では。
それなりの年月生きたが、無かった方が良かった人の縁というのはあったのだろうか。
義理や忠誠は戦う力になるときも、重荷や枷になるときもあった。どちらになるときが多かったのかは、考えたこともなかった。
カルナが人から求められることの大方は戦いだ。黄金の鎧を纏い生まれた時点で、戦士として生きるよう求められていたのだろうし、それに関してどうこう思ったこともない。
自分の心の奥底には、常に戦い以外では決して満たされない飢えた獣がいた。身の内のその何かは、あくまで戦いを欲して止まらないのだ。
それは多分、己の魂と呼ばれるものだろう。
少なくともカルナ自身はそう思っている。
しかし、カルナと人生の多くを付き合った人間は、戦いを嫌っていた。
カルナが親から与えられたものが黄金の鎧なら、彼女は傷を癒やす焔だ。
一言で言うと、彼女は傷付けられる側の痛みを感じてしまう性質をしていた。カルナから見れば優し過ぎ、いっそ生きづらくすら見える質だった。
だから、お前の焔はその性質が形になったようだとも言ったこともある。
それを聞いた本人はあからさまに微妙な顔をしていた。
そう言われると、会ったこともない親に自分の本質を定められているようで釈然としないのだ、と言うのが彼女の言い分だった。
父親かつ神に自分の本質を決められているなら、そういうものかと受け入れれば気楽になれるのに、彼女はそうしなかった。
今考えるなら、生まれた階級が全てを決めていた時代で、人間すべてが等価値にしか見えなかった自分も、神の為すことすべてに疑問を持って是非を考える彼女も、紛うことなく変人奇人の類いだった。
妙な話だが、そういう意味では相性は良かった。
彼女がそういう考え方をするようになったのは、まともに人の親に育てられたことが無かったからだ。無かった分だけ自分の頭で考えるように生きていたら、ああいう物の見方をする人間になり、結果としてあの時代の女の幸福とされることほとんど全てから背を向けていた。
が、当人はそれでも幸せそうだった。少なくともカルナにはそう見えていた。だから、お前は幸せなのかと、彼は問わなかった。
―――――口下手だからと言葉を端折るのは、やめた方が良いと思います。自分の考えをちゃんと持っているのに……伝えるのが苦手だからと言葉を端的かつ手短にしようするのは、怠惰ですよ。下手でも時間がかかっても、いいじゃありませんか。
思い返せば、そう言われたときもあった。躊躇いがちな言い方だったが、あれは相当容赦なかった。
―――――あなたは確かに人を怒らせるくらい直截な言い方をしますよ。私も慣れるまでは、あなたが何を言いたいのか分からなかったのですから。でもあなたは、人を貶めようとか、言葉で傷つけてやろうとかいうつもりは微塵もないんでしょう?
だったら、どれだけ言い方が下手でもあなたの誠意を汲み取れる人はいます。そういう人は、必ず私以外にもたくさんいますよ。あなたの思うよりずっと、ね。
と、頬杖をついたまま呟くように彼女は言っていた。だが、どんな顔でそう言っていたかは忘れてしまった。
少なくとも泣いてはいなかった、と思う。
だがこの世では、彼女は誰と縁を結び、どんな顔をして過ごしていたのだろう。
―――――カルナは目を見開く。
空中庭園の防衛線である庭の縁から、カルナは雲の海を見ていた。
天草四郎の見立てでは、人類救済を阻む最後の敵たちがそろそろ姿を現す頃合いだ。あちらには聖杯と深く縁が繋がるルーラーがいるから、空中庭園が大聖杯を宿す限り、追ってくることが可能なのだそうだ。
追ってくるなら迎え撃つ。聖女も賢者も騎士も人造の命も何もかも、願いを妨げる者であるなら例外はなく破ってみせる。
あらゆる敵は打ち倒し、我が祈りを果たす!
キャスターであるシェイクスピアは、そんな風に、今まさに大聖杯へ己の願いを打ち込んでいる最中の天草四郎の裡を暇にあかせて謳い上げ、ライダーやアーチャーを閉口させた。
カルナも聞いたときは流石に半眼になった。キャスターが紡ぐ言葉は、価値はさて置いて単純にやかましいのだ。
思い出す端から、カルナは近付いて来る気配を感じた。
「これは施しの英雄。あなたの持ち場はここでしたか!」
「……お前は工房にいるのではないのか?戦闘には参加しないのだろう」
「いやぁ、我輩もそのつもりだったのですがね。女帝殿の意向で、担当が少々変更になりまして」
我輩の相手はあの暗殺者殿になるやもしれません、とキャスターはいかにも面白がっている風に告げた。
「確かにお前の宝具は心を折る対心宝具。“黒”の布陣を鑑みれば、付け入れる隙が心にあるのは“黒”のアサシンと判断した訳か」
「でしょうなぁ。殴り合いなら、吾輩あのアサシン嬢に瞬殺されるでしょうが、宝具となれば話は別でありますからして!」
「だからお前はこの事態の中、わざわざオレにそれを報告しに来たわけか。生憎だが、何も言う事はない」
恭しく一礼したキャスターに対して、顕現させた大槍を握るカルナの表情に揺らぎは無かった。
「ほう、何も思う所はないと?」
「……オレからは逐一お前に説明すべきほどのことがない。強いて言うなら、心が一度折れただけで己の戦う術を失うような生き方をした者は、このような戦場にまで引き寄せられることはあるまい、と思うだけだ。世界に冠たる虚構の紡ぎ手よ」
キャスターの目が、老猫のように細められた。
「確かに我輩は、単に面白いだけの虚構の紡ぎ手でありましょう。万物万象を焼き尽くす桁違いの力の振るい手からすれば如何にも脆い!しかし、強く信じる者がいるならば、虚構は人を容易く切り裂く真実となるのですよ!そして、それこそが我輩の宝具にして唯一の剣!」
世界最高の劇作家は、自分の紡いだ言葉を武器とするのだと幕の上がった舞台に立つ役者のように高らかに宣言した。
「お前にとって言葉の刃は、命と魂そのものか。それらを乗せた刃ならば、確かに重いだろう」
「さて、刃の軽重と戦場の名誉を気にするのは武人の考え方でありますな。正当な勝負だろうが何だろうが、遺されたことの哀しみを味わうしか無い者にとれば、名誉なぞ時として関係ありますまい!」
キャスターはそこで、一転して極めて真摯な口調で問い掛けた。
カルナの視線はそちらへ向き、その刃物のような眼光に射られてもキャスターは怯まなかった。
「施しの英雄。あなたは名高き英雄だ。御自分をどう思っていようが、あなたは事実誇り高い者、日輪の輝き放つ比類なき者として叙事詩に名を刻まれている!言うなれば『楽しんでやる苦労は癒やしにもなる』!」
ですが、と声が低められた。
「あなたを最も間近で見ていた者が、太陽の輝きで目を射られなかったと、果たして言えるのでしょうか?あなたとの縁でその方の何かが曲がり、苦難の道へと進み定めが狂わなかったと、誰に分かるでしょうか?」
ゆらゆらと揺れていた槍の穂先が、ぴたりと止まった。
「……それは」
寸の間言葉が宙に浮いて、時が凝固する。
薄い色の碧眼に宿っていた刃物のような光が一度瞬いた。
キャスターはそこで、再び大仰に一礼した。
「とまあ、吾輩の取材はここまでにしておきますな!何せ吾輩の宝具は、対象を知らねば記せぬという、ちと面倒な体を為しておりまして、多少の取材が必要なのですよ。だが、あのアサシン嬢は我がマスターであるルーラーの知識にかすりもしないので、あと一筆が足りなかった!」
しかし、それも今のやり取りで済んだ、とキャスターは宣う。
「ではこれにて失礼!吾輩、続きを書かねばなりませんので!」
そして、キャスターは一瞬で消え失せた。
気配も瞬時に絶つ、いっそ見事な遁走ぶりだった。
一人になったカルナは地面に突き立てた槍を見る。
鎧と引き換えに得た神殺しの槍。彼の高潔な精神を表すものとして、最も有名な逸話の結晶。それが今も彼の手に握られる、きらびやかな大槍であった。
カルナはきつく槍を握り締めた。
―――――これを自分が手に入れたとき、彼女は何を思って涙した?自分はそれをどう受け止めた?
カルナが手を離せば、金の粒子となって槍が闇に溶けて消える。空いたその手でカルナはざんばらの白髪をかいた。
手に残る感触は彼女の長く黒い髪とは似ても似つかないと、そんなことをふと思う。
兎にも角にも、取り返しのつかないことを言ってしまったらしいことは分かった。
宝具発動のための最後の欠片を、よりによってあのキャスターに自分が与えてしまったのだから。
その上、劇作家の言葉は己の中に根を張ったと、カルナは感じた。自分はキャスターの言う事を否定しなかったのだ。
否定しなかっただけなのか、或いはできなかったのか。自分の心の向いている方が分からなかった。
―――――そして唐突に、眠っていた巨大な獣が目を覚まして身震いしたときのように庭園が揺れる。
庭園を守る魔術障壁に闇夜の中から飛んできた巨大な飛行機が突っ込み、爆発炎上したのだ。それだけでなく、十を越える鉄の鳥たちが彼方から飛んでくる。鉄の鳥には、分散してサーヴァントの気配もある。
一つ、ニつとカルナは気配を数え、すぐに“黒”のアサシンのものが混ざっていないことに気付いた。
「……『気配遮断』か」
“黒”と“赤”の二体のアサシンたちがろくに忍んでいないからほぼ忘れかけていたが、暗殺者のクラスには気配を絶つスキルがある。
この状況で使わない訳がなかった。
『ランサーよ、お主の相手が来たぞ。竜殺しはあのライダーの幻獣に乗って来ておる』
そこでセミラミスの魔術通信が入る。
了解した、とカルナは言い、消していた槍を再び顕現させて握った。
女帝の声は沈黙してから高らかに宣言した。
『さあ、今ぞ決戦のとき。―――――これが最後の戦いだ、一騎も残さず討ち滅ぼせ!』
玲瓏な高い女の声ではなく、あの低く澄んだ声で言われたならば今少しやる気が出たのだが、と一瞬どうでもいい思考が頭を過る。
次の瞬間、轟、と赤い炎が大槍を取り巻いて闇の中で燃え盛った。
同時に庭園から轟音と共に光弾が光の帯を後ろに放ちながら撃たれた。
最後の終わりは、轟音と共に始まった。
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叩き付ける風で髪が後ろに吹き流されていく。千切れそうなほど服ははためいているが、足に力を込めて体が揺らがないよう耐える。
飛行機の屋根、コックピットの上辺りに立って、アサシンは目に見える距離にまで近付いた空中庭園を睨んだ。
ユグドミレニアの飛行機の連隊の先頭にはルーラーがいて、聖旗を振るって空中庭園からの魔術砲撃と弓の一撃を叩き落としている。
飛行機より速度で勝るライダーのヒポグリフは、後ろにセイバーを乗せて空中庭園に近付こうとしていた。
同じく空中庭園に近付こうとしていたアーチャーの元へ、空中庭園から飛び出した馬に引かれた戦車が襲い掛かるのをアサシンは目の端で捉えた。
戦車がアーチャーに肉薄した、と思った瞬間戦車に轢き潰されて、通り道にある飛行機が次々爆発四散。真っ赤な火の玉になって落ちていく。
そこからは呆気に取られる間もなかった。爆発した飛行機の巨大な金属片が、
飛行機が爆発する前に、屋根を蹴ってアサシンは別の飛行機に跳び乗る。隣の飛行機の屋根にはバーサーカーがいたが、『気配遮断』スキルを使っているため、彼女はアサシンに気付かなかった。
『気配遮断』スキルは、迎撃に転じれば即座に鷹の目の“赤”のアーチャーへ居場所がばれて射抜かれる恐れがある。だからアサシンには一先ず攻撃を避けるしかなかった。
アサシンの周りでは、“赤”のライダーと“黒”のアーチャーとがぶつかり合っている。そのたび、飛行機は数を減らしていった。
これでは空中庭園に近付けない。
だがそこで、また別な声が響く。
「ようし、準備は整った!ではこの闇夜にて、我が魔導書の真なる姿を見せよう!――――解放、
新月の空に幻獣ヒポグリフの嘶きが響き渡り、あらゆる魔術を無効化する魔導書から解き放たれた白い紙吹雪が宙を舞った。
真名が取り戻された魔導書に護られ、“黒”のライダーとセイバーを乗せたヒポグリフは、空中庭園から放たれた光弾の中へ突っ込んだ。
彼らの姿は光に呑まれるが、傷一つなくそこから飛び出すと、魔術砲台の一つへと矢のような勢いで向かった。
だが、ヒポグリフが砲台を破壊する前に、空中庭園から炎を噴射したサーヴァントが一騎飛び出た。
―――――来た!
アサシンが見る前で、ランサー、カルナは魔力放出の炎で空を舞い、ヒポグリフへ斬り掛かる。だが大槍の一撃は、ヒポグリフの背を蹴って砲台の上に着地した“黒”のセイバーのバルムンクが受け止めた。
ぶつかり合った剣と槍の火花が散る。ヒポグリフとライダーはその場を一目散に離れて別な砲台へ向かい、ランサーとセイバーはそのまま砲台を足場にして戦いを始めた。
アサシンが自分の目で確かめられたのはそこまでだった。
隣の飛行機に、ルーラーの護りをたまたますり抜けた流れ矢が突き刺さり、飛行機が砕け散ったのだ。
屋根の上のバーサーカーは、足場を変える間もなく宙へ放り出される。迷う暇なく、空を飛ぶ術のない彼女に向けてアサシンは跳んだ。
バーサーカーの腕を空中で掴んで華奢な体を引き寄せると同時に、アサシンは背中から焔を噴出して翼を生み出す。
そのまま上昇して飛行機の屋根に戻り、抱えていたバーサーカーを下ろした。
『バーサーカー、アサシン!?』
『無事です!あなたは迎撃に集中して!』
アサシンは念話でルーラーへと叫び返した。
やや安堵したように念話は途切れ、また言葉が頭に響いた。
『アサシン、令呪を使いますね。―――――ジャンヌ・ダルクの名において命ず、“黒”のアサシン、その全力で持って空中庭園へ辿り着け!』
アサシンの体に膨大な魔力が流れ込み、一時的に力が跳ね上がる。
それを感じ取るより先に、アサシンは剣を抜いて呪術を剣に纏わせ、襲い掛かってきた矢を何とか空へかち上げて凌いだ。
「そこか―――――!」
獣のような咆哮と同時に、ルーラーを無視して飛行機へ次々矢が襲い掛かる。緑髪の狩人、アタランテである。
物理攻撃にしてAランクになる彼女の矢を、同じくAランクを持つ呪術スキルを最大に使ってアサシンは受け止め、跳ね返す。
恐ろしいほどの精度で放たれる矢を、令呪に後押しされながらアサシンは勘を頼りに受け続ける。一つでも手元が狂うと致命傷になるだろう一撃である。重い矢を受け止める手は衝撃で震え、無銘の剣は軋み、みるみる刃こぼれしていった。
ついに耐え切れなくなってアサシンが一歩押されてたたらを踏んだとき、入れ換わるようにバーサーカーの戦鎚が矢を空へ打ち上げた。
「ァゥウ!」
彼女もカウレスにより令呪で強化されたのか、ぎりぎりで間に合う。矢は折れて煌きながら闇夜へ消えていった。
「あ、ありがとう、ございます」
「ァウ、ゥアア!」
そんなことはいい、このままだと危ないぞ、とバーサーカーは言っていた。
その通りだと、アサシンは唇を噛んで庭園を見据えた。
この話ではジャンヌさんが常に聖女モードなので、その分の皺寄せがあちこちに来た形になっています。