ハリー・ポッターと帝王のホムンクルス 作:オリゴデンドロサイト
ハリー視点
今まで参加したホグワーツの宴会の中でも、今回のものは格別なものだった。
夜中だというのにズラリと並べられた料理や飲み物を囲い、皆パジャマ姿で飲めや歌えやの大騒ぎをしている。スリザリンの席だけは比較的静かだけど、奴ら以外の皆は満面の笑顔を浮かべていた。
何もかも嬉しいことばかりだ。ドビーの叫び声を聞いた時から感じている罪悪感を、一時
皆一様に僕とロン、そしてこんなにも楽しい宴会の中で唯一暗い顔をしているハーマイオニーの所に来ては、僕達のなした冒険を称えてくれること。僕に向けられていた疑いなどもう微塵も存在するはずがなく、ジャスティンやアーニーもハッフルパフの席から来て、僕を疑っていたことを何度も謝ってくれたこと。途中釈放されたハグリッドが宴会に現れたこと。僕等が600点という前代未聞な点数を得たため、クィディッチ杯優勝の点数も含めて他の寮を圧倒し、寮対抗優勝杯を二年連続でグリフィンドールが得ることが確実になったこと。学校からのお祝いとして期末試験がキャンセルされ、今年も最優秀賞をとる可能性のあるダリア・マルフォイによって、スリザリンが逆転する可能性が万に一つもなくなったこと。記憶を失ったロックハートが、療養のため学校を去ること。
そして何より……ジニーが日記に操られていたことを、ダンブルドアが公表しなかったこと。
皆には、ハーマイオニーが正体を暴いた『秘密の部屋の恐怖』は、僕らの手で打ち倒されたということ
ダンブルドアはジニーがこれ以上苦しい思いをする事態を避けてくれたのだ。引き換えに『継承者』が誰だったのか、そしてダリア・マルフォイがどのような役割を今回の事件で担っていたのかは有耶無耶になってしまったけど、少なくとも
本当に嬉しいことばかりだ。何もかもが丸く収まり、懸念すべきことは何一つないはず……なのに。
僕の元に代わる代わるやってくる挨拶の合間、ふとした瞬間に思い出してしまうのだ。
あの時のドビーを。喜びではなく、恐怖と悲しみに満ちた、彼の叫び声を。
……あの時、僕は確かに
真犯人であるルシウス・マルフォイとダリア・マルフォイの犯罪を裏付ける。そしてドビーをマルフォイ家から
なのに、結果はどうだろう。
『お嬢様……どうか……ドビーめを見捨てないで……』
頭の中で繰り返しドビーの悲しみが響き渡る。油断すると、持たなくてもいいはずの罪悪感が心を蝕もうとする。
間違っていないはずなのに……どうして僕はこんなにも自分の行動が間違っていたと思ってしまっているのだろう。
僕は次に挨拶に来た生徒と言葉を交わしながら考える。
いや……僕は間違っていないはずだ。現に、ダンブルドアだって僕のやったことを褒めてくれた。だから僕が罪悪感なんて持つ必要なんてないのだ。
少なくとも今はこの宴会を心から楽しまないと。せっかくダンブルドアが開いてくれた宴会なのだ。皆も今までの鬱憤を晴らすように笑いあっている。『バジリスク』はもういないこと、そしてダリア・マルフォイがこの場に
僕はそう思い直し、再び心の奥底にある罪悪感に蓋をするのだった。
ダフネ視点
「よし、結構な量を持ち出せたね。これくらいあれば大丈夫だね。ドラコも行けそう?」
「ああ、大丈夫だ。そんなことより、早く寮に戻ろう。ダリアが待っている」
そう言って私達は、大量の食糧を腕に抱えながら、今まさに宴会の
今私達の後ろでは、今まであったどんなものよりも盛大な宴会が催されている。夜中に叩き起こされたにも関わらず、ホグワーツの
……今年の事件が
「……本当に、おめでたい連中だよね。でも……」
今年の事件は、何一つ解決なんかされていない。何も終わってなんかいない。最大の問題が残されているのに、事件が解決したなんて言えるわけがない。
……だってまだ、ダリアが『継承者』ではないと証明されていないのだから。あの老害は……ジネブラ・ウィーズリーのことさえ言及しなかったのだから。
予想できなかったわけではない。寧ろ容易に想像できた。ジネブラ・ウィーズリーがやっていた……いや、
それでも、私とドラコ以外の生徒は納得していた。今回の事件が全て解決したのだと。『継承者』であるダリアがジネブラ・ウィーズリーを攫い、ポッター達が『バジリスク』を打ち倒すことで事件は未遂に終わったのだと。証拠がなかったため、ダンブルドアはダリアを捕まえることこそ出来ず終いだったが、ダリアの『バジリスク』自体は打ち倒すことが出来たのだと。
今回の事件は、ダリアの敗北という形で終了したのだと。
……本当に、おめでたい連中だと思った。馬鹿も休み休み言ってほしい。冷静に考えれば間違いだらけの論理を、どうしてああも容易く鵜呑みに出来てしまうのだろうか。本当にここの生徒達には反吐が出る。私達は彼らとは違う。あんなにも優しいダリアを疑ったりなんかしない。ダリアを誤解したりなんかしない。
でも……。
談話室で待つダリアのために、私達は食料を取りにここまで来た。その際見かけた神妙な表情をしたスリザリンの皆を思い出しながら、ふと不安が口から洩れる。
「……でも? なんだ、ダフネ?」
でも、こうも思うのだ。本当に……私は彼らとは違うのだろうかと。
盛り上がる宴会の席で、ダリアが『継承者』として失敗したことを残念がるスリザリン生の姿は……紛れもなく、昔の私の姿と同じだったのだ。ダリアと出会うことのなかった、純血主義を自分への言い訳でしか考えていなかった、愚かでどうしようもない自分の姿と。
「ドラコ……。私はあいつらのことが嫌い。ダリアを傷つけておきながら、それでも尚彼女への罪を忘れて……ううん、気付きもしないで、ああやって笑い声を上げているあいつらが心底憎い。それはたとえダリアを笑ってはいなくても、スリザリンの皆だって同じ。一緒の空気を吸うことさえ嫌だと思う。でもね……私はダリアと出会わなかったら、こんなこと思わなかったかもしれない。昔のどうしようもなく馬鹿な私だったら、ダリアのことも考えずにああやって無邪気に笑い声を上げて、家でも中々食べれないような料理に舌鼓を打っていたのかもしれない。無意識に、何の罪の意識もなくダリアを傷つけ続けていたかもしれない」
『組分け帽子』は初め、私をグリフィンドールに入れようとしていた。でも、私は結局スリザリンを選んだ。ダリアと友達になるために……。ダリアの存在を知っているがために……。
なら私は……ダリアと出会っていなければグリフィンドールに入っていたのだろうか。あの連中と交じり、ダリアを貶め続けていたのだろうか。
……いや、違うか。そもそも私がダリアと出会わなかったとしても、グリフィンドールには入らなかっただろう。ダリアと出会わない私は、ただの純血主義者でしかない。グリフィンドールを選ばず、ダリアと友達になるためではなく、ただ純血であればここに入らなければならないという愚かな固定観念だけで、スリザリンを選び取っていたことだろう。
ただ、それでも結果は変わるわけではない。私は結局、ダリアを『継承者』として疑わなかっただろう。『継承者』の失敗を喜ぶにしろ悲しむにしろ、ダリアを『継承者』として扱うことには変わりはない。等しく……ダリアを傷つける罪人でしかない。
私は今でこそこうして宴会の外にいるけど、本質的には彼らと何一つ変わりはしないのだ。
私は断続的に大広間から上がる歓声を聞きながら、頭を一つ振りドラコに向き直る。
「……ごめんね、ドラコ。今のは忘れて。何の意味もない話だったね。さあ、帰ろう。宴会の目的はともかく、料理だけはいいもの出していたからね。これを持って帰ってあげれば、ダリアも久しぶりに落ち着いていいものを食べることが出来るよ」
「……」
私が意識を切り替えるように歩き出すと、ドラコもダリアの元に早く行きたいのか無言で続く。
しかし歩き出してすぐに、
「……ダフネ。お前が何を悩んでいるか、正直僕にはよく分からないが……。これだけは言える。『秘密の部屋』でお前は、ダリアに『お前は怪物じゃない』って言ったそうだな。自分は生まれつき怪物であると主張するダリアに、それでもダリアは誰も傷つけはしないと……」
どこか単純な事実を語るような口調で、何の前触れもなく話し始めた。
ドラコには『秘密の部屋』であったことを粗方話してある。ダリアが何を悩んでいたか、ダリアが何をしようとしていたか、ダリアを……どのように連れ戻してきたかを。
でもそれが今何の関係があるのだろうか? ここに来る間に話した私の言葉の一部を、どうしてドラコが突然話し始めたのかを訝しがっていると、
「それはお前も同じだ。お前がどんな人間で
そんなことを言った切り、スタスタと驚く私を追い抜いて行ってしまった。
今のは多分……いや間違いなく、ドラコなりの慰めだった。
……成程。ダリアが懐くわけだ。いつもはポッターに幼い子供のように絡むのに、ダリアが少しでも関わると途端に大人になるんだから……。
僅かにあった不安が嘘のように消えてゆく。
私は両手に抱える料理を落とさないようにするため……と、恥ずかしさで少し赤くなった顔を隠すために、決してこちらを振り返ろうとしないドラコに続きながら礼を言う。
「ドラコ……ありがとうね」
「……」
結局返事はなかったけれど。
私はドラコの後ろで微笑みながら思う。
確かにドラコの言う通りだ。ダリアは怪物として造られたとしても、決して怪物なんかではない。それはダリアが優しい心を持っているから。そしてその心を作ったのは、紛れもなくマルフォイ家の環境なのだろう。たとえマルフォイ家に育てられなくても、ダリアが怪物ではなかった可能性はある。でも、そんなことを議論する意味はない。
大切なのは、今のダリアはマルフォイ家の一員であり、人を殺すような怪物ではないという事実のみなのだから。
でも、だからこそ……怪物って何なのだろう。
ドラコの言葉で持ち直した思考に、再び僅かなノイズが混じり込む。
ダリアは怪物を、『人を殺すために造られた、人を殺すことを愉しめる生き物』だと言っていた。確かに、その定義であればダリアは怪物と言えるのかもしれない。でも、ダリアは誰も殺したりしないし、真の意味で人殺しを愉しめはしない。だから彼女は怪物ではない。寧ろ私にとって怪物とは……。
「おい、今度はどうした? まだ何か悩み事か?」
「……ううん。違うよ。……行こうか」
ドラコの声に、私は今度こそ本当に意識を切り替え、ダリアが待つ談話室に向かって歩き始めた。
私達の後ろでは、まるで
ダリア視点
「ドビー……」
誰もいないスリザリン談話室。緑色のランプに照らされた部屋で、私は独り佇んでいた。帰ってきた当初はここにお兄様もいたのだが、お兄様が何か言う前にダフネが、
『まあ、色々話はあると思うけど、まずは準備をしなくちゃね。馬鹿共が楽しんでるのに、私達は何もないなんて不公平だし! ほら、ドラコ行くよ!』
と言って、お兄様を強引に連れ出してしまったのだ。
おそらく、あれはダフネなりの気遣いだったのだろう。いつものように敏感に私の表情を読んだダフネが、私がお兄様と話す覚悟を決められるように、少しだけ時間を稼いでくれたのだ。
確かに、あのままお兄様とお話ししたとしても、私はまともな受け答えすら出来なかっただろう。久しぶりにお兄様とお話しするのが怖かったということも勿論あるが、突然失ってしまった家族のことで頭が一杯だったのだ。
……いや、何を無責任なことを考えているのだろうか。ドビーは……失ったわけではない。自分の罪から目を逸らしてはならない。
あのままドビーが家にいたとしても、彼には決して今まで通りの平穏な生活は来ない。だからこそ私は、ドビーをもうマルフォイ家の『屋敷しもべ』として縛ることは出来ないと思ったわけだけど……。そんなことは言い訳にならない。どんな理由であれ、私がドビーを、家族を手放したのは間違いないのだ。
私が見捨てた時のドビーの顔が思い浮かび、私の思考は一歩も前に進もうとしない。
「ごめんね……。ごめんね……ドビー……」
ああ……これからお兄様と話すというのに……。せっかくダフネが私のために時間を作ってくれたというのに……。思考が思うように纏まってくれない。お兄様に向き合わなくてはならないのは分かっているのに、ドビーのことをどうしても考えずにはいられない。
しかし現実はいつだって非情だ。現実は私を待ってくれるわけではなく、
「ただいま~。食べ物いっぱい取ってきたよ!」
私の一人で悩める時間は終わりを告げたのだった。お兄様に向き合わなくてはならない時間が、ついにやってきてしまった。
ダフネは部屋に入った途端、私の表情を見て悲しい顔をする。私が未だに覚悟を決めていないと悟ったのだろう。でもこれ以上お兄様を待たせられないと思ったのか、努めて明るい声を出して行動を開始した。
「ごめんね、ちょっと遅くなっちゃったね。今準備するから!」
私とお兄様だけを放置するわけにもいかないが、同時に自分が話に加わるのも変だと考えたのだろう。あからさまに視線を逸らしながら、机に料理を並べ始める。話が変な方向に進めば、即座に介入する気でいるのは間違いなかった。
お兄様もダフネの気遣いに気が付いたみたいで、テキパキとした動作のダフネを横目に両手のものを乱雑に置くと、何も言えず俯くだけの私に、
「ダリア……ようやく、帰ってきてくれたんだな」
そう、優しくも厳しい口調で話し始めた。待ち焦がれたような、それでいて待たされたことに腹を立てているような話し方だった。
「ずいぶん待ったぞ。お前がいない間、本当に辛かったんだ」
「ご、ごめんなさい、お兄様。わ、私、」
私の恐れていたような……私を拒絶するような響きはなくとも、少し問い詰めるような口調に私はたじろぎながら応えようとする。
しかし、
「でも……お前も同じように辛かったんだろう?」
お兄様の声が一転する。私の言葉は、今度こそ優しさだけに彩られた言葉によって遮られたのだった。
そこには私の恐れていたような……私を拒絶するような響きはなく、ただ私が逃げる前の、どこまでも私を優しく包み込む響きだけがあった。
私の聞き間違いでなければだが……。
「ダフネから全部聞いた。お前が何に悩み、僕やダフネを避け続けていたのかをな……。それと、ドビーのことも……」
「……そうですか。……全部……聞いてしまったんですね……」
手間を省いてくれたダフネに感謝すると同時に、隠していてほしかったという身勝手な思いが湧き起こる。
正直怖かった。こうして戻ってきてしまったが、私にはやはりお兄様達を傷つけてしまう可能性がある。
私は体だけではなく、心も化け物なのだから。私は自分が怪物であると……自分が『闇の帝王』に造られた怪物であると、ずっとお兄様に隠し続けていたのだとバレてしまったのだから……。
だから、私は自分の耳を信じ切ることなどできない。私の秘密を遂に知ってしまったお兄様が、一体何を思うか。ダフネの様に決して怖がったりなんてしない……私の存在を許してくれる可能性は
ドビーを捨てたくせに、今度は自分がマルフォイ家に捨てられるかもしれないという恐怖で何も言えなくなっていたのだ。
それでもやはりお兄様は……どこまでも優しい、私の大好きなお兄様だった。ダフネと同じ優しさを……お兄様が持っていないはずがなかった。
何も言えず、ただ俯くだけの私をお兄様は少しの間眺めていたが、ふと、
「ダリア……僕はすぐに傷が治るようなことはない」
そんなことを突然話し始めた。
唐突な語りだしに、私は一瞬戸惑ってしまう。でも、
「ニンニクが苦手ということはない。日光で肌が焼けるようなことはない」
すぐ気づくことになる。お兄様の言葉は紛れもなく……
一字一句あの時と同じで、それは紛れもなく、お兄様があの時のことをずっと考え続けていたことを表していた。
「銀で傷がつくことはない。トロールより力が強いことはない。血を飲むことはない。蛇と話すことは出来ない。それに……」
あの日の私の最後の質問のまま、お兄様は呟く。
「やったことはないが……人を殺すのが楽しいとは思わないだろう」
優しい口調とは裏腹に紡がれるどうしようもない事実。私がマルフォイ家の
何のつもりでお兄様が今返事をしているのかは分からないが、私の心は折れてしまいそうだった。
やっぱり……私は許されなかった。お兄様の声が優しく聞こえるのは、やはり私の願望に基づく幻聴。ダフネに許されたとしても、12年間騙し続けていたことが許されるわけがなかったのだ。
そう私が諦めかけた時、お兄様は、
「でもな、そんなことは関係ない」
単純な、子供でも知っているような当たり前の事実を話すように言い放った。
「お前がどんなに僕と違う
紡がれるのはずっと求め続けていた言葉。ただ私の傍に居てくれるのだと、そう誓ってくれる家族の言葉。
……それでも私は、顔を上げることが出来なかった。
12年間気付けずにいた、そして隠し続けていたことに対する自己嫌悪が染み付いた私には、すぐに顔を上げ、お兄様の瞳をのぞき込む勇気など湧くはずもなかった。
そんな私を後押ししたのは、
「ダリア……大丈夫だよ」
やはり、私の
私達をそっと横目で見続けていたダフネが、私の背中を押すように話し始める。
「大丈夫。大丈夫なんだよ、ダリア。ドラコはずっと貴女を待っていたんだよ。貴女が帰ってきて、傍に居てくれるのを。そんなドラコが貴女を怖がったりするなんてあり得ないよ。大丈夫。ドラコはずっと、どんな貴女の真実を知ったとしても、貴女が大好きなお兄さんだよ。それに、貴女は私を信じてくれた。赤の他人であるはずの私を。なら、出来るはずだよ。だってドラコは貴女のお兄さんだもの。だから……ほんの少しでいい。自分を……許してあげて」
ずるい……。本当に……ダフネは……私の親友はスリザリンらしい子だ。
そんなこと言われてしまったら、どんなに怖くても顔を上げるしかないではないか。私がお兄様を信じないなんて、そんなこと言えるはずがないではないか……。
自分を許したわけではない。怖くなくなったわけではない。でも、私にはお兄様を否定することもより恐ろしい行為だったのだ。
私は顔を上げ始める。ノロノロとした、ひどくゆっくりな動き。でも確実に上へ。そして見上げた先には、
「ダリア……やっと、僕を見てくれたな」
ダフネの言う通り、私の恐怖したものは存在せず、ただ私が大好きなお兄様の優しい瞳だけが存在していた。
私への恐怖など微塵も存在してはいなかった。
ああ……全て、私の一人相撲だったのですね。
私は無責任にも……一瞬ドビーのことを忘れて涙を流していた。
「ダリア……お前がどんなに苦しかったか、僕は真に理解してやれていなかったかもしれない。僕はお前が傷つくのを恐れるあまり、本当にお前が必要だった言葉をかけてやることすら出来なかった。でも、それでもこれだけは変わらない。ダリア……どんなに情けなくても、弱くても、惨めでも、僕はお前の味方だ。お前がどんな隠し事や、変わった特徴を持っていようとも、僕は……マルフォイ家は、お前の味方だ。掛け替えのない家族なんだ」
……私はこんなにも近くにあったものを、ずっと自分を恐れるあまり見落としていたのだ。こんなにも簡単なことを、私は見ようとさえしていなかったのだ。
私の汚らわしさ以上に、マルフォイ家は偉大であるという単純な事実を……。
表情は相変わらず変わらないくせに、何故か頬に冷たい物だけは流し続ける私の瞳を見つめ返しながらお兄様は続ける。
「それに、人間でないことで家族でないと言い張るなら、ドビーのことはどうするんだ? あいつは『屋敷しもべ』だ。人間ではない。それなのにお前はあいつを家族だと言っているな? なら、どうして自分が人間でないという理由で家族でないと言い張れるんだ?」
そういえば、お兄様もスリザリン生なのだった。追撃とばかりにさらに狡猾なことを言い始めた。でもそれは、
「……私が間違ってました。人間でないなんて理由で、家族でないなんて、私は言ってはいけなかったんです……。でも、ドビーは……」
今言ってほしくない言葉でもあった。和らいでいた心に、一気に自己嫌悪が戻ってきてしまう。視界の端で、ダフネが手で額を抑えている。
私はこの数秒の間、ドビーのことをすっかり忘れそうになっていた。自分のことで精一杯で、大切な家族だった者のことを忘れようとしていた。ドビーは私が見捨てたというのに……。
私の表情が一変したことで、不用意な発言をしてしまったと思われたのだろう。お兄様が慌てたように言う。
「だ、大丈夫だ。それも全部聞いたぞ。正直、僕はあいつのことがそんなに好きではなかったが……。お前が言うなら、あいつも僕らマルフォイ家の一員だったのかもな……。でも、だからこそ大丈夫だ。家族の関係は一つじゃない。たとえ家の僕でなくなったとしても、あいつが死んだわけではない。今は無理でも、いつか必ずまた会うことも出来るはずだ」
お兄様の言葉は、徒の慰めに過ぎなかったのかもしれない。私の悲しみを和らげるための、優しい嘘。
でも、それが本当のことだと知ることになるのは……もう少し先のことだった。
家族の形は……一つではなかった。
切ろうとしても切れない絆のことを……人は『家族』と呼ぶのだ。
それに気づいていなかった私はただ涙を流しながら、お兄様とダフネに慰められるだけだった。
お兄様に嫌われたかもという恐怖はもう存在しない。でも、ドビーのことだけは、やはり私の心に暗い影を落とし続けていた。
3人しかいない談話室。料理が並べられたテーブルを、薄暗い緑色の明かりが照らし出す談話室。その中に響くのは、ただ私の安心と罪悪感が混じったすすり泣く声と、それを必死に慰めようとするお兄様とダフネの声だけだった。
こうしてようやく……長い長い今年の事件が、私の中で終わりを告げた。
ダフネ視点
相変わらず鬱陶しい視線はあるものの、今の私には、そしてそれらが向けられるダリア自身にとってもそこまで気になるものではなくなっていた。何故なら、
「ダリア♪」
「ダフネ、なんですか?」
「ううん♪ 呼んだだけ♪」
私の隣には掛け替えのない親友がいるのだから。
出来立て熱々のカップルがするような会話をダリアと繰り広げながら、スリザリン談話室で穏やかな時間を過ごす。昔ならすぐに距離を取られていただろう会話でも、今なら無表情に微笑みを乗せながら応えてくれる。
『秘密の部屋』から戻ってきた日から……ダリアは前以上に私と行動を共にするようになってくれた。今までの行動を取り戻そうとするかのように。賢く勇気があるダリアでも、本質的には寂しがり屋なところがある。自分が人間ではないと思って遠慮していたものが、私に全てバレてしまったことでタガが外れてしまったのだろう。
心なしか物理的な距離も近い。時には甘えるようにピッタリとくっついてくる時もある。……ダリアの方から。
談話室で二人きりの時があると、時折無表情ながら子猫の様にすり寄ってくるのだ。
『どうしたの?』
と尋ねても、
『何でもないです』
と言ってそっぽを向くが、決して離れようとはしない時だってあった。
……正直、その時は鼻血が出そうだった。
本当に幸せな日々だ。私が待ち望んで止まなかった日々。ずっと憧れていた女の子が、今親友として隣にいる。しかも今までのような距離感はなく、いつもは超然としたダリアが甘えてさえくれる。何もかもが充実していて、毎日が楽しくて仕方がない。一緒に本を読んだり、勉強したり、時には一緒のベッドに寝たり、そして来年の選択授業を選んだり……つい最近まで辛い日々を過ごしていたのが嘘のようだった。
自惚れでなければ、ダリアもそう思ってくれている様子だ。はたから見た分にはいつもの無表情らしくとも、私から言わせたらいつもより微笑んでいる時間は長いみたいだった。
しかし、全く心配事がないわけではない。明るいダリアの無表情にも、僅かであるがいつも影があった。
まずルシウス氏のこと。
『秘密の部屋』から戻ってしばらくして、ルシウス氏が理事を辞めさせられたという、心底不愉快極まりないニュースが流れてきたのだ。当然、あんな事件を起こされてもルシウス氏への愛情を変えないダリアがいい顔をするはずがない。
でも理事を辞めさせられる……逆に言えばルシウス氏のことを追求しきれなかった証左ではある。ルシウス氏がやったかもしれないことは、もし完全に証拠を掴まれているのだとしら、理事を辞める辞めないどころの話ではない。ダリアを傷つけたことは差し引いても、下手をしなくてもアズカバン送りはほぼ間違いないだろう。それがないということは、ルシウス氏を罪に問うことは出来なかったということになるのだ。
後あの『不死鳥』のこと……。ダリアから後から聞いた話では、老害の後ろに迷うことなく飛んで行ったことから想像はしていたが、やはりあの
ダリアは『開心術』という魔法を使ってチキンと会話したらしいのだけど、その時に謝意や同情の感情と共に、ダリアのことを口外しないという決意が流れ込んではいたらしい。
でも……相手はダンブルドアのペット。正直どうなるか分からないとダリアは恐れていたが……監視が増えたり、ダリアをあからさまに追い出そうとしていないことから、老害がダリアの情報を得ていないことは間違いない。ダンブルドア
そしてダリアにとって最大の心配事が……やはり『屋敷しもべ』ドビーのことだった。いくら時間が経っても、彼女の罪悪感は決して消えはしなかった。
ダリアはずっと、自分こそがドビーを見捨てたのだと悩み続けている。ドラコの慰めを受けても、ドビーのことだけは一切納得しようとはしない。家族を大切にするダリアにとって、ドビーのことは容易には納得できないことなのだろう。どんなに明るい表情をしていても、決してそのことを忘れようとはしない。
まるで忘れることこそが罪であるかのように。
……それは二年
二年の最後、学年度末パーティー。この日、ドラコの言葉が正しかったことが証明されることになる。
紅の旗で彩られる大広間で、
「皆の知っての通り、今年は大きな事件が起こったが、皆無事に一年を過ごすことが出来た! そして今年の寮対抗戦優勝じゃが、これまた皆の知っての通り、今年の事件を見事解決したグリフィンドールが優勝じゃ! 本当にようやってくれた!」
老害がいつになく嬉しそうに宣言することで始まった宴会。去年と同じく、スリザリンは異様に静かに席に着いているし、他三寮は三寮でこちらにチラチラと鬱陶しい視線を送ってきている。
本当に虫唾が走るような宴会だった。
……数多くの一年で一番豪華な料理と、ダリアの目の前にだけ置かれた
一年最後の宴会というだけあり、いつもより豪華な料理がテーブルに並ぶ。
ダリアの前にだけ、酷く質素な食事が並んでいたのだ。
「ん? どうしたの、それ?」
ダリアの目の前の料理は、明らかに周りから浮いているものだった。言うなれば質素。勿論質素と言っても、周りのものに比べてというだけで、みすぼらしい食事と言うわけではない。でも明らかに周りの物よりも、例えるなら家庭料理と言っても差し支えないような食事。よく見れば端の方に焦げ目さえついている。
そんな明らかに場違いなものを……ダリアは食い入るように見つめていた。
「ダ、ダリア? 大丈夫?」
明らかにいつもの無表情とは違い、ただ茫然と料理を見つめ続けるダリアが心配になって声をかける。
しかしダリアは私の質問に答えることなく、やはりただ茫然と食事を見つめ続ける。そしてふと意を決したように口をつけ、
「この味……。
突然泣き出してしまったのだった。無表情でありながら、瞳から止めどなく涙を流し続ける。
ダリアがこぼした言葉と涙。それを見て、私もこの料理が何を示しているか、この料理を誰が用意したのかを理解した。
ドビーは選んだのだ。『屋敷しもべ』でなくとも、ダリアに仕え続けられる方法を。ダリアと共にあれるあり方を。
『家族の関係は一つじゃない』
ああ……成程。ドラコにとってはその場しのぎの言葉だったのかもしれないけど、決して間違っていたものではなかったんだね。彼は確かにマルフォイ家の『屋敷しもべ』ではなくなったかもしれないけど……ダリアから離れたわけでは……ダリアの家族でなくなったわけではなかったのだ……。
よかったね……。本当によかったね……ダリア……。
そう思いながら、私はダリアの涙を見てギョッとする周りを無視し、ダリアの肩を寄せそっと頭を撫で続けるのだった。
ダリアは……去年までと違い、決して私の手を振り払おうとはしなかった。
周りの馬鹿どもにとって、事件が終わったのはあの宴会の時だったが……私にとって今年の事件が終わったのは、ダリアが失ったと思ったものを再び取り戻したこの時こそだった。
ダリア視点
本当に色々なことがあった一年が終わった。苦しく辛い一年ではあったが、失ったものは多くはなく、得たものは何よりも大きな年だった。
私は今年初めて……親友というものを得たのだから。
長いような気もするし、実はそこまで長くなかったような一年が終わり、今私達はホグワーツ二年生最後の時間を迎えようとしている。
汽車の中でトイレに行ったはずのダフネがあまりに遅いと心配になり探しに行ったところ、何故かグリフィンドール三人組とジネブラ・ウィーズリーのいるコンパートメントで見つかる事件こそあったが……
「ダリア! 今年も夏休みの間、一杯手紙を書くよ!」
「……ええ。お願いします。私も手紙を書きますよ。……
「……うん! 私だって毎日書くよ!」
何だか去年とは逆の立場で話をしているような気もするが、私は勿論ダフネも特に気にしてはいないだろう。
心残りが
「また夏休み後に! 手紙は毎日でも書くから!」
「ええ。私も書きます。機会があれば顔も合わせましょう」
そして私達も歩き出す。去年は彼女だけが、私たちが見えなくなるまでずっと手を振り続けていた。でも、今年は違う。微笑ましそうにこちらを見つめるお兄様の横で、私も振り返っては手を振り返し続ける。
「……よかったな、ダリア」
「はい!」
ダフネが見えなくなった辺りで、お兄様がそっと声をかけてくる。それに私はいつになく元気よく返事を返していた。
本当に良かった。まだダフネに対する罪悪感、そしてその大元である自己に対する嫌悪感は健在だ。でも……この喜びだって本物なのだ。
もう少しだけでいい。もう少しだけ、この気持ちに従っていたい。いつか終わるかもしれない。いつかダフネを傷つけてしまうかもしれない。
でも、ダフネは言ってくれた。私は怪物ではないと。私はダフネや家族を傷つけることはないと。そしてそんなことを言う自分を信じてと……。
確証は全くと言っていいほどない。でも、今だけは……それを信じていたかった。
怪物として生まれてしまった私には、怪物でなくなるということは出来ない。私がどんなに平穏な人生を望んでも、決して叶わぬ夢なのかもしれない。あの怪物でも何でもなかった『バジリスク』が、怪物として生き、怪物として殺された様に……。でも、今の私は『バジリスク』のように孤独ではない。一緒にいていいと言ってくれる家族も親友もいる。
あぁ、どうか……この幸せが少しでも長く続きますように……。
私はそんな後悔と喜びを胸に、お兄様と手をつなぎながら愛する家族の元に足を進めるのだった。
秘密の部屋完結。
来年の選択授業の話を一話。そしてそれぞれの裏話を一話で、合計二話の閑話、もしくは一話にまとめたものを投稿したらいよいよアズカバンです。