ハリー・ポッターと帝王のホムンクルス 作:オリゴデンドロサイト
ルーピン視点
「……実に興味深い記憶じゃ。ご苦労じゃった。これでまた少し、ワシはダリアの
液体とも気体ともつかない銀色の物質が入った石の水盆、『憂いの篩』から顔を上げたダンブルドアが真剣な声で呟く。
ボガートの変身した、残酷な笑みを浮かべ、自身の杖にまるで獲物を探すように触れる姿。
初授業で得た、ダンブルドアが警戒している生徒の内面に迫るだろう情報。私がその記憶を渡した後、ダンブルドアの上げた第一声がこれだった。
本来であれば、私はダンブルドアの役に立てたことを喜ぶべきなのだろう。何しろ彼に監視を命じられたとはいえ、この校長室には自らの意思で来たのだ。別に強制されたわけではない。
しかし、ダンブルドアの呟きに応える私の表情は、
「……はい」
とても複雑なものであるような気がしていた。少なくとも、自らの行いを真に信じ切れている人間の表情ではないだろう。
本当に自分の行ったことが正しいことだったのか、今の私には確信を持つことが出来なかったのだ。
それなのに……私は何故、自らの行いがこんなにも間違っているものと、
私はそこまで考え、静かに頭を振りながら思い直す。
……いや、自分を誤魔化すのはよくない。本当は自分でも原因は分かっている。私はただ認めたくないのだ。
私が、
「リーマス。浮かない顔をしておるが、何か悩み事かのう?」
「……ダンブルドア。彼女のボガートは、一体何を表したものなのですか? ここまで来ておきながら、私には分からないのです。彼女が一体何を恐れているのか、貴方にはお分かりなのですか?」
当に答えを得ているはずの彼女のことを、理解出来なくなっているという事実を。
それを認めてしまえば、まるでダンブルドアに疑念をもっているように思われてしまうかもしれない。そう思い、私はすぐに自分の疑問をすぐに認められなかっただけなのだ。
正直、彼女のようなアンバランスな人間は初めてだった。セブルスも相当不可思議な人間だったが、彼以上に彼女は謎だらけな人物だ。意味不明と言ってもいい。それだけ彼女は矛盾だらけの存在だった。
『不死鳥の騎士団』に所属して来た関係上、私は色々な魔法使いを見てきた。光の魔法使いも、その逆の闇の魔法使い達も。
騎士団に所属していた光の魔法使い達は、ジェームズを筆頭に皆正義感に溢れ、日々広がり続ける闇に対して勇敢に戦っていた。その逆に『死喰い人』のような闇の魔法使い達は皆血に飢え、暗い瞳で世界を呪い続けていた。勿論全ての人間がこの二つの分類に当てはまるわけではない。騎士団にも死喰い人にも属さなかった人々なんて大勢いる。全ての人間を善と悪という分類では考えられないことなど当たり前のことだ。
しかし……ダリア・マルフォイのように両極端の面を完全に両立している人間を、私は見たことがなかった。
まるで『あの人』を思わせる冷たい空気を垂れ流す姿。そして彼女の前で変身したボガートの姿。あれらこそ闇の魔法使いの典型的な姿だったように思える。まさに『継承者』が生徒を石にしていくのを、陰で手助けするにふさわしい人物の姿。もしあれがいつもの彼女の姿であったのなら、私は何の迷いもなくダンブルドアの命令を実行し続けていた。ダンブルドアの言う、学生でありながら明らかに警戒すべき人物。私はそう信じて疑わなかったことだろう。
だが実際には……ボガートの姿はボガートのものでしかなく、その意味するところはダリアがあの姿を恐れているということだった。
それに兄の無事を知り、普段の姿に戻った彼女は……静かな大広間での姿からは想像もできない程穏やかで、家族思いの人間だったように思えた。ダンブルドアの前情報からは真逆の人物像。ミス・グレンジャーの姿に打ちひしがれる友人に寄り添う姿からも、彼女が人に優しく出来る性質を持ち合わせていることが窺い知れた。清々しくも、どこかほろ苦い青春を謳歌する少女でしかない。
だからこそ分からなかった。
どちらの彼女が、本来のダリア・マルフォイという人物を表しているものなのだろうか。
彼女は一体、あの姿の何を恐れているのだろうか。
あの姿は彼女の過去なのか、未来なのか、あるいは現在なのか。
私には何一つ、彼女について理解することが出来なかった。
自身でいくら考えても答えはない。
答えを与えてくれるとしたら、この人より他にいない。
私は混乱しつつある思考に終止符を打つため、目の前にいる今世紀最も偉大な魔法使いに疑問を投げつける。『不死鳥の騎士団』の全員が、かつてそうしていたように。
答えを得るために。自分を納得させるために。……ダンブルドアを信じ続けるために。
しかし今回のダンブルドアの答えは、
「……それが分からぬのじゃ」
私の求めるものではなかった。
「ワシには、彼女の恐れるものがこの姿であるという事実しか分からぬ。これが真に意味することが何なのか。それは今のワシには分からぬ。じゃが、これだけは分かる。彼女にはやはり何かがある」
ダンブルドアは重苦しい口調で続ける。
悩むように、考えるように……そして、どこか後悔するように。
彼が見つめる『憂いの篩』に一瞬、血のような紅い双眸が見えた気がした。
「よいか、リーマス。恐れるということは、その存在自体を彼女は知っているということなのじゃ。無理解は恐怖に繋がるが、そもそも存在を知らぬものを恐れることは出来ぬ。それが現実或いは妄想であれ、見て、聞いて、体験して、実感して……そうして初めて人はその存在を知り、恐れるようになるものなのじゃ。無論例外はある。経験せずとも、想像だけでそれを恐れるようになる場合もある。ワシが昔教えておったとある生徒も、おそらくその手の人間だったのじゃろぅ。死を誰よりも理解せぬ人間でありながら、奴は誰よりも死を恐れておった。理解出来ぬからこそ恐れる。じゃが存在自体は恐れながらも知っておるはず。ワシにはダリアがどのような経験をしたのかは分からぬ。じゃが、彼女が少なくともこの恐るべき姿を何かしらの形で実感したのは間違いないと、ワシは思うておる。今ワシが答えられるのはこれくらいじゃ……。お主の疑問に答えるには、まだまだ情報が足りぬ……。残念じゃがのぅ」
そう言った切り、ダンブルドアはいつになく真剣な表情で押し黙ってしまう。
その姿はいつも信じて疑わなかった『今世紀で最も偉大な魔法使い』ではなく、ただの一人の悩める老人のように、私には見えて仕方がなかったのだった。
ダリア視点
皆が寝静まった寝室。皆の寝息が部屋に響く中、いつもであれば私の隣のベッドから聞こえてくる寝息が今、私のすぐ隣から聞こえている。
目を向ければ、私の隣には金色の綺麗な髪を波打たせたダフネが静かに眠りについていた。
『闇の魔術に対する防衛術』の後。夕食を取り終えたダフネが真っ先に口にしたのは、
「ダリア……お願い。今日、一緒のベッドに寝させて。いい……かな?」
そんな言葉だった。可愛らしい瞳を僅かに潤ませながら、彼女は縋りつくような口調で尋ねてくる。
無論私の応えは、
「勿論です!」
肯定のものでしかなかった。
思えば私の方からダフネに甘えても、ダフネの方から私に甘えてきたことなど一度もなかった。私は不謹慎にも彼女の言葉を無性に嬉しく思いながら応えた。
すると今までの思い悩んでいた表情から一転、ダフネは喜び勇んで私に抱き着いてきて……今に至るというわけだ。
パーキンソン達の訝しむ視線を受けながらも、抱き合うように眠りについた私達。
そして夜中に目覚めた私はダフネを起こさないように、そっと手触りのいい金髪を撫でながら呟く。
「ダフネ……。怪物である私に出来た……初めての友達。こんな私でも認めてくれた、私には勿体ない親友」
彼女の寝顔を見つめ、すぐ傍で彼女の肌の温もりを感じていれば、自然と彼女への親愛の気持ちが溢れ出してくる。
「いつまでも……。どんなことがあろうとも、たとえ貴女に見捨てられようとも、
私は貴女のことが好きですよ」
私が怪物であるという現実は、どんなに否定したところで変わることはない。どんなに言い繕おうとも、私は化け物の魂を持った、人間の形をした『何か』だ。
でも、そんな私を知っても尚、ダフネやお兄様は私のことを愛してくれた。私が人間であると、私が日常の中にいてもいいのだという夢を見させてくれている。怪物である私に、それでも隣にいていいのだと言ってくれた。
そんな親友のことを、私が嫌いになることなんてあり得ない。たとえ私が怪物になり果て、ダフネに見捨てられ嫌われようとも、私がダフネを嫌いになることなどない。
たとえダフネが、
「馬鹿ですね、貴女は。貴女が私にどんな感情を持っていようとも、私が貴女のことが嫌いになるわけない」
私に
彼女は私に新しい友達が出来ることを望んでいない。常に自分だけの友達であることを願い、私の隣にいる人間が、お兄様を除けば自分だけで在ってほしいと思っている。
『貴女はもう、ダリアにとっての唯一でも、一番でもなくなったのよ』
私はあの時咄嗟に隠してしまったが、そんなこと、グレンジャーに変身したボガートの発言を聞いていれば簡単に気が付く。ダフネは私をどこか絶対視しているため気が付いていないようだが、私は彼女の想像とは違い心まで汚れているのだ。彼女の持っている感情は、少なからず私も持っているため簡単に気が付くことが出来た。
大好きな人が、自分のことも愛してくれるようなってほしい。大好きな人に、出来るだけ長く自分のことを見つめてもらいたい。他人なんかではなく、自分だけのことを見つめて欲しい。あの人の視線、思いを独占してしまいたい。
確かに傲慢で、根本的には相手のことを考えてはいない感情なのかもしれない。ダフネもそう思ったからこそ、私の前でその感情を隠したのだろう。
でも、私はその感情を自分勝手なものだと思いながらも……汚いとまでは思わなかった。たとえどんなに汚い感情を持っていようとも私がダフネを嫌いになることなどないが、独占欲くらい私には何の問題にもならない。私だって少なからずダフネやお兄様を独占していたいという気持ちがあるのだから。
それに、
「それに、貴女の心配は杞憂です。私を怪物だと知って受け入れてくれるのは、世界広しと言えども貴女くらいのものです。私はどう頑張っても、貴女以外の友達を作ることは出来ない」
そもそもダフネが独占欲を持っていようと持っていまいと、私に彼女以外の友達が出来ることなどないのだ。怪物を受け入れてくれそうな人間など、この世にほとんど存在しない。起こりえないことを心配するダフネの気持ちはまさに取り越し苦労だと言える。
私は何度もダフネの頭を撫でながら、親愛の言葉を繰り返す。そしてその言葉を、
「だから貴女は汚くなんてない。貴女はこんなにも綺麗な子なんです。貴女はこんなにも綺麗で、心優しい子です。貴女はもっと自分に自信を持つべきです。貴女は私なんかより、」
「ダリア……。どこ? どこにいるの? どこにも行かないで……。私を一人にしないで。一人にならないで……。私の傍にずっといて……」
ダフネの寝言が遮ったのだった。
私の温もりが腕の中から消えたことに、夢から覚めないまでも気が付いたのだろう。どこか苦しそうな寝顔になったダフネが、私を求めるように腕を伸ばし始める。
私はそれを嬉しく思うと同時に、少しだけ悲しく思いながら、求められるままに彼女の腕の中に収まった。私を再び抱きかかえることで、ダフネの寝顔は安心しきったものに戻っていく。
私は彼女の寝顔を見つめながら小さな声でこぼす。
ダフネに、あるいは自分自身に言い聞かすように。慰めるように。そして……懺悔するように。
「どこにも行きませんよ。私はここにいますよ。貴女は汚くなんてない。貴女は綺麗です。貴女から離れることなどあり得ない。だって本当に汚いものがいるとすれば……」
私はダフネのおでこに額を擦りつけながら心の中で呟いた。
『だって本当に汚いものがいるとすれば、それは貴女ではなく、貴女が大切に思ってくれている私自身なのだから』
私は汚い。ダフネに今言っている言葉だって、今彼女が寝ているからこそ言える言葉なのだ。
あの授業終わり、私は……咄嗟に隠したのだ。ダフネの感情に
それは勿論、私達の後ろにグレンジャーさんやルーピン先生がいたからということもある。赤の他人の前で、ダフネの恥ずかしいと思っていることを話すつもりなど毛頭ない。ダフネの私に向ける感情が、他人に下らない論理で評価されることなどあっていいはずがない。
だがダフネに自分の思いを隠した一番の理由は、ダフネのためではなく……自分自身のためだったのだ。
本当に自分勝手なのは私の方だ。
私は……グレンジャーさんの前でダフネの気持ちを話すことだけではなく、私の気持ちを話すことも躊躇ったのだ。ダフネの独占欲を肯定する言葉。彼女の気持ちを人前で話し、私の返事をグレンジャーさんの前で話すことにためらいを覚えたのだ。いや、グレンジャーさんの前だけではない。私は何故か……自分の口からダフネに独占されることを、他の誰かと親交を持つことを諦めることを口にすることがどうしても出来なかったのだ。
言おうとしても、何故か脳裏にいつも……
……馬鹿馬鹿しいことだとは分かっている。こんなこと、親友であるダフネを裏切る行為以外の何物でもない。ダフネの心が傷ついていることを知っておきながら、私は優柔不断な言動を取り続けている。本当に酷い怪物だ。これでは親友失格だ。
それに私が
私は心の中で懺悔を繰り返し、再度自分に言い聞かせるように呟く。
「……ごめんなさい、ダフネ。私の弱さが、貴女を傷つけてしまった。でも……安心して。必ず断ち切ってみせるから。私は必ず、貴女を
返事はない。代わりに返されたダフネの寝顔は、相変わらず穏やかなものであるようにも……どこか泣いているようにも見えた。
皆が寝静まる寝室。
そこには……役者は入れ替わっているものの、二日前の夜と同じ光景が繰り広げられていたのだった。
私とダフネは……どこまでも似た者同士だった。
初めての人間関係に戸惑う、そんなまだまだ子供のままの……。
次回『脱狼薬』予定