一夜明け、シギショアラのホテルの一室にてアサシンは玲霞と向き合っていた。
これからどうするか、というのが彼女たちの最大の課題である。
「聖杯があるのは間違いなくトゥリファスなのよね、アサシン?」
「そうです。魔力を辿りました。聖杯とそれを頂くユグドミレニアの本拠地はトゥリファス。“赤”の陣の本拠地はシギショアラですね」
テーブルに広げた地図に印をつけながらアサシンが言う。
「トゥリファスがユグドミレニアの魔術師たちで満ちているから、シギショアラに“赤”はいるのでしょうね」
確かなことは、どちらの街でもアサシン主従には敵地かそれに等しい場所だということ。
それでも、どちらかといえば明確に玲霞を狙った“赤”が居座るシギショアラの方が危ない。
「じゃあ、思いきってトゥリファスに行ってみる?」
「……」
あっさり言う玲霞にアサシンは、う、とわずかに黙るが、元々切れる手札の無さすぎる主従である。一般人に紛れてトゥリファスへと向かうことにした。
玲霞の荷物は少なく、アサシンに至っては何も無いのだから動くとなれば早い。しかし、いざトゥリファスに行こうとしたとき、玲霞はどうしてもと服屋に寄りたがった。
アサシンに、服を買いたいという。
「ちょっと待ってくださいマスター。どうして私に服を?霊体化すれば―――――」
「良いじゃない。魔術師とかサーヴァントは、昼日中からは襲ってこないんでしょう?でも町を歩くときに、アサシンの格好じゃ目立って仕方ないじゃない。一着くらい買いたいの」
「む……」
と、そんな風に押し切られてアサシンは現代風の服を渡された。
丈の短い青のスカートと黒いジャケット、薄い水色のシャツとブーツ、それに白く長いマフラーまで渡される。
アサシンからすれば、着たこともない形の服だったが、服を広げてみたアサシンは、可愛い、と素直に呟いてしまう。
けれど、果たして着る機会があるのだろうか、とどこか得意げな玲霞をアサシンは見やった。
―――――気遣ってくれるのは嬉しいのだけれど。
と、アサシンは朗らかに笑う玲霞に笑顔を返しながら呟く。
玲霞の願いを叶えること、彼女を守ることが己の役目と、アサシンは決めている。その玲霞の願いは『幸せ』になることだというが、どうも彼女は、聖杯に願うべき幸せのカタチを探すのではなく、アサシンと過ごす時間に安らぎ、幸せを見いだしている気がしていた。
それは、アサシンには好ましい状況ではなかった。好意を向けられることが厭わしいのではない。それだけは断じて違う。
アサシンは生きている人のように話し、考え、動けるとはいえ、時の止まった死者だ。
アサシンの時は死してから、一秒も進んでいない。それこそ聖杯にでも願わない限り、この世に留まり続けることなどできない、蜻蛉のような存在だ。
玲霞とふれ合えるのは、ほんの一時なのだ。
聖杯によって顕現した、泡沫のような死者だけに心を許し、サーヴァントを存続させるために生きる人間の命を使おうと邪気なく考える玲霞の姿は、言葉にはできなくともアサシンの胸をかき乱す。
それに極端な話、玲霞の幸せに聖杯は別にいらないかもしれないのだ。
自分を幸せにできるのは自分であって聖杯ではない。奇跡の器は、詰まる所はただの手段なのだから。
共にいると安らげる相手を見つけて、穏やかに暮らす。そういうのがアサシンの知る幸せの形だ。ささやかで、どこにでもあって、けれど巡り会うのは難しいもの。
玲霞にはきっと、そういう形の幸せが似合う気がする。闘争の刹那に幸せを見いだす人もいるけれど、玲霞は絶対にそちら側ではない。平和な時代と場所に生きる人間にしては、倫理の境目が多少危ういにしても。
―――――でもレイカの幸せがその形だったとして、それは、聖杯に願って叶えられるものとは思えない。
難しい、とアサシンは考える。
願いのないサーヴァントは戦闘の代行者で、マスターの守護者であればいいだけのはずだと思っていた。
なのに、自分はマスターの生き方について悩んでいる。半年どころか半月もこの世に留まれるかも分からない、儚い姿だというのにだ。
サーヴァントを道具扱いするマスター相手だったなら、こんな悩みは生まれはしなかっただろう。玲霞がアサシンを一個人として見てくれているから、アサシンもあれこれと考えてしまう。性として、好意には好意で返したくなるからだ。
「ねえアサシン、その服、着ないのかしら?きっと似合うのに」
「……今は結構です。霊体化して控えていますので。……でも、ありがとう、レイカ」
どういたしまして、と微笑む玲霞を守ろう、とアサシンは決意して、そして彼女らはトゥリファスへと赴いた。
トゥリファスへ入ること自体は、それほど難しくなかった。問題は泊まる先である。
元々数の少ないトゥリファスのホテルはすべて満室になっており、外から見たアサシンはホテルに設置された、いくつか魔術的な監視の眼を探知する。恐らくユグドミレニア一族が泊まり込んでいるのだ。
幸いなことに玲霞の気配が一般人のため、ばれた様子はなかった。アサシンもサーヴァントとして気づかれた様子はなかった。
本業でもなんでもない暗殺者に嵌め込まれたとはいえ、神代の呪術師の本気の隠蔽はそうは破られない。破れるとするなら、同程度の神秘を扱う魔術師のサーヴァントか、気配探知に長けた三騎士くらいだ。
しかし、魔術師相手の隠蔽は問題なくとも、田舎のトゥリファスに東洋人の若い女というのは十分目立つし、どこかで休まなければならない。
結果、玲霞の案で近くの教会に逗留することにした。教会は迷える子羊に宿を与えてくれると知って、神性スキルを持つアサシンは興味深そうに頷いていた。
教会から逃げて教会を頼るのも皮肉だが、少なくともこちらの教会のシスターはシロウ神父のような胡散臭さはなかった。
シスターにも、玲霞が憂いを含んだ眼差しで愁眉を下げ、傷心の旅だからあまり構わないでほしいの、としっとりとした声音で言うと、彼女はそれ以上深く聞いてこなかった。
下手な暗示よりよく効くのは、美人の憂い顔だと、間近にいたアサシンは納得した。
「アサシン、町に出てみない?」
と玲霞が言い出したのも、町に到着してから人心地ついた頃である。
教会から逃げて以降戦闘を行わず、宝具を用いることもなく、基本的に霊体として過ごし、火種から魔力を吸い上げ続けたため、アサシンの魔力は確かに余裕が生まれていた。
霊体化して気配遮断し、サーヴァントとしての霊格を押さえれば、ユグドミレニアに探知されることもない。
籠りっぱなしではどのみち何も変わらない。
町を歩く玲霞のすぐ横を、アサシンは漂うように付いてくる。時々露店の花をよく見たがったり、焼きたてのパンの匂いに気をとられたりと、玲霞からすれば些細なものに逐一足を止めた。
それはアサシンが玲霞の前で初めて見せた、見た目相応の振る舞いだった。姿は見えずとも、念話の弾んだ声を聞けばアサシンの調子は分かる。
「楽しい?アサシン?」
『あ……。すみませんマスター』
「良いのよ。でもどうせなら故郷の街が良かったかもね。この街、あなたの時代と大分違うから」
『……確かに少し、今のあの大地を見てみたかったですね。……でも人の集まる場所は、どこもそれほど変わりませんよ』
太陽を手日差しで見上げながら、きらきらと青い眼を輝かせて街を見る少女の姿を玲霞は幻視する。
多分、今のアサシンは笑っているのだろう。
『それとマスター。私に話し掛けるときは頭の中でお願いします』
でないと、虚空に一人話し掛けている妙な人間になってしまうから。そしてそういう人ほど、付け入る隙が多いカモに見えるのだ。
『といっても、もう遅いみたいですが』
「あら?」
アサシンが言うには、玲霞の後を付けてくる身なりも雰囲気も良くない男が二人、いるという。玲霞には気配は分からないが、アサシンがいるというならそうなのだろう。
どこか呆とした風情の、東洋系の若く美しい女の一人旅である。獲物として見られても、不思議はなかった。
「困ったわねぇ。どうしようかしら、アサシン」
『……適当に裏路地に入ってください。私が何とかします』
何とか、とは間違いなく叩きのめすとかそういう手段である。
虫も殺さぬようなとは言わないまでも、優しげで如何にも荒事に向いていないような風貌をしていながら、アサシンはそこらは割と荒っぽい。特に女子供に手を上げる輩に関しては、あまりどころかかなり容赦がない。
分かったわと玲霞は頷いて、ごく自然な様子で裏路地へと入る。
陽光を一杯に浴びる明るい大通りと違って、高い建物に挟まれた路地は薄暗く、人通りも無い。気のせいか空気もひんやりとしている。そうなれば確かに、玲霞の耳でも足音が近付いているのが分かった。
足音がどんどん間近になってくる、と玲霞が思った瞬間、かつんと玲霞の真後ろで石畳を踏み締める音、つまり実体化したアサシンが地に降り立った音が響いた。
玲霞が振り返れば、アサシンと相対するのは二人の体格のいい男たち。虚空から急に現れた少女に驚いていた彼らだが、手品とでも思ったのか、躊躇いは束の間でやおら彼らはアサシンに殴りかかった。
如何に見た目は華奢とはいえ、アサシンは仮にも人間から外れたサーヴァント。
殴りかかってきた一人の腕をアサシンが撫でるようにしたかと思えば、彼は宙を舞って地面に受け身もとれずに背中から叩き付けられ、怯んだもう一人には、アサシンが一瞬で踏み込んで間合いをつめ、鳩尾に拳を叩き込んだ。
すぐに、アサシンは彼らの傍らに座り込み、額を軽く叩いて暗示の術をかける。ほどなく彼らは玲霞たちを見もせずに、ふらふらと路地裏の奥へと歩いていった。
「戻りま――――――」
しょう、と言いかけたアサシンは、ふいに何かを察知したように空をふり仰いだ。
「あれ?キミ、ひょっとしてサーヴァントなのかい?」
建物に細長く切り取られた青空から、そんな能天気な声がふり落ち、同時に、地面に一つの人影が降り立つ。
石畳の上に立ったのは桃色の髪を三つ編みにした、可憐な面立ちの少女だった。
彼女はずい、と玲霞の前に立つアサシンの方へと寄ってきた。
「やっぱりそうだ。キミ、サーヴァントだろ?でも“赤”じゃないみたいだし……あ、もしかして、キミがアサシン?」
「……そういうあなたは、“黒”のサーヴァントですか?」
観念したように、アサシンは言う。
だけれど、玲霞にはこの少女から嫌な感じはしなかった。アサシンと似た、悪意を感じさせない明るさのような気配があったのだ。
「うん!ボクは“黒”のライダーさ」
あっさりクラスを明かしたライダーに、さすがに度肝を抜かれたのか、アサシンと玲霞は呆気に取られたように眼を大きく見開いた。
聖杯戦争なら、クラスと真名の秘匿は最大に気を使う。だというのにこのライダーは、自分からクラスを明かした。
意図が読めず、アサシンの思考に空白が生まれる。
「キミは“黒”のアサシンなんだろ?“赤”じゃないんならさ」
はい、と何とかアサシンは答える。元々、口があまり回る方ではないアサシンは、完全にライダーに圧倒されていた。
「なるほど、で、そっちのキミはそのマスター?」
ライダーの瞳が玲霞に向けられる。
ただ見られただけというのに、玲霞はライダーの目に浮かぶ光の強さに、気圧されたように感じた。
可憐で華奢な少女の外見でも、ライダーもまた英雄。人の手に余る存在なのは間違いない。
「ライダー」
が、すい、とアサシンがライダーと玲霞の間に割って入る。玲霞とアサシンの背はほぼ同じなのに、玲霞にはアサシンの背を見るしかできなかった。
「戦うつもりで、私たちに話しかけたわけでは無いようですね。では何か意味が?」
「えー、いや、別に?何となくだよ。何か気になった気配があったから、ちょっとやって来ただけ」
でもキミ、何で“黒”なのにお城に来ないんだい、とライダーは首を傾げて問うてくる。
ライダーには少なくとも今は敵意もなく、殺意もない。だからこそ、殺気や敵意には敏感なアサシンも直前まで接近に気づけなかった。それだけではなく、街に心奪われていた、という理由もある。失態だ、とアサシンは心の内で呟き、唇を舌で湿らせながら答えた。
「……それは私とマスターの契約が、ユグドミレニアの望んだモノではないからです」
「んん?……あ、言われてみたら、キミのマスター、魔術師じゃないみたいだね。じゃあ、キミはどうやって現界してるんだい?まさか、魂喰いとかしてるのかい?」
玲霞とアサシンを見比べ、納得したように頷いてから、ライダーの目が細められる。大きな瞳にきつい光が宿る。
玲霞が察するに、ライダーはきっとアサシンと同じく、関係の無い者を巻き込むのを良しとしない、善性の英霊なのだ。
私とは大違い、と玲霞はふと思う。
「魂喰いは、何があろうとしません。私の我が儘ですが」
果たして、きっぱりとアサシンは告げ、ライダーはそれを聞いて、にこりと天真爛漫に笑った。
「ふうん、そっか。うん、ボクの勘だけどキミの言葉を信じるよ。……でも、そういう事情があってもさ、一度お城に来てみたらどうだい?ボクらの領主とそのマスターは、アサシンを探してるみたいだし、ボクらも戦力は欲しい。それに、キミ一人でこの聖杯大戦を戦えるとは思えないし」
「……私たちは、一度“赤”の陣も頼ったのですよ。尤も、速効で逃げましたが」
そうでもしないと生き残れそうになかったという理由はあれど、“黒”からすれば面白くない事態だ。
だが、ライダーは何でもないように肩を竦めた。
「そんなこと、言わなきゃいいのさ。キミ、マスターを守りたいだけなんだろ」
さっきから、ボクがどう動いてもマスターを絶対に守れる位置にいるんだし、とライダーがあっけらかんと笑いながら指摘した。
アサシンが、またやり込められたように黙る。サーヴァント同士は昼には戦わないという聖杯戦争の大原則しか、今の自分たちを守るものがないことは玲霞にも分かった。
自分が魔力を送れていない、という無力感も玲霞には常に付きまとっている。
「アサシン、この話、受けましょうよ」
そのアサシンの耳元で、玲霞はそっと囁いた。
アサシンは玲霞を振り返って、本気ですか、と聞く。
「ええ」
玲霞は躊躇わない。
アサシンは、身を削ってでも玲霞を守ると決めている。しかし、玲霞もまだアサシンと共に過ごしたいのだ。
マスターの自分が、危ない橋を渡ってでもサーヴァントと過ごしたいと思うのは、恐らく聖杯戦争の主従の形としては歪だろう。マスターは自分の願いを叶えるために聖杯戦争に命を懸けるのであって、勝ち抜くための道具であるサーヴァントのために命を懸けるのは正しく本末転倒。魔術師からすれば、それは間違いなく愚かな行為だ。
第一、それはアサシンの望むことではない。けれど、そのことを薄々分かっていても、玲霞はまだこの少女と別れたくなかった。
親子でもなく姉妹でもなく、そもそもまともな人間ですらないアサシンに、
対して、玲霞が感じる暖かな感情が何なのか、確かめたいと思っているからだ。
絆されただけというなら、それはそれで構わない。これまでずっと、玲霞は流されるように生きてきたのだから、何か一つくらいは自分の感情のままに留まっていたかった。
玲霞の眼から何を読み取ったのか、アサシンは頷いた。
孤軍奮闘は、さすがに難易度高すぎ、というか無理なのでこの形に。
あと、スマホの調子がとても悪くなってしまいました。
文章をスマホで書いていたから、少し不味いです。