ハリー・ポッターと帝王のホムンクルス 作:オリゴデンドロサイト
ダリア視点
スリザリンの最初の授業は『闇の魔術に対する防衛術』だった。
去年はニンニクの臭いのせいで正直授業の質以前の問題だったが、今年はそんな臭いもない。
では今年の授業の質はどうかというと……正直全く期待できなかった。
お父様の口ぶり、本の中の荒唐無稽な内容、そして書店で見たあの自己顕示欲の強さ。
期待できる要素など全くない。でも、もしかすると、万が一彼が本当に優秀な魔法使いだったとしたら……。彼が優秀な教師であればとわずかに期待している自分も、確かに私の中に存在していた。本当にわずかではあったが。
「今年は運がいいわ! ロックハート様の授業を生で受けられるんですもの!」
「私、授業が終わったら彼にサインを書いてもらおうかな!」
スリザリンの何人かの女の子たちの黄色い声を聴きながら、私はいつものメンバーでかたまって座り、新しい教師の登場を待っていた。
「すごい人気だね。でも、ロックハート先生ってそんなにかっこいいかな?」
隣に座っていたダフネが、前の方にかたまっている女子生徒たちを見ながら言った。
どうやら授業自体には興味がある様子だけど、彼自身にはそこまで興味を持っていない様子だった。
好奇心旺盛なダフネにしては珍しい。
「……ダフネはロックハート先生に興味がなさそうですね」
「う~ん。興味がないというわけじゃないんだよ?
「そうですか」
「それにね、」
ダフネは言葉を切り、私の方を向いて言った。
「私、
「そ、そうですか……」
突然のダフネの言葉に動揺し、私はうまく返すことが出来なかった。この子は一体何を言っているのだろうか。
彼女の私に対しての好意は知ってはいる。
でも、それでは駄目なのだ。私が報いることなどできない。いや、その
ダフネの方から顔をそらし、まだ空っぽの教壇の方を向いていると、お兄様が訝し気に話しかけてくる。
「ダリア、どうかしたのか? 少し顔が赤いぞ?」
「……いえ、お兄様の気のせいです」
自分でも、何故顔が赤くなっているのか分からなかった。
授業開始時刻が過ぎしばらくすると、ようやくロックハート先生が後ろのドアから教室に入ってきた。
「やぁ、すみませんね、皆さん! 実はスプラウト先生に、
昨日の夜、ポッター達が車で突っ込んだ結果大変珍しい『暴れ柳』に甚大な被害が出てしまった。でもスプラウト先生は薬草学に関して非常に優秀な先生だ。珍しいとはいえ、暴れ柳の対処に彼女が苦労するとは思えないのだけど……。
私が訝しんでいる間にロックハート先生は教壇までたどり着き、ようやく授業が始まった。
「さて」
先生は前の方にいる生徒から一冊本を取り上げ、表紙を高々と掲げる。
本の表紙にある彼自身の写真と、私達の目の前にいる先生自身が同時にウィンクした。
なんだか乱視になりそうな光景だ。
「
……何を言っているのか分からなかった。
どうやら彼が何を言っているのか理解できた人間は、このクラスには私を含めて存在しなかったらしい。前の方に座っている女子何人かがあいまいに笑っただけだった。男子に関しては、皆私と同じような無表情になっている。
「君たちは非常に運がいい。なんせこの私の授業をはじめに受けることができるのですから! そんな貴方たちに今日はミニテストをしようと思っています! 大丈夫ですよ、テストといっても非常に簡単なものですから。このクラスには学年主席の子もいるそうじゃないですか!
「……ひょっとして、あれは私のことを言ってるのでしょうか?」
「……そうじゃないかな。主席は学年でダリアだけだから……」
現実逃避気味に小声でダフネに尋ねると、ダフネも少し困惑しているみたいだった。
正直絶対に面倒なことになると思ったのだが、どうやら周りの生徒の視線で私だと分かってしまったらしく、ロックハート先生がこちらに視線を向けてくる。
先生は『チャーミング・スマイル賞』とやらに相応しい微笑を浮かべながらこちらを見て、私を見た瞬間……何故か驚愕といった表情になった。
しかしそれも一瞬、再び先ほど以上の微笑に戻ると彼は私に近づき尋ねた。
「君がそうだね? お名前を聞かせてもらってもよろしいかな?」
「……ダリア・マルフォイです」
「そうですか! 君がダリア・マルフォイですか! 他の先生方から聞いていますよ!
「……はぁ」
「どうやら緊張しているみたいですね! 顔が無表情になっていますよ! ですが君には笑顔が似合っていると思いますよ! 私が有名だからと言って、そんなに緊張しなくてもいいんですよ!」
すごく……うっとうしい。
「……先生、はやく授業を」
私はいいから早く授業を始めろという視線を送る私に、先生はようやく私から視線を外す。
「おお! そうですね! 優秀な君にはいずれ
先生が教壇に戻るのを呆然と眺めていると、
「去年とは別のベクトルで厄介な先生みたいだね」
ダフネの言葉に、私は無言で頷いた。
「では、皆さん、テストをはじめてください! 時間は三十分です! よーい、はじめ!」
配られたテストペーパーを皆一斉に表返す。さて、私もテストを始めるかと思いテストの内容をみて、再び裏返し、眉間を少し揉んだ。
どうやら私は思った以上に疲れているらしい。なんだか授業に相応しくない内容のテストだったように見えた。
先程の行動でよほど難のある性格の持ち主であることは分かっている。でも、校長が選んでくるくらいだ、少なくとも『闇の魔術に対する防衛術』の授業を人並みくらいには行える人のはずだ。
そう思い、再びテスト内容をみたのだが……やはり内容は変わっていなかった。
1 ギルデロイ・ロックハートの好きな色は?
2 ギルデロイ・ロックハートのひそかな大望は?
そんな下らない内容が延々三枚も続き、最後には
54 ギルデロイ・ロックハートの誕生日はいつで、理想的な贈り物は?
そんな質問で終わっていた。
何だかドッと疲れた。本当にこの人は『闇の魔術に対する防衛術』の教師なのだろうか
54問も問題があるのに、一問たりとも『闇の魔術に対する防衛術』に関係する問題がない。全部ロックハート自身に対するものばかりだ。
でも悲しいかな、私にはこの馬鹿なテストの回答が
教科書になるくらいなのだから、私が読めてないだけでどこかには学べる部分があるのでは?
夏休み中そう思ってこの
私は物覚えの良い方だと思う。一回読んだものはあまり忘れることはない。
普段であればうれしく思うことなのだが、このテストを見ているとそうでもないように思えてしまう。おかげでこのテストが
「はぁ……」
何にせよ、テストであるからには解かなければならない。解かずに提出することもできるが、その場合余計な波風を立ててしまうかもしれない。ただでさえ、何故か先生に目をつけられているみたいですし。
私は死んだ魚のような眼をして、問題に向き合った。
「皆さん! 時間です! それでは皆さんの答えを見せてもらいましょうかね!」
三十分経ち、ロックハート先生は皆の答案を回収し、全員の前でパラパラとめくり始めた。
「チッチッチ。皆さん、あまり勉強をしておられないようですね。私の好きな色はライラック色ですよ。ほとんどの方が分からなかったようですね。『雪男とゆっくり一年』に書いてありますよ? それに、私の理想的な誕生日での贈り物も分からなかったみたいですね。それも『狼男との大いなる山歩き』に書いてありますよ?」
そうなのだ。先生の言う通り、このテストの内容は全て、彼の指定した彼自身の本に書いてあるものばかりだった。だからと言って解けなければいけないような問題でもない。むしろ
「ですが、やはり主席なだけはありますね!
「……ありがとうございます」
こんなテストが解けても全くうれしくもなんともない。それに、
「それに、ダリア以外にももう一人満点の子がいますね! ミス・ダフネ・グリーングラス! 君も満点です! ミス・グリーングラス! どこにいますか?」
隣に座っていたダフネが、満面の笑顔で手を上げていた。
「素晴らしい! ミス・グリーングラスとあわせて、スリザリンに30点差し上げましょう!」
そう言って先生は、私の方にウィンクをよこしてきた。
これほど嬉しくない点数は初めてだ。それが分かるのか、他のスリザリン生も私達に同情の視線を送ってきていた。
「……私が言うのもなんですが、ダフネはよくこのテスト回答できましたね」
「うん!
「……たくましいですね」
そんな会話をしている間に、ロックハート先生は机の上に大きな籠のようなものを置いていた。
籠には布がかかっており、中に何が入っているのか見ることはできない。でも、どうやら生き物が入っていることは間違いがなさそうだ。先ほどからガタガタと揺れ動いている。
「さあ! 気をつけて! 魔法界の中で最も穢れた生き物と戦う術を授けるのが、私の役目です! これから君たちが遭遇するのは、君たちが今まで遭遇したことないような恐ろしい存在です! ただし、私がいる限りは君たちは安全です! くれぐれも取り乱さないように!」
彼の口ぶりに私はにわかに期待する。
……使えない教師かと思ったが、そうでもないのかもしれない。
去年は教科書を読むばかりで、全く面白くもなんともない授業だった。そうでなかったとしても、臭いのせいで集中などできなかっただろうけど。
彼の口上に私はもしかしてと期待して……絶望した。
「さあ! 捕らえたばかりのコーンウォ―ル地方のピクシー小妖精です!」
先生が布を取り払うと、籠の中にピクシーが数十匹入っているのが見えた。
身の丈20センチぐらいで群青色をした生き物が、籠の中でキーキーとわめいている。
こ、こんなものが二年生の題材になるほど危険だというのだろうか?
確かに一匹ではまったくの脅威になりえないが、大量に襲い掛かってくれば多少は危険度が増す生き物ではある。ただ、それでも冷静になれば一年生でも対処可能だ。
皆もそう思っているのか、教室のところどころから失笑が聞こえる。
皆が侮っていることに気が付いたのか、先生は皆をたしなめるように指を振った。
「皆さん、どうやらこいつらを侮っていますね! 思い込みはいけませんね!」
そして、彼は前代未聞の暴挙に出る。
「さあ! 君たちがこいつらをどう扱うか、やってもらいましょうか!」
先生は叫ぶと同時に、籠の扉をあけ放つ。
生徒達の悲鳴が教室に鳴り響いた。
辺り一面をピクシー妖精が飛び回っている。笑っていた生徒たちも、大量に襲い掛かるピクシーに対処しきれなくなったのか、皆机の下に避難している。
二年生にもなればこれくらい対処できるものだという考えは、どうやら私の思い違いだったらしい。これくらい対処してくださいよ……。
「……どうする、ダリア?」
私と同じように、近づくピクシーを冷静に撃ち落としているダフネが尋ねてくる。
今対処できているのは、私とダフネだけだ。お兄様は机の下に隠れておられる。
「……これでも一応実習ということなのですよね? 皆さんにも対処してもらいたいところなのですが」
ピクシーを呪文で壁に
叩きつけられたピクシーは口から血を吐きながら意識を失っていた。
一匹対処してもまだまだ教室には大量のピクシーが飛び回っている。キーキー声を上げながらそこらじゅうのものをひっくり返し、そして生徒に投げつけようとしている。
「……そうだね。でも、今はもう実習ってことではなさそうだよ?」
「どういうことですか?」
ダフネに尋ねると、ちょうど彼女に本を投げつけようとしていたピクシーに『失神呪文』を放ちながら、教壇の方を指さした。
「だってロックハート先生、自分の部屋に逃げ込んでしまったみたいだよ? 先生不在じゃ実習ではないよね?」
指差された方を見ると、ダフネの言う通り、すでに先生の姿はなかった。
「……本当にいませんね。まったく、仮にも先生でしょうに。もしこれでお兄様が怪我でもしたらどうするつもりなんでしょうね」
「それで、どうしようか?」
「そうですね……」
先生がいなくなったのなら、さっさと終わらせてもいいだろう。
そう思い、どうやって終わらせようか考えていると、ふと机の下のお兄様にピクシーの一匹が襲いかかっているのが見えた。
「おい! やめろ! 引っ張るんじゃない!」
お兄様が耳を引っ張られて、机の下から引きずり出されようとしている。
お兄様のお顔には苦悶が浮かんでおり、耳を引っ張るピクシーの顔には気色の悪い笑みが浮かんでいる。
それを見て、私の思考が真っ赤に染まる。
羽虫の分際で、お兄様に触れ、尚且つ苦痛を与えている。
一匹残らず、私はこの羽虫を
「ダ、ダリア?」
私の雰囲気の変化に気が付いたのだろうダフネの声は、少しだけ恐怖をはらんでいた。
でも、彼女の声が私に届くことはなく、私の思考は殺意に満たされていた。
ああ、殺したい。今すぐこいつらを皆殺しにしたい……。
『エイビス、鳥よ』
無言呪文を唱えると、私の真っ黒な杖の先から大量の烏が飛び出す。
何十羽の烏達は、自分たちを生み出した私の感情が伝わっているのか、一羽一羽がピクシーを睨み付けている。
突然出現した真っ黒な烏たちに、ピクシーは怯えたように動きを止めていた。
先程までの気味の悪い笑顔はなく、皆一様に恐怖の表情をしている。
今さら怯えても遅い。その汚らわしい手でお兄様に触れた罪を贖うがいい。
そして私は、彼らの死刑宣告を
『オシド、殺せ』
烏たちは、一斉にピクシーに襲い掛かった。
教室のあちこちで、キーキーと悲鳴が鳴り響いている。
先程まで騒然としていた教室は、数分後には物音ひとつしないものになっていた。
鐘がなり、皆一斉に
「なんだ、あの教師! あんなに大量のピクシーを解き放つなんて! 教師だろう!? なんであれぐらいを対処できないんだ!」
教室から出た瞬間、皆先生に対する文句を口にし始めている。驚いたことに、授業が始まる前は先生にお熱だった女子生徒もそれに参加していた。
そんな彼らだが、私が彼らに遅れて教室から出てくると皆私の顔を見て一瞬驚き、気まずそうに私から目をそらした。
「ダリア……。さっきのは?」
畏れを含んだ視線の中、少し真剣な表情をしたお兄様が私に尋ねる。
「……つい頭に血が上ってしまって」
先程の高揚感は消え、激しい後悔が私を襲っていた。
またやってしまった。ハロウィーンや去年『禁じられた森』でお兄様を襲っていた男と違い、今回はたかがピクシーだった。何も殺す必要などなかったのに……。
一年前と何一つ変わっていない。こんなのだから、あの鏡はあんな光景を映すのだ。もっと自制しなくては。
だから、ピクシーを殺したことを、
後悔に苛まれる私に、
「そうか……」
お兄様は何だかとても複雑そうな表情をしながら頷いていた。
ダフネ視点
去年のハロウィーンと同じだ。ピクシーを無残に殺したダリアは、その後悔した口ぶりとは裏腹に、あの時と同じく残酷な笑みを浮かべていた。
そんな笑顔で惨劇を生み出した彼女を、皆遠巻きに見ている。おそらく、彼らが初めて見たダリアの表情といえる表情だろう。
その瞳には、隠しきれない恐怖が映っていた。
ピクシー相手とはいえ、あのような場面を見るのはショッキングだったのだろう。
「ダリア……」
私は笑顔のダリアに話しかける。
今の表情を浮かべているダリアが怖くないかというと……嘘になる。でもそれ以上に、彼女のそばにいたい、彼女の味方でいたい、彼女のことを裏切りたくないという思いの方が勝っていた。
「ダフネ、どうかしましたか?」
だからと言って、私が彼女に今できることなどほとんどない。
そもそも、ダリアはどうやら自分の表情について分かっていない様子だった。それを私が指摘しては、何か悩んでいる様子のダリアが余計に傷つくだけだ。
私に今できることは、いち早く彼女をここから連れ出すことだけだ。
彼女のことが知りたくても、ここで踏み込んでしまってはいけない。
「……服に血がついてるよ」
私は彼女のローブを指さし言った。
少しではあったが、ダリアのローブにはピクシーのものと思われる血がついていた。
「ああ、本当ですね」
彼女も今気が付いたというように自分のローブを見ている。
「午後の授業まで時間はたっぷりあるし、一回寮に戻ろっか。私も寮に一回戻りたいから、一緒に行こうか」
「そうですね。お兄様、先に昼食を済ませててもらってもよろしいでしょうか? このローブで昼食をとるわけにはいかないので、先に着替えてまいります」
「……ああ、分かった」
ドラコの返事を聞き、私達は寮に戻る。
ドラコの横を通る瞬間、
「ダリアを頼む」
それに私は無言で頷き、ダリアの後を追った。
ハロウィーンの時と同じ表情。いつも無表情な彼女が私に見せた、初めての表情。
生き物を殺したのに、それを喜んでいるかのような残酷な笑顔。
私はそんなことでダリアを恐れたりしない。いや、恐れてはいけない。
だって、彼女がどんな表情を浮かべていようと、彼女が本当は優しい子だと私は知っている。こんなことが、彼女を恐れる理由であっていいはずがない。
たとえ、彼女が何かを殺すことに
「ダフネ、どうかなさいました?」
「……ん? ごめんごめん、少し考え事してた」
ダリアに話しかけられ私の意識は浮上する。少し自分の考えに没頭しすぎていたようだ。
「そうですか」
そう答えるダリアの表情は、もう徐々に元の無表情に戻っていた。
怖がらないと決めても、いつもの無表情にホッとしている自分がいた。
二人で廊下を進み、寮のある地下に降りる。
その途中、『魔法薬学』の授業が終わったのだろうグリフィンドールの一年生の集団と出くわした。
もうグリフィンドールとしての自覚が芽生えているのだろう、昨日入学したばかりだいうのに私達スリザリンの上級生に怯えながら、あるいは睨みつけながら私達とすれ違う。ただ睨み付けてくる子もダリアが見つめ返すと、他の子と同じように怯えた表情になっていた。
そんな通り過ぎた集団を振り返りながら話す。
「まったく、昨日入学したばかりなのに、もうスリザリンを敵視しているみたいだね」
「スリザリンとグリフィンドールの仲の悪さは昔からですからね。大方、親からスリザリンの素行の悪さでも聞いていたのでしょう。まあ、これに関してはスリザリンも人のことを言えませんね。去年、お兄様も初日からグリフィンドール生に噛みついていましたから」
「あはは。それもそうだね。おっと、結構時間が経っちゃったね。行こう、ダリア」
「ええ……」
「どうしたの?」
「……いえ、なんでも」
ダリアは先ほどの集団を、まだ複雑な表情で見ている。
それが気になって視線の先を追うと、一年生の集団の中に一瞬、見事な赤毛の髪が見えた気がした。