隣の席のチャンピオン 作:晴貴
B棟は特別教室が多く配置されている。その三階、さらには放課後となるとほぼ無人状態。だからこそ相手は呼び出しの場所に選んだのだろう。
B棟三階唯一の空き教室の前に立ち、一度浅く深呼吸をしてから扉を開いた。
中で待っていた少女が勢いよく私の方を向く。その顔は私にラブレターを渡した時よりもさらに緊張した様子だった。
「あ、あの!来ていただいてありがとうございます!」
藤井千佳。それが手紙に記されていた彼女の名前。
藤井さんはどうしようもなくガチガチだ。言葉も動きもぎこちない。
見汐君が「相手は相当勇気を出してる」って言っていたけどそれも納得できる。これは彼女にとってそれほど大事なこと。
だから私も逃げないでぶつかる。嘘をついたりして
そうすることの方が正しい気がした。
「私は逃げないから落ち着いて話をして」
「は、はい!ありがとうございます!」
一応そう声はかけてみたけれどやはり落ち着くというのは無理そうだった。
私には藤井さんが話すまで待っていることしかできない。
時間にすれば数十秒だった沈黙が、とても重苦しくて長いものに感じられた。それを破って彼女が滔々と語り出す。
「今日宮永先輩に来てもらったのはお話ししたいことがあるからで……」
「うん」
「そのお話というのが、ええっと……お、おかしいとか、もしかしたら気持ち悪いとか思われるかもしれないですけど、それが私の気持ちというか……」
しどろもどろで要領を得ない。それでも藤井さんは自分の想いを伝えるために言葉を紡ぐ。
泳いでいた視線は次第に定まり、そして一番大事な瞬間には、しっかりと私の目を見据えていた。
「私、宮永先輩のことが好きです。付き合ってもらえませんか?」
藤井さんから伝わってきたのは真剣な気持ちと覚悟。
私は告白をしたことがないけど、同性に告白をするというのは異性にするよりも怖いものなのではないかと思う。振られるかもしれないというだけでなく、普通じゃない、変な人間だと思われるかもしれない。それが原因で変な噂が流れたり、虐められたりするかもしれない。
そんな諸々の恐怖を天秤にかけても藤井さんは私に告白をした。
強いな、と思った。妹の強さから目を背けた私からすれば尊敬に値する強さだった。
私にはまだ妹と向き合う覚悟も、好きな人に想いを伝える勇気もないから。
でもせめて今ここでは逃げたくない。いずれ覚悟と勇気を手に入れるためにも。
「告白してくれてありがとう。それは嬉しく思う……けど、ごめんなさい。私は貴方と付き合うことはできない」
「……私が、女だからですか?」
「それがないと言えば嘘になる。でもそれが一番の理由じゃない」
「……いつも一緒にいる、あの男の先輩ですよね。実は薄々分かってました」
藤井さんは瞳に涙を浮かべながら、それでも困ったように笑った。
笑っているのに、泣き出したいのを必死に堪えているような表情だった。
「だって遠目から見ていても楽しそうで、お似合いでしたから。きっと二人の間には入れないって思っちゃってました。たとえ私と宮永先輩が男と女だったとしても……」
「……藤井さん」
「それでも諦めきれなかったんです。どうしようもなく好きになっちゃったんです。だから玉砕覚悟で告白しちゃいました」
胸が痛い。そこまで本気で私のことを好きになってくれた人の想いを、自分の手で砕かなきゃいけない。けれどそれは私にしかできないことでもある。
「本当にごめんなさい」
「いいんです、こうなることは承知していましたから。宮永先輩はあの人のことが好きなんですよね?」
「……正直に言うと分からない。私はまだ恋をしたことがないから、見汐君への気持ちが恋なのか、それ以外の感情なのか自分でも理解できない」
麻雀が強くなりたい。咲に負けたくない。
ただそれだけを考えて生きてきた私の前に突然現れた見汐君。気付いた時にはその存在が私の中でとても大きなものになっていた。
そんな彼に抱いている気持ちが恋なのか親愛なのか自分でも分からなくてもどかしい。
「あの人……見汐君の隣にいると安心する。よくからかわれるし、たまに距離が近くてドキッとさせられるけど、そういうのも含めてそこに自分の居場所があるんだって思えて」
だから三年生になっても見汐君が隣の席だったのはとても嬉しかった。
できることなら見汐君にも私が隣にいることをそう感じていてほしいとも思った。
藤井さんのためにはここできっぱりと「見汐君のことが好き」と言えばよかったのかもしれない。
でもそれは嘘になる。まだ私は本当の意味で見汐君が好きだと自覚できていないから。
「そんな答えじゃ納得できません。だから宮永先輩は早く自分の気持ちに気付いてください。そうすれば私も完全に諦めることができますから」
「それって……」
「ヒントはあげません!ここから先はご自分で考えてください!」
目尻にはまだうっすらと涙が残っていた。
でもさっきとは違う、影も憂いもない晴れ晴れとした笑顔がそこにはあった。
「あ、それと一つ忠告です。あの先輩、
「……本当に?」
「はい」
見汐君がモテるというのはなんとなく分かる。明るくて社交性があって容姿も悪くないし、何より頼りになる。面倒見がいいというか包容力のあるタイプだと思う。
こうしてみれば後輩に人気があるというのも頷けた。しかしそれと同時に焦燥感のようなものまで感じてしまう。
「今日はありがとうございました!宮永先輩も頑張ってくださいね!」
そう言い残して藤井さんは教室から出て行った。
私は彼女の言葉と、自分の胸に焦燥感が生まれた意味を考えながら廊下を歩く。そして角を曲がったところで私の心を悩ませている張本人と遭遇した。
「もしかしたら後輩といい関係になったかもと」
私の気も知らないで見汐君がいきなりそんなことを言う。少しだけイラッとしたので即座に否定したけど。
でもそんなことより、私には見汐君に言うべきことがある。
「ありがとう」
「何が?」
「全部本当の気持ちで答えたから、相手も分かってくれた。見汐君のアドバイスのおかげ」
そう、あれはすべて偽りのない私の本音。見汐君が私にとってどういう存在なのか、余すことなく伝えた。
何より逃げずにぶつかれと背中を押してくれたのは見汐君本人。口下手な私がそうできたのは見汐君がいたからこそだ。
だからその感謝は伝えておきたかった。
見汐君は「そうかい」と言いながら肩をすくめる。大したことはしてないとでも思っているのかもしれない。
見汐君にとっては大したことがなくても、私にとってはとても大事で大切なこと。
その言葉も行動も存在そのものも、私にとっては他の誰より得難い。
叶うことならずっと彼の隣にいたいと思う。その気持ちが恋と呼ばれるものなのか、私は一刻も早く知りたいと願った。