憑依魔王の契約者   作:こんこん

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第1話

 

 

 

 私にとって二人は初めてのお父さんとお母さんで。

 三人一緒の生活がいつまでも続くって――そう思っていた。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 生まれて二度目の人生は成瀬澪という『女』の性になっていた。

 

 ここで()()()()()()というからには私には一度目の――言うなれば前世の記憶というものがあることを示唆しているんだけど、前世の記憶とは言ってもそれはあやふやなもので、感覚的に言ったら他者の記憶を客観的に眺めているような感覚だ。

 

 当時、初めてその前世の記憶というものを認識したのはちょうど三歳……物心がついた頃のことだっただろうか。知りもしないはずの他人の記憶が濁流のように流れ込んできて、それを私は大長編ドキュメンタリーの映画を鑑賞するような感覚で呆気に取られて見ていた記憶がある。

 お父さんとお母さんには「お前はよく一人でぼんやりしていた子供だった」と言われることがあるけれど……まぁ、その真実の裏側はそういうこと。

 

 前世の記憶は一人の『男』の人生を物語っていた。だからこそ最初に『女』になっていたという表現を用いたんだけど、その前世の『男』としての記憶に引きずられたのか、幼少期の私はどうも他の女の子と比べて男勝りな傾向があった。

 

 性同一性障害とはまた違うのだと思う。私の中に『俺』としての男の部分はあるのだけど、かと言って女の体である今の『私』自身を否定する気もまったく起こらないのだ。

 つまり障害を障害として認知していないのであって、精々、弊害があるとすれば、あまり(性的な意味で)男の子が好きになったことがない……というよりはなれないのと、たまに(性的な意味で)女の子にときめきを覚えてしまうことくらい。……どうやら私の性的な感覚は正常な女性と違って、前世の記憶である男寄りになってしまっているようだ。

 

 これが仮に前世の記憶の影響ではない、()()()()()であったのなら、私は苦労したのだろう。自分の心と身体に差異に違和感を覚え、この性の感覚を歪なものと捉え、自分自身に嫌悪感を隠し切れないこともあったかもしれない。

 

 ただ、一通りの人生を経験したと言っても過言ではない私は、『男』としての自分を覚えると同時に精神的に成熟していた。

 つまりは精神的に余裕があって、余裕がある分、自分を客観的に見て、ストレスを貯めずにやって来れた。

 簡単に言えば自分は自分。ありのままに、あまり深いことを考えずに生きることにしたのだ。

 

 

 

 

 ……とまぁ、ここまでならちょっと前世の記憶があってどこか達観した少女ってだけで済んだかもしれない。

 感覚的には二回目の人生も、前世とさほど変わらない平凡な世界で、優しいお父さん、お母さんはたっぷりの愛情を私に注いでくれて、勉強に部活に精を出して、何の不憫もない、幸せな人生を送っていたのだ。

 

 半年前、お父さんとお母さんが私の目の前で殺される、その日までは――。

 

 

 

 *

 

 

 

 その日も普段と何ら変わらね日常――家族三人揃って夕飯のハンバーグを食べ、家族三人揃ってリビングで団欒していた時のことだった。

 

 いきなり。いきなりだった。

 虚空から一人の男が現れたのは。

 

 その男は灰色の肌をした異形の姿をしていた。

 耳は昔、読んだ童謡の中で登場する妖精のように尖っていて、その頭部からは黒い、悪魔のような角が二本、生えていて、普通の人ならコスプレに見えるかもしれない奇妙なローブのようなものをその身に纏っていた。

 その姿は人の形を成しえようとも、決して人ならざる者。

 この者の存在が『魔族』と呼ばれる存在であることを知らされたのは両親を目の前で殺されて、命からがら逃げだしたその後のことだった。

 

 ――そう。私のお父さんとお母さんはこの男に殺された。

 今まで生きてきて、見たことも聞いたこともないような異形の存在を前に、途方に暮れることしかできない私を余所に、お父さんとお母さんはまるでこうなることをわかっていたかのように、動き出していた。

 

 お父さんは空間からいきなり双剣を召喚し、男に斬りかかっていった。そのあまりの踏み込みの迷いのなさ、速さに私の眼はとてもじゃないが追いつかなかった。

 しかし、そんなお父さんの斬撃は――男が生み出した漆黒に輝く刃が煌いたと思った次の瞬間には跳ね飛ばされ――認識する間もなくお父さんの両手は宙を舞っていた。

 

 耳にしたことがないような絶叫と共に迸る鮮血。

 紅に染まっていくリビングを、どこか私は他人事のように眺めていた。

 

 受け入れていなかった。

 目の前の現実があまりに現実を超越していて、私はお父さんが両の手を斬り飛ばされたにも関わらず、然したる動揺も見せずに茫然と立ち尽くしていることしかできなかった。

 

 現実に引き戻されたのはお母さんに肩を激しく揺さぶられたその時だ。

 お母さんは私に「逃げて!」と叫んでいて、それでも私は動けないでいて――。

 

 男の生み出す黒い炎にお母さんが焼き殺されたのはその時だった。

 何かに気付いたお母さんが、反射的に私を突き飛ばした瞬間、お母さんの身体が炎に包みこまれたのだ。

 火だるまになった母親が、絶叫を上げながら部屋中を転げまわるその姿を見て、私はようやく叫んでいた。

 

 お母さん、と――。

 

 そしてそれを見たお父さんが最後の力を振り絞って「逃げろ!」と叫んで、男に尚も立ち向かっていったところでようやく、私は駆け出していた。

 とにかく助けを呼ぼう。警察でも何でもいいから助けを呼ばなくちゃと。

 

 その背後で何かが内側からパァン! と撒き散らされるような歪な炸裂音が鳴り響き、私は思わず足を止めてしまう。ゆっくりと振り向いてしまう。

 そして私が見たのは飛び散る内臓に大量の血飛沫――男の魔力によって内側から爆発させられた、かつてお父さんであったはずの肉塊だった。

 

 

 『あ……ああ……』

 

 

 私は恐怖で震えることしかできなかった。

 お父さんとお母さんを殺した男を前に逃げ出すことも、憤ることも、助けを呼ぶことも忘れて。

 ただ恐怖で震えることしかできなかった。

 

 そして男が嫌らしい笑みを浮かべてこちらにゆっくりと近づいてくる光景を最後に、私の視界がテレビの電源を切ったかのようにプツンと途切れて――次の瞬間には何もかもが終わっていた。

 

 目が覚めたのは何処とも知れぬ廃工場。そして気を失っていた私を介抱してくれた万理亜という小さい少女の姿。万理亜という少女のことは親戚の子と言うことで名前だけは知っていたが、出会ったのはこれが初めてだった。 

 

 そして私は万理亜から全てを聞いた。

 魔族、そして魔法の存在。

 自分を育ててくれていたあの親は実は本当の親じゃなくて、本当の親は魔界を統べていた先代の魔王であったこと。身内の中にも多くの敵を抱えた魔王は、一人娘の安全を計るために、人間界に両親役兼護衛の魔族と共に送ったということ。

 

 私には先代魔王の強大な魔力が受け継がれていて、今宵の襲撃はそんな私のうちに眠る魔力を狙って引き起こされたものだと。

 

 信じられなかった。否、信じたくなかった。

 だって、今まで私は普通の……前世の記憶と何ら変哲もない日常を過ごしてきたのだ。

 いきなり魔族? 魔王? そして魔法? いったい何時からこの世界はファンタジーな世界になってしまったというのか。

 

 それでもお父さんとお母さんが死んだという事実は変わらなくて。

 目の前でサキュバスとしての正体を明かした万理亜の姿は夢でもなんでもない本物で。

 

 この時になって私はようやく悟ったのだ。

 

 

 ああ、この世界はこういう世界なんだ、と――。

 

 

 前世と何ら変わらぬ平凡な世界。その認識はそもそも間違いだったのだ。

 この世界は表向きは前世と何ら変わらなくても、裏の部分は――根本的な部分はあからさまに違う。

 魔族がいて、魔王がいて、魔法の存在があって――万理亜の話では魔族に対をなす『勇者の一族』なるものが存在していて、天界には『神族』なるものが存在しているのだ。

 

 何たるファンタジーな世界なのだろうか。

 魔法とか勇者とか……子供の頃に一度は憧れたことがあるだろう幻想の存在が、この世界では実在している。

 けれど私の胸は全然ときめかない。

 だって、現実はそんなファンタジーのように都合良く進んでいくものではないと知ってしまったから。

 世界の裏側を知る代償として、私のお父さんとお母さんは虫けらのように殺されてしまったのだから。

 

 ……そう、殺された。

 魔王の力を受け継いだ私が生まれたせいで。

 その護衛を任されたばっかりに。

 

 

 ――私は……死んだほうがいいのかな。

 

 

 それは無意識的に流れ出た言葉であり、頭の冷静な部分で考えに考えた結果の言葉でもあるのかもしれない。

 

 万理亜の言葉が真実ならば私の力を狙って魔族達は襲ってくる。つまり、私の存在が争いの火種であり、私さえいなくなれば、魔王の力を狙った不毛な争いもなくなるのではないのか、と考えたかもしれないし。

 それとも、死ねばもしかしたらまたお父さんとお母さんに会えるかもしれない――そんな淡い妄想を抱いていただけなのかもしれない。

 

 正直、その時の私の心はグチャグチャだったから、何を思ってその言葉を発したのかはよく覚えていない。

 とにかく言えるのは万理亜がそんな私の言葉を否定したことだけだ。

 

 

 ――自分から死んだほうがいいなんて……そんなことを言ってはダメです!

 

 

 万理亜は顔をくしゃりと歪めて、そう言った。

 澪様を生かすために散っていった二人の意志を無駄にしないためにも、あなたは生きなくてはいけないんです! と。

 

 今にして思えば、この時の私ほど迂闊な発言は無かったと後悔している。

 あの男が襲撃したあの時、私が突然の事態に途方に暮れることしかできない中、お父さんとお母さんは私を守るために戦ったのだ。

 圧倒的な禍々しき力を前に、逃げ出したいのが本心であっただろうに、その心をグッと堪え、私を生かそうと必死に抗ってくれたのだ。

 それなのに、そんな二人が生かそうとした私自身が、生きることから目を背け、手放そうとしていたのだ。もし過去に戻れるのだとしたら、この時の私自身を張り飛ばしてやりたいといつも思う。

 

 とにかく万理亜のお蔭で自暴自棄の状態からどうにか立ち直れた(無理やりにでも立ち直らせた)私は、これからどのようにするべきなのか、現実と直面することとなった。

 

 普通に考えるならば警察に通報すべきなのだろう。少なくとも(前世の記憶も含め)これまで私が生きてきた『常識』から照らし合わせるならば、男にお父さんとお母さんを殺されたのは立派な殺人事件であり、警察に通報するのが普通の対処法であろう。

 

 しかし、そんな私の提案に万理亜は首を横に振り、私は即座にその理由を教えられた。

 と言うのも、殺人事件とは言ってもその実行犯は人間ではない、魔界に潜む魔族なのだ。通報したところで、人間界の警察にはどうすることもできないし、そもそも「魔族がやりました」などと言って、信じてもらえるはずもない。精神科の病院に連れていかれるのが落ちだ。

 だから万理亜は言った。

 

 

 ――私の記憶操作の魔法で、犯人を別に造り上げます。そうすれば何の違和感もなく、人間の目は誤魔化すことができるでしょう。

 

 

 こうして私の両親――万理亜の話によれば養父母となるわけだが――魔族の男によって殺されたこの一連の出来事は世間一般では異常な殺人犯による凄絶な殺人事件という扱いとされた。

 お父さんとお母さんを殺された事実を魔法で捻じ曲げなければならない現実に、少しだけ嫌気が刺したが、四の五も言ってられないのもまた事実であった。

 

 それからも私は世界の『残酷さ』と言うものを身に染みて体感することとなった。

 連日、マスコミやら警察関係者からの事情徴収にさらされたり。

 親が遺してくれていた遺産を担当していた弁護士の男が法の知識に疎い私たちをいいことに掠め取ろうとしたり。

 

 さらにはあの男によって目の前で両親を殺されたショックなのか、それとも魔法という常識の外側の存在を認知したせいなのかどうかはわからないが、その一件を境に私の中に元から眠っていた魔力が漏れ出し、歯止めがきかない状態に陥ってしまった。

 結果として私の魔力を嗅ぎ付けた、人間界を徘徊する低級魔族共が襲い掛かってくるようになり……そんな奴らを撃退するために私は魔法というものを覚え、力をつけなければいけなくなってしまった。

 

 全てを失った私は絶望に囚われていた。それでもただひたすら生きることだけを考えて、今日まで必死に生き抜いてきた。

 

 全ては私を生かすためにその命を犠牲にしたお父さんとお母さんの分も生きるため。

 

 

 ――そしてそんな最愛の二人を惨たらしく殺したあの魔族の男――ゾルギアをこの手で二人が受けた苦痛以上の屈辱を与えて惨たらしく殺すため。

 

 

 復讐は何も生まない――そんなセリフを映画だか漫画だかで耳にしたことがある。正義の主人公が憎しみに囚われたヒロインかライバルなんかに向かってこんなことを言うのだ。

 

 けれど、そのような言葉は本当に大切なモノを失ったことがない偽善者だからこそ言えるのだ。

 

 本当に愛する者を失えば――しかもそれが自然的な事ではなく人為的に引き起こされた出来事であるならば――人は簡単に復讐の鬼となれる。

 愛する者を失ったやり場のない悲しみは――憎しみは――怒りは決して、大切な者を奪った略奪者に復讐しない限り、晴れることはないのだ。

 

 たとえ復讐の先に新たな憎しみの種が芽生えるのだとしても私はゾルギアを殺す。

 

 

 

 

 ――百回殺される以上に耐えがたい苦しみを与えて殺してやる。

 

 

 


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