ハリー・ポッターと帝王のホムンクルス 作:オリゴデンドロサイト
暗い森の中をただひたすら歩く。明かりと言えば木々の隙間から時折見える月明りのみ。自分が本当に正しい方向に歩いているのかも分からない。
しかし私はそれでも前に進み続けるしかなかった。一度止まってしまえば、
『戻ってくるのだ。
頭の中に常に響き続ける声に意識を持っていかれそうになるから。戻ればどうなるかなど分かり切っている。このままでは
朦朧とした意識の中でも、一歩進むごとに自分の寿命がすり減っていくのが分かる。限界などとうに超え、歩みを支えているのはただ気力のみ。
そんな歩みの中、自分の人生が脳裏に浮かんでは消えていくようだった。自然口からうわ言のような言葉が漏れ出て行くのを、私はどこか他人のような心持で聞き続ける。
「あぁ、今夜はファッジご夫妻とコンサートに行くのだ……妻と息子も伴ってな。そうだ、そうだとも。実に自慢な息子でね。最近『
こんな時に思い出すのは妻と息子の記憶ばかり。もはや後悔しかない記憶であるはずなのに、今この瞬間のみは何故か無性に愛おしい物に思えてしまっている。見向きもしなかった日常の日々が愛おしく、寧ろ今までずっと固執していたものこそが無価値なものに思えて仕方がない。
私は本当に……一体どこで間違え始めてしまったのだろう。
朦朧とした意識の中、私はそんなことばかり考え続けていた。
純血に連なるクラウチ家の嫡子として生まれた私は、生まれた頃からそれはもう厳しく育てられた。
『お前はいずれ私と同じ魔法省高官となるのだ。いや高官どころかそれ以上の、それこそ魔法大臣にまで上り詰める。それがお前の生まれてきた
父親に何度そんなことを言われたのか、正直もう覚えてもいない。それこそ毎日のように同じ話をされるのだから覚えている方がどうかしている。今思い返せば、これは父にとって僕に対してのもはや挨拶の様な言葉だった。
正直辛いと思わなかったかと聞かれれば、辛くない日なんてなかったと答えるだろう。
生まれたその瞬間から感じる父からの重圧。そんな父から僕を庇いもしない母。将来を見据えてか他の純血家庭との付き合いはソコソコあったが、そのどの家庭とも明らかにレベルの違う重圧。
なるか、ならないか。息子か、他人か。常に結果を勝ち取り、
それが私が覚えている両親の全てだった。唯一私に優しくしてくれるのは、
「ご、ご主人様! どうかお坊ちゃまにもう少しだけ優しく、」
「黙れ! この役立たずのしもべ妖精が! お前は私の言いつけ通り家事でもやっておればいいのだ!」
代々クラウチ家に仕える高齢の屋敷しもべ妖精だけだった。が、その妖精も私が小さい頃に死に……その子供であるウィンキーとかいう気の弱い、それこそ父に何の口答えも出来ない無価値なしもべ妖精に代替わりしてしまった。
私を無条件に家族だと認めてくれる人間は、この世のどこにも存在していなかった。
しかし幸いなことに、私は優秀な父同様
もっとも全てが全て上手くいっていたわけではない。
こと勉学以外の面となると……私はとてもではないが優秀とは程遠いものでしかなかった。父親もこの点は壊滅的であったことから学生時代に問題になることはなかったが、私の中ではコンプレックス以外の何物でもなかった。
端的に言えば……私には他者がその辺の石ころぐらいにしか思えなかったのだ。魔法省高官、とりわけ魔法大臣を目指すなら他者にあまりにも嫌われてはならないことは分かっている。だがそれが分かっていても、私にとって他人とは全員が
何故皆私の様に努力しない? 何故努力していないのに、皆両親の子供であれるのだ? これでは
彼らを見ていると、私はどうしてもそんなしてはいけない思考をしてしまうのだった。
だから私は考えることを止めた。彼らのことがどんなに羨ましくとも、私はこうでしか両親の子供であることが出来ない。ならば彼らとの関係を表面上だけのものにしよう。彼らは私が魔法大臣になるための駒でしかない。内心はどれだけ嫌でも、表面上だけはそれなりに上手く
しかしそれでも他者との付き合いが上手くいくことは……あまりなかった。誰も彼も私と話す時妙に緊張した表情で話し、陰では、
『クラウチの奴、あいつなんであんなに偉そうなんだよ。ちょっと勉強ができるからって調子に乗りやがって。勉強ができることがそんなに偉いのか?』
私の蔭口に皆で興じているのだ。
後で考えれば簡単なことだった。彼らは結局、私のこの薄っぺらな仮面など最初からお見通しだったのだ。私の張り付けたような能面の下から見え隠れする、彼らを軽蔑しきった私の瞳を彼らは感じ取っていたのだ。
そしてそれはホグワーツ魔法学校を卒業し、いよいよ魔法省に勤め始めた辺りで本格的になり始める。学生時代はそれでも何とかやれていたが、いざ働き始めるとうまく回らないことが増えたのだ。些細な嫌がらせから始まり、最後にはもはや妨害としか言えないものまで。
理性では分かっている。どんな人間だったとしても、他者から見下されることはとても気持ちいいものではない。そんな単純な心理が人間関係に反映されているだけだ。だが理性で分かっていても、感情では納得することが出来ない。感情に行動が支配されるなど愚か者のすることだ。だがそれが分かっていても……私はどうしようもなく他者を軽蔑し、それ故にそんな自分自身がコンプレックスで仕方がなかったのだ。
もっとも……そんな中で奇跡的に上手くいった人付き合いも一つだけあった。
それは私が世界で唯一愛した妻……そして世界で唯一私を
『今日からここ『魔法法執行部』に配属されました! よろしくお願いいたします!』
彼女は私と同じ『魔法法執行部』の人間だった。私の入所した2年後に入ってきた新人。正直最初は他の人間同様なんて使えない人間なのだと思っていた。新人であることを差し引いても全てにおいて愚鈍であり、到底役に立てるような人間になるとは思えなかったのだ。
『また君か……何故このような失敗をするのか、私には理解不能だ』
『も、申し訳ありません!』
『まったく……君は本当に……』
……しかしその考えは数年で塗り替えられることとなる。
何故かいつの間にか……私はどうしようもなく彼女の行動を目で追い始めたのだ。相変わらずどんくさい行動の数々。別に何かしらの成果を出せたというわけではない。だというのに私は何故か彼女の行動をいつも見続けていた。
何故かと自分自身に問う。そしてその答えは考え始めてからほどなくして出た。
確かに彼女は他の人間に比べて愚鈍であり、いつも大した結果を出すことが出来ない。だがそれでも……彼女は他の怠け者共と違い、決して努力を怠ろうとはしていなかったのだ。
転んでも必ず立ち上がり、またどんなに高くても壁に体当たりしていく。そのありようが私には……まるで自分自身を見ているような気持ちにさせられていたのだ。私とは違い愛嬌のある性格でありながら、失敗ばかりのせいで人間関係がそこまで上手くいっていない点も私にはとても好感を持てた。
それに気が付いた時……私は人生で初めて他人のことを少しだけ優しい気持ちに見れるようになった。
だから私は彼女に結婚を申し込んだ。この感覚を手放すわけにはいかない。彼女を傍に置いておけば、私は今の感覚を維持できる気がする。そうすればこの他者を見下した感情とていつかは是正され、私は父が望むように魔法大臣にまで上り詰められるような気がする。
そう思えばこそ行動は早かった。幸い彼女の家柄自体は純血であったため、両親もすんなりと納得させられた。そして彼女も彼女で結婚を申し込んだ当初こそ困惑していたが、結局我が家の圧力に抗うことなど出来はしなかった。しかも最後には、
『……最初は確かに貴方に結婚を強引に申し込まれて困惑しました。でも今ではそれでも良かったと思えるんです。最初は貴方は私にとって怖いだけの存在でした。でも……貴方も苦しんでいる。なんでも出来る貴方はそれ相応の努力をしている。そう思ったら……何だか貴方のことがたまらなく愛おしくなったのです。だから……私は貴方と結婚出来て幸せです』
そんなことを言ってくれるようになったのだ。
その時に気が付いた。私は彼女に恋をしてしまっていたのだと。そして
おそらくこれが……人生で
そう唯一の成功。思えばここで私は満足しておけば良かったのだ。たとえ唯一であろうとも、これこそが私にとって最高の関係。
それなのに私は……。
私に愛を囁いてくれる妻。そしてようやく彼女への愛だけは素直に認められるようになった私。結婚後子供が生まれるまでそうはかからなかった。
今でも子供が生まれた時のことを覚えている。薄茶色の髪にソバカスだらけの肌。顔立ちはどことなく妻に似ている、本当に可愛らしい赤ん坊だった。
あの時思ったものだ。この愛すべき妻と、この可愛らしい子供のためなら私は何だってやれる。何だって乗り越えられる。私はそう自分の未来は明るい物なのだと信じて疑わなかった。
だから子供の名前も、
『バーテミウス・クラウチ』
という私と全く同じ名前を送ったのだ。私が今まで努力して積み上げていた物、これから積み上げていく明るい未来を、そのまま息子に全て
……しかしすぐにその甘い認識が間違いだったことに私は気付く。
初めは良かった。妻の指示に従い子供をあやす。食事を与える。仕事の合間に行うのはとても労力と根気のいる作業であったが、少なくとも方法だけはハッキリしていた。
問題は子供が成長し、言葉や考えを示すようになってからだった。
私は……子供をどう愛せばいいのかよく分からなかったのだ。
勿論この愛すべき妻が生んでくれた子供を愛していないわけではない。だが愛しているだけで……それをどう表現すればいいのか私には皆目見当もつかなかったのだ。
私が両親のことで想像できるのは、
『魔法大臣にまで上り詰める。それがお前の生まれてきた意味だ。そうならなければお前は無価値だ。私の息子ではない』
両親に幼い頃から言われていた言葉だけだ。両親に聞こうにも、
『いいか、バーティ・クラウチ・
という遺言を最後に数年前に亡くなっている。もはや聞きようもないし、聞けたところで違う答えが返ってくるとは思えない。
だから私が子供に対して取った行動は……結局は私が両親から受けてきたものと寸分違わぬものでしかなかった。
私は結局、
『いいか、バーティ・クラウチ……ジュニア。お前はこの私と同じ名前……名誉ある聖28一族であるクラウチ家を受け継いだのだ。お前はその名に恥じない男にならなければならない』
この態度が間違っているものだということは薄々感づいてはいた。息子も言われる度にどことなく寂しそうな表情を浮かべていたのだから当然だ。だが私はこれしか知らないのだ。知らないものを他者に提供することなど出来はしない。
それに私の母とは違い、妻は息子に対して違った態度を取っているようだった。なら私が厳しさを。妻が優しさを与えることはあまり間違っていないような気がしたのだ。
息子なら大丈夫だ。私の様になるはずがない。私とは違い彼には妻がいる。だから大丈夫だ……と。
それにこの時期息子のことに掛りっきりになれない理由もあった。
史上最悪の、それこそあのグリンデルバルドさえ超える闇の魔法使い『
奴の台頭により魔法界は恐怖のどん底に貶められ、その頃には魔法法執行部部長になっていた私はそれこそ家に帰る暇がない程大忙しだった。子供のことなど妻に任せっきりだったと言っていい。
毎日のように舞い込んでくる残酷極まりない案件をひたすら裁く日々。家に帰っている暇などどこにもありはしない。
だがそれも悪いことばかりではない。ただ規則に従って……或いは規則より厳しく闇の魔法使いを裁けば裁くほど私の名声は上がっていったのだ。無法な奴らを止めるにはこちらも強力な手段を使わなければならない。それこそ奴らの使う闇の魔術を使ってでも。そんな当たり前のことを言っただけで、今までからは考えられない程周りから称賛された。妻と知り合ったことで私の中では周囲に対する評価が変わったが、一方その周囲から私への評価が変わったわけではない。そんな状況下で急に私のことが持て囃され始めたのだ。
もっと厳しい処置を。もっと私に権力を。もっと私に……魔法大臣になれるだけの名声を。世間には悪いがこれはまたとないチャンスなのだ。息子が大きくなった時、彼に受け継げるだけの地位を。
家族と過ごす日々で抑えこまれていた出世への
しかしそれがいけなかった。
私はどんなにそれしか知らなくとも、もっと自分の息子に真摯に向き合うべきだった。そうすれば多少すれ違おうとも、決してあの子に寂しい思いだけはさせなかったに違いない。
それに私が称賛されたのも、ただ彼らはあの異常な状況の中で、敵の目を引き付ける行動をしていた私のことをただの
そう気づいたのは……全てがもうどうしようもない段階になった時のことだったが。
そう、あれはあの運命の日……。
『
『も、勿論です、閣下』
ようやく闇の帝王が倒れ、いよいよ闇の勢力の掃除が終盤に差し掛かった時。私は全ての代償を支払うことになる。
奴は
『もういい、カルカロフ。お前の出す情報は全て我々が既に掴んでいるものばかりだ。もう何もないなら、』
『……いいえ、閣下。では最後に言わせてもらいます。今から言う者は……ロングボトム夫妻を拷問し、彼らを廃人に追いやった人間です。苦しむ彼らに『磔の呪文』をかけ続けたのです!』
『……そいつの名前は?』
『バーテミウス・クラウチ……
あの決定的に私を破滅させる言葉を吐いたのだった。
私は息子から逃げ……その贖罪とばかりに積み上げていた物は、あの一瞬で崩れ去った。
……残されたのはクラウチ家が代々受け継いできた、それこそ私の
『それがお前の生まれてきた
もうどれ程歩き続けただろう。
相変わらず頭の中に、
「俺様の下に戻ってくるのだ」
奴の声が響き続け、気を抜けば全ての意識が持っていかれそうになる。朦朧とした意識で辺りを見回せば、既に太陽が昇っているのか周囲は明るくなっている。
そんな中頭に浮かぶのは、やはりあの私が本当に欲しかったもので満たされていた光景のみ。
息子のことで心を病み死んでいった愛すべき妻。私の『服従の呪文』で生ける屍になることでしか生きる道のなくなった息子。そして……全てを失い、ただ再び自身の人生の意味と価値を見出そうとした私。
あぁ、何故だろう……全てを失ったはずなのに。全てが間違っていたはずなのに。もうどうしようもなく取り戻せない過去であるというのに、今はその全てが懐かしく……どこか愛おしくさえ思えてしまっている。
だから……
「今から妻と息子に……いや、違う。会わなければ……ダンブルドアに会わなければ!」
今は会わなければ、ダンブルドアに伝えに。
息子の……いや『闇の帝王』の恐るべき企みを伝えるために。
それが私が息子にしてやれる最後のことなのだから。