ハリー・ポッターと帝王のホムンクルス 作:オリゴデンドロサイト
ドラコ視点
ハッフルパフとグリフィンドール。それぞれの寮カラーを身にまとい、両チームの選手達が颯爽と競技場に現れた。
この試合を制したものこそが、今年のクィディッチ杯を獲得する大一番。ハッフルパフとグリフィンドールは勿論、レイブンクローの生徒も皆興奮したように、各々が応援する寮の旗を振っている。スリザリン生も旗こそ振っていないが、やはりクィディッチということで内心熱いものを感じながら選手達を眺めていた。
選手を包み込む万雷の拍手。皆久方ぶりに訪れた心躍るイベントに熱狂し、まるで競い合うかのような大声で応援や野次を飛ばしている。
そんな連中を僕は……心底
クィディッチだと言うのに、僕の心は一切沸き立たない。寧ろ今の競技場の熱狂が、吐き気を催す程醜い光景にさえ思えた。
僕とダフネは、
ダリアが大変な時に、呑気にクィディッチなんて眺める気になんてなれるはずがない。ここに来たのだって、ダリアが教員に強制的に連れてこられているかも……そう思ったからだ。
ダンブルドアがいなくなった所で、ダリアの監視は今も続いている。生徒を守るための
あの老害が疑っているからという、たったそれだけの馬鹿馬鹿しい理由でダリアを監視するような愚かな連中だ。クィディッチ中も監視するために、嫌がるダリアを無理やり連れてくるくらいのことはやりかねないと思ったのだ。
だが、どうやら杞憂だったらしい。ダリアがいつも座っている、教員席で日陰になる場所。双眼鏡で確認したが、ダリアはそこにはいなかった。監視しているわけではないと言い張る以上、流石に日光に弱いダリアをあそこ以外の場所に座らせることはないだろう。教員席にいないということは、ダリアはどうやらここには来ていないことを意味していた。
安堵のため息をつきながら、隣にいたダフネに声をかける。
「戻るぞ。ここにいない以上、ダリアは城にいる。ダリアがいないなら、こんな所にもう用はない」
「うん、そうだね。早く戻ろう!」
ダフネが頷くのを確認し、僕は何の未練もなく競技場の出口に向かう。
出口を潜った瞬間、僕らの背に一際大きな歓声が届いた。おそらく、今この瞬間試合が始まったのだろう。
本当に……下らない。ダリアを苦しめる連中が、ダリアがいない中試合に熱狂する。学校中が送る歓声が、僕には試合の開始を告げるものではなく、ダリアの不在を喜ぶものにしか聞こえなかった。
ふざけるな……。
知らず知らずの内に、血が滲むほど固く拳を握りしめていた。
不愉快だった。何もかもが不愉快で、同時にダリアのことを思うと酷く心が痛んだ。
この歓声は、城にいるダリアにも聞こえているのだろうか。そしてこの歓声を聞いた時、ダリアは一体何を思うのだろうか。
皆が集まり、試合に熱狂する競技場。そしてそれとは対照的に、ダリアだけが置き去りにされた、人っ子一人いなくなった静かなホグワーツ城。
生徒はおらず、ただ絵の立てる物音だけが時折響く廊下でこの歓声を聞いた時、ダリアは一体何を感じるのだろうか。
それは酷く歪で、酷く孤独な光景に思えて仕方がなかった。
知らず知らずの内に歩くスピードが速くなる。
「ダリア……どこにいるんだ……」
「……」
僕とダフネは、後ろから聞こえる
不幸中の幸いは、今学校中の人間が城にはいないということだ。ダリアをのけ者にしてクィディッチに熱狂していると考えると腹立たしい限りだが、状況に限った話なら寧ろ好都合でもあった。
今ならダリアと二人っきり……いや、ダフネを含めると三人きりで話すことが出来る。監視は続いているとはいえ、ダンブルドアは追放されたのだ。最も警戒すべき相手はもういない。これ以上、あの老害にダリアが苦しめられることはない。
ダリアが拒絶しようと関係ない。もう我慢できるものか。
ダリアをこれ以上、独りにするわけにはいかない。
僕とダフネはダリアのことを思いながら、出せる限りのスピードで学校に向けて足を進めるのだった。
……この日、
ハーマイオニー視点
マルフォイさんが何を言っているのか分からなかった。
「私は怪物が『バジリスク』だと、とっくの昔に気が付いていたのですから」
意味が解らなかった。怪物の正体を知っておりながら、彼女がそれを秘密にしていた理由を想像も出来なかった。
マルフォイさんが『継承者』なら、バジリスクのことを黙っていたことも説明できる。でも、それだけは絶対にない。天地がひっくり返っても、それだけは絶対にあり得ない。
なら何故彼女が怪物について口をつぐんでいたのか……私には皆目見当がつかなかった。
答えを探し求めるように、私はマルフォイさんの瞳を見つめる。
しかし私が見たのは答えなどではなく……もっと別のものだった。
当惑しながら目を向けた先。
そこには……いつもの薄い金色はなく、血のような赤に染まった瞳がこちらを見つめ返していた。
マルフォイさんの赤い瞳を見た瞬間、何故か急速に私の心が凍り付いてゆく。
目的の本を見つけた時、私は興奮した。そして狼男、鬼婆、
でも、今その興奮は急速に薄れつつある。熱く燃え上がった心は、血のような赤にすっかり冷やされてしまった。
マルフォイさんの真っ赤に染まった瞳を見た私の心に浮かんだのは……紛れもない恐怖だった。
彼女の真っ赤な瞳を見ていると、心の奥で警鐘が鳴り響く。
ここから今すぐ逃げなきゃ!
私の本能が全力でそう言っている気がした。
それ程までに、彼女の赤い瞳は不穏な空気に満ちていた。
でも、私は思わず逃げ出しそうになる体を全力でその場に押しとどめる。
何故逃げなくてはならないのだろう。彼女の瞳は綺麗な薄い金色だ。きっと今赤く見えるのだって、ただの気のせいでしかない。それに多少赤く染まったくらいで、何故私はマルフォイさんに怯えなくてはならないのだろうか。
これは許されない感情だ。自分の心に突然浮かび上がった、決して恩人に向けてはならない感情。
私は今……あんなに優しくしてもらったというのに、マルフォイさんを怖いと感じている。ただ瞳が赤く見えたくらいで。それは決して許されないことだ。
私は内心の恐怖を振り払うように口を動かし続ける。
そうしなければ、私は今すぐにでも逃げ出してしまうかもしれないから。
「ど、どうして……。どうして怪物の正体を言わなかったのよ。それを先生に、ダンブルドア校長に伝えればあなたの疑いだって……」
咄嗟に口にした言葉。それは彼女の行動の理由を、少しでも理解したいという思いからだった。この恐怖から逃れるために。
でも、私の中に芽生えた、小さいけれども確実に存在する感情は……次の瞬間より明確なものとなる。
彼女の持つ、まるで闇を染み込ませたかのように真っ黒な杖。
マルフォイさんはゆっくりとその杖を持ち上げ……その杖先を私に突き付けたのだ。
相変わらず赤く見える瞳。
彼女の瞳には、今や私がいつも感じていた温かさはどこにもなかった。
「……貴女が知る必要はない。それに、どうせ貴女は……」
魔法界において、杖とは魔法を使うために必要不可欠なものだ。杖は生活を支える道具であり、同時に……人を呪う武器でもある。
マルフォイさんの突然の豹変、向けられた杖。目まぐるしく変わる状況に頭が追いつかない。
でもこれだけは、恐怖に支配される頭でも理解することが出来た。
彼女は……私に魔法をかけようとしているのだ。それも決して『
魔法界で、一般的には『闇の魔術』と称されるような……そんな魔法を。
「マ、マルフォイさん……。な、なにをしているの!」
杖を構えたまま、何故か動きが鈍い様子のマルフォイさんに声を上げる。
信じたい。これはただの冗談だ。こんなことは起こるはずがない。マルフォイさんが私に危害を加えることなどあるはずがない。
彼女はいつだって私をそっと気にかけてくれた。そんな彼女が、私に何かは分からないけど、『
でも……マルフォイさんの口ぶりと雰囲気が、私の彼女への信頼を揺らがせていた。
彼女の目は冗談などではなく、ただ本気で私に魔法をかけようとしているものだった。
逃げなければいけない。そう私の心が訴える。
それでも尚私が今逃げ出していないのは、彼女が……
恐怖に思考を支配されながらも、何とか逃げ出さないように踏みとどまる私。
そしてそんな私にマルフォイさんが杖を振り下ろそうとしたその時……それは聞こえた。いや、聞こえただけじゃない。
『シュー……シュー……』
突然図書館に響き渡る異音。でもその耳慣れない音を、一体何が立てているのか私が疑問に思うことはなかった。
「ま、まさか、バジリスク!?」
何故なら。杖を構えるマルフォイさんの肩越しに見える本棚。その向こうから、見たこともない程
それは毒々しい鮮緑色の肌をしていた。
樫の木のように太い胴体。全てが本に書いてあった通りだ。
でも、本など読んでいなくても、それが真の怪物であるとすぐに理解できただろう。
一目で分かる威容。それが魔法界最強最悪の毒蛇だと、姿かたちを一度も見たことがなかったとしても一瞬で理解できるような、そんな一目で分かる程の怪物。
本棚の向こうから現れた怪物は、まさに蛇の王に相応しい姿かたちだった。
突然現れた化け物。突然の事態に、私はマルフォイさんに感じていた以上の恐怖を覚える。
そしてそのサラザール・スリザリンの残した伝説の怪物は、今まさにその
視線を合わせては駄目だ!
そう咄嗟に思い、私は咄嗟に目を逸らそうとして……出来なかった。
バジリスクの一睨み。つまり怪物と視線が合った者は例外なく即死する。それは分かっている。でも私は、そんなことすら忘れる程、この伝説の怪物の
別にバジリスクの目に人を引き付ける魔法がかかっているわけではない。
ただ……怪物が目の前に現れた恐怖の中で、私はふと似ていると思ってしまったのだ。
バジリスクの持つ
それらは色だけではなく、どこか醸し出す空気も似通っていた。
どちらも冷たく、力強く。でもどこか深い悲しみを内包しているような……そんな気がしたのだ。
それらが似ていると思った時、私は思わずその瞳に魅入られ、そしてのぞき込もうとしてしまった。マルフォイさんに惹かれ始めた時のように。
そんな私とバジリスクの視線が交差しようとして、
「見ては駄目です!」
マルフォイさんが大声を発すると共に、手で私の視界を覆い隠す。真っ黒な杖をいつの間にかポケットにしまっていた彼女は、私の顔面に手を添え、もう片方の手で私の腕をつかんだかと思うと、猛然と図書館の出口を目指して走り出していた。
ダリア視点
『殺してやる……』
私は一体何をしているのだろうか。
グレンジャーさんの腕をつかみ、必死に廊下を走りながらも、私はどこか冷めた思考で考えていた。
今、全ての答えが私の後ろに
この数か月。求めてやまなかった人生の答えが、今まさに私の背後に。
私は早く答えが欲しかった。マルフォイ家の異物である私が、一体何
その答えを得るチャンスが、今まさに訪れているのだ。
それを何故、私は今棒に振ろうとしているのだろう。
何故、私はこうしてグレンジャーを連れて逃げ出しているのだろうか。
答えを得るには、今この場にグレンジャーさんは邪魔な存在だ。彼女がこの場にいると、私は蛇語を使えない。パーセルタングも吸血鬼と同じで、いや、それ以上の秘密なのだ。パーセルタングは……私の中に闇の帝王の血が混じっていることの……私が本当の意味でのマルフォイ家の一員でないことの最大の証拠なのだから。
だからこそ私は、今すぐグレンジャーさんの腕を離さなければならない。彼女を離してしまえば、私は心置きなくバジリスクと話すことが出来る。
問題は私までバジリスクの排除対象になっていることだが、まあ、問題はないだろう。要は目を直接見さえしなければいいのだ。牙には猛毒があるらしいが、
高々猛毒を持っている程度の怪物を黙らせる闇の魔術など、私はいくらでも知っている。
バジリスクは確かに怪物かもしれないが、同時に、
『怪物』。それは人を殺すことを目的に造られた生き物の総称だ。それはサラザール・スリザリンに造られたバジリスクのことであり、同時に、闇の帝王に造られた私自身を指し示すものでもあった。
私がそれに気が付いたのはつい最近だ。ダンブルドアに見せられたあの鏡。あれを見るまで、私は自身が何
私は……私自身のことをまるで知らなかった。体が化け物であることは知っていた。でも、心も化け物だとは、私は気付きもしなかった。
だから知らなければならない。私を愛してくれる、私の愛する家族のためにも。家族を傷つけないために、私には知る努力を行う義務がある。
私は自分自身を知るために、あらゆる手段を講じなけれならない。こんな所で立ち止まっている暇は、もう一秒たりともないのだ。
そう思い、私はグレンジャーの腕を離そうと試みるのだが……何故か出来なかった。
何度も離そうとした。何度も何度も。私はグレンジャーさんを見捨てようとした。
でも、結局出来なかった。
この手を離してしまった場合、彼女は一体どうなってしまうのか。そんな
この手を離し、グレンジャーさんを置き去りにすればどうなるか。
答えは簡単だ。
グレンジャーさんは……確実に死ぬだろう。
私と違い、彼女は真っ当な
グレンジャーさんにバジリスクに対抗する術はない。
つまり手を離せば、彼女は確実にバジリスクに殺されるだろう。
そう考えると、私はどうしても手を離すことが出来なかった。
邪魔な存在なのに。私は一秒でも早く答えを知らなければならないのに。グレンジャーさんなんて、私にとってはどうでもいい存在のはずなのに。
彼女を見捨てるという選択肢は、私が自身のために取れる最も合理的なものであるというのに。何故私は……。
誰もいない廊下をただ走る。思い悩む私が立ち止まったのは……結局バジリスクの声がいつの間にか聞こえなくなってからだった。
我武者羅に走り、気が付いた時には、もう私の求めていた声は聞こえていなかった。
どれくらい走っただろう。気が付けば、大広間の目の前まで走ってきている。
誰もいない廊下。辺りに響くのは、ただグレンジャーさんの荒い息と、遠くから聞こえる歓声のみ。
バジリスクの声はもう……聞こえない。
「……して」
私は結局、答えを得るチャンスをつかめなかった。その代わりに、グレンジャーさんを守るという、
私はどうしようもなく愚かだ。
「はあ……はあ……。あ、あれがバジリスクなのね……。マ、マルフォイさん……あ、ありがとう。ここまで来ればもう、」
「……どうして」
私が無意識にこぼした言葉が、グレンジャーさんの言葉を遮る。グレンジャーさんが驚いたようにこちらを見ているが、私はそんなことに気付かない程、
「どうして! どうしてどうしてどうして、どうして! 何故私は逃げ出したの!? 私はバジリスクが必要なのに! 私にはもう、一刻の猶予もないというのに! 私は何故!? これが最後のチャンスだったのに! バジリスクのことが露呈すれば、もう二度と私が彼に巡り合うチャンスなんてないというのに! 私は、何故こんなことを!」
「マ、マルフォイさん?」
頭がおかしくなりそうだ。自分自身が一体何を考えているのか分からない!
自分のことなのに! 怪物の考えることが、私には理解できない!
慟哭は続く。隣にグレンジャーさんがいるというのに、私の決壊した言葉は止められなかった。
自身に対する不安と恐怖。家族と会えない孤独な日々。常時さらされる恐怖と警戒の視線。窮屈な監視生活。
私の心はもう……どうしようもなく壊れかけていた。
「どうして……。どうして私はグレンジャーさんを助けたの!? 私は怪物のはずなのに! 私は、そんなことをするような生き物ではないのに! そんなことが出来るなら、なんで私は……。分からない……私が一体
答えが手のひらをすり抜けていく。もう何も信じることが出来ない。一寸先も見通せない闇の中、私はどこまでも……独りぼっちだった。
何故あんなことをしたのか分からない。でも、これだけははっきりしていた。
私は、愚かにも自身を理解する唯一のチャンスをどぶに捨てたのだ。
グレンジャーを助ける。そんな意味不明な行動の代償に。
私に残されたのは、ただただ大きな不安と孤独感だけだった。
孤独を感じた瞬間、私は身勝手にも大切な人達の温もりを求め始める。
お父様に会いたい。お父様に、いつものように優しく頭を撫でてもらいたかった。
お母様とお話ししたい。お母様に、いつものようにそっと抱きしめてもらいたかった。
お兄様の傍にいたい。他人に対していつも気取っているお兄様が、私にだけ優しく微笑むお顔を傍で見ていたかった。
ドビーの作った食事が食べたい。最近元気のないドビーの様子を確かめたかった。
そしてダフネと……私は一緒にいたかった。いつも傍に寄り添って、純粋に私個人を見守ってくれていたダフネと、私はこれからも一緒にいたかった。
私の願いはただ一つだけ。ただ大切な人達と、私は一緒にいたいだけなのだ。
でも、それは出来ない。
だって私は……どうしようもなく、独りでいなければならない怪物だから。
こんな合理的な判断すら出来ない程、私は自分のことを知らないから。
いつ人を襲うか分からないような生き物を、大切な人達の傍に置いておけるはずなどないのだから。
「……」
私の言葉の意味が解ろうはずがない。
言葉もなく、ただ唖然とした表情でグレンジャーさんが私を見つめている。
そんな彼女に私は、
「……行ってください。もうここなら安全です。ここまで来たら、貴女に魔法をかける必要はない。どうせ、もう
絞り出すように言った。
正直、これ以上彼女と一緒にいれば、私は彼女にどんな醜い言葉を吐いてしまうか分からなかったのだ。彼女は私の問題とは何の関係もない。私が勝手に彼女を助けただけだ。
それに、私は先程彼女に魔法をかけようとした。杖を向けられたのは、酷く恐ろしい光景だったことだろう。私が口にすべきは、まず謝罪であることは間違いない。
それなのに私は、どうしてあの場に貴女がいたのかと、完全に無関係な彼女に八つ当たりしそうになっていたのだ。
本当に。どこまで愚かであれば気がすむのだ……。
そんなただただ暗い思考に沈んでいく私を、どこか戸惑ったような表情で見つめていたが、
「……分かったわ」
最後にはぼそりと呟いた。
その答えに、私はまた身勝手にも心が傷ついた気がした。
彼女は私の横を通り過ぎ、玄関の方へ足を進める。
まるで私とは正反対だった。
光り輝く、遠くからクィディッチに熱狂する歓声が聞こえる外に向かうグレンジャーさん。
その反対に、誰もいない、いても人を襲う怪物のみがいる城に残された私。
何もかもが正反対で、どうしようもなく私は……独りだった。
「ま、まって……」
無意識に声が漏れる。とても小さな声、それこそ言った私にしか聞こえないような声だが、それは確実に私の声だった。
私はグレンジャーさんに置いていかれると思った瞬間、何故か咄嗟に声を上げていたのだ。
おかしい。私は完全におかしくなっている。
しかもその相手が、なんで
彼女はどうでもいい存在だと言うのに……。
伸ばしかけた手を必死に抑え込み、私は無表情の仮面の下で歯を食いしばる。
そうしなければ、私はまた弱音を吐いてしまいそうだったから。
グレンジャーさんがみるみるうちに玄関に近づいていく。そして彼女は外に出る直前、
「すぐに戻るわ! 先生にバジリスクのことを伝えてくる! 今の天気だと、貴女は外に出れないでしょう? マルフォイさんはここで少しだけ待ってて!」
そう言って外に飛び出していった。
私は、城にたった独り残されたのだった。
グレンジャーさんがいなくなった途端、私は地面にへたり込む。
何だか酷く疲れた。出来ることなら、このまま消えていなくなってしまいたい。
そう暗い気持ちで地面を見つめていた時……突然、私に赤い閃光が命中した。
まさに気を抜いた瞬間の出来事だった。
薄れゆく意識の中私は、
「本当に……君はどこまでも僕の邪魔をしてくれたね。マルフォイ家の人間でありながら、実に嘆かわしい。いや、そう言えば君は……
そう呟く、忌々しい赤毛の女の子を見たような気がした。
ドラコ視点
競技場から上がる歓声を背後に、僕とダフネは城を目指して足を進めていた。
その途中、僕達の視界に城から走り出してくる生徒の姿が映った。
今、学校にいる生徒は皆競技場にいるはずだった。競技場にいないのは、あそこに居場所がないダリアだけのはずだ。
その上『マグル生まれ』である
「なんであいつがこんな所にいるんだ?」
眉根にしわを寄せながらダフネに尋ねるも、ダフネはただ無言で肩をすくめただけだった。心なしか不快気な視線すらあいつに送っている。
ダフネは特にあいつに思うところはないと思っていたのだが……何かあったのだろうか?
そんなやり取りをしている間にも、こんな所にいるはずのない人間の姿が段々と大きなものになってくる。
そしてついに息遣いまで聞こえる距離に近づいた生徒は……案の定ハーマイオニー・グレンジャーだった。
余程急いでいるのか、荒い息遣いでこちらに向かって走っている。
「なんでお前がこんな所に、」
「ド、ドラコ! 早く行って! マルフォイさんは今大広間の前にいるわ!」
こいつがどうなろうとどうでもいいが、こいつが傷ついてしまえば、ダリアの心も傷ついてしまう。そう思い嫌味の一つでも言おうとしたのだが、それはグレンジャーの切羽詰まったような声に遮られてしまった。
尋常ではないグレンジャーの様子に、僕はさらに眉根にしわを寄せながら尋ねる。
いつもはこんな奴の言葉など聞く気さえ起こらないが、今こいつは聞き捨てならないことを言った。
「ダリアがどうしたんだ!?」
「襲われたの! 『秘密の部屋の怪物』に! 怪物に襲われた私を、マルフォイさんは逃がしてくれた! 今彼女は大広間の前にいるわ! 彼女は今日傘を持ってない! だから城から出られないのよ! 私は早くこのことを先生に伝えないといけないと思って! 彼女は純血だから大丈夫だと思うけど、でも、あの子をこれ以上一人にしないであげて! あの子は何故かとても悲しそうな顔をしていたわ! だから早く、」
僕とダフネは、最後までグレンジャーの話を聞くことはなかった。
息の荒いグレンジャーを捨て置き、僕達は大広間を目指して走る。
何故ダリアが怪物と出くわすんだ!?
必死に走る僕の思考は疑問符に満ちていた。
ダリアは
襲われるはずがないのだ。『継承者』がダリアが純血だと思っている以上、ダリアが襲われることなんてあり得ない。そう思ったからこそ、僕はダリアの独り歩きを黙認していたのだ。
だからダリアが襲われるとしたら理由は一つだけだ。
ダリアは……グレンジャーが襲われた所に、たまたま居合わせたのだ。ダリアはただ……グレンジャーの軽率な行動に巻き込まれたのだ。
グレンジャーは、先程ダリアが逃がしてくれたと言っていた。それが何よりの証拠だ。
それが分かっているのか、隣を走るダフネも歯を食いしばった表情をしている。ここで怒りの声を上げないのは、今は怒っている場合ではないと考えているからだろう。
グレンジャーの奴。ダリアを危険に巻き込みやがって! 襲われるなら一人で勝手に襲われればよかったのだ! ダリアを巻き込むな!
ダリアを見つけた後で、絶対にグレンジャーを締め上げてやる。
そう考えながら、僕達は大広間に向かって走ったのだが……そこには、ダリアの姿はどこにもなかった。
代わりにあったのは……
「ね、ねえ。ド、ドラコ。あれ……」
大広間の前で、必死な形相で辺りを見回す僕に声がかかる。
そしてダフネが指さす先。大広間前の壁には、
『
そう、真っ赤なペンキで書かれていた。
それは紛れもなく、三階廊下に書かれたものと同じく……『継承者』からのメッセージだった。
この日。