となりの相模さん   作:ぶーちゃん☆

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となりの相模さん

 

相模と並んで歩く帰り道。

先ほどまでの向かい合っての時間も悪く無かったが、やはり相模とはこうして隣り合っている方がしっくりくる気がする。

なにせこのひと月弱、毎日のように隣に居たんだもんな。

 

「…うー、さっむ〜。あはは、こんな真冬にわざわざひと駅分歩くとかウチらどうかしてるよね。比企谷なんて自転車あんのに」

「……誰のせいでわざわざ歩いてると思ってんだ」

 

そんな軽口を叩きつつ、お互いに本題へと入る為のタイミングを窺う。

一度その話題に触れてしまったら、もうあとには引けないのだから。

 

下手したらこのままアレに触れないまま駅に着いちゃうんじゃね?なんて思い始めはしたものの、やはりそういうワケにはいかないようだ。

あと僅かで駅前かという所で相模の喉がこくりと鳴ると、なんとも言えない緊張感が二人の間を支配した。

 

「…あの、さ、比企谷」

「…おう」

 

ピタリと立ち止まる相模。

どうやら相模は、この話を歩きながらする事は容認出来ないらしい。

であるならば、俺も立ち止まらないわけにはいかない。押していたチャリを止めて相模へと振り返る。

 

「ごめんなさい……」

 

振り返った俺を確認した相模はそう一言だけ告げると深々と頭を下げた。

他には何も言わない。カタカタと震える細い体を折り曲げてのごめんなさいの一言に、相模の色々が詰まっているのを感じた。

 

「…別に、お前に謝られる覚えはない」

 

――覚えならある。ありすぎるくらいにある。

だがそれはもう済んだ話だし、そもそも謝られる覚えはあっても謝られる筋合いはないのだ。

 

なぜならあの事態を引き起こしたのは俺の意思なのだから。俺が勝手にやって、当然のようにそれに見合う結果が俺に降り掛かったというだけの単純なお話なのだ。

そこに相模の意思は存在しない。存在するのはあくまでも俺の意思のみ。

 

「お前がなにを言わんとしているのかはなんとなく分かる。だがな、アレは俺が勝手にやった事だ。そして文化祭後に起きた事はその結果だ」

 

そう言う俺に相模は哀しげな瞳を向けてくる。

せっかく気持ちを伝える決心をしてせっかく頭を下げたのに、ようやくごめんなさいを言えた途端にそんな返しをされてしまえば哀しくもなるだろう。

ここひと月弱の相模の行動や表情。そして、先ほどの自分の悪い噂を流されるかも知れないという危険を犯してまでも俺を守ろうとした相模の覚悟を見たら、コイツの謝罪の気持ちが上っ面のモノでは無い、本物の気持ちだというのは痛いほど伝わってくる。

 

だがそれでは駄目なのだ。

確かに相模の心からの謝罪の気持ちは嬉しくない事はない。でもそれでは駄目なのだ。

コイツの勝手な勘違いで、いつまでもコイツの心に後ろめたさを残したくはない。

だから俺は相模の勘違いを解かなきゃならない。例えそれでもう相模と関わる事が……相模が俺に関わろうとしてくる事が無くなろうとも。

 

「…お前はどう考えてどう勘違いしているのかは知らないが、言っておくがアレは別にお前の為にやった事じゃない。…奉仕部として依頼を受けて、倒れるまで頑張ってやり遂げようとした雪ノ下の努力を無駄にしたくなかっただけだ」

 

…確かにあの時の雪ノ下は間違っていたかもしれない。

奉仕部の理念に反するあんな依頼を受けたこと自体も、依頼の遂行の仕方も、そしてあの意地の張り方も、おおよそ雪ノ下雪乃という人間らしくない間違ったやり方だったと思う。

 

でも……いや、だからこそ無駄にしたくなかったのかもしれない。

密かに憧れていた雪ノ下雪乃の失敗を認めたくなかったから。ああまでして解決しようとした依頼を、相模なんかに台無しにされたくなかったから。

 

だから俺も、柄にも無く意地を張ってしまったのだろう。あんなしょーもない手段を講じたのだろう。

 

「…時間に余裕があれば、あのとき相模が一番欲しかった言葉を選ぶ事も出来た。まぁ俺が言った所でお前は聞きはしなかったかもしれんがな。…だが俺はお前をなじる事を選んだ。それはただ時間が無かったから。そうしなければ依頼が失敗していたからだ。つまりお前が泣こうが傷付こうが知ったこっちゃなかった。そんなものの優先順位は二の次以下にした」

 

…俺は誰も傷付かない世界の完成などとうそぶいて、真実から目を逸らした。しっかりと傷付いた、傷付けた人間が居たという事実から。

たぶん真相心理の中では『相模だからいいか。相模が悪いんだから俺が気にする事じゃない』なんて、自分に都合のいい言い訳をして自分を誤魔化していたんじゃないだろうか。

 

「結果的に俺が責められてお前が助かったのは単なる副産物でしかない。お前の為にやったわけじゃないんだから。…その後お前らが俺の悪口を広めたのだって、お前を泣かせて傷付けてまで依頼達成を選んだ俺の自業自得でしかない。…そりゃ噂くらい広めんだろ、俺なんかにあれだけボロクソ言われりゃ。お前の立場だったら俺だってそうしただろう。なんてことはない、普通の行為だ」

 

…そう。別に相模が助かったのは単なる偶然。

俺はそこまで……相模の今後の立場まで考えて行動したわけじゃない。

そしてあんな風に罵倒されて泣かされたら、そいつの悪口を言い触らすなんて当たり前の行為だろ。その件に関しては、コイツ等に非はない。

 

「だからアレはお前に謝られる筋合いもなければ、お前がいつまでも気にするような事でもない」

 

つまりはそういう事だ。

たぶん相模は自分の為に俺が泥を被ったと勘違いしているのだろう。

だからその勘違いは正さなきゃ駄目だ。そんな勘違いを持ったままじゃ、相模はいつまで経っても俺に対して必要の無い後ろめたさを持ったままになってしまうのだから。

 

謝罪するべきなのは俺に対してではなく、自分自身に対してだと俺は思う。

全てをいい加減に、無責任にしてしまった自分に謝罪するべきだ。

 

だがコイツはもうその事実と向き合っている。きちんと自分の罪と向き合った上で反省している。

 

そもそも相模が仕事を放棄したのは、雪ノ下が副委員長をやったからだろうし。

優秀すぎる雪ノ下が無茶して全てをこなしてしまったからだろう。

もしも副委員長が雪ノ下でなければ、盛り上がりに欠けはするものの“皆で協力(笑)”して、当たり障りの無いつまらない文化祭として着々と進行していき、決して失敗にはならなかったと思う。それが成功と言うのかどうかは知らんけど。

そもそも文実がバラバラになった原因でもある“クラスを優先しよう”という発言も、雪ノ下を弄りたい陽乃さんに誘導されただけのものだし。

 

だからもうアレは終わった事なのだ。いつまでも相模が気にするような事ではないのだ。

…その事に後ろめたさを感じて、俺に優しくする必要など…同情する必要などないのだ。

 

 

コイツがいつから勘違いをしていたのかは分からないが、たぶん体育祭後くらいからだな。

あれから約三ヶ月。三ヶ月もの間、コイツは俺に対して無用の感謝と反省をしていたのだろう。

でも今その感謝と反省は勘違いだと、意味の無かったものだと突き付けられたわけだ。

 

今の相模の心境はいかほどのものだろうか?

俺に対して落胆しただろうか?嫌悪しただろうか?…それとも、もう罪悪感を持たなくて済む事に安心しただろうか?

 

 

――しかし次に相模の口が開かれた瞬間、それらは全て違っていたのだと知った。

ちょっと俺の想像の範疇の言葉とは違っていたから。

 

 

「…ぷっ、謝ってる立場でこんな風に言うのもなんだけど……ホント比企谷ってバカで捻くれてて、そんで……優しいよね」

 

……は?

 

 

コイツは一体なにを言っているのだろうか。

バカなのは分かる。捻くれてるのも…まぁ許容範囲だ。

だがなぜそこで優しいという単語が出てくると言うのだろうか…?

 

「…比企谷はさ、そういうこと難しく考え過ぎなんだよ。……勘違いとか誰の為とか、そんなのどうだっていいじゃん。例え比企谷にどんな都合があってウチを助けることになったからってさ……結局はウチが一番悪くて、それを比企谷が正してくれたって事に、何一つ間違いはないわけじゃん…?」

「……」

「たぶん比企谷は、その勘違いってので、いつまでもウチが後ろめたい気持ちを持ったままになっちゃうのを気にしてくれてるんでしょ?…だからウチにそれは勘違いだから気にするな、なんて言うんでしょ?」

 

…なんだろうか、無性にムカつく。相模ごときに俺の浅い考えを全て見透かされてしまっているようで。

 

「…でも、そんなのズルい…。謝るのなんてウチの単なる自己満かも知んないけど…、でもやっぱりズルいよ。…気にするななんて嫌、これで終わりなんて嫌だ…。比企谷ばっかり気にしないでよ…ウチにだって………気にさせてよ…」

 

 

――ああ、俺はまた間違えてしまう所だったのか。

今のコイツの顔は、いつかの由比ヶ浜の顔だ。

 

『…なんでそんな風に思うの?同情とか気を遣うとか、…そんな風に思ったこと、一度もないよ』

『もっと簡単なことだと思ったんだけどな…』

『でも、これで終わりだなんて…なんか、やだよ』

 

あの時は雪ノ下の言葉に…一度終わらせて、また始めればいい…なんて屁理屈めいた台詞に助けられたっけな。

 

 

「それに、ウチだって分かってるっての。比企谷がウチの為に泥を被ってくれたんじゃないって事くらい。だって、あの時のあんたには、あんなんなってまでウチを助けてくれるメリット無いじゃん。…だからなんとなく分かってたよ、依頼の為…雪ノ下さんの為にはああするのが一番効率が良かったからだろうなって」

 

相模は苦笑混じりにそう言った。

ま、それでもさっき比企谷はウチを助ける為に泥被ろうとしてくれたけどね〜、なんて、照れ臭そうに頬を掻きながら。

 

ちょ、不意打ちで恥ずかしいこと言うのやめてもらえませんかね……バッカ違げーから!別に相模の為にあんな事したんじゃないんだからね!

 

「確かに比企谷に謝りたかったのはその理由もあるよ?…ウチのせいなのに、悪口言い触らしたり学校中の嫌われ者に仕立てたり……ホント最低だよね、ウチ。

…でも、それだけじゃない。ウチが比企谷に一番謝りたかったのは、“それ”に気付いたのは随分前なのに、ずっと言いだせなかったって事…っ」

「……」

「……ずっと言いたかった。言わなきゃいけないって思ってた。…でも言いだせなかった…。言っちゃったら色々と認めなくちゃならない事が恐かったから…比企谷なんかに助けられたって認めるのが悔しかったから……

でも一番恐かったのは、一番嫌だったのは……比企谷に拒否られる事」

 

…俺に拒否られるのが恐かった…?

なんだそりゃ、どういう意味だよ。

 

「…ウチから普通に話し掛けたら、たぶん比企谷は超嫌な顔したと思う。…そりゃそうだよね、だってマジで嫌だろうし……でもホラ、ウチってちょっとヘタレなトコあるじゃん…?」

 

……え、ちょっと?

 

「…だから、恐かったの……恩人の比企谷にあからさまに拒否られたらって…ウチの存在を否定されたらツライなって…」

 

だから恩人なんかじゃねーって言ってんだろ…。

 

「…だからね?席替えで隣になった時、なんとか話がしたいなって……せめて謝る時に拒否られたり存在を否定されないくらいの関係になれたらなって……そう思って、わざと教科書忘れた事にして話し掛けてみた……」

 

……んだよ、やっぱわざと忘れてたのかよ……まぁ気付かないフリしてただけで、さすがになんとなく気付いてたけれども。

 

 

「…でね?…それが上手く行ったら、今度はもっと話してみたくなっちゃって…飴あげたり…雨の日は友達に協力してもらって昼休みに違うクラスに行ってもらったりして、比企谷とお弁当食べたりした」

 

…そうか、友達に協力してもらってたのか……って、え?

 

「いやちょっと待て。なんだその友達に協力してもらってたとかなんとかって」

「いや、だから……ウチさ、比企谷と話せるようになってから、ハブられんの覚悟でクラスの仲のいい子達に全部話したんだよね。文化祭の時の事も……そ、その…ウ、ウチの気持ちも……ぜ、全部」

 

は?マジで?

てかなんでそんなに真っ赤になってんだよ。別にお前の気持ちを友達に伝えたってところは、そんなに照れる要素無くない?

 

「そしたら、ね……予想外にみんなすっごい協力的になってくれて…じゃあ雨の日は私達どっか行ってっからー、って…」

 

マジかよ……いや、そりゃおかしいなー、とは思ってたんだよね。

なんで相模の取り巻き共って、雨降る度に昼休み居なくなっちゃうのん?って。

 

「…い、いやいやいや、それじゃ俺と相模が仲良いとか思われちゃうじゃん」

「今さら!?…あんだけ教科書一緒に見たり隣り合ってお昼一緒に食べてればそう思うに決まってんじゃん…!?

…言っとくけどウチの友達だけじゃなくて、一応クラスではそこそこ話題になってるらしいからね…?最近ヒキタニと相模って仲良くない?って」

 

やだなにそれ恥ずかしい!

てっきり窓際最後列の恩恵受けられてると思ってたわ。クラスの皆さんから丸見えじゃないですかやだー。

 

……あ、あれ?それって最近部活行くと由比ヶ浜の機嫌がすこぶる悪いのと雪ノ下の視線が氷点下なのと一色がバイオレンス気味なのと関係があったりしますかね?

 

あ、雪ノ下の視線が氷点下なのはいつも通りでした。

あと俺は後輩に暴力でも振るわれてんのかよ。

 

そんな色んな感情が交ざり合い、俺はどよんと目の腐らす。

そしてそれを黙って見過ごすようなお隣さんではありませんでした。

 

「…ごめん、やっぱウチと仲良しに見られちゃうなんて……嫌、だよね…?」

 

出ました!最近の相模さんお得意の悲しげな笑顔からの潤々お目々。だからきたねぇよそれ…。

 

「べ、別に嫌じゃねぇけど…」

 

嫌なんじゃなくて恥ずかしいんです。

あと、「そっか…!」とぽしょりと呟いて、パァッと顔を綻ばせるのはやめなさい。悶えちゃうでしょうが。

 

「…ん!んん!と、とにかく…!そうやってちょっとずつ比企谷と仲良くなってきたら……今度は逆に文化祭の話に触れづらくなっちゃって……。せっかく仲良くなれたから、あの話になるのが恐くなっちゃった……ウチ、ホント身勝手だよね…」

 

――ああ、そういう事か。

俺としては決して仲良くなったつもりは無いが、仲良くなった相手とは触れたくない話ってあるよね。

俺としては仲良くなったつもりは無いが。大事な事なので略。

 

「だからね、ウチが一番謝りたかったのはそれなんだ……ずっと謝んなきゃって思ってたのに、ビビってこんなに先延ばしにしちゃった事。…こんなに卑怯でヘタレな事しちゃってた自分を謝りたかったの。だから……ごめんなさい」

 

だから謝る必要自体無かったって言ってんだろ……なんて、さっきの台詞を聞いてしまったら……そしてこの顔を見たらもう言えなかった。

悩んで悔やんで苦しんで……そしてようやく打ち明けられたという解放感を孕んだこの顔を見てしまったら。

 

「…そうか。ま、その…なんだ……了解した」

 

だから俺はコイツからの謝罪を素直に受け取る事にした。全然素直じゃなかったですねすいません。

 

「あと…」

 

謝罪を受け取ってしまい、なんだか照れ臭くて横を向いていたのだが、どうやら相模の話はまだ終わってなかったらしい。

 

「おう…」

「その……あ……ありがと」

「……は?」

 

ようやく恥ずかしくて気まずい謝罪が終わったと思ったら突然の謝意である。

なんで?

 

「…ホントはね?…ごめんなさいよりも、ずっとこっちの方が言いたかったんだよね、ウチ。…その、あの時ウチを捜しに来てくれて…ありがと」

「……は?だから捜したのは依頼の為だと…」

「分かってるってば。でもやっぱお礼言わなきゃ気が済まなかったのよ…!」

 

なんでキレ気味なんだよ。

 

「…そりゃさ?あの時はマジで超ガッカリしたよ。なんでよりによってコイツが来んのよ…って」

 

おい、それわざわざ本人に言わなくてもよくない?

そりゃ王子様が俺じゃガッカリもするだろうけど。

 

「…でもね、それでもホントは安心したんだ。誰も捜してくれて無いんじゃないかって不安だったから。だから屋上のドアが開いた時は、ホント嬉しかった。…顔見てガッカリしたけど」

 

だから言わなくていいから!二回言うほど大事な事なのん?

 

「お前な……お礼言うんだかディスんだかどっちかにしろよ」

「あはは」

 

あははじゃねーよ。飴と鞭がどっちも強力過ぎて、俺のライフはゼロ間際だよ。

 

「だからもっかい言うね……その、ありがと」

「…………おう」

 

なんだこれ恥ずかし過ぎんだろ。こんなの八幡らしく無いよ!

 

「で、なんだけどぉ…」

 

…え、まだ終わんないの?この時間。もうお腹いっぱいですよ…。

うんざり気味で嫌そうな顔して次の言葉を待っていると、相模は耳まで真っ赤になった顔を俯かせ、若干震える右手をわきわきとグーパーすると、スカートでゴシゴシと掌を拭いて俺の前に差し出してきた。

 

「……なので、も、もし良かったら……これからも……今までと変わらずに良き隣人付き合いをしてもらえない、かな…?あ、…も、もらえませんか…?」

 

まさかの握手である。

しかも友達とか恋人とかを申請する握手ではなく隣人付き合いの。

こんなの初めて聞きましたよ。まぁ友達も恋人も居た事ないから知らんけど。

 

「…えー」

 

握手とか超恥ずかしいから思わずそんな声が漏れてしまったのだが、そこはやはり相模さんですよ。

緊張で赤く染まっていた表情を一気に強張らせて、泣きそうな瞳で

 

「…ま、まぁ…り、隣人付き合いくらいなら…」

 

見つめられちゃう前にすぐさま僕と握手!

もうやだよコイツ…確信犯なんじゃないの?

…ああ、相模の手がスベスベで柔らかくてあったけーよチクショウ…。

なんでコイツこんなに指とか細せーんだよ。握手じゃなくて繋ぎたい(錯乱)

 

そして相模のこの嬉しそうな恥ずかしそうな破顔っぷりである。俺の方が八万倍恥ずかしいですから!

 

「と、とりあえず今はって事で……っ」

 

嫌がる俺に気を遣ってくれたのか、相模はなんだか名残惜しそうに手を離すと、左手で右手を大事そうに包みながら、そうぽしょっと呟いた。

 

「あん?とりあえず今はってどういう事だ?」

「な、なんでもない!こ、こっちの話っ…」

「?」

 

ホントどこまでも良く分からんヤツだな。顔も赤すぎるし高熱を疑っちゃうレベル。

まぁこれでようやくこの羞恥プレイから解放されるのだと思えばどうだっていいか。

 

「…えと、それじゃウチそろそろ帰るね、駅もすぐそこっぽいし…」

「おう」

「…その…今日は道草に付き合ってくれてありがとね。…ちょっと色々あったけど…比企谷と一緒に帰れて……そのっ……ホント良かった」

「…お、おおおう」

 

そう言って相模は小さく手を振り、とてとてと駅へと歩いていく。八幡爆発寸前です。なにこれ青春謳歌しちゃってんの?

いやいや勘違いするな、単なる隣人付き合いだから。相模もそう言ってたし。

 

「…じゃ、また明日!」

 

小さくからブンブンに変わっていく手の振りを遠くに眺めながら俺は思う。

 

 

…ふぇぇ、恥ずかしくて明日から学校行きたくないよぅ…

 

 

しかし世の中はそんなに甘く無い。

帰り道も夕飯時も入浴中も就寝中も、なんか知らんがひたすら悶えていたら気が付いたら教室の前に立っていた。ザ・ワールドが目醒めた瞬間である。

 

…入りたくねー。だってクラス内では普通に仲良しとか思われちゃってんでしょ?

てかクラスの連中も俺と相模が仲良くしてる事に疑問を持てよ。

 

だが今から帰るわけにも行かず仕方なく教室の扉を開けると、俺の隣の席にはすでにお隣さんが待機していた。

やべぇ…なんか超ソワソワしてんですけどあの子…。

 

ステルス全開で極力気付かれないように席へと向かうのだが、なんだかいつもより周りの視線を感じてしまう気がする。なんつーの?ニヤニヤしてるっていうの?

今まで気付かなかったってだけで、本当は毎日こんな視線を向けられていたのかと思うと余裕で死ねるよね。うん、気のせいのはず。

 

それでも俺はなんとか席へと辿り着く。ちなみに俺の気配を感じ取った相模の肩がビクッとしたのは内緒な。

 

「…お、おす」

 

席に着いて鞄から教科書を取り出していると、相模がモジモジと挨拶してきた。

最近は慣れたもんな朝の挨拶のはずなのだが、今朝はなんとも恥ずかしい。

 

「…おう」

 

チラリと目線だけを向けて挨拶とも言えない挨拶を返すと、相模はすぐさまプイッと顔を逸らした。そんなに恥ずかしいんなら、無理に挨拶してこないでもいいのよ?

 

 

しかしここにきてふと思う。

 

――そういや、良い隣人付き合いって……なに?

 

 

そう。これからどうすればいいのか分からないのだ。

相模はこれからも今までと変わらない良い隣人付き合いをお願いしますって言ってきたけど、じゃあ良い隣人付き合いってなんぞや…?

 

今までは相模が教科書を忘れてそれを俺が見せる。

その対価として飴やら雨の日の弁当やらを貰っていたのだが、もうそれは無くなるのだ。

だって教科書を見せる必要はもう無いわけだから、対価の飴も弁当も無いわけだ。

それならば、これからはどうやって隣人付き合いをしていけばいいのだろうか。相模とこういう関係になるまで、隣の席の女子と関わった経験が無いからまったく分からない。

 

てか、“今までと変わらず”なんて土台無理な話なのではないか?

だって俺と相模の関係なんて[挨拶・教科書・飴・弁当]の四つ程度の関係なのだ。そのうち三つは昨日で終了したんだし、あと残された関係は挨拶くらいのもの。

 

…ああそうか、つまり相模の言う“今までと変わらない良い隣人付き合い”とは、もうお互いに過去の件は忘れて、朝と別れの挨拶くらいはする、当たり障りの無い関係になりましょう…と言うことなのか。

なるほど、そういう事か。

そりゃそうだ。相模がずっと俺に伝えたかった事は昨日で済んだのだ。もうこれ以上相模が俺に関わる必要性なんて無いもんな。

 

…ふむ、緊張しちゃって損したぜ。要はほとんど関わりを無くせばいいってだけの簡単なお仕事なわけね。

 

「…」

 

肩の荷が降りた。三学期が始まってひと月ちょっと。フハハハ、ようやく至高のボッチ生活が再開されるのか!

 

 

 

…………肩の荷が降りたはずなのに、降りた肩は次第に落ちていく。

んだよ…肩の荷が降りたんじゃなくて、肩を落としちゃってるだけじゃねぇかよ俺。

 

俺は、いつの間にか相模との隣人生活を結構楽しんでしまっていたのか。プロボッチ失格だろ。

……まぁいい。また元に戻るだけだ。今はちょっと寂しいとか感じちゃってても、その内すぐに慣れんだろ。

 

「…あの、ひ、比企谷…?」

「ひゃい!?」

 

ちょっと?急な声掛けはやめていただけないですかね…。不意打ち過ぎて気持ち悪い声が出ちゃったじゃん。

もう朝の挨拶は済ませたし、あとは別れの挨拶まで用事は無いんじゃねぇの…?

 

しかしそんな俺のどんよりとしたしょーもない思考は、次の相模の台詞によって、どこか遠くに吹き飛ばされたのだった。

 

 

「あっ…と……今日、さ……二限の歴史と五限の現国の教科書忘れちゃったから……見せてもらえない…?」

「……は?」

 

 

――開いた口が塞がらないとはこの事である。

どうやらこの隣人付き合いはこれからも通常営業で行われていくらしい。

てか二科目に増えてるし。

 

「お前やっぱアホだろ…」

 

俺はそっぽを向いて、若干口角が上がって塞がらなくなってしまった口元をぐにぐにとマッサージしつつそう呟くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あ、あと、その……きょ、今日は雨降ってないけど……なんとなくそういう気分だったから……えと…お弁当作ってきたから……。だから、購買とか行っちゃわないでよね……!」

 

 

……どうやら相模さんは、今後の隣人付き合いに関して、今までと同じ通常営業どころか、さらに一歩先へと進む事をご所望なご様子です。

はぁ…こりゃ残り二ヶ月弱のおとなりさんとの隣人生活、なかなかに忙しい事になりそうだな…。

 

 

 

――そんな事を考えつつも、俺は早くも本日のさがみん弁当に思いを馳せるのだった。

 

 

 

 




全国の千人を超えるさがみんフリークの皆々様、最後までありがとうございました!
最後とは言っても、前回の後書きでも記載したようにとりあえずの締めと言うことで、今後はお宅訪問などなど、気が向いたらまたまったりと更新していけたらな、とか思ってます。


今回の作品は、ほんの思いつきからの気晴らしな感じで書き始めたので(気晴らしでさがみんSS書いてる時点で色々と末期な気もしますけど)、最初の2〜3話くらいだけ書いて、その後はひっそりと消えていく予定でした。
なので匿名で投稿したのですが、意外や意外、さがみん好きな皆様のおかげでこうして終わる事が出来ました!たった9話、たった五万字程度の短い物語ではありますが。



というわけで、別にさがみんはそんなに好きじゃないのに、なぜか読者さんから「どんだけさがみん好きなんだよw」と誤解を受けている作者でお馴染みの、匿名作者ことぶーちゃん☆がお贈りしました!ノシ



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