007/暁の水平線より愛をこめて   作:ゆずた裕里

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3-2.The Longest Tube (後編)

「頭を上げるな!まだ伏せてるんだ!」

 

 首都高速中央環状線を進んでいたマークXとハイエースは、エンジン音と銃撃の喧騒の中、西池袋出口付近を猛スピードで通り過ぎていった。ボンドは座席に屈みながらハンドルをさばき、一般車を次々と抜かしていった。金剛に目をやると、彼女も助手席で頭を下げて屈んでいる。

 さあ、これからどうしようか。一番いいのは、この先のジャンクションのどれかで地上に出て、高速道路上でタイガーの救出を待つことだ。早くても数分で西新宿ジャンクションには着けるだろう。それまでに……

 

「ジェームズ!」

 

 金剛の叫びにボンドが頭を上げたその時、ボンドの眼前、同車線に一般の大型トラックが入ってきた。しまった!ボンドがほとんど反射的にブレーキを踏んだその瞬間、右車線を進むボンドのマークXに、左側から強い衝撃が来たのを感じた。金剛の小さな悲鳴が聞こえる。

 

 ボンドはとっさにハンドルを切り、壁際スレスレを進むマークXを車線に戻した。やりやがったな!金剛は大丈夫か?ボンドは助手席側に目をやった。

 そこに金剛の姿はなかった。

 代わりにボンドの目に入ったのは、大きく開かれた助手席のドアと、その向こうで悪魔の大口のごときスライドドアを開けたハイエース、そしてそこで蠢く、いつかどこかで見た大男の姿だけであった。

 

「ジョーズ……!」

 

 ボンドはそうつぶやきながら懐からワルサーPPKを取り出したが、それよりも大男の方が一瞬早くG36CアサルトライフルをマークXに浴びせ始めた。その姿はまるで普通の身長の人間がUZIやMAC10などのサブマシンガンを扱うかのようであった。ボンドはマークXの速度を落とし、ライフル弾の直撃をかわした。すると大男は待っていたと言わんばかりに、ハイエースの乗り口からマークXのボンネットを思いきり蹴りつけた。

 その力は非常に強く、マークXの進路を大きく右にずらすほどだった。ずれた進路のその先は、中野長者橋出口に向かう車線だ。ボンドがハンドルを切る間もなく、傷だらけのマークXは出口へと消えていった。

 大男は、マークXが消えるのを見届けながら、銀色に輝く歯をむき出しにして笑みを浮かべた。

 

 

 

 ボンドが出口から地上に出ると、西新宿方向の道をじっと睨んだ。この時の山手通りの通行量は若干多めだった。ボンドはクラクションを鳴らしながら、できるだけ地下のハイエースとの距離を離さないように走り続けた。そして同時にスマートフォンを取り出すと、すぐさまタイガーとの連絡を取った。

 

「タイガー!金剛が攫われた!奴らはジャンクションから新宿線に出る気だろうか、それとも……」

『落ち着けボンド、こっちは今、金剛の位置を把握してる……』

 

 タイガーからの報告を聞きながら、ボンドは金剛と、あの大男……「ジョーズ」のことについて考えていた。

ジョーズは、かつてボンドとも何度か戦ったことのある、フリーランスの殺し屋であった。この男の武器は二つ。その高身長からくり出される怪力と、鋼鉄製の入れ歯である。この入れ歯は相当鋭く頑丈で、彼の顎の力と組み合わせれば鉄の鎖を食いちぎることも簡単な代物である。その上、体も非常に丈夫な、まさに怪物と呼ぶにふさわしい男であった。

 あの男と、まさかこんなところで再開するとは……ボンドの心中には、厄介な相手が来た不安と、かつての友人に会ったかのような奇妙な感慨深さがぐるぐると渦巻いていた。

 

 

 

 一方金剛は、ハイエースの後部で目を覚ました。金剛はハイエースがマークXに横付けされたその時、ジョーズに腕を掴まれるとそのままハイエースの中に投げ込まれ、気絶してしまっていたのだ。

 ハイエースの中には、金剛以外に三人の男がいた。一人は運転手、一人はサングラスをかけたスーツの男、そしてジョーズだ。スーツの男は、誰かに電話をしていた。

 

「指示通り、女は確保しました」

『……ご苦労。あまり雑に扱うなよ。艦娘は利用価値がある。そのまま高速に乗って本部に戻れ』

 

 私のこと、艦娘と分かってて誘拐した……?

 金剛は電話の向こう側の男の声を聞くと、ふとそんな考えをよぎらせた。そして、まだ艤装入りカバンをかけていたことに気付いた金剛は、スーツの男が電話を終わった瞬間、すぐさま立ち上がると男たちに砲を向け叫んだ。

 

「Freeze!動くと撃ちますよ!」

 

 その瞬間、ジョーズたちも金剛に銃を向けた。ずっと気絶したふりをしても良かったが、この男たちに何をされるかわからない。その危機感が、金剛をこんな行動に駆り立てた。

 

「これの威力は、あなたたちもよく見たはずデース!さあ、全員まとめて吹っ飛ばしてあげましょうかァ!?」

 

 金剛は威勢よく啖呵を切ったが、こんな狭いところで撃っては自分の身も危険だ。だが金剛は、万が一の時はそうしなければならないという覚悟はできていた。

 

 

 

 ボンドの飛ばすマークXがまもなく西新宿ジャンクションに差しかかろうとしたその時、タイガーからの連絡が来た。

 

『ボンド!奴らは地上に出ていない。そのままトンネルをまっすぐに進んだぞ。私の使いも、新宿線に黒のハイエースは見ていないそうだ』

「タイガー、感謝するよ」

 

 どうやらタイガーによれば、もうこのあたりに彼の使いであるはずの、大型ヘリは到着していたようだ。しかしボンドには、ヘリコプターの姿はどこにも見えなかった。姿が見つからなくても、せめてプロペラの音くらいはしそうなものだが……

 ボンドは気持ちと共にギアを切り替えると、中央分離帯に乗り上げ、赤信号をすり抜け、高速トンネルの入口を求めてひたすらマークXを飛ばした。

 

 

 地底トンネルの左車線を進むハイエースの中では、未だ膠着状態が続いていた。ただ、ジョーズ達の方は、少しずつではあるが、じりじりと金剛に近づいていた。

 しかし、金剛は車の隅に追いつめられるばかりだった。覚悟はしているとはいえ、いざ撃つとなるとどうも踏ん切りがつかない。これでは、男二人が金剛に飛びかかるのは時間の問題だ。

 Shit...こんな狭いところで撃てば私も無事じゃ済まないわ……撃つときはジェームズ、せめてあなたの顔を見て……

 

 

 

 その時、金剛の隣にあるバックドアのガラスが弾けるような音と共に割れた。ジョーズ達は何があったのかと一瞬怯んだ。同時に金剛の耳に、天啓のごとくあの聞きなれた声が飛びこんできた。

 

「金剛!トンネルの壁に向けて空砲を撃て!空砲だぞ!」

 

 金剛はとっさにその声に従い、左側の窓を艤装で割ると、そこから艤装を突きだした。

 

「全砲門、ファイヤー!」

 

 金剛は、砲門をハイエースの左斜め後ろに向け、空砲を撃った。空砲とはいえどもその威力は強く、反動でハイエースの車体は大きく右に動き、右タイヤを脱輪させた。ハイエースはそのまま大きくバランスを崩し右に進路を変えると、トンネルの右側の壁に激しくぶつかった。勢いよく運転席のエアバッグが炸裂したが、なおもハイエースは車体を壁にこすりながら進み始めた。

 ハイエースはは大きく揺れ、金剛は今まさに彼女に飛びかかろうとしていたスーツの男とともに、せまい車内を洗濯機の中のようにコロコロところげ回った。ジョーズはその時、バックドアのガラスを割った者に銃弾を浴びせんと右のスライドドアを開けて外を覗いていたため、あわれなことにドアの外に放り出されてしまっていた。

 

「大丈夫か金剛?早くこっちに来い!」

 

 その声に起き上がった金剛が左のドアの外に見たのは、傷だらけのマークXと、その窓から上半身を出し、手を差し伸べるボンドの姿だった。ボンドが初台南入口からトンネル内に戻った時、ハイエースとは相当な距離が開いていたものの、そこから全力で走らせた結果なんとか追いついたのだった。

 

 金剛は起き上がると、すぐさまボンドのもとにつながるスライドドアを全開にした。そして、ボンドが車を寄せると、金剛は火薬の切れた艤装をかなぐり捨て、ボンドのもとに飛び出した。

 

 その時、金剛は何者かが自分の足を掴むのを感じた。スーツの男だ!ジャンプの勢いをなくした金剛の目の前に地面が迫る。

 ボンドはとっさに手を伸ばし、金剛のスーツの襟を掴んだ。そしてマークXをハイエースに寄せながら、猫を持ち上げるように金剛の上半身を車内に引き込んだ。ボンドにとって片手で金剛の体を持ち上げるのはかなり大変だった。運転席に引き込まれた金剛は、もう二度と離すまいとするように、両腕をボンドの首に巻きつけた。

 

 ボンドが前に目を向けると、大橋ジャンクションが迫っていた。ジャンクションはY字の分かれ道になっており、ハイエース側が渋谷線への車線、ボンド側が環状線への車線になっている。このままでは金剛は、車線の間の柱に叩きつけられてしまう。

 

 スーツの男も金剛を放す気はないようだし、ハイエースの運転手も前かがみになっており、生きているのか死んでいるのか分からない。少なくとも、環状線側にハンドルを切ることはないだろう。このようにボンドが様子をうかがっているうちにも、金剛の脇腹めがけ、柱はどんどん迫ってきていた。

 

 考えている暇はない!ボンドはワルサーPPKを手にすると、スーツ姿の男に向けて「00」のライセンスを行使した。乾いた破裂音と共に、スーツ姿の男はその場にあっけなく崩れ落ちた。そして、ボンドは左手でハンドルを切りながら、柱の直前で金剛を車内に引き込んだ。金剛の足にすがるもののいなくなったハイエースはそのまま、渋谷線に続く車線へと消えていった。

 

 ボンドの首につかまっていた金剛は、車内に引きこまれてもその腕を離そうとしなかった。

 

「ジェームズ!」

 

 ボンドはそんな金剛を優しく引き離し、助手席に座らせた。

 

「続きは鎮守府に戻ってからだ」

 

 しかし、ボンドは先ほど金剛を車内に引き込んだ時、車が大きく揺れたことに気がつかなかった。

 

 

 

 ボンドは、まだ落ち着かない頭で、この後の様々なことに思いをめぐらせていた。このトンネルを出るまでは、あと7、8分といったところか。あと金剛は大丈夫だろうか。見たところ問題はなさそうだが……あと、タイガーにこれまで起きたことを報告しなければ。ああ!自分でも考えがまとまらん!一旦落ち着こう。

 

 しかし、ボンドにはそんなことをしている暇はなかった。突然、二人の頭上からメリメリと金属が曲げられるような音が聞こえてきたのだ。二人が上を見ると、サンルーフが50センチほど、まるで缶詰を開けたかのように剥がされていたのだ。

 

 そして、その隙間から、ボンドたちをジョーズが睨んでいた。

 ジョーズはハイエースから放りだされた後も、何とか側面にへばりついていたのだ。そこからハイエースの屋根に上がると、あの出口ギリギリのところでマークXに飛び移ったのであった。

 

「足元に伏せるんだ!金剛!」

 

 ボンドは悲鳴を上げる金剛に指示すると、自分はタイガーに連絡を取った。

 

「タイガー!ハイエースはやったが、今度はまた別の問題だ。トンネルを抜けたところに使いをよこしてくれ。大至急……」

 

 ボンドがここまで言ったところで、ジョーズはスマートフォンを持ったボンドの腕に掴みかかった。そして、ボンドの腕からスマートフォンを奪い取ると、まるで板チョコでも食べるかのように、その牙でバリバリと噛み砕いてしまった。

 

「そんなの食ったら腹壊すぞ」

 

 恨みがましく言ったボンドに、ジョーズはなおも襲い掛かった。ボンドはワルサーPPKを手にすると、ジョーズに向け、狙いも定めず撃ちまくる。しかし、弾倉内の残弾5発は、いずれもジョーズに対して牽制以上の威力を発揮しなかった。

 ボンドが全弾を撃ったことに気付いたジョーズは、ボンドの左手首を掴むと、そのまま口元に持っていった。ボンドは右手でジョーズを引き離そうとしたが、ジョーズの怪力にはかなわない。このままでは、ボンドはヤクザでもないのに指を詰めることになってしまう。

 

 金剛も、そんなボンドの危機に気付いていないわけではなかった。金剛はジョーズの手の届かない助手席の足元にうずくまってボンドとジョーズの攻防を固唾を飲んで見守っていた。せめて、艤装じゃなくてもいいから、何か武器があれば……金剛はあたりを見回す。すると、金剛は自分のお尻のあたりに、赤い棒のようなものがあるのに気付いた。

 手に取ってみると、それは発煙筒だった。金剛がサンルーフを見上げると、今にもジョーズがボンドの指を食いちぎろうと大口を開けている。私がやるしかない!

 金剛は発煙筒に点火すると、そのままジョーズの口の中に煙の出る部分を突っこんだ。目を丸くさせて、鼻の穴や口からモクモクと真っ赤な煙を噴き出しもがきだすジョーズ。ようやくジョーズの怪力から逃れたボンドは、左手首を押さえながら息をついた。

 

「よくやったぞ金剛、そんな武器も持っていたのか」

「イエース!新兵器の発煙弾デース!ジェームズ、これからも私の活躍に、期待してネ!」

「うまく煙に巻いたな」

 

 ボンドが前を見ると、はるか向こうに白い光が見える。もうトンネルの出口も近い。ボンドは希望を見たかのように、マークXを飛ばした。

 

 ジョーズは猛スピードで走るマークXにしがみつきながら、発煙筒を噛み砕いた。今の発煙筒には、さすがのジョーズも怒ったのだろう、半開きのサンルーフに手をかけると、そのまま立ち上がり一気に引きはがし始めた。

そしてついにサンルーフがほとんど剥がされてしまったその時、一瞬にして周りがパッと明るくなった。ついに、ボンドたちは山手トンネルを抜けたのである。

 

 その時ボンドの耳に、小さなプロペラの音が聞こえてきた。タイガーのヘリコプターか?いや、それにしては音が小さいが……その時、金剛のボンドを呼ぶ声がした。

 

「ジェームズ、上を!」

 

 ボンドはその声に、金剛と共に空を仰いだ。

 剥がされたサンルーフの向こうにボンドが見たのは、勝ち誇ったようなジョーズのドヤ顔と、直径2メートルはあろうかという、巨大な電磁石付のドローンだった。

 これが「タイガーの使い」だったのか。それを見たボンドは、とっさにわざと素っ頓狂な声を上げた。

 

「あっ、あれはなんだぁ!」

 

 その声に反応したジョーズは、ボンドの思惑通り上を見た。同時に、ドローンの電磁石がジョーズの鋼鉄の歯を引き寄せ、ガッチリとくっつけた。そのままゆっくりと浮上するドローン。そのドローンと共に、もがきながら空に昇っていくジョーズをボンドと金剛はじっと見ていた。ボンドにはそんなドローンの雄姿に、「どうだ!これぞ現代日本の最新秘密兵器だ!」と誇らしげに声を張り上げるタイガーの姿が見えた。

 

 こうしてジョーズは、頭上に巨大なプロペラをつけたまま、どこかに飛んで行ってしまった。おそらく東京湾のど真ん中か、公安調査局あたりでも連れて行かれるのだろう。その様子を、金剛はサンルーフから体を出して、風に髪をなびかせながらいつまでも見送っていた。

 

「ところでジェームズ、あの巨人は一体何者なんですか?」

「空を自由に飛びたかった男さ」

「Really!?」

 

 金剛はそう驚きの声をあげた瞬間、はるか遠くでドローンが急にバランスを崩し、落ちていくのを見た。ドローンにジョーズの手が届いてしまったのだろう。しかし金剛には、そんなことは関係なかった。こうしてボンドとお互い無事のまま、日の暮れかけた時間帯の高速道路をドライブできるのだから。

 

 

 

 ちなみに翌週の東スポに、頭にプロペラをつけた大男がビッグサイトに突っこみ、そのまま行方不明になったとの記事が載りネット界隈を騒がせたが、すぐに忘れ去られてしまった。




《登場人物出典》

・ジョーズ……『私を愛したスパイ』『ムーンレイカー』(映画版第10作、11作)に登場。
       キャストはリチャード・キール。
       『ゴールデンアイ』や、『エブリシング・オア・ナッシング』
       などのゲームにも敵役やマルチプレイのキャラで登場。

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