ハリー・ポッターと帝王のホムンクルス 作:オリゴデンドロサイト
アンブリッジ視点
ダンブルドアとの対話の後。政治闘争に明け暮れていた私でも経験したことのない相手。少しでも油断すれば、それこそ心の奥底まで見透かされてしまうような当に目の上のたん瘤。今奴は窮地に立たされているとはいえ、未だ強敵であることに変わりはない。気の抜けない相手に話をしたことで少し疲れが出てしまったのだろう。それともポッターの罰則を少し
遠い昔。私の現在を作り上げる切欠になった出来事。もう私ですら忘れてしまった出来事。それを私は微睡む思考の中、無意識のうちになんとはなしに思い出していた。
私がまだ小さく。純粋に世界が綺麗なものだと信じ切っていた頃のことを……。
すでに私の中でも擦り切れ、もはや夢の中でしか思い出すことの叶わない。そんな取り留めもない夢を……。
……思い返せば……私は小さな頃からピンク色の服が大好きだった。
切欠が何だったのかはそれこそ覚えていない。何故好きかと聞かれても、好きなものは好きなのだから仕方がない。それにどうせ切欠など些細なものでしかないのだ。当時見た流行を周回遅れしたマグル界のテレビ。あるいは父が取っていた『日刊予言者新聞』。……あるいは母のタンスに入れられていた、もうとっくに着られなくなった服など。切欠など後からいくらでも想像できる。貧しさの極致にいた私には外の世界は何もかもが光り輝く物。しかしフリフリしたフリルやリボンが付いた、ピンク色の可愛らしい服は特別。当に女の子にのみ許された特別な衣装。私が普段着ることを
だからこそ、
『ドローレス。……誕生日おめでとう。今まで何もしてやれなかったが、これは今までの……そして
私は小さな頃、父がそんな服を一度だけ買ってくれたのが嬉しかった。まるで母に隠すようにくれたプレゼント。擦り切れた思い出でも、あの時感じた感情だけは鮮明に覚えている。
だからこそ、私は最後まであの父のことが邪魔に思え、そして憎くても……本当に彼を
父は純血でありながら出世欲がないことから収入は少なく、マグルの母は母で自由奔放なことから散財が激しい。ただでさえ少ない収入を湯水のように自分のために使ってしまう。結果魔法省での出世など望むべくもなく、貧乏の極みにあった私と父。そんな私が初めて買ってもらえたプレゼント。……そしておそらく
文字通り食事を抜くほど我慢して貯めたお金で買ってもらえたプレゼントに心が躍ったことを、何十年も経った今でも覚えている。何があったか覚えていなくとも、あの時感じた感情だけは鮮明に。
たとえ最後のプレゼントだっていい。どの道今までだってプレゼントなんて貰えたことがないのだ。その日の食事すらままならないことがある家で、これ以上贅沢なんて言えるはずがない。母は毎日どこかに遊びに行っているけれど、私にそのお金が回ってくることはない。
『本当に貴女は私に似ず醜いわね。それに比べて貴女の弟は本当に私に似て……。あぁ、私の子がこの子だけなら良かったのに』
ましてや母は私ではなく弟ばかりを可愛がっているのだ。これからも私が貧乏であることに変わりはない。
でも……今までボロボロな服装しか着たことがなかったけれど、これで少なくとも服装だけは私も輝くような毎日が送ることが出来る。今までの自分とは違う自分に、私は変わることが出来るのだ。
そうそのプレゼントを受け取った時私は思い、気付けば急いでプレゼントの服に着替えて外に駆けだしていた。漠然と感じていた不安や不満から逃げる様に、ただただ新しい自分に変われた喜びのままに。
しかし……
『何、あの子? あんな可愛らしい格好して……本当に似合っていないわ』
『気持ち悪い。あんなに似合っていない子も珍しいわね』
『あれをよく恥ずかしげもなく着れるわね。親も何を考えているのかしら。まるで
すぐに現実が私の認識を粉々に粉砕したのだった。
近所に住む連中の声が私の耳に響く。それはみすぼらしい恰好をしていた頃と何も変わらない、ただ私を見下しきったものでしかなかった。
どんなに恰好が可愛らしいものに変わろうとも、私はみすぼらしい人間……いえ、それ以下のまま。
あの瞬間、私の中にある何かが決定的に壊れた気がした。私は結局……。
微睡みの中、私は取り留めのない思考を繰り返す。思い出すのは疾うの昔に終わった、それこそもうどうしようもないことばかり。
しかしそんな悪夢とさえ言える微睡みに更にのめり込みそうになった時、
「アンブリッジ先生、お呼びだと聞いて来ましたが?」
私はその声によってようやく悪夢から目を覚ましたのだった。
鈴を転がすような、しかしどこか冷徹なものを感じさせる美しい声音。驚き目を向ければ、そこには冷たい無表情を浮かべる一人の少女が立っていた。
肌はまるで陶器のように白く、その薄い金色の瞳は表情同様冷たく他人を見下ろしている。まるで他者全てが無価値な物だと言わんばかりに。
私が彼女を呼び出したこともあるが、そんな特徴を持つ生徒などこの世界に一人しかいない。純血貴族の間でも幼い頃から有名な女の子。
私の目の前には……
私は自身の失態に気付き、急いで姿勢を正す。いくらダンブルドアの相手をした後とはいえ、あまりにも気を抜きすぎた。他人に弱みを見せるなどあってはならない。特に目の前の少女は私の出世に関わる娘なのだ。下手に醜態をさらせば出世に響く可能性もある。
なにせ相手はマルフォイ家の娘であると同時に……闇の帝王にさえ一目置かれた存在であるのだから。
最初にその情報を手に入れた時は一体何の冗談かと思った。いくらマルフォイ家の娘とはいえ、まだまだ15歳になりたての小娘。絶対なる闇の帝王の目に留まる可能性など本当にあるのだろうか。
しかし実際にこの娘を目の当たりにしたことで納得がいった。この空気はたかだか15歳の小娘が出せるようなものではない。
闇の帝王はおそらく娘のこの超然とした、それこそあの方自身にも匹敵する冷酷な空気を気に入ったのだろう。
まるで
ならばこそ私の為すべきことは一つ。私は椅子に座りなおすと、ひたすら笑顔を心がけながら彼女に話しかけた。
「あら、ミス・マルフォイ。ごめんなさいね、態々来てもらったというのに。いえ、私から貴女に会いに行くのは少々
「……はぁ、そうでしたか。……それで? 結局どのような用件でしょうか? もうすぐ門限の時間です。あまり遅い時間に出歩くと、それこそ校長に付け入られてしまいますが?」
しかし私の
いつもであれば可愛げのない反応に苛立ちを覚えるところであるが、今は闇の帝王を思わせる視線に怒りすら湧いてこない。一瞬雰囲気に気圧されそうになるのを抑え込むと、私はより笑顔を強めながら応えた。
「そ、それもそうね。貴女を呼び出したのは他でもありませんわ。ミス・マルフォイ……貴女の成績を見させてもらいました。大変優秀なのね。流石はマルフォイ家のお嬢様だわ。学年でいつも一番。
「……いえ、別に。私はそもそも監督生になりたいと思ったことはありませんので」
「い、いいえ、悔しいのは解りますから、別にもう隠さなくともいいのよ。ずっと不当な扱いを受けていたことが本当に悔しかったのでしょうね。今回のことばかりではなく、今までのことも貴女のお父様から聞き及んでおりますわ。でも御安心なさい。もうすぐこの堕落しきった学校には魔法省の指導が入る予定です。そうなれば
「……そうですか。それは態々ご丁寧に。……面倒なことを」
最後に何を呟いたかは分からないが、表情が無表情で固定されていることからあまり私の話を信じてはいないのだろう。そうでなければこの既に確定した未来に喜ばないはずがない。
ならばいずれ私の発言したことが現実になった時……彼女は本当の意味で私のことを評価するはず。これはある意味で彼女に……いえ、彼女の背後にいる闇の帝王に試されているのだとも言える。どれほど私が今の魔法省を上手くコントロール出来るか、それが今試されているのだ。
その時彼女が、そして彼女の父や帝王がどのような表情を浮かべるのかを想像した私は、今はこれ以上話しても仕方がないと彼女を今夜は帰すことにする。丁度門限前の鐘が鳴ったこともある。タイミングとしては丁度いいだろう。
「まぁ、今は信じられないでしょうね。ですがその時が来ましたら、是非私が今日この場で言ったことを思い出してくださいね。では、ミス・マルフォイ。態々ここまで来てくださって感謝します。何か困ったことがあればすぐに私に言うのよ。私が魔法省の代表として、出来る限り貴女の望みを叶えて差し上げますから。それではもう帰ってよろしくてよ。おやすみなさい」
「おやすみなさい、アンブリッジ先生」
待ってましたと言わんばかりに挨拶をサッサと済ませると、マルフォイ家の娘が部屋を後にする。私はそんな彼女の背中を見つめながら、そっと目を細めて思考する。
今が正念場なのだ。ようやく待ち望んだ最大のチャンスが巡ってきたのだ。どう転んでも決して損をしない、それどころか確実に成功するまたとない機会。ことが終われば、私は魔法省の中どころか……魔法省すら超越した組織の中で絶対の地位を得ることが出来る。
そのためにも、この同じ人間とは思えない少女に取り入り、ここで彼女と知り合えたうま味を利用しきらなければ。
もう決して誰にも見下されないために。今度は私が
……そう
ダンブルドア視点
ドローレスが校長室から去った瞬間、校長室に残されたワシとセブルスの二人は同時にため息を吐く。
何故じゃろう? 今までどんな人間と話すより体力を消耗した気がする。それこそヴォルデモートと神経をすり減らすような会話をした時すらこのような疲労感は感じなかった。やはりどこか他者に対しより上位の立場を示そうとする態度からじゃろうか。当時の彼女の環境を思えば仕方ないことじゃろうが、実際に面と向かって相手にするのは酷く体力を使う。
特に今年のような気の抜けぬ状況なら尚更じゃろう。彼女は魔法省から送られてきた監視員じゃ。ただでさえ気を抜けぬというのに……ましてや闇の勢力と通じておる可能性があるのなら尚更気を抜けぬ。
魔法省の送り込んできた、考えうる限り最悪の人選に今更ながらため息を禁じ得なかった。今はまだ彼女の権限は普通の教員と変わりない物じゃが、いずれ校長のワシすら超えたものになるじゃろう。そうなればどんなことが起こるか。ただでさえ初日じゃというのにハリーが
『心外ですね。ただの
そのようなことを言うばかりで一向に詳細を話そうとはせんかったが、あの様子では真面な罰則を与えたとは思えぬ。
これで彼女により権力を与えられてしまえば……生徒だけではなく、教員にまで彼女の手が回る恐れがある。今は任務で留守にしておるが、ハグリッドなど彼女のいい標的になってしまうじゃろう。自身が出世するためには他者を見下す必要があると信じて疑わぬドローレスのことじゃ。巨人の血が半分でも入ったハグリッドを攻撃せぬはずがない。
まったく先が思いやられる。
それに彼女は、
『それにダンブルドア。私が不満に思っていることは魔法省に対する不敬な態度のみではありませんわ。聞きましたわ、
ダリアのことも利用する気なのじゃから始末が悪い。
確かにスリザリン監督生の選抜には純粋な生徒事情だけではなく、いくらかの政治的理由が含まれておる。成績だけで考えるのならダリアを選ばぬ理由がない。どの学年においても常に主席以上の成績を収め続けておる生徒。本来ならよほどの事情がない限り監督生にならぬということはない。あまり深く追及されれば困るのはワシの方じゃ。
じゃがこれ以外に選択肢がなかったのまた事実。いくらドローレスに対する弱みになろうとも、この決定を今更覆すわけにはいかぬ。
これから先闇の勢力に勝つためにも……そして
勿論彼女に監督生の責務という名の特権……
それにダリアに現状ワシらが打てる手はこれくらいしかないこともある。セブルスが二重スパイであると露見してはならん以上、ダリアにこちらが彼女の情報を持っていると思われることはどうしても避けねばならん。15歳にして闇の帝王の目に留まる。全く警戒せぬのは問題じゃが、よりあからさまに警戒しすぎるのも問題じゃ。それを踏まえた上で彼女を牽制し、ある程度の制御下に置くにはこの手段しかない。効果としては疑問であるが、まだワシが彼女を警戒していると示すだけなら十分じゃろう。監督生にしてしまえば、ドローレスが権力を掌握した時歯止めが利かぬ可能性がある。どの道ドローレスが今後するであろうことを思えば、このような手段は保険にもならぬじゃろうが……。
そして何より、監督生にならぬ方がダリアにとっては良いはずなのじゃ。
彼女の日光に当たれぬ体は監督生としては大きな負担になる。外に出るのに多大な準備が必要な彼女には酷な話じゃろう。それをサポートするのがワシら学校側であり、もう一人の監督生と言われればそれまでじゃが……学校を、何よりワシを信用しておらぬ彼女からすれば余計な手助けになる可能性の方が高い。余計に彼女の神経を逆なでてしまうじゃろう。
……それに彼女はただでさえ生徒から警戒されておる。ワシが仕向けた部分が多分にあるが、監督生になればその警戒した視線は余計に増えることじゃろう。ヴォルデモートの復活こそ信じておらんでも、2年時に大きな問題を起こした彼女が監督生に選ばれれば警戒されぬはずがない。彼女を警戒し、そして彼女を警戒させておるワシがこう考えるのは酷く矛盾しておるが……学校中が結束せねばならん今、必要以上に彼女を警戒し、彼女をこれ以上孤立させてしまうのは忍びないという思いがあった。
どんなに末恐ろしい子であろうとも、教師であるワシが彼女のことを見捨てるわけにはいかぬ。彼女がもう後戻りできぬようになってしまう前に、彼女を何とかこちらに引き留めねば。警戒せねばならんとはいえ、やりすぎるのは教育者のすることではない。
まったく……今年からは実に難しいかじ取りをせねばならん。2年時のようにただ我武者羅に警戒するわけにもいかぬ。じゃがまったく警戒せぬわけにもいかぬ。何よりドローレスのような不確定要素が多すぎる。ハリーに関しても不安なことが多すぎる。今までの不確定要素とは比較にならん。何もかもが不確かで、考えねばならぬことばかりじゃ。なのにヴォルデモートは決して待ってはくれぬ。
そんな不確かな中でもワシは決断だけはせねばならぬことが、ワシには酷く負担に思えてしもうていた。年を取ってしまったと今更ながら実感する。
昔であればもっと真面な選択が出来ていたはずじゃ。思考はより冴えており、それこそ未来まで見通せておったはずなのじゃ。
じゃが今では、
「ようやく出て行きましたな……。ですが彼女の言にも一理ある。吾輩も監督生にはミス・マルフォイを押していましたからな。それを、」
「セブルスよ。それに関してはお主も納得しておったはずじゃが? 彼女は体のこともある。日光に当たれぬ体に、建前とはいえ手袋を手放せぬ事情。そして何よりこれ以上彼女の精神的負担を増やすのは得策ではないと。
「……えぇ、そうですな。ですが、スリザリン生の多くがこの決定に納得していないこともお伝えしたはずです。特にミス・グリーングラスなど吾輩に抗議の手紙を送ってきた程憤っております。彼女はミス・マルフォイと友人である様子。おそらく本当に監督生に相応しい人間が誰であるか分かるが故に、貴方がそれを選択しなかったことに疑心を抱いているのでしょうな。……あの生徒はミス・マルフォイを絶対視している節がありますから。彼女を警戒する貴方のことを敵対視しているのでしょう」
こんな想像すれば簡単に思いつくような未来さえ予測することが出来ぬ。
ミス・グリーングラスがワシの決定に反発することくらい、今までの彼女の言動を見れば火を見るより明らかじゃ。じゃがそれにも関わらず、ワシはその事実に思い至らんかった。
……いや、敢えて考えぬようにしていたという方が正解じゃろう。容易に想像できるというのに、ワシはそれを些事として考えようともせんかった。いくらヴォルデモートの復活という大事を前にしておるとはいえ、生徒の事情を考えようとも……。昔であればもう少し融通が利いておったはずなのじゃ。権力を厭い、教師として邁進して……。
もっとも今それを考えても仕方がない。もう選択はなされた。今更後戻りは出来ぬし、これ以外の選択肢があるわけでもない。
ワシにはもう……ただ前に進み続けるしか
「……残念なことじゃが、いかにミス・グリーングラスが納得しておらんでも、もう決定を覆すことは出来ぬ。スリザリン生のことはお主に任せるしかないのじゃ。無論ヴォルデモートに情報が流れぬ程度で構わぬから、お主が彼らを出来る限り正しい方向に導いてやってほしい。お主に負担ばかり押し付けて申し訳ないが……」
「……言われるまでもありません。この状況で彼らを少しでも導けるのは吾輩しかおりませんので。では吾輩も自室に戻ります。これ以上ここに留まれば、あの女にいらぬ詮索をされる恐れがありますのでな」
それをセブルスも分かっておるのか、これ以上は無駄な議論と早々に校長室を後にする。
ドローレスが訪ねてくるまではこれからのことを話し合っておったわけじゃが。今焦って話しても意味はない。どの道ドローレスがおる以上、ワシらはしばらくの間学校から離れることも出来ぬのじゃから。
本当に……ワシも年を取ってしまったものじゃ。
ワシはいつの間に何と無力になってしまったのじゃろうのぅ。ハリーのこと、ドローレスのこと、トムのこと……そしてダリアのことも。どんなに立場が上がろうとも、ワシはどこまでも無力な老人にすぎぬ。
そう……