「…………」
一言かつ端的に言うのなら、ライカは完全に暇を持て余していた。PTにも乗れない、デスクワークも禁止ときたものだ。
『ライカ、今日は絶対仕事しちゃ駄目よ。休んでなさい休みなさいほんっと休みなさい』
あのメイシールからそこまでお願いされては流石のライカも頷かざるを得なかった。そういう訳で今日は完全オフとなってしまった、いやさせられたと言った方が正しいのかもしれない。ちなみに制服はしっかりと着ている。いつ何があるか分かったものではないから。
(……メイトがありとあらゆるところで手を尽くしているようですし……)
そう言いつつ、実はつい先ほどメイシールの目を盗み、教導隊の任務をこなすべく部屋を抜け出したのだ。そこでカイに見つかってしまい、こう言われた。
『すまんな。今日はメイシール博士から
あのカイに言われてしまっては全力で休まざるを得ない。メイシールに言われるよりも何十倍も説得力のある言葉を思い出しながら、ライカはとりあえず自室を見回し、出来る事を探し出した。
「……身の回りの整理でもしますか」
そう言い、ライカは机の引き出しを開け、何十冊となる分厚いメモ帳を取り出した。その一冊一冊を眺めながら、ライカは番号順に並べだす。まるで子供の世話をするかのように。
このメモ帳にはライカが今まで教えてきた“生徒”のデータがギッシリと詰まっていた。それこそ、新人から今ではベテランと呼ばれる層までだ。見方によっては基地が管理している重要データよりも尊いものかもしれない。
キッカケと呼べるような大それたものはない。強いて言うのなら、目に付いたパイロットへ自分なりのアドバイスをしていく内に、誰に何を教えたのかを整理するためにこのメモ帳は作られた。それが積もりに積もって、この大量の冊数となってしまった。
教えることはその時々による。小さなもので戦闘要項の見直しを促した、場合によっては戦闘要項なんて捨ててしまえ……なんて言ったこともある。しっかり統率され、秒単位での細かな戦闘スケジュールをこなすことも大事だろう。だが、時にはその“真面目さ”が隊の崩壊を招くこともある。要はバランスなのだ。
「……大して散らかしてもいないので、整理も何もあったものじゃないですね……」
意気揚々と始めた身の回りの整理だったが、三十分もあれば終わってしまった。その内の二十分は清掃だから、実時間たったの十分である。この時ほど、自分の性格が憎く思ったことはない。
時計を見ると、ようやく正午を回ったところだ。あまりにも退屈で、この午前中はいかにして時間を潰していたのかも覚えていない。
昼食は既に取っている。本来ならこの後、PTのモーションパターン作成の任務に就くのだが、今日は完全オフ。
とりあえず、ライカはベッドに寝転がることにした。昼寝でもしてしまえば時間を消費できるではないか。そんな当たり前のことに気づかなかったことに、内心呆れながら目を閉じてみた。
(明日は昨日の分まで仕事をしなくてはなりませんね……。まだ試していないモーションのアイディアが沢山ありますし……。そうだ、アクアにまた操縦訓練に付き合うよう言われていましたね……。戦闘における位置取りの基本をもう一度教えなければならないから……そうだ、資料を作らなければ……あとは――)
そこまで考えたところで、ライカはハッと目を開いた。
「しまった、全く休めていません……! なまじゆっくり考えられる時間を手に入れたばかりに……!」
目を閉じると波のように押し寄せる考え事。そのどれもが目まぐるしく過ぎる一日の中で素早く考えなければならないことばかりだった分、並行して押し寄せてくると、そればかりに気を取られてしまう。
このまま眠っても恐らく夢でも考え事をしているだろうと踏んだライカは、仕方なく目を開き、軽く運動することにした。疲労による睡魔で一気に眠ろうという魂胆だ。
トレーニングルームに行けば、確実にPTを操縦してしまうと自己分析したライカはとりあえず軽く上体起こしをすることにした。
「……一九八……一九九……二百――」
額にじんわりと汗を掻いたところで上体起こしを止めたライカはもう一度横になり、目を閉じてみた。だが、結果は変わらず頭の中は仕事で一杯だった。ころころとベッドの上で転がってみても、依然として眠気が来ない。
「……良し」
このままだと間違いなく退屈で死ぬと確信したライカはまたこっそりと抜け出すことにした。そう決めたら行動は早かった。立ち上がり、扉に手を掛ける。
すると、まだ開けてもいないのに、勝手に扉が開いた。思わず声が出てしまう。
「っ……」
「やはり、そろそろ我慢し切れなくて抜け出す頃だろうと思いましたよ」
そこに立っていたのはコンビニ袋を片手にしたフウカであった。その目には確信と呆れの感情がごちゃ混ぜになっていた。
「お邪魔しますねー」
「……何で貴方がここに……?」
「いやあ、メイシールからどこぞのワーカーホリックの監視をするよう頼まれましてね」
本当に全てお見通しだったらしい。この狙い澄ましたかのようなタイミングは恐らくフウカにしか出来ないだろう。
当のフウカは何食わぬ顔でライカの部屋に入り込み、勝手にベッドに座り、コンビニ袋の中の物を取り出していく。取り出され、ベッドの上に置かれていくものを見て、ライカは目を細めた。
「……まだ勤務時間中だと思うのですが」
「実はギリアムが気を利かせてくれました。何と今日は私もオフなんですよ、奇遇ですねー」
作為的な匂いしかしないこの状況に、思わずライカは顔をしかめてしまった。……ライカは知らないが、実はメイシールが裏で手を回し、ギリアムと交渉をして、この状況が出来上がっていたのだ。ライカの読み通り、作為的も作為的。むしろ必然と言っても過言ではない。
「まあまあ、とりあえず一本いかがですか? 完全オフの意味、少しくらいはメイシールの気持ちを汲んでやったらどうですか?」
「む……」
ライカに手渡すと、フウカも自分の缶ビールの蓋を開けた。フウカから無言で促されたライカはとうとう観念し、缶ビールの蓋を開ける。メイシールの名前を出されると何故か弱くなってしまうのだ。
「ぷはー。この一杯の為に生きている、そんな感じですね」
「どんな感じですか」
一気に煽り、半分以上飲み干したところで、二人だけの飲み会は始まった。
「それにしても不思議な縁ですよね。かつては殺し合っていた二人がこうして盃を交わすなんて」
「……元はといえばそちらが吹っかけて来たからじゃないですか」
「後悔はしていませんよ。貴方を殺すことに何ら躊躇いは無いのですから」
「……今でもですか?」
「今でもです。まあ、ですが私は既に一度貴方に敗北し、死んだ身です。今更この世界に対してどうこうしようとは思いませんがね。あっはっは」
平行世界の自分とも言えるライカに完全敗北したフウカにとって、既にこの世界では死人も同然である。止まれない道を走り続け、皮肉にも“自分”の手によって終止符を打たれたあげく、こうして生き残っているフウカにとって、これ以上の生き恥はない。
「……そうですか。ところでフェルシュングの外装パーツの方はどうですか? そろそろロールアウトすると聞いていましたが」
「ええ。流石はメイシールですよ、ほぼ要求スペック通り。これならSOとも互角以上にやり合えるはずです」
「……黒いガーリオンとも、の間違いじゃないですか?」
「……何の事か分かりませんね」
この短時間で二人が空けたビールは既に八本以上となった。本当なら焼酎や日本酒があれば良いが、今回はビールのみ。だが二人にしてみればビールで十分であった。質より量。焼酎を買う時もいかに安く、そして量を飲めるかを重視していた。
「……というか、おつまみの類は買ってこなかったのですか?」
「給料日前の私にそんな事を言うとは貴方も中々鬼ですねー。ひゅードーエスー」
「貴方と言う人は……ああ、もう良いです。なら冷蔵庫の物を適当に食べましょうか」
そう言い、備え付けの冷蔵庫を開け、中身を物色するライカ。シンプルなデザインの冷蔵庫には、魚肉ソーセージというこれまたシンプルなモノしか入っていなかった。それをフウカに放り投げたライカは再び、ビールの蓋を開けた。
「ツナ缶を所望します」
「カロリーメイトで良いならいくらでも口に突っ込んであげますよ?」
ビールとカロリーメイトなんて未知の組み合わせを想像してしまったフウカは渋々魚肉ソーセージのビニールをめくる作業に移った。どうせならツナ缶の方が良かった。マヨネーズとの組み合わせに思いを馳せつつ、フウカは魚肉ソーセージを頬張った。
「そういえば宇宙以降、ソラ達の様子を見てませんね。生きているんですか?」
「ええ。この間、模擬戦を行いました。フェリアやユウリはともかく、ソラは強くなろうと焦っているようだったので、少々出しゃばりましたが」
それを聞いたフウカはくすくすと笑う。それを見たライカは顔をしかめた。流石自分、と言うべきだろうか。
そんなライカの考えは当たっていた。
「自分も焦っているじゃないですか、何を言っているんですか?」
「センリさんの事を聞いたのですか?」
「まあ伊達や酔狂で情報部に居る訳じゃないですからね。それにしてもやっぱりセンリですよね。一枚も二枚も上を行く」
「……私は勝てますかね?」
酔いが回っている、とそう言い訳をするのは簡単だ。だが、生憎とそう簡単に酔うことが出来ないライカはそれでも開く口を閉じることが出来なかった。
正直、自信が持てずにいた。覚悟はしている、戦術も考えている、だがセンリという絶対的な壁は自分が思っているよりも高いということも自覚せざるを得なかった。“あの時”、自分はセンリに殺されていた。その事実が、ライカに僅かな迷いを生じさせているのだ。
そんなライカの弱音を真正面からフウカは切り捨てた。
「そう思っているんなら勝てませんよ。何を言っているのですか、珍しいことを言いますねー」
ライカの反論を封じるように、フウカは更に言葉を続けた。
「大体、センリの“制限時間”まで持ち込めた時点で貴方の“勝ち”じゃないですか。運じゃない、然るべき結果ですよ」
「私の……」
「……生きていれば勝ち。私も、貴方もそういう人間ですよ。どんなに惨めでも、どんなに見苦しくても生きて戦場から帰った時点で“勝ち”と思えるそんな小さな人間です」
――得心いった。ようやくライカの中でパズルのピースがカチリとはまったような感覚がした。そういう風に思えてしまった瞬間、ライカの視界がとてもクリアになっていった。
ある意味、壮大な自問自答である。平行世界の自分に本来の考えを思い出させられるとは何の冗談だろうか。
「そう、ですよね。そう……でしたね」
「上品な戦いなんて貴方、やったことないでしょうに」
「……良く考えてみたらその通りですね」
今までの戦いで綺麗な戦いなんて一戦たりともなかった。あるのは泥にまみれ、敵の足を掴み、底なし沼に引きずり込むような戦いだけである。試合に負け、勝負に勝つ。日陰者の戦いこそライカ・ミヤシロだ。
「シンプルに行きましょう。複雑な事を考えるのは上層部だけで十分です。兵士は兵士らしく、最前線でボロ雑巾になりましょう」
「……そっちの方がやる気も出ますしね」
「そういうことです」
缶ビールを持った二人は、どちらからともなく乾杯をした。グラスなんて上品なものじゃないところがまたそれらしい。
「……良いニュースがあります。SOの本拠地が分かりそうですよ」
「……本当ですか?」
「ええ、まだ仮ですが、ギリアムはほぼ確実と言っています。私もそこだと確信していますがね」
「一体どこからそんな情報が……?」
すると、フウカが複雑な表情を浮かべた。その意味を察することが出来なかったが、ライカはフウカの次の一言で理解した。
「リィタが乗っていたヒュッケのコクピットからです。どこかの誰かさんが仕掛けていた複雑そうに見えて実はとても簡単なパスワードを突破したら意味深な座標データが取得出来たんですよ」
「……本気で言っているのですか?」
「本気も本気ですよ。むしろ何かの罠なんじゃないかとすら思っていますからね」
「それを鵜呑みにするなら……ますますキナ臭くなってきましたねSOは」
「ええ。ですが、パスワードがあった場所はとても深いところでした。仕込んだ本人は見つかっても見つからなくても、良かったみたいですね」
フウカの話を聞いたライカは自分の見解と合わせ、やがて一つの仮説に辿りついた。
「――敵でありながら連邦に協力したい人物が、いるというのですか? SOで……?」
「大げさなリアクションは止めましょうよ。私が勘付いているんだ。ライカ、貴方が勘付かない訳が無いと思いますが?」
「……やはり、ですか。ならどうして? あの人がそんな事をするメリットが……」
「貴方ともあろう方が……分かっている事を
結果、分からなくなった。だからこそ考えるのを止めた。
今考えても分からない。現実逃避の意味を込め、ライカは残ったビールを飲み干した。
「親の心、子知らずってことですかね」
◆ ◆ ◆
とある施設に
絶対正義の体現者を信じてやまぬゲルーガはこの間にも、多くの同志の活躍、そして訃報を耳に入れ続けている。屍を乗り越えた先に、絶対正義が待っているのだと信じて。
そんなゲルーガは今、そんな絶対正義の象徴たる機体を見上げていた。
「進捗状況はどうかね?」
「は。ゲルーガ大佐。この機体の完成度は現在八割を超えています。あとは各種武装の調整を行えばロールアウトです」
「そうか……可及的速やかに頼む。この機体を以て、腐った連邦を撃滅しなくてはならん。絶対正義の為、すまんが尽くしてくれ」
「はっ!」
敬礼とともに整備士が作業に戻って行った。その後ろ姿を見送り、またゲルーガはその機体を見上げた。
(何度見ても美しさと力強さを感じる。……ビアン博士、オリジナルの足元にも及ばないかもしれませんが、この機体の力……使わせて頂きます)
それはかつて連邦を恐怖のどん底に陥れた“絶望”、それは究極の名を冠した“絶望”、そして今、それは絶対正義を体現する“絶望”へと生まれ変わろうとしていた。
来たるべき時に備え、悪意は胎動し続ける――。