ハリー・ポッターと帝王のホムンクルス   作:オリゴデンドロサイト

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視点によって時間軸が違います。ご注意を。
ダリア視点⇒誕生日一週間前
ハリー視点⇒誕生日前後


アズカバンの囚人
少年の記憶


 

()()()視点

 

世界は『弱肉強食』という名のルールの下に回っている。

物心がつく頃には、()はもうその真実に気が付いていた。

 

何故なら僕の住む()()()は、そのどうしようもなく単純で明確なルールによって支配されていたから。

 

ただでさえ日当たりが悪い立地であるのに、窓も少ないせいか風通しも悪い世界。そんな中で、皆同じ灰色のチュニックを着せられ、僕ら孤児には差異があることすら許されない。

管理人を名乗る女が毎日、

 

『皆仲良く、喧嘩しないようにね。どんな事情の子であろうとも、皆平等なのだからね』

 

等と口先だけの言葉を吐いているが、現実が変わるわけではない。きっとあの女も、自分の言っていることを信じてはいない。あいつにとって、僕らが平等である方が()()しやすいというだけだ。

そう……着るものを同じにされようが、たとえ皆仲良く平等にと言われようが、現実自体が変わるわけではない。

皆等しく違っており……誰一人として平等な存在などではない。必ず()()と言うものが存在している。

現に孤児の中には、明確な上下関係というものが存在していた。

実の親を知っている者。親が金持ちであった者。親戚に引き取られる予定がある者。

 

そして……力が強く、他者を支配出来る者。

 

様々なランク付けがある中で、一際重要な要素はこの一点だった。より大きな力を持ち、より相手を支配出来る力を持つ者こそが、この孤児院においては最も『特別』な存在だった。『特別』でない人間など、ただ他者に食われるだけの存在だった。

生きているようで……死んでいる存在だった。

かくいう僕は、生まれつき体格に優れていたわけでもなく、腕力で言えば寧ろ下から数えた方が早い方であったが……孤児たちの中では間違いなく、上位の存在に位置していた。

 

僕が『特別』な力を持っていたから。

 

それに気づくまでは、僕の生活は惨めなものだった。

管理人の目を盗んで、日々大きな体を持つものに食べ物を奪われる。食べ物を奪われればさらに力が弱まり、次の日も食べ物を奪われる。食べ物だけではなく、僕の数少ない持ち物さえ次々と奪われていく。力が弱いだけではなく、実の親を知らず、親が金持ちでもなく、親に引き取られる予定すらない僕は、当時最も下位な存在だった。

親のことで知っていることといえば、母親は僕を生んですぐに死んだこと、まだ生きているかもしれない父親が、『トム・リドル』なんて()()()()()名前であることくらいだ。そんなもの、全く知らないのと同義だ。

惨めだった。惨めであるのに、そんな惨めさにすら気づけない本当の惨めさ。『弱肉強食』の中で、ただ食べられるのを待つだけの存在。それが当時の僕だった。

 

だがある時、

 

『おい! お前の皿の物を寄越せ! お前は体が小さいんだから、そんなに量はいらないだろう! ただのトムのくせに、これ以上食べようなんて生意気なんだよ!』

 

クリスマスには毎年、いつもは食卓に並ばないような果物が出される。しかしそんな特別な日にも、もはや毎日の挨拶のように繰り返されてきた言葉が放たれる。理不尽だとは思わなかった。それがこの世界のルールであり、至極当たり前の真実であるのだから。

でも、その時の僕は本当にこの果物を楽しみにしていた。一年に一度にしか食べられないであろう果物。ここで奪われてしまえば、次いつ食べられるか分かったものではない。それにこの時の僕は酷く空腹だった。何日も食べ物を奪われ続け、もはやスープの一滴すら渡してなるものかと思っていた。後先も考えず、ルールに逆らわねば死んでしまうと思う程に。

だから必死な思いで、

 

『僕の皿に触れるな!』

 

そう叫んだのだ。叫んだ後、強い後悔を覚えた。

下手をしなくても、この後僕は殴られるだろう。抵抗むなしく食事を奪われるばかりか、今度こそ死ぬまで殴られ続け、僕は『()()()()()()()()』息絶えるかもしれない。

……でも、一向に拳が来ることはなかった。

 

予想通り僕に拳を振り上げた奴は……そのまま僕を殴りつけることなく、()()していたのだ。

 

最初、僕はそれが自分の力によるものだとは思っていなかった。ただの偶然。たまたま僕が叫んだ時、奴が勝手に気絶しただけだと、僕はそう思っていた。

しかし、その認識はいつしか疑いとなり……最後には確信となった。あのクリスマスの出来事から、不思議な事が度々起こるようになったのだ。

僕の持ち物を奪おうとした奴の手に突然水疱瘡が出来たり、僕を殴ろうとした奴が突然痙攣し始めたり。全て僕に都合のいいように、本来は起こりえないような不思議な現象が続いた。

 

僕は確信した。

僕には『特別』な力があるのだと。僕は……『特別』な存在なのだと。

 

そしてそれに気が付いた時には、僕はこの『特別』な力を制御できるようになっていた。

意識して命令すれば、簡単に他人が従うようになった。人だけでなく、動物さえも思い通りに動かせるようになった。必要であれば傷つけることさえ出来るようになった。

 

僕はいつの間にか食われる存在ではなく、食う側の存在になっていた。

果物を奪われる側ではなく、奪う側の存在に。

 

死んでいた僕は……あのクリスマスの日に、初めて()()()()のだ。

 

弱肉強食の世界には、二通りの存在しかない。食う側と食われる側だ。食われないためには、相手を食うしか道はない。食う側に回らなければ、ただ死ぬだけだ。

管理人は、

 

『世の中には、無償で物を与えてくれるような優しい人もいる。だからあなた達も他人に優しく、そして希望を持ち続けなさい』

 

なんて言うが、そんなのは嘘だ。現に、僕は一度として無償で物を与えられたことはない。物は与えられるのではなく、奪わなければならないのだ。奪わなければ、僕は果実を永遠に食べることは出来ない。

 

だから僕は正しく実行した。この身で経験し続けてきたルールに、僕はただ従った。この方法()()、僕は果実を得る方法を()()()()()()()()

 

なのに……どうしてか、僕は満たされることはなかった。

食べ物を奪えるようになることによって、僕は空腹ではなくなった。宝物と言えるような物も、大量に手に入れることができるようなった。

それなのに……僕はいつもどこか『渇き』のような感情を抱えていた。僕を見つめる他の孤児、そして管理人の視線も、以前の憐れむような……蔑むような視線ではなく、どこか恐れ、警戒するような視線になっていた。

僕は知っていた。奴等の視線の変化は、僕が『特別』である証なのだと。僕が奪う側である証明。

なのに、どうしてか僕は、その視線に少しだけ『渇き』を感じ続けていた。

『渇き』を癒すために、さらに僕は奪い続ける。でも何故か『渇き』はさらに強まっていく。

生きるために。誰かに……されるために。僕はただ奪い続けた。

 

そんなある日のことだった。

 

『はじめまして、()()。私はダンブルドア教授だ』

 

()が孤児院に現れたのは。

濃紫のビロードの、派手なカットの背広という頭のおかしな恰好をした奴は、その日突然僕の部屋を訪れた。

管理人に客だと紹介された奴は、突然部屋に入ってきたかと思うと、そのまま勝手に近くにあった椅子に腰かけながら、唖然とする僕を横目に言い放つ。

 

『私は先程も言った通り、ホグワーツという学校で教鞭をとっている者だ。今回は君に、私の学校への入学を進めにきたのだよ」

 

突然現れた狂った格好をした人間。そして学校という言葉。僕は怒りを露にしながら叫ぶ。

 

『騙されないぞ! 何が学校だ! どうせ精神病院だろう! それに……『教授』? ……ふん、何が『教授』だ! 本当は医者か何かだろう!? 僕は絶対に行かないぞ! 僕は狂ってなんかいない!」

 

最近、僕の『特別』を理解できない管理人が、僕を頻りに精神病院に入れようとしていることは知っていた。だからこいつだってその手合いだと思ったのだ。

でも、

 

『私は精神病院から来たのではない』

 

奴の一言で、僕は怒りを鎮めることになる。

 

『君は狂ってなどいない。それに、ホグワーツは狂った者の学校ではない。魔法学校なのだ』

 

僕は凍り付いた。今こいつは何と言った?

 

『……魔法?』

 

『その通り。その反応だと……君には心当たりがあるようだね?』

 

奴の言葉通り、僕には大いに心当たりがあった。

僕のこの『特別』な力。これは紛うことなき、魔法としか言いようのない力だった。

奴のことを信じたわけではない。でも、もし奴の言っている『魔法』と、僕の『特別』が同じものだとしたら……。

 

『……ある。僕は他の人間が出来ないような、『特別』なことが出来る』

 

『ほう。例えばどういうことかな?』

 

食いつくように質問する奴に、僕は興奮しながら応える。下を見やれば、期待に震える自分の握りこぶしが見えた。

 

『いろんなことさ。物や動物、それに人を触れずに動かしたり、従わせたりできる。その気になれば傷つけることだって。僕は……『特別』な存在なんだ』

 

『……『特別』かは分からんが、確かに君は魔法使いのようだね』

 

頭上からかけられる言葉に、僕は歓喜を持って顔を上げる。

世界はようやく『特別』な僕を認めた。親戚に引き取られていく孤児の様に、『特別』である僕はようやく、この狭苦しい世界から解放され、新しい世界に行くことが出来るかもしれない。きっとこの『渇き』も、外の世界なら癒すことが出来るに違いない。僕はこんな場所の『特別』ではなく、外の世界でも『特別』な……偉大な存在になることが出来る。

 

そんな期待を胸に奴を見上げ……僅かに()()した。

 

何故なら……今まで見たことのない恰好をした、聞いたこともない世界のことを語る奴の目は……その実どこまでも()()()()ものだったから。

 

奴の目は、管理人や他の孤児と同じく、見慣れた『()()』の色をしていた。

 

そして瞳に映る()は……どこまでも『秘密の部屋』で見た彼に似通っていた。

 

 

 

 

これが()の原風景。

()の魂のような物に()()()()()()、彼の小さかった頃の記憶。もう誰にも……それこそ『怪物』になった彼自身にも、そして夢から覚めた私にも思い出されないだろう彼の記録。無意識にしか行きつけない、一方通行の追体験。

 

夢の中で彼であった私には、そのことが少し悲しかった。

私は気付いたのだ。彼は知らなかっただけだった。愛を。愛し方を。そして愛され方を。

彼は愛を与えられも、そして愛を感じる機会すら与えられはしなかったし、両親に愛されていたかもという幻想すら描くことを許されはしなかった。

本物は勿論、偽りの愛さえ彼には与えられなかった。

与えられも、ましてや知りもしない物を他者に与えることは出来ない。彼は誰よりも才能に恵まれてはいたが、そんな単純な真実から逃れられる例外ではなかった。

彼を唯一救えたかもしれない奴も……彼に愛を与えられる程には、愛を理解していなかった。愛の力を知ってはいても、愛そのものを理解してはいなかった。

 

そうして愛を知らず、与えられもしなかった彼は、一人の女子生徒を殺すことによって死に、代わりに『怪物』として生まれ変わることになる。

 

『ヴォルデモート卿』という名の怪物に。

 

人を殺したことで、彼自身も死んだのだ。

『怪物』になることしか知らなかった彼が、その実『怪物』になることで永遠に死ぬことになった。結局彼は……『怪物』になることでしか生きられなかったのだ。

そのどうしようもない現実が無性に悲しいと思いながら……私はゆっくりと目を覚ます。

 

起きた時には、もう夢のことは覚えてはいなかった。

何故なら……これは私の中にあるだけで、()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

「……」

 

朝目が覚めると、外はすっかり明るくなっているみたいだった。カーテンが閉められていても、外がもう朝どころか昼に差し掛かり始めている時間だということが分かる。どうやら私は少し寝坊をしてしまったらしい。いつもは自分一人で起きられるのだが、時折こういった風に寝坊する時がある。そんな時は大抵ドビーが起こしに来てくれるのだけど……ドビーはもう家にはいない。彼はマルフォイ家の『屋敷しもべ』ではなくなってしまったから。

でも、悲しいというわけではない。

何故なら彼は、マルフォイ家の僕ではなくなっただけで、私の家族でなくなったわけではない。彼に会おうと思えば、ホグワーツに行くだけでよい。親友のダフネのように。

なら、私が悲しく思う必要はない。家族の在り方が少し変わっただけなのだ。

それに、

 

「ダリア? 起きているの?」

 

ドビーが起こしに来なくとも、私の大好きなお母様が起こしに来てくださるから。

 

「はい。今起きました。申し訳ありません、お母様。お手を煩わせてしまいました」

 

「いいのよ。ダリアはまだ学校での疲れが取れ切れていないのだから、家にいる時くらい寝坊しても構わないわ」

 

そう優しい微笑みを湛えながら、お母様は近づいてこられたが、

 

「あら? ダリア、泣いているの?」

 

ふと、私の顔を覗き込みながら言った。

お母様の言葉に、私も頬に手を当てると……確かに瞳から涙がこぼれていた。

 

「ダリア……また怖い夢でもみたの?」

 

「……そうなのかもしれません。でも大丈夫です。夢は見ていたとは思うのですが、今は思い出せませんから」

 

そっと背中を撫でてくださるお母様に、私は涙を拭きながら応えた。

一度拭いてしまえば、もう涙があふれるということはない。強がりではなく、本当に何故泣いていたのか分からなかった。どうせ変な夢でも見ていただけだろう。

 

強いて言うなら……夢の内容を思い出せないことが、何故か無性に悲しかった。

 

お母様は私の無表情を心配そうにのぞき込んでいたが、私の言葉に間違いはないと分ると、

 

「そう? でも、無理はしないようにね。貴女はため込みすぎるのだから」

 

そう言って私の頭を一撫でし立ち上がると、少し名残惜しく思っている私に、お母様は朗らかな声で続ける。

 

「さあ、朝食に行きましょう。お父様もドラコも待っているわ。それに、今日は貴女のドレスを仕立てないといけないのですもの。忙しくなるわ」

 

お母様の仰る通り、今日はやるべきことが詰まっている。私の本当の誕生日用のドレスのために、今日はダイアゴン横丁まで行く。毎年違ったドレスを着る関係上、今年も採寸から行わねばならないだろう。

お母様に見守られる中、私は身支度を整えると、急ぎお父様とお兄様が待つ食堂に向かう。

これ以上お待たせしないために、日常という幸福を、少しでも長く家族と分かち合うために。

 

それが何故か……彼への唯一の弔いであるのだと、心の奥で感じながら……。

彼が一体誰なのか、最後まで思い出せないまま……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハリー視点

 

夏休み期間中、僕にとっていいことは起こらない。

それは13年という短い人生の中で、僕が痛い程経験して学んだことだった。

ダーズリー家に戻ってからの生活は、去年のように僕本人が監禁されるということはないまでも、決して良くなったと言えるものではなかった。

相変わらず勉強道具は真っ先に鍵をかけて仕舞いこまれるし、ヘドウィグは閉じ込められているせいで大騒ぎするし、そのせいで余計おじさん達の機嫌が悪くなるし……。

 

唯一いいことがあったとすれば、僕の誕生日くらいのものだった。

ホグワーツに入るまでは、自分の誕生日ですら楽しみな日などではなかったけど……入学してからは、必ずプレゼントを送ってくれる友達がいる。

ハグリッドは、

 

『こいつは来学期役に立つぞ。何故かはまだ言えん。続きは会った時にな』

 

と書いた手紙と共に、やたらとこちらに噛みつこうとする『怪物的な怪物の本』を。

まだまだ本調子ではないらしいハーマイオニーは、休暇最後の週にロンドンで過ごす予定だと書いた手紙と、『箒磨きセット』という本当に嬉しいプレゼントを。

くじで大量の金貨を得たらしいロンは、スキャバーズを肩に乗せる自身も写った一週間前の『日刊予言者新聞』切り抜きと、旅行先で買ったらしい『かくれん防止器』なる胡散臭い道具を。

ハーマイオニーのプレゼント以外は何だか酷く胡散臭い上に、ハグリッドの物に至っては危険ですらある気がしたが、どれも心から送ってくれたものだと分かっているので嬉しく、並べて眺めていると何だか心が温まるような気持ちだった。

 

こんなに嬉しい誕生日は、生まれて初めてのことだった。こんなに嬉しい日があるなら、夏休みだってそう悪いものではない。誰かに祝ってもらえる誕生日さえあれば、この先も辛い夏休みを我慢しながら過ごすことが出来る。

 

そう思っていた。

でも、やっぱり夏休みは辛いことばかりだった。唯一の楽しい記憶すら容易く塗りつぶされる。

何故なら、

 

「お前の両親は文無しで、役立たずで、ゴクつぶしのろくでなしだったのさ!」

 

「違う!」

 

マージおばさんが、ダーズリー家に訪れたから。

マージおばさんはダーズリーおじさんの妹で、兄と容姿も性格もそっくりな人だった。僕に会えば開口一番に悪態をつき、酷いときには両親のことも愚弄する。

この大嫌いな叔母さんが来ると知った時はショックだったが、今年から週末に行けるホグワーツ近くの魔法使いだけの村、『ホグズミード村』に行くためにはおじさんのサインが必要なため、なるべく機嫌を損ねないようにいい子であろうと決意していた。

でも結果は、

 

「いいや、違わないね! お前の両親は酔っぱらった挙句、自動車事故で死んだんだ! 情けない親だよ! そんなろくでなしの子であるお前もね!」

この有様だった。

あまりに酷い罵声につい言い返してしまうと、その何倍もの罵声が返ってくる。ホグズミード行きの許可証のことなど怒りで忘れてしまった僕は、お行儀などかなぐり捨て、ただひたすらマージおばさんに鋭い視線を投げかける。

今すぐに、この雑音を垂れ流す肉の塊を黙らせてやりたいと思った。ヴォルデモートの手から命懸けで僕を守ってくれた両親を、これ以上侮辱されるなんて我慢できなかった。

だから僕はひたすら睨みつける。怒りの赴くままに。この肉塊が、今すぐ黙りますようにと願う。

そして、

 

「お前は礼儀知らずで、恩知らずで、」

 

願いは聞き届けられた。

おばさんは言葉が詰まったかのように、急に黙りこくった。

怒りが膨れ上がったせいで、言葉も出なくなったのだろうか。

そう皆が思い見つめる中で、おばさんは膨れ上がり始める。怒りではなく……おばさんの体自体が。

巨大な赤ら顔は膨張し、小さな目は飛び出し、口は左右に引っ張られて喋るどころではない。

服のボタンははじけ飛び、いよいよ風船みたくなってきた時、おばさんは遂に浮かび始めていた。

 

「マージ!」

 

おじさんとペチュニアおばさんが飛びつくがもう遅い。

あれよ、あれよという内に、マージおばさんは天井まで浮き上がり、天井との間でバウンドを開始する。ダイニングルームは阿鼻叫喚の地獄絵図だった。

僕はその隙に部屋を飛び出し、物置から勉強道具を引っ張り出すと、そのままホグワーツに持っていく道具が詰まったトランクを片手に家を飛び出したのであった。

 

「ここに戻ってこい! マージを元通りにしろ!」

 

という叫び声が背後から投げかけられるが、僕は当然無視する。

当然の報いだ。あのまま中身のない風船のようになっていればいい。

僕はそのまま暗い通りに躍り出ると、目的もなくただ歩き続ける。

 

やっぱり、夏休みに碌なことは起こらない。

 

誕生日にあった温かい気持ちは、もう胸の中のどこにもなかった。ただどす黒い感情だけを原動力に、前だけを見据えて歩き続ける。

目的も、行く当てもない。どんなに歩き続けたって、両親のいない僕がたどり着くのは出口のない袋小路だ。

それは分かっていても、僕は歩き続ける。どこだって、ここよりかは遥かにマシな場所だろうから。

 

 

 

 

これが()()()に遭遇する、ほんの数分前の出来事だった。

暗闇から僕をギラギラした瞳で見つめる、ひどく図体の大きい真っ黒な犬を。

 

これが僕にとっての、事件始まりの合図。

去年同様、事件は僕の知らないうちに始まっていた。

そのことに、偶然上腕を差し出すことで呼んだ『ナイト・バス』の中でも……車掌が読んでいた、マグルを大量に殺したというとある脱獄犯の記事を見ても、僕が気付くことはなかった。

 

 

 

 

事件は、もうすでに始まっていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダリア視点

 

私は気付かなかった……。

 

「今度は腕を上げてくださいね!」

 

朝刊に赤毛一族のニュースが載るという不愉快な出来事もあったが……概ね無事に朝食をとり終え、ダイアゴン横丁にある洋装店に訪れると、さっそくとばかりに採寸が始まる。

 

「毎年ドレスのご注文、ありがとうございます! お嬢様はお美しいので、私も楽しみにしているのですよ!」

 

毎年のことであるが、やけに張り切った店員によって様々な場所が計測されてゆく。恒例の作業であるし、これのおかげで家族にも喜んでもらえるのであるが……一向に慣れることはない。根本的におしゃれに興味がない自分としては、この採寸という時間は苦痛なものでしかなった。

女というだけで、やけに長い時間を費やされる。しかも終わってみれば、

 

「お嬢様は今年13歳におなりになるのですから……まぁ、あまりサイズ自体は変わっていませんね。で、ですが、美しさは去年よりも磨きがかかっておいでですよ! デザインもより大人に近いものにいたしましょうね!」

 

去年とあまり変わり映えしないという結果に終わっていた。長い時間をかけた割には、実に悲しい結果だ。お母様を長時間お待たせしてしまい、とても申し訳ない気分になる。

しかし店員が言う通り、

 

「……女の子は成長が早い分、止まるのも早いから仕方ないわね。残念がることはないわ。その分デザインを凝ったものにしましょうね」

 

「はい、お母様」

 

私ももう13歳になったのだ。成長期がそろそろ終わりを迎えてもおかしいことはない。それに、別に成長が止まったというわけではない。徐々にではあるが成長は続いてゆく。単に成長が遅くなっただけのことだ。

 

そう思い、私はお母様とデザインを考え始めたのだが……後で考えれば、この時からもう()()は始まっていたのだ。

力、再生力が強いこと。人間の血を飲むこと。日光や銀、そしてニンニクに弱いこと。吸血鬼にある、人間にはない特性。その中に、もう一つ重大な特性があることを、私は失念していた。それこそが、私という『怪物』を作るにあたって、『闇の帝王』が最も重視したことだというのに……私はこの時気付くことはなかった。

 

 

 

 

私は大切な人と、同じ時間すら歩んでいなかった。

 

今年起こる事件とは関係なく、私の体の()()()はゆっくりと……だが確実に進み続けていたのだった。


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