じゃない。
この体は、普通じゃない。
俺は人とかけ離れた奇怪な存在、化け物なのだ。
「俺って、こんなだしさ。傍から見て、どうなのかなって」
「確かにヤマカさんは僕たち人間とは、大分違いますけど……だからって特に何も思いませんよ」
そう、俺はハムヒトのような人間とは違う。しかし――
昔は普通だった。普通の、どこにでもいそうな、平凡な容姿の人間の男。
ハムヒトに引き取られる以前は、人間だったのだ。
しかしそれを言ったところで、信じてくれないだろうことは明らかなので黙り込む。
「ヤマカさんは十分女の子らしくて、可愛いです」
「さらっと口説いてくるのな……」
「べ、別に口説いてるわけじゃ……!」
「じょーだんっ。いわゆる俺の可愛い冗談、ってやつだよハムヒト君」
未だに一人称は『俺』、仕草も男のそれだ。それのどこが女の子らしく可愛いのか。
まあ、悪い気はしない。
こんな状況下で、自分を肯定してくれる相手というのは中々嬉しい存在だ。それに誰だって褒められるのは嬉しい。
「ほんとに口説いてなんかいませんって! ただ、ヤマカさんが悩んでるみたいだったので……」
「分かってる。分かってるって」
顔を真っ赤にして。本当にからかい甲斐のある男だ。
俺も昔からこのくらい素直な人間だったなら、きっとこんな化け物にならずに済んだのだろう。
俺には時々、目の前の男がとても眩しく見える。そして同時に、怒りも。
その怒りは、自分自身に向けたものだ。
俺は来留主公人の善意につけいって、呑気に生き延びているのだから。
「でも……ありがとうな」
「あ……はい」
でも俺だって最近は、素直に感謝の言葉を述べれるようになったのだ。
以前は、他人からの善意に対して『ありがとう』なんて滅多に口にしない、恩知らずな人間だった。
こうも変われたのは、この体になって、人の善意がどれほど尊いものか身にしみて理解できる機会があったからだろうか。
以前の男な俺も真っ青になってしまうほどの好青年。そんな彼の善意がなければ、俺は今頃、野垂死にしていただろう。
「ハムヒト君や」
「なんです? あとハムヒトじゃなくて公人です」
「鶴の恩返しって、知ってる?」
「え……?」
「知らないのか?」
あの間抜けにも罠にかかった鶴ちゃんが美少女に化けて子作りしにきちゃいましたーってやつ。いや、作りにきたのは
「あ、いえ、別に知ってますけど……でもなんで急に?」
ああ、そうだ。
「いや、ただなんとなくだ。アレ読みたくなったなあって」
恩返しをしよう。
「絶対に返すからな。それまで待っててくれ」
「返す……? 僕、ヤマカさんに何か貸しましたっけ?」
「うん、貸した」
「う〜ん……なんだろう……」
失敗して、投げ出して、あげく姿まで変わってしまった俺を救ってくれたこの青年に、俺は必ず恩を返そう。
それが俺の天命なのだ。
――
公人は、なんとも気前の良い男である。
「ハムヒトや、俺に何か頼みたいことってない?」
恩返しとは、相手の喜ぶことをしなければならない。その調査の為、こういった質問を暇なときにするのだが……
「頼みたいこと、ですか」
「おう」
「うーん、今は特にないですね。ヤマカさんはゆっくりしてて下さい。僕って何かしてないとダメになっちゃうタチでして」
「むう、そうは言ってもだな……」
「んー、えっと……じゃあ、あとで味見お願いしていいですか? 今日の晩御飯のハンバーグ」
「何!? ハンバーグとな! ……是非とも味見させてもらおう」
「はい、お願いしますね」
こういったように上手い具合に逃げられる。俺は返さなければならない恩が増えていく。
この男……できる。
気前良すぎて、こっちがダメな人間になりそうでこわい。いや、もう人間ではないか。
こんな素性も知らぬ小さな化け物相手に、この男もよくやるものだ。
「それにしても、ヤマカさんはお肉使った料理が好きですよね」
「ん、まあな……前はどっちかというとベジタリアンだったんだけども」
「それ、嘘ですね」
キメ顔でそう決めつけてくるハムヒト。
腹立つな。イケメンだからって何しても許されると思うなよ。
「だってヤマカさん、サラダ作ってもあんまり食べないじゃないですか」
「む……」
確かに最近は、昔のように野菜を好んで口に運ばなくなった。
無意識のうちに箸を持った手がサラダから離れていくのだ。そうして離れた先にあるのは、肉系の料理。
思うに、やはりこの姿になった弊害だろう。この身の丈140ほどの小悪魔は、肉食系女子って感じだ。
「この際言いますけど、せっかく作ったものを美味しくなさそうに食べられるのって、結構心にグサグサくるんですよ?」
「う……すまん。ちゃんと食べるから……」
「じゃあ、今日もサラダ出しますから食べて下さいね」
「……はい」
何はともあれ、この男相手に恩返しは至難であると改めて分かった。
――
昨夜のハンバーグは、美味だったと言っておこう。
ただまあ……
その後の、サラダオンリーは地獄だったと言っておく。
ボウルに山盛りにされた野菜を全部平らげろだなんて、あの男は見かけによらず鬼畜らしい。
「ヤマカさんのことを思って、ハムで巻いて食べるサラダだったのに、ヤマカさんがそのハムを先に全部食べちゃったんじゃないですか」
「うぐ……」
淡々と告げられた内容は、どう聞いても俺の自業自得でしかないものだ。ヤマカたんすごくつらたん。
「それに全部食べろなんて言ってませんよ。ほとんど僕が食べてあげたじゃないですか」
「さようでした……」
はい、実を言うと話を盛りました。申し訳ありませんハムヒト様。
「まあいいです。とりあえず今は、ショッピングを楽しみましょうよ」
そう言って、俺の手を取ってくるハムヒト。
元男な俺自身としては、中々微妙な気分になってしまう。が、周りがこの状況を見ればどうなのだろうか。
男物のブカブカなパーカーを着てフードを目深に被っている褐色少女を、笑顔の爽やかな好青年が手を引く。
うむ、微笑ましいな。公人が爽やか好青年であるおかげか。
これがもし、変身前の俺みたいな男が手を引いていたならば、犯罪の臭いしかしない。ごーとぅーぷりずん。
「ヤマカさんの手、ちっちゃ可愛いですね。それにとっても、あったかいです」
「……。まあな。この体はいつでもホットなんだぜ」
「じゃあ冬になったら、あらかじめ布団にヤマカさんを入れておいたらすごく気持ち良さそうですね」
「俺は湯たんぽかよ。あと俺の手をニギニギすんな。気色悪い」
「口が悪いですよ」
ハハッと笑って手を引いてくる公人。夢の国に連れていかれそうだ。やだネズミこわい。
――手を繋がれるなんて、いつぶりだろうか。
母親と手を繋いでいたことを思い出す。遊園地に行けるお金なんて無くて、けれど小さい俺はごねて、母親が近くの河川敷に連れて行ってくれて……それで……
「ヤマカさん……?」
なんだこいつ。急に立ち止まって顔を覗いてくるとか。
しかも顔が異様に近い。
俺がお前に恩義を感じて、この状況を仕方なく、本当に仕方なく受け入れていることに付け入って、何をする気だ。
「別に何もする気はないですけど、なんか辛そうですよ? 疲れました……? 結構歩きましたし」
「……顔に出てたか?」
「いえ、そんなには。ただ、僕は結構他人の機嫌に敏感なんで」
ドヤ顔スマイルは、非常に腹がたつのでやめろ。
「――で、何か辛いことがあったんですかヤマカさん」
「む……」
フードを被っているせいで口元しか見えない筈なのに。
どれだけ敏感なんだよ。俺のことジロジロ見過ぎなんじゃなかろうか、この変態は。
「……いや、何もねえよ。辛い顔なんてしてない。見間違いだろ」
「本当ですか?」
しつこい奴だ。
「じゃあそうだな……。ハムヒトお前、ちょっと握る力が強くて痛い」
「あ、すみません」
よし、どうにか話をそらすことが出来た。
「僕って誰かの手を握るなんてこと、慣れてなくて」
「へぇ……」
意外だ。
この男は文句なしにイケメンと言えるので、女の子の手なんて腐るほど握ったことがあるとばかり思っていた。
「でも大丈夫ですよ。これからは、ヤマカさんで慣れていきますから」
「…………」
それはもしかしなくても「今後も幾度となく手を繋ぎますよ〜」と、そういうことか。そういうことなのか。
ちょっと勘弁してほしい。
「さ、目的地はもうすぐですから。あと少し頑張って歩いてくださいね。服を買い終えたら、お昼にしましょう」
お昼……だと? ということは、今日の昼は外食か。
「よっしゃ、頑張るぜ」
「その意気です」
テンション鰻登りで、ふんすふんすとガッツポーズまでしていたら、笑われてしまった。
人の行動をあざ笑うとは、なんと無礼な。矯正してやる。必殺金的クラッシュ。それは矯正じゃなくて去勢。
「危ない危ない」
「ぐぬぅ」
必殺技として振り上げた右足は、いとも容易く止められてしまった。まあ当てるつもりは、さらさら無かったわけだが。
「この日のために、頑張ってバイトしましたからね。ヤマカさんの好きな服、たくさん買いましょう」
「…………」
男の頃は貯金なんてせず、常にその日暮らしだった。
そんな俺はある日小さな女の子になって、働けなくなって、文字通り一文無しになった。
今俺がこうやって生きれているのは、全部目の前の青年のおかげだ。
その善意に、返せるものが何もない。それが、どうにも息苦しい。
「前にも言いましたけど、そんなに気落ちしないでください。僕が好きでやってるだけですから。ね?」
俺が何も出来ない自分に苦しむと、この青年は決まってこう言ってくる。
その度に俺は、途方もない罪悪感に苛まれる。
でもだからと言って悲しめば、この青年に余計迷惑がかかってしまう。
だから今は押し殺して……
「ありがとうな」
感謝を述べるのだ。
「……気にしないでください。スカートとか、フリフリなやつとか、買ってあげますよ。女の子は可愛くオシャレしないと。この前テレビで言ってました」
「スカートもフリフリも嫌だ」
断固拒否である。
この男にそんな入れ知恵をしたそいつには、鉄拳制裁をお見舞いしてやろう。
「どうしても、ですか?」
「どうしてもだ」
「はぁ……」
明らさまに肩を落とすハムヒト。
「バイト大変だったんですよね〜。ほんと、この日のために色々頑張ってきたんですよね〜」
「うっ……」
「あぁ……、誰かさんがスカートとフリフリを着てくれないとなると、この努力は無駄になるんですね……」
「ち、ちらちらこっちを見てくるなよ……」
ため息をつき、まあ少しくらいなら着てやるかと妥協する。
今の俺が彼の為にしてあげられることは、少ないから。
「……お前がどうしてもって言うなら、考えてやらんこともない」
「なんか偉そうですよ」
「わざとだ」
まったく本当に何が楽しいというのか。
嫌がる相手にフリフリスカートを強要するのが、そんなに楽しいか。この鬼畜め。
「ほら、行きますよ!」
「ちょっ!? ま、待て! 俺はあくまで考えてやるって言っただけで……!」
「減らず口なんて聞く耳持ちませんよーっ」
「な!? ちょ、引っ張るなあ!」
どれほど連載していくかは未定ですので、とりあえずは短編小説として投稿させていただきました。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。