ハリー・ポッターと帝王のホムンクルス 作:オリゴデンドロサイト
シリウス視点
今私の目の前にはブラック家の家系図が広がっている。所々焼き印のある心底狂ったタペストリー。
正直視界の端にも入れたくない代物であり、今こうして見ているだけで嫌悪感を感じている。私はそれこそ物心ついた時からこのタペストリーのことが嫌いだった。何もかもが狂っている。こんなものをありがたがる家族も、そんな家族に仕えるしもべ妖精も。意に沿わない家族を何のためらいもなく消す薄情さ。そしてこの家系図に記された人間のほとんどが闇の魔法使いである事実。何もかもが普通ではない。異常なものなのだ。疑問を抱かず、嫌悪感を感じないことこそがおかしい証拠だ。私はこの家に戻ってきてはいるが、これから一生このタペストリーを目にすることすらないと思っていた。
だが何故だろうか……今日は何故だか、この狂った家系図から目を離すことが出来なかった。何とはなしにタペストリーの前に座り込み、ただ本来私の名前が記されているはずの場所を見つめ続ける。
自分の行動がおかしいことは自覚している。どう考えてもおかしい。理屈に合わない。今こうして見ているだけで嫌悪感を感じるのだ。なのに何故かここを離れられない。こうして見つめていると、何故か嫌悪感以外の感情が浮かんでは消えていく。寂しさ、不安、悲しみ。何に対してのモノかも分からない感情がただ通り過ぎてゆく。考えが一向に纏まることはない。
だから残った冷静な部分で思考する。
あぁ、遂に私もおかしくなってしまったのか、と。
そしてそんな取り留めのない思考の中、何とはなくこんな下らない思考に取りつかれている原因にも思い立っていた。
ようするに私は……この狂った家に長居しすぎたのだ。他の『不死鳥の騎士団』メンバーは全員、それこそあのスニベルスも含めて任務に従事している。誰もがヴォルデモートと戦っている。なのに私ときたら、日がな一日この狂った家にいる。まるでアズカバンに収監されている時と同じように……。何の役にも立てないという一点において、あの時と全く同じだ。それが私がおかしくなった原因なのだと、私は確信を持って考えていた。
狂った思考の中で思い出すのは、今までの歪な人生そのもの。幼少期から、それこそこうして家に監禁されている現在まで。まるで走馬灯のように浮かんでは消えていく。
……思えば私の人生は、大きく四つに分けることが出来るだろう。
幼少期、ホグワーツ、不死鳥の騎士団、そしてアズカバン。概ねこの四つだと言える。実に単純明快な人生だ。他の人間はもっと複雑なのだろうが、私の人生は実に単純と言える。いいか悪いかと言えば、その内の二つ……しかも時間にすれば半分以上が暗いものであることから、あまりいい人生とは言えないだろう。
幼少期。それは今こうして目の前に広がる家系図に支配されたものだった。愚かな弟はこの狂った家族に適応出来たため可愛がられていたが、私は結局最後の最後まで馴染むことが出来なかった。最後まで奴らが言う純血の尊さなど共感できなかったのだ。それこそ家族の誰一人としていなくなった今でさえも。
どうしてそうなったのかは分からない。自分が奴らと違い賢かったと思いたいところだが……そうでないことくらいは、流石に大人になった今ならば分かる。
弟とは違い、愛されないが故に馴染めなかったのか。馴染めなかったが故に愛されなかったのか。始まりがどちらかだったかを確かめる術はなく、そうすることに意味もない。ただ結果として、ただ反抗心だけに塗れた暗い時間があっただけだ。
母に言われた言葉は今でも覚えている。忘れたいが、忘れるにしては何度も言われ過ぎた言葉。
『本当に……何故お前なんかが生まれてきたのかしら。お前など生まれなければ良かったのに。ブラック家の恥さらしよ。レギュラスはこんなに可愛いらしいのに。お前はどうして……』
一体いつから言われるようになったかは思い出せない。いつも弟と比較され、兄である私の方が下に見られていた。純血なんぞを有難がる家ではよくあることだが、ブラック家も例に漏れず、家柄以外に何もない家だった。そこに本来あるべきはずの愛情など一欠けらもない。今思えば、可愛がられていた弟でさえも、本当に愛されていたかは定かでない。純血を保つための道具としてしか見ていなかったのではないか。
真偽を確かめることはもう出来ない。だが少なくとも私の幼少期には、そんな純血以外の家であれば当たり前にあるものが全くありはしなかったのだ。
だが幼少期こそ暗いものだったが、私はそれを必要以上に悲観するつもりはない。
何故ならその幼少期のお陰で、私のホグワーツ生活はより一層輝かしいものに思えたのだから。
ようやく家から離れ、ホグワーツに入学したその日。私はブラック家伝統のスリザリンではなく、奴らからはもっとも忌み嫌わているグリフィンドールに入った。最初はただの反抗心からだった。そもそも組み分け帽子にスリザリンを勧められなかったこともあるが、グリフィンドールという選択肢は私自身が選び取ったものだ。
何もかもがうんざりだったのだ。どうせ望み通りスリザリンに入ったところで、私がこれから愛されるなんてことはない。ならば今までと全く違う世界へ、今までのモノを全てリセット出来る場所に行ってしまいたかったのだ。
そしてその願いは、想像以上のものを私にもたらしてくれることとなる。そこで出会った掛け替えのない友人達。ジェームズにリーマス……そしてピーター。誰一人として私の家庭など関係なく私に話しかけてくれた。私と一緒に馬鹿なことをして、常に私と一緒にいてくれた。何をするにしても私達4人。寮も、授業も、休みも、悪戯も。いつだって私達は4人で行動していた。それこそホグワーツを卒業しても、私達は決して離れないと信じ切れるものだった。
無論全てが順調だったわけではない。リーマスの体のこともあった上、私が遂に家から追放される出来事もあった。人には言えない苦労も沢山した。だがそれも含めて、私のホグワーツ時代は幸せな物だった。
たとえ狼男だろうと、私達は彼と最後まで寄り添うことが出来た。たとえ家から追放されようと、ジェームズが私を家に受け入れくれた。たとえピーターが落ちこぼれであろうとも、私達は奴に最後まで付き合った。
あの時、入学した時に私が手に入れた友情は本物だった。それが私にとってどれ程救いだったか。家族に愛されず、入学当初の私は世界にたった一人の孤独な存在だった。それを彼らが埋めてくれたのだ。この心の穴を、彼等の友情だけが埋めてくれた。
だからホグワーツ卒業後、私達が『不死鳥の騎士団』に勧誘された時、私は当然心の底から喜んだ。これからも私達の時間は続いていく。その上スニベルスのような……私の嘗ての家族のような、純血以外を排斥しようとする闇の魔法使いと戦うのだ。
心のどこかで、これで私は本当の意味でブラック家を捨て去ることが出来ると思っていた。どんなにホグワーツ時代が幸福であろうとも、心のどこかに泥の様に幼少期のことがこびりついている。だが私達に不可能なことなどない。たとえ相手があの『闇の帝王』であっても、私達の冒険譚は続く。そう、私が不死鳥の騎士団に所属していた時、それは結局のところホグワーツ時代の延長でしかなかったのだ。
……今思えば自惚れ以外の何物でもなかったのだろう。学生時代の延長で考えられるほど『闇の帝王』は甘い存在ではない。
何より自分の理想と思い込みだけで突き進むだけで、私は自分の足元を見ようとはしなかった。ただこれまでの生活がこれからも続くと、そうあるべきだと妄信しきっていた。それこそ自分が親友と信じていた人間すら、真の意味で私は見てはいなかったのだ。
だから、私が『不死鳥の騎士団』で過ごした年数が数年だったのは、ある意味で当然の成り行きだったのだろう。
しかもよりにもよって、親友だと思っていたピーターの裏切りによって、私はアズカバンに送られることとなった。
私は一夜にして、ようやく手に入れたと思っていたモノを再び失った。
これが私の人生における次の節目。ホグワーツ、不死鳥の騎士団。その後に突然やってきた、それこそ幼少期より真っ暗なアズカバンでの生活。いや、生活と呼べるような代物ではない。ただ息をしているだけ。そこには何一つとして温かみのあるモノはありはしない。温かみのある感情は、全てあの『吸魂鬼』に吸い取られてしまう。それを真の意味で生きているとは言えないだろう。
あれだけ私に開いていた穴を埋めてくれていたというのに、何もかもを根こそぎ『吸魂鬼』に吸い取られていく。残されたのは幼少期に植え付けられた空虚さ、そして自分は無実である事実と……私が収監される原因であるピーターに対する憎しみのみ。友人達との幸福な感情は……それこそピーターとのものも含めて失ってしまった。
アズカバンにいる間私はただ憎かった。ただ憎くて。憎くて憎くて仕方がなかった。あれだけ幸福だったのに、檻の中で思い出すのは人生最悪の日だけ。
『ジェームズ! リリー! 無事か!? 返事をしてくれ!』。
永遠に続くと思っていた日々が、唐突に終わりを告げた瞬間。それを何度も何度も……。
不幸中の幸いは、私自身が無実であることを最後まで確信出来ていたことくらいだ。この間違いを正さなくてはいけないのだと、私は冷たい監獄の中でも信じ続けることが出来た。
だが逆に言えば……アズカバンにいる間、私にはそれ以外の感情などなかった。ただ憎しみを滾らせるだけの毎日。誰もが、それこそあのダンブルドアさえ私を裏切り者と考え面会に来てくれない。暗い牢の中、ただ一人だけで憎しみを募らせるのだ。そんな無意味な時間を12年も。私の人生の3分の1。幼少期を合わせれば半分以上だ。何と無意味で無価値な人生だろうか。
そしてそれは……アズカバンから解放された今も続いている。
ジェームズの息子であるハリーに救われ、今こうして私は『不死鳥の騎士団』に再び所属出来た。もう私を裏切り者として扱う人間はいない。
なのに何故だろうか。私は未だにアズカバンから解放された実感を持ちきれずいる。ハリーと出会い、ハリーに救われた時は清々しい気持ちになっていた。だが今はどうだ。再び幼少期を過ごした家に閉じ込められ、思い出すのは何もかもが失われた記憶のみ。家に常にいるのが狂った屋敷しもべであることもあり、私の現実認識はどんどん混濁していた。モーリーに以前言われたことを思い出す。
『貴方はハリーを何だと思っているの!? あの子はジェームズ・ポッターではないのよ!?』
ハリーの今後に関しての、ちょっとした言い争いで言われた言葉。彼女は何気なく言ったのだろうが、私の意識にはハッキリと刻まれている。
あぁ、モーリーの言う通りだ。私だってハリーはハリーでしかないことくらい分かっている。彼はジェームズの息子であり、私は彼の名付け親。それ以上でもそれ以下でもない。
だが私の認識はどこか……あの全てを失った日で止まってしまっているのだ。あの何もかもを失った日から、私は一歩たりとも前に歩みだせずにいる。歩き出す機会を完全に奪われてしまった。だからジェームズとそっくりなハリーのことを考えた時、どうしても認識が以前のモノに引っ張られてしまうのだ。
それが間違ったことだと分かっているにも関わらず。
……一体私の人生は何だったのだろうか。
タペストリーを見つめていると、そんな疑問が浮かんでは消えていく。私の人生には一体何の価値が……意味があったというのだろうか。
あの輝いていた時期ですら消え去った今、私は何を思うべきなのだろうか。何も分からない。過去の出来事が走馬灯のように頭の中を通り過ぎ、何一つ真面に思考することが出来ない。
『何故お前なんかが生まれてきたのかしら。お前など生まれなければ良かったのに』
純血なんぞのために生まれてきたわけではないが、それ以外の価値を私は果たして成せたのだろうか。
下の階で物音がしたような気がして、ようやくタペストリーから視線を外したものの、私の頭にかかった靄が晴れることはなかった。
まるで呪いでもかけられたように見つめていたタペストリーから離れ、私は立ち上がりながら考える。
私の人生を改めて振り返った時、驚くほど私の友人達との絆以外に価値があるモノはない。そしてそれも今ではリーマス以外失われてしまった。私は一体これまで……いや、これからどのような人生の意義を見いだせるのだろうか。
私はそんな益体のないことばかり、その時考えてしまっていたのだった。
ハリー視点
「おー、素晴らしい! 実に素晴らしい守護霊じゃ! 期待以上じゃ! 約束通り特別点を差し上げよう!」
僕の最も得意とする『闇の魔術に対する防衛術』の試験が、今ようやく終了した。OWL最後の試験。しかもこの科目においては大成功と言えるだろう。
実技の試験後、なんと試験官が僕に『守護霊の呪文』を出すように指示してきたのだ。何でも僕の裁判を担当した一人と知り合いだったとか。その繋がりで僕が『守護霊の呪文』を使えると知ったらしい。何よりこの初老の試験官は僕とダンブルドアに好意的だった。最初から興味津々と言わんばかりに僕の実技を採点し、最後にはこのように特別点までくれたのだ。学校外にも僕の味方がいる上、試験においても間違いなく全科目の中で最高の結果だ。この辛い試験期間の締めくくりとしては最高のものと言えた。
素晴らしい解放感だ。
フレッドとジョージのお陰で、今ホグワーツ中が反アンブリッジの空気に染まっている。今日もどこかの廊下でウィーズリー製花火が爆発し、アンブリッジの部屋にニフラーが投げ込まれた。DA程ではないにしろ、ホグワーツ生が思い思いの方法で立ち上がっている。それで多少なりとも溜まりに溜まった鬱憤も晴れていたけど、それでもどこか鬱屈としたものを感じていたのだ。それが試験がようやく終わったことによって、今だけは全てから解放された気分だった。一時的とはいえ、あのヴォルデモートのことさえ忘れることが出来る。
だから
これからどうしようか。グリフィンドール生はクィディッチを禁じられている上、DAを再開することも出来ない。なら勉強のことも忘れ、ただ談話室で友人たちと雑談を交わすのはどうか。最近は友人達もOWLのせいでピリピリしていた。でも試験が終わったことで、その張り詰めた空気もなくなることだろう。一番張り詰めていたハーマイオニーでさえ、
「や、やっと終わったわ。まさか最後の試験が『まね妖怪』の相手なんて……。前回のようには流石にならなかったわ。失敗はないはずなのだけど……あぁ、心配だわ! 私、『数占い』で計算ミスした気がして仕方が無いの!」
まだヒステリー気味ではあったが、少し前までとは違いまだ会話可能な様子だった。少なくとも話しかけるだけで呪いを放ってくる雰囲気ではない。彼女に続いて歩いて来たロンも、全ての苦悩から解放された顔をしている。今なら全てを忘れて、ただ以前の様に他愛のない雑談をすることが出来るだろう。今僕達に必要なのは、まさにそんな何も考える必要のない時間だ。
僕は廊下の向こうから歩いてくる友人達に笑顔で応えながら考える。
今日くらいはいいだろう。僕等を取り巻く現状は何一つ変わっていない。ヴォルデモートは復活したままであり、生徒達がいくら反抗しようともアンブリッジの権力は揺るがない。DAという手段が奪われたとしても、僕は諦めてはいけない。
でも今日だけは。今日だけはただ親友達との時間を大切にしたい。あまりの解放感に何も考えたくない。ただ談話室に戻り、勉強以外の他愛もない話をしたかったのだ。
ハーマイオニーの自慢なのか愚痴なのか分からない発言は沢山聞くことになるだろうけど、それでも久しぶりの親友達との時間だ。ロンなどは対照的に勉強の『べ』の字も出さないに違いない。せめて今日だけは何もかもを忘れたかった。
……なのに、
「それを取れ。俺様のために……
突然辺りの景色が変わり、僕は何故かホグワーツの廊下とは似ても似つかない場所に立っていた。
突然意識が引っ張られた感覚。辺りを見回せば、そこはたくさんのガラス玉が置かれた場所だった。
何故こんな所に? 僕は今までホグワーツの廊下におり、今から友人達と何気ない時間を過ごすはずだった。なのに何故こんな見覚えのない場所に? 一体何が僕に起こっているのだろう?
……しかし、そんな疑問を感じるべきなのだけど、
「……何故手を伸ばさぬ? この俺様が命じておるのだ。その意味を知らぬお前ではなかろう。それとも苦痛に塗れた死を望むか?」
俺様は目の前に倒れる男に杖を向ける。
あぁ、何もかもが喜ばしい。俺様は遂に望んでいたモノを手に入れる。ここまで辿り着くのにどれ程苦労したことか。それが今こうして、もうすぐ今までの苦労が報われようとしている。少なくともルシウスなどに任せるより遥かに有効な手だ。全てはこの
だが、その前に、
「だ、誰がお前なんぞの命令に、」
『クルーシオ、苦しめ!』
「ぎゃあぁぁぁ!」
「愚かだ。実に愚かだ……
俺様はまずこの罠を完遂せなばならん。真に笑うのはその後だ。
俺様は目の前のみすぼらしい男に呪文を放ち、その男が浮かべる苦痛に歪んだ表情を
「く、くそ! こ、殺すなら殺せ! 私はどんなに拷問されようと、」
「言われずとも最後には殺してやるとも。しかしブラック、まずは俺様のためにそれを取るのだ。なに、時間はたっぷりある。最後には殺してやるが……それまでにお前がどれ程苦しむかは、お前の選択次第だ」
そして俺様は杖を振り上げながら、再度何とはなしに辺りを見渡す。
そこにはやはり所狭しと並ぶ多くのガラス玉。だが有象無象の
これでどんな愚か者であろうとも、俺様の望む場所に辿り着くことが出来るだろう。俺様は興奮のまま、目の前の男に杖を構えながら告げるのだった。
「さぁ、このヴォルデモート卿は待っているぞ。はやく辿り着くのだ。この『
そして再び男に呪文を放った時……
いつの間にか僕は廊下に倒れ伏し、ただ大声で叫び続けていた。必死に辺りを見回すと、僕に必死な形相で声をかけるハーマイオニーとロンの姿。その周囲には騒ぎを聞きつけたのだろう生徒達が遠巻きに僕達を見ている。
だけど僕はそんなことはどうでも良かった。数瞬前まで感じていた解放感も今は消え去っている。
僕の中にあるのはただ一つの感情だけ。僕はただ今しがた見た光景を思い返しながら考えていた。
シリウスが……僕に残された唯一の家族と言える人が攫われた。しかも今もあのヴォルデモートに拷問を受けている。
僕は唯一残った家族を……助けに行かなくてはならない。
それも
数瞬前まで感じていた解放感はもうどこにもなかった。