ライカ達との模擬戦も終盤を迎えた中、フウカは休憩がてら自販機前まで歩いてきていた。久しぶりの感覚に身体が熱くなったのもある。
さっさと喉を潤して戻ろう、そう思いながらボタンに指を伸ばした。
「――どうやら問題なく馴染めているようだな」
ボタンを押す寸前に、掛けられた聞き覚えのある声。フウカは後ろを向くと、僅かに目を細めた。
「……ええ、まあ。それよりも、お疲れ様ですとでも言った方が良いのでしょうかね? 一応上司と部下という関係なのですし」
「止してくれ。書類上の話だけだ。“向こう側”での距離感ぐらいが俺にも、そして君にも丁度いい」
情報部所属であり、元特殊戦技教導隊であるギリアム・イェーガーは薄く笑いながら、壁に寄り掛かる。読めない人だ、というのはフウカが初めて彼と会ってからずっと抱いて変わらない印象である。
だが折角の提案なのでそれに乗らせてもらうことにした。
「ならばそうさせて頂きますよ。それで、先ほどの貴方の言葉に返事をするなら……まだミリ単位も馴染めていませんよ」
「ほう」
「本来なら出会った瞬間、銃を向け合う間柄のはずなのに“彼女”はそうしなかった」
「“君”は? 彼女の隣に立って、何を思った?」
自販機の方に視線を戻したフウカは商品ディスプレイに映りこむギリアムの姿を見ながら、思いを巡らせる。
(私は……)
ふと、“あの時”のことを思い返してみた。
◆ ◆ ◆
思い返すはギリアムと初めて顔を合わせた場面。
あの時、確かに自分は“選択”したのだ。
「ええ。腐っても元シャドウミラーです。貴方の足手まといにならない程度には善処しましょう」
「頼もしい限りだ」
そう言葉を交わした瞬間、“こちら側”での『ライカ』の生活は始まった。
「……とは言ったものの、私は一体どれくらいこのベッドで寝ていればいいのですか?」
「実はもう身体はほとんど回復している。あとは君の意識が戻るのを待つだけだった」
言われて、身体を動かしてみると確かにどこも異常は感じられない。『ライカ』の全快を確認すると、ギリアムが制服一式を差し出した。
スーツにコートというどこにでもある物だ。
「……なるほど、既に根回しは済んでいるということですか」
「お気に召したかな?」
「ええ、流石の手際と言ったところですね」
スーツの内側に刺繍されているエンブレムを見て、『ライカ』は納得したようにそれでいて忌々しげに口元を緩める。
「大分遅くなったが、改めて言わせて貰おうか。――ようこそ、情報部へ」
――地球連邦軍情報部。
それが『ライカ』にとっての新たな居場所であった。
◆ ◆ ◆
「いきなりこんな所に連れてきて何の用ですか?」
「何、君の知り合いと会わせてあげようと思ってね」
早速仕事でも教えてくれるのかと思っていた『ライカ』の声色がどんどん低くなる。それもそのはずで、今二人がいるのは情報部のオフィスではなく、ギリアムの私室だ。
「……随分、回りくどいデートの誘いですね」
『ライカ』の皮肉にも動じないギリアムは彼女と目を合わせることなく、壁のモニターの電源を入れた。
「ふ。そう怒るな。……そら、繋がった。俺だレーツェル」
モニターに映し出された男性を見て、『ライカ』は目を見開いた。しかしすぐに思考に冷水を注ぎ込む。
時差ボケならぬ転移ボケであろうか、どうも未だに“向こう側”の事情とぶつけてしまう。
「ギリアムか、珍しいな。何かあったのか?」
「……エルザム・V・ブランシュタイン。思わぬ大物に出会いましたね」
装いこそ変わっているが、その風貌に見間違いはない。
――統合軍のエース、黒い竜巻。
そして元特殊戦技教導隊の一人である紛うことなき“天才”、エルザム・V・ブランシュタインその人がモニターの向こうにいた。
(……なるほどサングラスですか……アリですね)
「そちらの女性は?」
「彼女はライカ・ミヤシロという。カイに負けず劣らずのゲシュペンスト好きだ」
「……まあ否定はしませんが」
「ライカ・ミヤシロ……。その名前、憶えがあるな。……そうか、思い出した。確かそのような名の女性が『DC戦争』時代、我がトロンベに傷を付けたはずだ」
「ほう。それはすごいな。キョウスケ達以外にも手練れはいたということか」
ギリアムがこちらを見て、目で合図を送ってきた。その視線にはどこかイタズラっぽい感情が込められている。『ライカ』も分かっていた。
彼が見ているのはその手練れのライカではなく……。
「……すいませんが、それは“こちら側”の私の功績です。私は貴方と交戦したことがありません」
「“こちら側”、だと……!?」
流石というべきだろうか、その一言でエルザムは全てを察したようだ。
「そういうことだレーツェル。すまないが“彼”と会わせたい。繋いでくれるか?」
「……心得た」
そうしてモニターは一旦フェードアウトした。
「俺は席を外そう。終わったら呼んでくれ」
「いえ。ギリアムもそこに居てくれて構いません」
部屋を出ようとするギリアムの背に『ライカ』がそう言うと、彼は立ち止まり、そのまま念を押す。
「良いのか?」
「ええ。貴方なら誰かに言いふらしたりはしないでしょうしね」
「光栄だ」
そうこうしている内にモニターに映像が戻った。向こうに映し出されている姿を見て、『ライカ』は今日一番の驚愕を感じた。
それは自分の想像を遥かに超えた人物。
見覚えどころか、忘れられる訳がない相手。
「――誰だ、俺に会わせたい人間という奴は?」
見る者を威圧する好戦的な瞳、聞く者を恐怖させるドスの利いた声。
――もう間違いない。
無意識に『ライカ』はその男の名を呼んでいた。
「アクセル、アルマー……!」
自分の名前を呼ばれたからか、男――アクセルは不機嫌そうに『ライカ』を一瞥した。瞬間、アクセルの表情が一変する。
「貴様、“ハウンド”――ライカ・ミヤシロか!」
かつての通り名を久しぶりに聞いて、どこか懐かしい感覚に陥る。
元々この名は
――相変わらず、耳にするにはくすぐったい重みである。
「……ええ。互いに死に損なっているようですね」
皮肉もそこそこに、アクセルは『ライカ』は睨みつける。
「今まで一体何をしていた? “こちら側”に来て一度も俺達……『シャドウミラー』へ連絡を寄越さなかったのは何故だ?」
「…………ヴィンデル達は?」
「……死んだ。レモンもな」
何となく分かっていたこととはいえ、後頭部を思い切り殴られたような気分になった。ヴィンデルはともかく、レモンにはヤクトフーンドを設計してもらったりと色々良くしてもらったことがあった。
ヤクトフーンドを渡された時に言われた彼女の言葉は今でも印象に残っている。
『――鋼鉄の鎧で身も心も隠されたこの子がもし、自分自身の力でその鎧を脱ぎ棄てられるようになったとしたら、貴方は誇らしいと思う?』
彼女の質問に答えることは出来なかった。その時の自分はまだ
――だったら今の自分は?
「……そうですか。ならば『シャドウミラー』の生き残りは私と貴方ということになったのですね」
「W17、ラミア・ラヴレスも入れてだ」
「ラミア……そうですか、道理で“あの時”教導隊の一機に見覚えがあったのですね」
「やり合ったのか、教導隊と」
「……ええ、まあ。私は私で大事な目的があったということですよ」
その言葉に、アクセルの表情が険しくなった。
「『シャドウミラー』の目的よりも、か?」
「私の盟友が望んだことを、果たしたくて」
その言葉に思い当たる節があったようで、アクセルは思い出すように目を閉じた。
「レモンと肩を並べるほど奇特な開発者であるあのメイシール・クリスタスか」
「ええ。貴方のソウルゲインの両腕に杭打機を取り付けた時は本気で笑ってしまいましたよ」
「……俺もあの時ばかりは本気で絞め殺してやろうかと考えたぞ」
少しばかりする懐かしい話。だけど、いつまでもこの甘い一時には縋っていられない。
いよいよ『ライカ』はあえてしなかった質問をアクセルへぶつけた。
「……貴方はどうしているのですか? 『シャドウミラー』が壊滅した今、もう……」
「……俺は見届けるつもりだ。……望む望まないは別に、世界は何度も俺達が目指した“闘争の世界”に表情を一変させる。俺は、この先何度も起こるであろう“闘争”の先に何があるのかを見てみたい。――それが、俺達が命を懸けてまで見る価値があるものだったのかどうかをな」
『ライカ』の知るアクセルなら絶対に言わないであろう台詞であった。“こちら側”に来て変わったということなのだろう。
小さな驚きと同時に、嫉妬していた。既にアクセルは自分よりも上のステージに辿りついていたのだ。
しかし停滞している自覚はあった。
逆だ、停滞していなければならなかったのだ。
メイシールとの約束があったから、自分は今まで“こちら側”で戦えていたのだから。
「……変わりましたねアクセル。昔の固い頭が嘘のような柔らかさですよ」
「抜かせ。貴様の方こそ、相変わらず人を苛立たせるのが得意のようだな」
「まさか。いつもアクセルには敬意をもって接していましたよ。だからこそ、模擬戦や部下への教導を依頼していましたし」
「貴様の方が適任だろう。俺は人に教える事なぞ出来ん」
「……という割には私以上に世話をしていたように見えましたが」
「……何の事だか知らんな」
フイと自然に視線を逸らしたのを見逃す『ライカ』ではなかった。笑えば怒らせてしまうので、表情に出さないようにするのが中々大変な作業だ。
ふとギリアムの方を見ると、そろそろタイムアップのようだ。声に出さず頷き、アクセルに視線を戻す。
「まあ良いです。生きていたら良いことはあるはずです。寂しかったらいつでも会いに来てくださいね」
「ならば一生会うことはないな」
「……寂しいと言う貴方を想像したら笑いが込み上げて来ましたよ。どうしてくれるのですか?」
「知らん。そして、もう良いだろう。……目が離せない奴を一人、トレーニングルームに残してきている……これがな」
「……本当に変わりましたね。ええ、ならその方の所に行ってあげてください。生きていればまた会う機会もあるというものでしょうし」
「……そうだな。では行くぞ。……さらばだ、ライカ・ミヤシロ」
そうして、再びモニターにはエルザムの姿が映し出された。
「彼に言い残したいことはあるかな?」
「いいえ。ありがとうございました、エルザム少佐」
「何、礼ならギリアムに言うと良い。……最後に一つ言っておきたい。私はエルザムではない。私はレーツェル・ファインシュメッカ―。それ以上でも、それ以下でもない」
彼の物言わせぬ迫力に、『ライカ』はただ黙って頷くことしかできなかった。
(エルザム少佐ではなかった……。他人の空似と言う奴ですか)
すると今まで黙ってアクセルとのやり取りを聞いていたギリアムがモニターの前まで歩いてきた。
「すまなかったなレーツェル。今どこにいるかは分からないが、無事を祈っているぞ」
「ああ、何かあったらまた私の方まで頼む」
「了解した。じゃあな」
言葉を交わし、モニターが完全にフェードアウトした。一拍の間を置き、ギリアムが口を開いた。
「今の気分は?」
「悪くないですね」
自分でも驚くほどに即答だった。何だか一つ、踏ん切りがついたような気がした。
「そうか、ならこれから忙しくなる。付き合ってくれるか?」
「何を?」
「パーソナルデータの偽造を始めとする“色々”だ。この世界、ましてや君の近くには“君”もいる。言い訳の材料は揃えておかなければならない」
「……案外悪どいですね貴方も」
「何とでもいうと良いさ。俺も色々苦労したということだ。まあライカ、君もそのうち分かる――」
「――『フウカ』」
ギリアムの言葉に被せるように口にした名前。『ライカ・ミヤシロ』は既にあの決戦で死んだ。
ならば、もうこの名前に固執する必要も無くなったという訳で。
「フウカ、そう呼んで頂けると嬉しいです」
「……分かった。ならばそう呼ぶことにしよう、フウカ」
目を閉じ、呼ばれた名前を噛み締めるように聞く『ライカ』の表情には既に復讐に取り憑かれた影は無い。
(……沢山の来訪者が訪れたのでしょう? ならば変わろうとしている自分くらい受け入れる懐の広さくらいは見せてくれますよね?)
誰に言うでもなく、一人呟くフウカ。完敗からのスタートに、どこか胸を高鳴らせ、そして呆れている自分が居た。
◆ ◆ ◆
「……考え事か?」
ギリアムの呼びかけで、ようやくフウカは我に返った。どうやら思ったより深く回想してしまったようだ。
「ええ、すいません。ちょっと考えすぎたようですね」
「ならそのついでに君の立場を説明しに行くとしよう。明日の予定だったが、幸い時間が出来た」
「そうですね、さっさと“私”に割を食ってもらいましょう」
フウカの視線は自然とライカの方に行っていた。
「やはり嫉妬の一つでも感じるか?」
「まさか。彼女は彼女ですよ。私には私の道があります」
「……ならば良い」
……一つだけ忠告を送るとするのなら。フウカはこの先、一生ライカに言うことはないであろう言葉を心の中で送ることにした。
口にすることは絶対にない。……今日は少しだけいい気分なので、心の中だけにしておくだけである。
(今はそうじゃなくても、この先有り得ないという話ではないのです。だから――)
世界の違いはあれど、自分と彼女は全くの同じ存在。ということは、“そうなる”ことも無い話ではないのだ。
少し
だから。
――私のようにはならないでください。