とある鎮守府の執務室。
大きく開け放たれた窓からは潮の匂い香る海風がそよぎこみ、そこにいた艦娘の髪を揺らす。
遠征を終え帰還してきた艦娘は、向かいの執務机で執務をこなす提督へと報告をした。
「…と、いうわけでこちら第4艦隊は無事タンカー護衛任務を終え、ヒトロクマルマルに帰還しました。 えと… 報酬の燃料は、すでに資材庫に置いてあります、はい…」
慣れない遠征艦隊旗艦を務めた艦娘は、やや緊張気味に内容を伝え、その内容を聞いた提督は優しく微笑むと、艦娘の頭を撫でてあげた。
「報告お疲れさま、潮。 今日の遠征はこれで終わりだから、他の皆にも休むよう伝えておいてくれ」
「…は、はいっ! 了解です、提督」
この鎮守府に所属する唯一の男性である提督に、潮ははにかみながらもしっかり返事を返した。
潮は提督に報告をするこの時が好きだった。
報告を終えると、彼はお礼の言葉とともに自分の頭をやさしくなでてくれる。 その大きく温かい手は、いつも自分に安心と癒しを与えてくれた。
ただ潮に限ったことではなく、他の駆逐艦の子たちにも提督は同じようにしてくれる。
それでも、潮は提督に撫でてもらえるこの時が好きで、このためにわざわざ慣れない遠征艦隊の旗艦を買って出たのである。
「ちょっといいかしら、提督?」
不意に背後から聞こえた声に振り向く潮。
そこには開いた扉を律儀にノックしながら提督に尋ねる艦娘の姿があった。
「ああ、どうした陸奥?」
提督は意識を潮から自分を呼んできた艦娘、今日の秘書艦を務める陸奥へと切り替えていった。
頭を撫でる手を止め、陸奥に向かっていった彼を、潮は少し残念そうな表情で見送っていく。
「明日の出撃のことで、ちょっと聞きたいことがあって…」
「なんだ一体? …あっ、すまない潮。 この後陸奥と話があるからもう戻っていいぞ」
「…分かりました。 では、失礼します……」
その言葉と共にそそくさと執務室を後にする潮。
入れ替わりに執務室に入っていく陸奥は、寂しげに去る潮の背中を静かに見つめていた。
夜の食堂。
ここでは軽空母として出撃をこなす傍ら、鎮守府の料理長を務める艦娘『鳳翔』がプロ顔負けの料理を提供してくれていた。
食堂にいる艦娘たちの反応もまちまちで、素直に料理がおいしいと称賛する者。 食事より酒に夢中になる者。 嫌いな食べ物を残しては、他の姉妹艦に叱られる者などいろんな様相を呈していた。
そんな中で、潮はため息交じりに一人食事をとっていた。
あの時、陸奥との話に楽しげな笑みを見せた提督の姿が忘れられず、今はいつものように他の皆と楽しく食事をする気にはなれなかったのだ。
「どうしたの潮? 溜息なんかついちゃって」
「…ふぇっ? むむ、陸奥さん…!?」
突然後ろから自分を呼ぶ声にびっくりしながら振り返ると、そこには夕食のトレーを持ってこちらを見る陸奥の姿があった。
いきなり話しかけられたせいでどぎまぎしてまともに言葉が出ない潮。 そんな彼女を見て、陸奥はクスリと笑うと、
「ひょっとして、提督のことが気になってたの? 貴方、提督に褒めてもらってた時、すごく嬉しそうにしてたものね」
「あうう……」
理由を話す前に図星をさされ潮は縮こまってしまい、陸奥は「失礼…」と一言断り潮の隣に座ると、同意の言葉を贈る。
「その気持ち、私もわかるわ。 あの人って艦隊の指揮は一流なのに、そういう事に関しては本当に疎いんだから」
この鎮守府の提督は艦隊指揮に関してはとても優秀だった。 状況に応じた的確な判断と指示で見事艦隊を勝利に導いて行き、なおかつ艦娘たちには過度な負担をかけないようにと、普段から彼自身艦娘たちと親しい友人のように接していきメンタルケアを怠らなかった。
もっとも、後者は提督も艦娘たちとこうして触れ合うのが楽しみでやっているというのもあるが、そのせいで多数の艦娘たちが提督に上官でなく一人の男性として想いを寄せていることに、彼自身が気づいていなかったのだ。
「そ、そう…ですよね。 提督は他の皆からも人気者だし、とても私なんかじゃ……」
呆れの色を含めた陸奥の言葉に、小さく溜息を吐く潮。
だが、陸奥は俯いたままの潮の鼻に、人差し指を当ててきた。
「だからって、そんな弱気でどうするの? 貴方の言う通り、提督は色恋沙汰に関しては疎いわ。 だからこそ、こっちから積極的にアプローチを仕掛けて行かなきゃダメなのよ。 分かってる?」
「ふぇぇ… それは、分からなくもないんですが……」
「もう、しょうがないわね。 それじゃ、明日は二人でどっか遊びに行きましょ。 明日はちょうど休日だし、こう気持ちが落ち込んでいるときは外で気晴らしするのが一番よ」
潮の肩をやさしくたたきながら、そう提案する陸奥。
笑顔で自分を気にかけてくれる陸奥に潮も頷き、明日はどこに行こうかと楽しく話しながら二人は夕食を終えるのであった。
次の日。 絶好のお出かけ日和といわんばかりの快晴の元、鎮守府の入り口で潮は陸奥を待っていた。
休日だけに彼女はいつものセーラー服ではなく、日よけ用のつばの広い白の帽子とワンピースを着ており、一見するとどこかいいとこのお嬢様にも見えた。
「……。 陸奥さん、遅いな…」
腕時計を見ると、もうすぐ予定の時刻に差し掛かるところ。 陸奥は決して時間にルーズな性格ではないのだが、なぜ来ないのか…? 潮が首をかしげていると、鎮守府のほうから自分を呼ぶ声が聞こえてきた。
その声に、潮は驚きを隠せずにいた。 なぜなら、聞こえてきた声は陸奥ではない明らかな男性の声。 そして、自分のもとにやってきた相手が、
「すまんな潮、支度に手間取ってしまった」
「ええっ!? て、提督っ…!?」
陸奥ではなく提督だったことに潮も頭の中がパニックになり落ち着けず、提督のほうはそんな潮の心境に気づくことなく笑いながら説明した。
「実は陸奥が急に用を思い出したから、代わりに潮と遊びに行ってほしいって言ってきたんだよ。 幸い今日は予定がないから良かったものの、あいつにも困ったものだ」
(もう、陸奥さんってば最初からこうするつもりだったのねー!!)
頭をかき溜息を吐く提督に背を向けながら、潮は陸奥に内心怒りをあらわにする。
怒りに震える潮を見て、提督は「やはり自分じゃダメだったかな…?」 と勘違いし、ばつが悪そうに潮に声をかけた。
「その… せっかく陸奥と行く予定だったのに、相手が俺ですまないな…」
「そ、そんなことありませんよ! 私こそ、せっかくのお休みに付き合っていただいて、すみません……」
「いいって。 俺も今日は暇だったし、お互い楽しむとしよう。 行くか、潮」
「あっ、はい!」
それから、二人は街に出て思いっきり楽しんできた。
遊園地ではジェットコースターやお化け屋敷に入った潮が涙目になり、映画を見に行ったときは店員からカップルと間違われ二人慌てて否定したり、ショッピングでは色とりどりのアクセサリーに目を輝かせる潮を、提督がほほえましく見守っていたのであった。
時刻は夕方。
オレンジ色の夕日に照らされた帰り道を、二人は並んで歩いていた。
今日の出来事や映画の感想、そしてお土産まで買ってもらったことを、潮は嬉しげに話していた。
「あの… 今日は本当にありがとうございます。 私のために一日付き合ってもらって」
「そんなに畏まらないで。 俺も潮と一緒にいて楽しかったからさ」
そう言ってにっこり笑う提督の顔に、ますますどぎまぎする潮。 思わず鞄にしまっていた物を渡すのを躊躇ってしまうが、こっちからアプローチしていかなきゃダメという陸奥の言葉を思い出し、潮は意を決して鞄にしまっていたものを提督に差し出した。
「提督っ! これ、私からのお礼です。 受け取ってください!!」
潮の手にあったのは、四葉のクローバーを彩ったキーホルダーだった。
ショッピングのとき、提督に送るプレゼントとして潮がこっそり買っていたものであった。
突然のプレゼントに提督は一瞬目を丸くしたが、
「ありがとう、潮。 これ、大事にするよ」
そう言って、いつもの優しい笑みを見せながらプレゼントを受け取り、潮も「…はいっ!」と満面の笑顔で頷くのであった。
今回の一件を機に、潮は提督とどんどん親しい間柄になった。
出撃や遠征の時はよく提督に見送りに来てもらい、日常でも食事やおしゃべりで盛り上がるなど、以前の彼女からは予想もできないほど提督に積極的になっていき、陸奥も会話に花を咲かせるがあまり積極的には入らず、提督と潮の姿を傍で見守っていた。
ある日のこと。
潮のいる鎮守府でもついにケッコンカッコカリの指輪が届くとの情報が入り、艦娘たちは提督がだれを相手に選ぶのかという話題で持ちきりになっていた。
潮たち第七駆逐隊は食堂で休憩をとっており、第七駆逐隊の一人である朧は辺りを見渡しポツリとつぶやいた。
「なんだか、皆提督が誰とケッコンカッコカリするのか気になってるみたいね。 金剛さんはともかく、加賀さんまで自分が提督に選ばれるって意気込んでたし」
「まったく、皆浮かれすぎじゃない。 あんなクソ提督のどこがいいっていうのよ?」
「いやー、漣としてはご主人様が誰を選ぶのかは気になるとこですねー。 予想としては、いつも秘書艦を務めてる陸奥さんじゃないかと思ってますが、ここにも潮というダークホースがいますからねー」
「さ、漣ちゃん…。 それはちょっと大げさじゃ……」
潮は恥ずかし気に自分を候補に挙げてきた漣に声をかけるが、朧も潮に対し同意の言葉を贈る。
「でも、提督もよく潮とお話ししてたりするし、もしかしたら十分ありうるんじゃない? それに、潮だって満更じゃないんでしょ?」
「うう… そ、それは……///」
「だいじょーぶですって! 潮だって、陸奥さんに負けず劣らず立派なものをお持ちじゃないですかー! ほれほれ~♪」
「ひゃうっ!? や、やめてよ漣ちゃん…!!」
いきなり漣に背後から胸をわしづかみにされ、顔を真っ赤にする潮。
そんな二人を苦笑しながら見つめる朧と、あきれ顔を向ける曙。
その時、突然館内放送で提督から潮への呼び出しがかかってきた。
これはもしや…!? と顔を合わせる4人。
朧たちに見送られ、潮は緊張と嬉しさが入り混じった心境で、提督のいる執務室へとやってきた。
「突然呼び出してすまないな、潮。 実は、どうしてもお前に話しておきたいことがあったんだ」
いつになく真剣な表情で潮を見つめる提督。
その顔にドキドキしながら潮が提督の言葉を待っていると、彼ははっきりと言った。
「潮…。 ……俺は、陸奥とケッコンカッコカリをする」
突然の告白に頭が真っ白になる潮。 そんな彼女の顔を見つめながら、提督は話を続ける。
提督が言うには、陸奥には新任の頃から色々世話になり、陰ながら支えてもらってきた。
提督としての指揮に関する意見はもちろん、開発や資材の運用、時には部下である艦娘へのコミニュケーションについても相談に乗ってもらっていた。
そんな献身的に尽くしてくれる彼女に、提督はいつからか想いを寄せていたのだ。
潮についても、自分に気があることは薄々感づいてはいた。
しかし、それでも陸奥への想いを変えられない自分にはどうすればいいか悩んだこともあった。
そんな彼を見やってか、陸奥は提督にこう話した。
『人の想いに、正しい答えなんてないのよ。 でも、貴方が真剣に悩み、考え、出した答えなら、あの子はきっと受け入れてくれるわ』
そして、悩み考え抜いた末、提督はこの結論を出した。
潮に、正直に自分のこの気持ちを伝えようと。
潮の気持ちを知ったうえで、自分の答えを話そうと。
すべてを聞いた潮は、小さく肩を震わせた。
今にも泣きたい気持ちを必死に抑え込んで、自分に向かって真っすぐに頭を下げる提督へ言った。
「そう…でしたか。 提督… 正直に話してくれて、ありがとうございます。 ……陸奥さんのこと、幸せにしてあげてください」
それだけを伝えると、潮はそそくさと執務室を後にする。
とぼとぼと廊下を歩いていると、そこには一人の艦娘が立っていた。
「…どうやら、提督から話は聞いたようね」
「…むつ……さん…」
暗い表情を浮かべる陸奥。 彼女も、提督と同じように潮に頭を下げた。
「ごめんなさい。 私も貴方の気持ちを知っていながら、こんな事になって……」
「…いえ。 陸奥さんのような方なら、提督が好きになるのも納得ですよ。 ……私の分まで、提督と幸せになってください」
「潮…… ありがとう。 …あとこれ、提督から預かってたの」
陸奥が潮に見せてきたもの。
それは二人で遊びに行ったあの日、潮が提督に送ったキーホルダーだった。
驚きのあまり目を見開く潮。 陸奥は、相も変わらず暗い表情のままだった。
「潮の想いに応えられなかった自分に、これを受け取る資格はないって。 あの人、本当に真面目なんだから……」
潮は陸奥からキーホルダーをひったくるように受け取ると、泣きながらその場を後にしていった。
そんな彼女の背中を見届けた陸奥は、だれにでもなくひとり呟いていた。
「…本当にごめんなさい、潮。 貴方の大事な人を… 貴方の大好きな提督を私がもらうことになってしまって……」
「…でもね、こうしなきゃあの人は私を選んでくれなかった。 私は、私以外の女にあの人を盗られたくなかったのよ!!」
すべては、陸奥の計画だったのだ。
前から提督が陸奥のことを想っていたように、陸奥もまた提督に想いを寄せていた。 ケッコンカッコカリをきっかけに、彼と本当の夫婦になりたかったが、根がまじめな提督はどうしても陸奥と特別な関係を結ぼうとはしなかった。
彼女自身、幾度となく提督にアプローチをかけたものの、真面目な彼には逆効果になると感じた陸奥は、こんな方法を考えた。
それは、自分以外の他の艦娘を提督にアプローチさせ、自分はさりげなくフォローに回るという形で提督への好感を上げていくというものだった。 押してダメなら引いてみろ、まじめな性格の提督には真っ向からやるより搦め手から攻めた方がいいと陸奥は考えたのだ。
そしてこの作戦に使う艦娘に、陸奥は潮に白羽の矢を立てた。
うまく提督にアプローチさせるよう潮を誘導し、二人が親密になったところを自分がフォローに回るということで、徐々に提督へ自分を売り込んでいった。
その結果、見事作戦は成功。 さりげなく提督と潮を気遣う自分の姿に彼は惹かれていき、念願のケッコンカッコカリの相手として、自分が選ばれたのであった。
陸奥は潮が去っていった廊下を見ながら、スッと手をスカートのポケットに潜り込ませる。
そこに入っていたものを手に取って、陸奥はにっこりとほほ笑んだ。
「…ねえ、潮。 四葉のクローバーの花言葉って知ってる?」
「一つは幸運。 そして、もう一つはね……」
「『私の物になってください』 よ…」
陸奥がスカートのポケットから取り出したもの。 それは四葉のクローバーが描かれたきれいなブローチだった。
陽光に照らされ美しく輝くブローチを見て、彼女は黒く濁った瞳のまま、うっとりとした表情を浮かべる。
「提督はね、初めて私と一緒に遊びに行ってくれたとき、お礼と言ってこのブローチをくれたの。 初めてのプレゼントを、私に送ってくれたのよ」
「それ以来、私は彼の物。 彼が望むなら、私はこの身も心も喜んでささげるわ。 でもね、他の子にあの人を盗られるなんて、私にはとても耐えられないのよ…」
「…だから、ごめんね潮。 あなたの幸せまで私の物にしちゃって。 だけど、私は幸せになるわ。 貴方がくれた分まで、私は提督と幸せになるからね♪」
そう声高々に叫びながら、そっとブローチを戻す陸奥。
濁った瞳とゆがんだ笑みで今はそこにいない潮に謝ると、彼女は最愛の人に会うべく執務室へと歩みを進めるのであった。