ハリー・ポッターと帝王のホムンクルス 作:オリゴデンドロサイト
ドラコ視点
黒い影のような生き物が僕達を見回したかと思うと、急に背筋が凍り付くような気分になった。体だけではなく、心の奥底から凍てついていく気がする。まるで自分の中にある温かなものが吸い取られていくような……。
周りの奴らも同じなのか、
でも僕には今それを揶揄する余裕などなかった。
背筋が凍るような
その声は、
『……もう私のことは放っておいてください』
紛れもなく、隣で僕とダフネを必死に支えるダリアのものだったから……。
いや、正確にはダリアが出している声ではない。今隣にいるダリアは、
「お兄様、ダフネ、しっかり! 吸魂鬼! 何のつもりですか!? ここにシリウス・ブラックはいません! ここから今すぐ出て行きなさい! さもないと、」
そう大声で叫びながら、無表情を精一杯歪ませて黒い影を睨みつけている。僕が今聞いている言葉を発している様子は一切ない。
ではどこからこの声が聞こえてくるのだろうと考えている間にも、ダリアのものと思しき声は続く。しかも今度は、
『そ、そんなこと出来るか! お前は僕の妹だ! お前を放っておくことなんて、出来るわけがないだろう!』
『そ、そうだよ! 私だって、』
ダリアの声だけではなく、僕とダフネの声まで聞こえ始めていた。当然、僕達は今こんなことを言ってはいない。ダフネはダリアに
ではどこからこの声は聞こえてくるのか。
その答えは、続く言葉を聞いているうちに自ずと分かることになる。
『いいえ、お兄様、ダフネ。放っておいてください。それが、お兄様のためでもあるのです』
『……それは、どういう意味だ?』
……あぁ。そうか。そういうことか。
今聞こえるはずのない、
『……お兄様が知る必要などありません。ただ……』
この声がどこから聞こえているのかを理解したのだった。
この会話は、僕の
これは
この会話を僕が忘れられるはずがない。たとえ全てが解決しダリアが僕らの許に帰って来ようとも、あの時僕が感じた無力感と絶望を忘れられるはずがない。
ダリアが目の前で傷ついているのに、それを見ていることしか出来なかった僕の無力さ。もうダリアが帰ってこないかもしれないという絶望感。
あの時の感情は、今なお色あせず僕の中に横たわっている。
『もう私の傍には近づかないでください。迷惑ですので』
これは紛れもなく、僕の人生で最も辛い記憶の一つだ。
何故こんなものが今聞こえるかは分からない。でも僕がそれを深く考えることはなかった。ただ
「そこのお嬢さんが言っている通りだ。マントの下にシリウス・ブラックを匿っている者などいない。去れ! エクスペクト・パトローナム、守護霊よ来たれ!」
新任教師が杖から何か銀色のものを出し、黒い影に嗾けたのだった。
まるで銀色の何かに追いやられる様に黒い影がコンパートメントから去っていく。
部屋に暖かさと明るさが戻ってくる。
黒い影が消えても全員が蒼白な顔をしており、ポッターも未だに床で無様に転がっている。
そんな中で……やはりダリアだけが何の影響も受けていないかのように、いつもと変わらない無表情でいた。
ハリー視点
声が聞こえた気がした。
『ハリーだけは! ハリーだけは、どうかハリーだけは!』
『退け、馬鹿な女め……。さぁ、退くんだ』
誰かの必死に哀願する声と、それを無慈悲に遮る声が。
どこから聞こえているのかも、誰が出している声なのかも分からない。でも僕は声を聞きながら、どうしようもなく声の主を助けたいという思いに駆られていた。
……何故か無性に、その声の主を恋しく思ってしまったのだ。
必死に声のする方に手を伸ばそうとする。しかし濃い霧に囲まれたように、僕が手を向けている方向すら判然としない。僕は周りに手を伸ばしているのか、あるいは自分の
そして、
『お願い! 私はどうなっても、』
『アバダケダブラ!』
時間切れになってしまった。
あれだけ響いていた声が急に鳴り止む。同時に、
「ハリー! しっかりして!」
僕は
ハーマイオニーの声に僕は目を見開く。周りを見渡してもいつの間にか明かりの点ったコンパートメントがあるだけで、先程まで見つめ続けていた霧などどこにも存在しない。
「な、何が起こったの? あいつはどこに行ったんだ? そ、それに、さっきの叫び声は誰が出していたの?」
訳の分からない状況だった。声が誰のものだったのか、先程まで霧の中にいたのにどうして僕は床で寝ているのか。僕は困惑しながら、こちらを覗きこんでいたハーマイオニーに尋ねる。
しかしハーマイオニーが僕の質問に答える前に、
「あぁ、
『闇の魔術に対する防衛術』の新任教師、ルーピン先生が話しかけてきた。
巨大な板チョコを割り、僕を含む全員に配りながら先生は続ける。
「そこにいる綺麗な髪の子も言っていたが、あれはディメンター……吸魂鬼という生き物で、アズカバンの看守だ。あれが近くにいるだけで……体が少々
そう言って先生は僕の脇を通り過ぎ、一瞬ダリア・マルフォイの
残された僕達は、ダリア・マルフォイに無理やりチョコレートを押し込められているドラコとグリーングラスを横目に話し始める。
「そ、それで、結局何があったの?」
「……あの吸魂鬼が私達を見回したと思ったら、突然貴方が倒れてしまったの。そしたらルーピン先生が何か銀色のものを出してあいつを追い払ったのよ」
僕だけではなく、ダリア・マルフォイ達の方にも心配そうな視線を向けながらハーマイオニーが応えた。彼女に続き、ロンも心底憔悴した表情で応える。
「僕……妙な気持ちだった。何だか……もう一生楽しい気分になれないような……そんな気がしたんだ」
目の前にドラコ達がいるというのに、ロンが弱音のような言葉を吐く。それだけ彼も恐ろしかったということなのだろう。それはやはりダリア・マルフォイ以外は同じなのか、全員が全員皆青い顔をしている。……でも、
「でも、僕の他に座席から落ちた人はいる?」
気絶していたのはどうやら僕だけの様子だった。皆震えていても意識だけはハッキリしているし、ダリア・マルフォイに至っては平然としてすらいる。
僕は恥ずかしかった。他の人間が大丈夫だったのに、自分だけが気絶するなんて……。しかもよりにもよってドラコ・マルフォイ達の前で。
案の定僕が尋ねると、いつもの蒼い顔色をさらに蒼くしたドラコが馬鹿にしたように返してきた。
「ふん。そんな奴お前くらいのものだろうさ、ポッター。本当に情けない奴だな。あの吸魂鬼が気絶するほど怖かったのか?」
「……ああ、まだいたのか。失せろよ、マルフォイ。お前の妹とグリーングラスもな」
ドラコの言葉に、彼の存在を今思い出したかのようにロンが立ち上がる。
「ハリーのことを馬鹿にしているけど、お前なんてお漏らししかけてたんじゃないか? 今だって妹に支えられて、お前こそ情けなくないのか?」
「……黙れ、ウィーズリー」
変化は一瞬だった。元気がないながらも、再び部屋の空気が張り詰めたものに変わる。汽車が止まる前同様、放っておけばまた殴り合いの喧嘩に発展する空気であるのは火を見るよりも明らかだ。かくいう僕も参戦するつもりだった。ダリア・マルフォイがこちらに不穏な視線を投げかけていても構おうものか。
誰のものだったかは分からないけど、先程まで聞こえていた声が聞こえなくなったことに僕は気が立っていたのだ。何かとても大切なものを失ってしまったような……そんなどうしようもない喪失感を感じ、ドラコの揶揄に我慢できる余裕などありはしなかった。
しかし、
「おや、皆立ち上がって、一体どうしたんだい?」
再度喧嘩に発展する前に邪魔が入ったことで、またもやコンパートメント内で惨劇が起こることは未然に防がれたのだった。
穏やかな声がした方に振り返ると、今帰ってきたらしいルーピン先生が入り口に立っていた。
「喧嘩が出来るくらいなのだから、もう大丈夫だろう。ホグワーツに着くのはまだ時間がかかるとはいえ、君達ももう自分達のコンパートメントに帰った方がいい。特にそこの君達はここのコンパートメントではないのだろう? 隣の部屋にいるクラッブ君とゴイル君も連れて自分のコンパートメントに帰りなさい」
張り詰めていた空気が霧散する。
ダリア・マルフォイは剣呑な目つきを引っ込めており、ドラコも先生の目の前で喧嘩をする程馬鹿ではない。ドラコはルーピン先生の服装を値踏みするように眺めまわした後、皮肉を込めたように、
「そうですね。そろそろ着替えなくては。僕等は他にも
そう言い放ち外に出て行った。
本当に性根のねじ曲がった嫌な奴だ。先生に僕らは助けられたというのに、ドラコはまだ服装が多少みすぼらしいことを理由に先生を馬鹿にし続けるつもりなのだろう。
……でも奴の妹、ダリア・マルフォイだけは違った反応を示していた。
ドラコに続きすぐに外に出ていくのかと思いきや、顔色の悪いグリーングラスを支えながら一瞬こちらを振り返り、
「先生は『守護霊の呪文』を使えるのですね」
そんなことを呟いていた。振り返った表情は、やはりいつもと少しも変わらない無表情。表情だけならドラコ同様、恩人である先生に対して何の興味も示していないように見える。でも彼女の瞳には、何故かドラコと同じような侮蔑の色だけはないような気がした。寧ろ好意的ですらあるような……。
ダリア・マルフォイは無表情で数秒ルーピン先生を見つめた後、
「『闇の魔術に対する防衛術』の授業、楽しみにしています」
今度こそ自分たちのコンパートメントに帰って行ったのだった。
ようやく嫌な連中が部屋から消え、顔色がようやく戻りつつある僕達とルーピン先生が残される。そんな中ポツリと、
「……彼女は『守護霊の呪文』を知っているみたいだね。あの年でこの呪文を知っているとは、彼女は中々優秀な子なのだろうね。しかし、それにしたって……」
ルーピン先生の困惑したような呟きだけが静かに響いていた。
ダリア視点
吸魂鬼が突然汽車に乗り込んでくるという事件はあったものの、あれ以降は何事もなく汽車はホグワーツに到着することが出来た。お兄様とダフネ、そしてクラッブとゴイルの顔色も完全に元通りになっている。
そして到着後も何事もなく、去年と代り映えのしない光景を通り過ぎる……というわけにはいかなかった。
透明な何かに引かれる馬車に乗り込み、私達はホグワーツの校門、イノシシの像が横に並び立つ壮大な鋳鉄の門を走り抜ける。
左右に広がる広大な森。世界屈指の魔法学校に相応しい壮大かつ重厚な校門。そんな去年と代り映えのしない、何の変哲も不思議もない光景の中に……どうしようもなく非日常な生き物達が映りこんでいた。
顔をすっぽりと覆う頭巾。揺ら揺らとはためくボロボロのマント。周囲に垂れ流される冷たい空気。
門の両脇に『吸魂鬼』がいたのだ。
シリウス・ブラックはハリー・ポッターを狙っており、それ故警護としてホグワーツ周辺には『吸魂鬼』が配備される。それは出発前にお父様から聞き及んでいた。しかし聞き及んでいたからと言って、『吸魂鬼』の存在を容認できるかと言えばまた別の話だ。
脇を通り過ぎている間にも、お兄様とダフネの顔色がみるみる悪くなってきている。『吸魂鬼』に唯一対抗出来る呪文を
その証拠に、奴は私達がシリウス・ブラックを隠しているとは微塵も思っていないだろうに、それでも捜査を口実にお兄様とダフネから
今までは然程興味の引かれる生き物ではなかったが、私は今回の出来事で『吸魂鬼』のことが心底嫌いになっていた。
お兄様達を意味もなく傷つけようとしたから。
そして何より……。
私が苛立ち混じりの思考にふけっている間にも、馬車は滞りなく進み続ける。
『吸魂鬼』嫌いで有名な老害のお膝元ということもあり、奴らも今回は襲い掛かってくるようなことはなかった。ダンブルドアの考え方に同調するつもりはないが、あいつ等への嫌悪感だけは今なら素直に同意できるだろう。
何にも妨害されることなく馬車は順調に進み、ほどなくしてホグワーツ城入り口に続く石段の前で動きを止めた。
私は急いで外に出て、お兄様達が転げないように手を差し伸べながら尋ねる。
「さぁ、着きましたよ。お兄様、ダフネ。立ち上がれますか?」
『吸魂鬼』に近づいたのはほんの数秒のことではあったが、やはり全く影響がないというわけにはいかない。お兄様もダフネも、全くの絶好調というわけではなさそうだった。汽車の時程ではないにしろ多少顔色が悪い。クラッブとゴイルも顔色を悪くしているが……こいつらは放っておいても大丈夫だろう。どうせ御馳走を口に放り込んでおけば勝手に元気になる。
もしここで少しでもふらつくようであれば、迷わず医務室に連れて行こう。そう思いながら手を伸ばしていたわけだが……私の決意は杞憂に終わる。
「あぁ、大丈夫だ。ダフネ、お前はどうだ?」
「……私も大丈夫だよ。ダリア、心配してくれてありがとうね」
顔色は悪いものの何の問題もなく立ち上がり、二人とも馬車をしっかりとした足取りで降りることが出来ていた。私も二人の動作に納得し、医務室に連行するプランを棄却した。これなら無理やり医務室に連れて行く方が、二人に余計な体力を使わせてしまうと判断したのだ。
馬車を降りた私達は生徒達の群がる石段を登り、松明で煌々と照らし出される玄関ホールに進む。そしてホールを横切って大きな扉をくぐれば、空中に星の数ほどの蝋燭が浮かぶ大広間にたどり着いた。テーブルには既に黄金の食器が並んでおり、生徒達が着席するのを今か今かと待ち構えている。皿は当然まだ空だった。
「御馳走を食べる前に『組分け』……はいいんだけど、あの爺の話を聞かないといけないんだよね……」
ダフネの残念そうな呟きに、私は肩をすくめることで応える。私もダフネと同じく、あんな老害の話を聞く前に食事を済ませ、奴が話し出す前にさっさと寝てしまいたかった。あの老害の声を聞く方が、私には『吸魂鬼』と一緒にいるよりよほど体力を使う。
私達は老害の声を聞かずに済むように、老害からなるべく
……しかし、勿論ここも安住の地というわけではなかった。
たとえダフネやお兄様、そしてドビーがいたとしても……たとえ老害がいなかったとしても、この学校は私の安住の地というわけではないのだ。どんなにダフネとの時間が楽しくても、常に気を張っておく必要がある。
何故なら、
「ダ、ダリア・マルフォイ!」
私は未だに、生徒達にとって警戒対象でしかないから。
入ってきたばかりの生徒が私を見た途端悲鳴に近い声を上げ、逃げるように前の方に駆けて行く。私達の周りはいつまで経っても、ポッカリと穴が開いたように空いていた。
あまりに隅っこの席であること……そして
別に周りに誰か座ってほしいというわけではない。寧ろ知らない生徒が周りに座られても困るくらいだ。ただそれなら……それならこの鬱陶しい視線も送らないでいてほしかった。近づいては来ないくせに、視線だけは警戒したものを私に送り続ける有象無象達。
警戒していない視線を送る人間がいたとしても、
「ドラコ! 久しぶりね、元気にしていた!? ……それとダリアとダフネ。ダフネの方は夏休みの間何回か会ったけど、貴女達も元気だった?」
声がした方に顔を向けると、パグ犬顔のパーキンソン、がっしりとした体格のブルストロード。そして痩身で寡黙そうなセオドールに、軽い雰囲気のザビニがこちらに向けて足を進めていた。ザビニ以外は
今年も油断しないようにしなくては。
ダフネとの時間を終わらせないためにも。
私の憂鬱な気持ちをよそに、パーキンソン達は私達の周りに陣取り始める。そして真っ先にお兄様の隣を陣取ったパーキンソンが、私達の返事を聞くこともなく甲高い声で続けた。しかも、
「それよりドラコ、聞いた!? ポッターの奴、『吸魂鬼』が怖くて気絶しちゃったらしいのよ! 本当に情けない奴よね! あんなもの気絶するほどでもないでしょうに! ドラコも当然気絶なんてしなかったでしょう?」
何だかさらに憂鬱な気分になりそうな話を。私のただでさえ憂鬱だった気持ちがさらに沈んだものに変わった。
私は『吸魂鬼』のことが心底嫌いだ。
お兄様を傷つけようとしたから。ダフネの幸福を奪おうとしたから。
そして何より、あいつは私のことを……。
一年の始まりから心が挫けそうだった。嫌な話の流れに、私は知らず知らずの内にダフネの手を握りこむ。
「……ふん、当たり前だ。英雄だのなんだの言われてるが、ポッターなんてその程度の奴さ。僕は勿論気絶なんてしなかったし、ダリアに至っては全く動じてもいなかった。ダリアはあいつと違って心が強いからな」
……違うのです、お兄様。
お兄様は知らないのだろう。『吸魂鬼』からの影響は、心の強さによって決まるものではないということを。
奴らは相手の幸福な気持ちを貪り食う。残されるのは最悪な経験と記憶のみだ。だから『吸魂鬼』からの影響は、その人間が如何に恐ろしい経験をしたかによって決まる。
その点ポッターは間違いなく最悪の経験をしていると言ってもいいだろう。気絶するほどの影響を受けるのも頷ける。彼以外の人間も彼ほど恐ろしい経験はしていないだろうが、全く影響がないということはあり得ない。誰であっても何かしらの嫌な経験というものはしているものだ。
だからこそ、私のように
では何故私は影響を受けなかったか。寒気だけを感じ、幸福な気持ちを吸い取られるでも、絶望感に身を委ねるでもない。私が他の
そんなの決まっている。それは、
『君の魂……いや、これは正確ではないな。君の魂のようなものと肉体が離れている理由。それはね……君の魂は、魂と呼べるようなものなどではないからだよ』
私が人間ではないから以外あり得ない。
『吸魂鬼』は目が見えない。その代わりに奴らは人間の心や魂を感じ取ることで、餌である人間がどこにいるかを知ることが出来る。私の場合も、心までは辛うじて感じ取ることが出来たのだろう。だからこそ一瞬だけ私の方に顔を向け反応を示していた。
しかし魂までは感じ取ることが出来なかった。挙句の果てに奴らは……。
「そうよね! そうだと思ったわ! ねえ、ドラコ! 明日からこれでポッターを揶揄ってやりましょう! あいつ『バジリスク』を倒したくらいで調子にのっているだろうから、身の程を教えてあげないと!」
「ああ、そうだな」
お兄様はパーキンソンの方に顔を向けているため、僅かな私の表情変化に気が付かない。他の連中は、勿論私の表情を読み取れるわけがない。
私の変化に気が付いたのは、私の手を握り返すダフネだけだった。
どんなに友人が出来ても、どんなに家族の一人が城で働いていようとも、去年と同じく一年の始まりは酷く憂鬱な気分で始まってしまったのだった。
私は『吸魂鬼』のことが心底嫌いだ。
お兄様を意味もなく傷つけようとしたから。
ダフネの幸福を奪おうとしたから。
そして何より、あいつは私のことを……
私が人間でないと……奴は
ダフネ視点
宴会が終わり寝室に入った私達は、明日から授業が始まるということで早々に眠ることにした。
今寝室には
そんな中で私だけは目を開け、隣のベッドにいるダリアの寝顔をそっと眺めていた。
別に疲れていないわけではない。『吸魂鬼』の影響を受けていないわけでもない。
ただ……
『……さようなら、ダフネ』
汽車の中で聞こえた声を思い出してしまい、中々眠ることが出来なかったのだ。
あの時聞こえた声は、紛れもなく秘密の部屋でダリアが発していたものだった。ダリアが自殺さえ考える程追い詰められたあの時の……。
『吸魂鬼』に幸福な感情を吸い取られてしまった時、人は自分の人生で最も恐ろしかった時の記憶を呼び起こされるという。確かにあれは私にとって最悪の記憶と言っていい。自分のせいでダリアが追い詰められ、自分のことを『死ななければならない怪物』とまで思うようになってしまった。私はダリアに救われた。それなのに私は、彼女が追い詰められていくのを眺めていることしか出来なかった。
嫌な記憶だった。恐ろしい記憶だった。
でも、忘れることは許されない。あの時の感情が自分にとって最悪なものだと言うなら、あれをもう二度と繰り返してはならない。
今年はもう間違えない。私はダリアにようやく友達だと言ってもらえたのだ。この幸せを、私は維持できるよう努力しなければならない。
それに……、
『新学期おめでとう! そして皆が御馳走でボーっとする前に、いくつかお知らせがある! まずはホグワーツ特急での捜査があったようじゃから皆知っておろうが、我が校は今年アズカバンのディメンター達を受け入れておる。あ奴らは学校の入り口におるのじゃが……決してあ奴らに近づいてはならん。あ奴らに言い訳やお願いは通じん。口実さえあれば、何の躊躇も容赦もなく皆に危害を加えるじゃろう』
今年だって平穏無事な年になることはなさそうだから。
老害は他にも、『闇の魔術に対する防衛術』に
ダリアは『吸魂鬼』の影響を受けない。その一点においては、たとえ『吸魂鬼』に万が一ダリアが近づく事態になっても、彼女に危害が加えられるようなことはないだろう。
でも、彼女の
何故なら彼女は『吸魂鬼』からの影響を
彼女が自分が人間でないと再認識してしまうから。
ドラコはまだ気が付いていないみたいだけど、ダリアが『吸魂鬼』に近寄られても平気だと言われた時、彼女はハッキリと表情を悲しみに歪めていた。どんな論理でダリアが平気だったかは分からないけど、彼女がそれをよく思っていないことだけは確かなのだ。ドビーが作ったと思しき食事がダリアの前に並べられた時にはもう元の嬉しそうな無表情に戻っていたけど、あの時の表情を私は決して無視することは出来なかった。
「ダリア……絶対に、今年こそ貴女を守ってみせる。たとえどんな奴が相手だろうとも」
私はダリアの寝顔を眺めながら決意を新たにする。
ハリー・ポッターを狙っているという大量殺人犯の脱獄。『吸魂鬼』の配備。続くであろうダリアへの恐怖の視線。
問題は山積みで、今年も決して平穏な年になる気がしない。
でも、必ずダリアのことを……。
だって、私はダリアの
寝室に響いていた寝息が四人分になったのは、それからもう少し後のことだった。