思えば自分は、人より少しばかり色々とあった人生を歩いた。
人間、化物、悪鬼、怨霊、英雄、怪物、精霊等々、たくさんのものに出会った。そう言えば最期には直に神々にも相見えたっけ、と思い出す。
幾日幾年経っても忘れられない、心に焼き付くほど綺麗なものも、目を背けたくなるようなものもたくさん見た。自分はそれらをしっかりと覚えている。
そして己の記憶の中でも、『これ』は一段と嫌なモノだ、とキャスターは思う。
神の名を冠する、魔神ハルファスを名乗ったのは、どこからどう見ても目をびっしりと貼り付けた肉の柱であった。
記憶する神々とはずいぶん見目形が違うけれど、神なんて様々な形を取るものだから、広い世間にはこういう神もいるのだろう。
あれを葬れば、今度こそ戦いが終わる。人の形をしたものの壊し方ならキャスターはよく知っているが、生憎、肉でできた巨大な柱という敵は向かい合ったことがなかった。
あれを消すのは自分には無理だろう。手持ちの宝具の威力がどうこう、相性がどうこうというのもあるが、自分はサーヴァントとしての霊核を削りすぎている。ならば、他の皆、あれを薙ぎ払えるだけの火力を持つ人たちが出来るように戦うか、と即座に決めた。
真名を発動する類いでないとはいえ、宝具を使い続けた代償か、キャスターの心臓は一打ちごとに軋むが、それは誰も彼もが同じだろう。この場で傷を負っていない者はいないが、膝を折っている者もいない。
サーヴァントたちとマスターを数多ある眼で凝視し、魔神柱は声を発した。
「我は闘争を与えるもの。魔神ハルファスなり」
言葉と共に、ハルファスの足元の地面から飛び出していた水晶の如き巨大な結晶が割れ、炎が吹き出した。
白斗たちに波のように殺到するのは禍々しい濁った暗色の炎。あらゆるものを焼き尽くす、焼却式ハルファスが発動されたのだ。並の宝具を凌駕する威力を持つ、炎の濁流を前に、白斗は令呪の刻まれた手を握り締めた。
「マシュ、宝具を頼む!」
「はい!―――――
白斗の手からまた一つ令呪が消え、サーヴァントたち全員を護るようにマシュの盾が輝き炎を防ぐ。そのわずかな間に、ナイチンゲールが手を振り下ろした。
「
展開される癒しの宝具により、皆の傷が消える。
神殺しの力を失ってただの大槍へと成り果てた槍を掴んだカルナが、不滅の刃となりうる剣を握ったラーマが立ち上がる。
今、白斗の手にある最後の令呪は残り一画。これを使って魔神柱を跡形無く消し飛ばす以外無いだろう。
カルデアからのバックアップがあるとはいえ、魔力を何度も吸い上げられた白斗も最早限界に近い。
膝は笑っているし、頭は締め付けられるように痛くて、手も震えそうだ。だけれどまだ立てるから、最後のマスターはデミ・サーヴァントとここにいる。
「これで最後だ。―――――令呪を使う。カルナ、魔神柱を倒して」
「了解した」
令呪が消え、カルナへと魔力が吸い込まれた。同時、マシュの盾の光がいよいよ薄れ、焼却式が押し始める。
それでも尚、ナイチンゲールは鋭い眼光の光そのままに白斗を見据え、シータとラーマは共に頷きあい、カルナは無言で槍を構えて佇み、キャスターは何かを推し量ろうとするかのような静かな眼で魔神柱を見ていた。
決意している者こそいれど、ここには絶望なんてしている者は一人もいないのだ。
マシュの盾が、ついに綻び始める。焼却式の熱が伝わり、白斗は肌が焼かれるのを感じた。
「皆さん!」
マシュの声と共に盾の守りが無くなる。それを合図に、彼女の背後からサーヴァントたちが飛び出した。白斗を抱え、マシュは素早く退避する。
武器を手にして迫る彼らを前に、ハルファスは大きな瞳を一斉に蠢かせた。
「今もって我ら不可解なり。汝ら、幾度も互いを赦し高め尊び、されど慈愛に至らず孤独を望む」
呪うように、吟うように言葉を紡ぐハルファスから再び炎が溢れ出、令呪の加護を宿したカルナへ襲い掛かる。カルナには最早鎧はなく、それでも彼は気にせず突貫する。
カルナが炎に飲まれんとした直前、彼の周りをハルファスのそれとは似てもにつかぬ、暖かい色の焔、夜闇に輝く灯りにも似た色をした焔が守った。
「―――――行って」
囁き声と共に焔が白い光を帯び、翼を広げた鳥のように横に広がる。焔はサーヴァントたちの守りとなりながら、焼却式ごとハルファスを押し止めた。
焔の宝具は、ここで奇跡的にも焼却式と拮抗した。焔は仮にも神から授けられた力であるが故に、魔のモノとはいえ、神でもあるハルファスの炎に一瞬だけでも抗うことができた。
とはいえ、それは本当に一瞬のこと。
焔は押され、キャスターはよろける。単純に半分は人の子であるキャスターでは、魔神に対抗できるほどの力はないからだ。
口惜しいとキャスターは思うが、それでも彼女は役割は果たした。
魔神柱の瞳が、ぎょろりと動いて自分に据えられたのをキャスターは感じた。
「その抗い、その足掻き、正しく愚かなりし人の子である」
だから何だ、とキャスターは魔神柱をにらみ返す。
滅びを是とせず抗い続けるのは、何も特別なことではない。真っ当に人らしく、人として生きるなら、誰だってどうしたって心に譲れないものを抱くだろう。そう信じているから、魔神柱を前にしてもキャスターの心は後ろには下がらない。
しかし、人の意地を意に介さない、介せないモノが魔神と呼ばれるのである。
「もはや我らの理解は彼岸の果て。我、死の淵より汝らの滅びを処す。平和を望む心を持つ者たちよ、汝らは不要である……!」
「それはこちらの台詞です!争いの螺旋はいつか終わるもの!いや、終わらせることがサーヴァントたる私の使命だから!滅びを定めとするお前を許さない!」
故にこの世界から退け、魔神柱とナイチンゲールが叫ぶ。
魔神を目にしても彼女は折れず、曲がらず、それを見てラーマは苦笑した。
「全く頼もしいな、婦長殿。この地へ来てから、余は驚かされっぱなしだ」
「でも、それは良いことだったでしょう。ラーマ様」
すぐ傍らを共に走りながら、シータはラーマに言う。森の木陰のように穏やかな、場違いな物言いにラーマは優しく微笑んだ。
「そうだな。皆のおかげで、こうしてシータにも会えたのだからな」
だからその縁に報いよう、とラーマはシータと共に最後となるだろう宝具を起動させた。
「穿ち貫け。―――――
時同じくして、もう一人の英雄が宝具を動かす。高々と掲げられた槍は炎熱を纏う。
「受けとれ、魔神柱。――――
二つの超級宝具が放たれ、魔神柱を食い荒らした。
光の輪と矢が柱を深く切り裂き、胴に突き刺さった槍から溢れた炎が魔神柱の目を溶かす。魔神柱は身をよじって炎を吹き出すが、宝具の火が巨体を舐め尽くす勢いが早かった。
魔神柱は獣の断末魔にも似た、耳の奥の柔らかい部分に爪を立てるような叫び声を上げ、末期の動きで地を揺さぶった。マシュは白斗を庇い、各サーヴァントも足で地をしっかりと踏み締めた。
そうして最後に、一際大きな、甲高い金属をかきむしるような音をたてて、魔神柱は消えていった。
燃え盛る炎が止んだ後には、黄金の器が一つ転がっている。魔神柱復活の気配はなく、そこでようやく全員は息をついた。
瓦礫の中でも色褪せない金の輝きは確かに見事だったが、キャスターにはちっとも綺麗とは思われなかった。
マシュが盾を構えて警戒しながら近より、聖杯を拾い上げる。
「聖杯、回収しました。―――――任務、完了です」
マシュは言って、辺りを見渡した。
ホワイトハウスと周りの建物は、とうの昔に戦闘の余波で瓦礫と化し、白斗はナイチンゲールに支えられ、マシュの側まで来る。
「マシュさん?どこか怪我を?」
気づけば、マシュのすぐ横にはキャスターが来ていた。彼女が顔を隠していた丈の長い灰色の布も襤褸布となっていて、今の彼女は素顔を晒していた。
白い顔は砂と血と粉塵で薄汚れてこそいたが、強い光を宿した青い目はいつも通りにマシュを見ている。
「いえ、ただあまりにこの戦いは犠牲があったと思って―――――」
「それは、気に病む必要はないことだぞ」
キャスターの隣から、槍を下ろしたカルナも現れた。こちらも黄金の鎧は剥がれ、幽鬼のように細い体躯となっている。傷はすべて治っているが、それだけに一層か細い体格が露になっていた。
「オレたちは戦いのためにここに来た。サーヴァントたちの犠牲を悼むのは必要だが、悲しみに囚われすぎるのも良くはない。彼らは、自分たちらしく戦ったという事実が記憶されることを望むだけだろう。…………どうした?」
最後の一言は、横で首を傾けて聞いていたキャスターに向けての一言だった。
「いえ、ちゃんと伝えたいことを余さず言えていますね、と思って」
「お前は……」
カルナは嘆息するように頭を振る。が、白斗には彼が心底呆れているようには見えなかった。
「気にするところはそこか。最後、白い焔を撃ったのは見ていたぞ」
「……ええ、はい、無論約束を破ったのは謝ります。でもあれは、不可抗力ですっ。鎧がないのに魔神柱の炎に突っ込んだのはどこの誰ですか」
今この瞬間消えていないのだから勘弁してください、とキャスターはしれっとした顔で肩をすくめる。
命を削って散々に戦った後だというのに、飄々としている態度に白斗は苦笑いしかけ、そしてあることに気付いてその笑みが凍った。
キャスターの足の先、そこがゆっくりと金の粒子となり始めていたのだ。
白斗の視線に気付いたキャスターは自分の有り様を見て、ふう、と息を吐いた。
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ふむ、とエレナは通信機から漏れでる音を聴いて判断した。というより、もう結末は分かっていたのだから、今のはただの確認だった。
「どうやらあっちは終わったみたい。あたしたちの勝ちよ」
その言葉にサーヴァントたちは各々別な反応を示した。
まず最初に、ベオウルフと戦い、これを下した李書文がどこへかかけ去った。
あの風来坊のようなサーヴァントは正直最後までよくわからなかった。残された方のベオウルフは、いかにもやる気なさげに空を仰いでいた。
「ったく、女王に呼び出されるわ下らねぇ命令ばっかり聞かされるわ、今回は貧乏くじ引いちまったか?」
「知らないわよ。まあ残念だったわね。次があるならカルデアのマスターに召喚されるよう祈りなさいな」
「ま、確かにそっちの方がおもしろそうだな―――――」
ベオウルフはそう言い残してあっさりと消えた。
続けて、それを見ていたエリザベートとロビン・フッドから泡立つように金の粒子が立ちのぼり始めた。
「あー、疲れた。次あるなら、今度はマスターの方に行きたいわ!もう喉がダメになりそうよ!マネージャー、水あるかしら?」
「マネージャーってオレかよ?!というか、こちとら耳がもう千切れそうなんだが」
「何よ、アタシの歌に、何か言いたいことあるの?緑ネズミ」
ねえですよ、と肩を落としてから、エレナにじゃあなと手を振ってロビン・フッドが消え、どこか納得がいかなさそうに首を捻っていたエリザベートも消える。
元より彼らは特異点に繋ぎ止められていたサーヴァント。特異点の修正により杭が外されれば、彼らはもやい綱を解かれた船のように去っていく。また何処かで良いマスターの力になれれば良い、と願いながら。
サーヴァントであるエレナも、それからまだぎゃあぎゃあと喧嘩している天才たちもその決め事からは逃れられない。
あの天才たちは爪の先っぽくらいは歩み寄ったりできないのか、と思うが、無理だろうなともエレナは確信している。
それでも、エレナは彼らに声をかけた。
「ちょっとあなたたち、直流交流のどっちが良いかなんて論題は、もうカルデアに行ってマスターにでも裁定してもらいなさいな」
「ふん、それは良い。尤も、結果など分かりきっているがな!」
「それはこちらのセリフだ」
勝手に名前を使って悪いわね、とエレナは心の中で白斗に詫びる。無理難題を押っつけたかもしれないが、とりあえず、こう言っておけば彼らがカルデアで召喚される縁の一つにもなるかもしれない。
「しかしまぁ、とんでもない光景だな。……ここでは我々で最後か」
誰もいなくなり、穴ぼこだらけになった荒野を見渡しながら、エジソンが言う。
「その様よ。良かったわ、世界はまた救われたみたいね。色々あったけど、最後くらいは笑いましょうよ」
エジソンは頷き、テスラはふんと腕組みし、二人とも共に金の粒子となって存在がほつれていく。
最後までかしましかったエジソンとテスラも消えた。どうやらこの戦場の殿は自分か、とエレナは空を見た。
本音を言えば、あのインドの呪術師と魔術師としての会話ができなかったことが、少しばかり残念だった。
古のインドの呪術にはとてもとても興味があるし、あの呪術師の性格からして、かなりの秘技でもさして拘わらずにあっさり教えてくれそうだったのに。
「次に会えたら良いのだけど」
願わくばそこがカルデアで、あのマスターのサーヴァントとして出会えればいい。
そう思いながらエレナも『座』へと還っていった。
#####
『皆、時代の修正が始まるよ』
落ち着いているような、そうでもないようなドクターの声が通信機から聞こえた。
白斗に肩をかしていたナイチンゲールは、マシュに白斗を預けるとついに拳銃を仕舞う。そのまま彼女は、顔にかかった髪をかきあげて白斗に手を差し出した。
「感謝します、マスター。あなた方の協力があり、私は己の使命を果たすことができました。どうか感謝を受け取ってください」
「……それは、こっちが言うことだよ、ナイチンゲール。本当にありがとう」
白斗が心を込めて礼を言った。
戦えないマスターの役目はサーヴァントを信じて、最良と思い続ける采配を振ること。
ここでの戦いは一先ず終わりなら、信じてくれたサーヴァントに礼を言うべきはマスターの方だ、と白斗は思っているのだ。
筋道通った助力を乞われたなら、誰にでも力をかすのがカルナだがそういう在り方は好ましいと素直に考えている。
「これから先も、あなた方の道は辛く厳しいでしょう。ですがあなたとマシュさんなら、きっと道の終わりにまで辿り着けるでしょう」
あなたたちを信じています、という言葉を残して、鉄の看護師は別人のように穏やかに笑って旅立った。
「我らもマスターに感謝を。シータと会えたこと、余にとっては至上の喜びだ。いつかカルデアで再会できることを願っている」
「私もラーマ様と同じです、マスター。ではまたお会いしましょう」
瓜二つの面差しを持つ理想王と伴侶の姿も、手を取り合って薄れて消えていく。
輪郭が朧になる寸前、シータが小さくキャスターに向けて手を振り、キャスターもそっと手を振り返すのをカルナは見た。
そして彼らも跡形なく、いなくなる。
「どうやら、私が最後のようですね」
金の粒子を纏わりつかせ、キャスターが呟いた。
彼女は、恐らく最後にこの大地に喚ばれた野良サーヴァント。そのためなのだろう。消えるのも最後になったようだった。
「……キャスターも、もういくの?」
「はい。もう、時間です」
英霊の『座』ではない何処かへ、彼女はまた行かなくてはならない。
別れに哀しみはなく、誰も涙は流さない。が、ただどうしようもなく寂しかった。
三人の視線を受けて、キャスターはちょっと考え込むように目尻を下げ、やおら髪を束ねていた金の輪を外した。長い黒髪が扇のように広がる。彼女はそれをカルナに差し出した。
「これを。良ければ触媒にでもしてください」
生きていた頃、いつかに渡した飾りをカルナはキャスターから受け取った。
「大事な物だから、あなたに預けます。次会ったとき、ちゃんと返してくださいね」
「分かった。お前が取りに来るまでオレが預かっておこう」
こっくりとキャスターが頷いた。
既に彼女の輪郭は薄れており、カルナたちもカルデアからの引力を感じていた。彼女と彼の道は一時交わって、また離れる。
思えば、かつての別れは訳も分からなかった。気付いたら側にいた彼女は消えていた。
彼女が最期にどんな顔をして逝ったのか、カルナは何度も想像したがどうも上手くは行かなかった。どうしても穏やかな顔が思い浮かばなかったからだ。
けれど、今、キャスターは微笑んでいた。日溜まりを思わせる、穏やかで優しい笑顔だった。
その笑顔を見て思う。ずっと心の何処かで気になっていたのだ。武人である自分といて、人と戦うたびに自分の一部も傷つけ、殺してしまうような質の彼女が、幸せだったのかどうか。
あなたには洞察力がある、と彼女に何度も言われてはいた。が、どうも自分は彼女のすべてを見抜けなかったように思う。何故なのかは今持っても分からない。
ただ、現金なことに、笑みを見ただけだというのに何とはなしに救われた気分になった。
幸せだったのか否か、などと聞くのは、彼女にとってはきっと全く意味のない問いなのだ。それがやっと分かった。
「そういうわけで、二回目ですがまたお別れですね。マスター、マシュさん。どうか、次会うときまでお元気で。あと、ドクターさんにもよろしくお伝え下さい」
「……うん。キャスターもね」
「はい、いつかお会いしましょう」
マシュと白斗にさよならと手を振って、キャスターは最後にまたカルナの方を見た。
「ではカルナも。どうか、元気でいてくださいね」
明るく軽く言い残し、風と共に彼女はいなくなった。手のひらの中の金の輪を残して。
『皆、備えてくれ。―――――レイシフトが始まるよ』
ドクターの声のほんのすぐ後、全員の視界が暗転する。みるみるうちに日の暖かみが遠のいたかと思うと、白い光の中へと吸い込まれる。彼らの行き着く先は、カルデアである。
そうしてこれが、第五の特異点修正の終わりとなったのだった。
次回は終章です。
さてここで作者から一言。
Q,新章開幕に付き物なのは?
A,ピックアップガチャ(オイ)