この日、万事屋の依頼を受けた小春、時雪、橘はリッチな車で依頼主の家の前に向かった。
家の中はまだ見えないが、立派な門が立っている。それを見た時雪達のやる気のボルテージは上がりに上がりまくる。
将軍の護衛は志乃が務めるのだが、それ以外にこんな豪華な家に住む人から依頼を受けることは、基本的になかった。
「幕府の高官か何かですかね?」
「私達も有名になったものね」
「……」
何も知らない三人の前で、重い門が開けられる。その中には、メンチを切るガラの悪い怖い男達が整列していた。
「「ぎゃああああ‼︎」」
門の閉まった庭の中で、時雪と小春が叫び、橘は相変わらず黙ったままなのだったーー。
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客間に通された三人だが、男達のメンチの視線は変わらない。三人を囲み、睨みつけてくる。
「た……橘さん……身体中に穴が開きそうです」
「メンチというレベルじゃないな、奴等目からビームを出そうとしている」
出迎えでいきなりこんな待遇を受けるなど、彼らはきっとロクな連中じゃない。そしておそらく、自分達はそのロクでもない仕事をやらされる。
「いいか、おそらくこれから俺達は真っ白い粉を運べとかそーいうことを言われるかもしれんが、きっとそれは塩だ。黙って大人しくそれを運ぼう」
「ええ、そうね」
「やめてください、そんな早々と諦めないでください」
男達の視線に体を貫かれそうになっていると、ようやく依頼主が現れた。しかしその人の目も怖い。老人なのに。
「よぉく来てくれた。わしが依頼者の
「終わったわね」
小春の一言に、時雪は目の前が真っ暗になるような心地だった。真っ白ではなく。
下愚蔵は、神妙な面持ちで口を開く。
「今回あんたらを呼んだのは他でもない……。……ほれ、あそこに倉が見えるじゃろ。実はあそこに、まっしろ……」
ヤバイ、ついに来た。
時雪も橘や小春同様、諦めかけていた。これから自分達は確実に、薬物の運び人をやらされると。
しかし次の瞬間、下愚蔵が号泣しながら叫んだ。
「魔死呂威組の跡取……わしの一人息子、魔死呂威鬱蔵が引きこもって出てこんのじゃーい‼︎」
「「「………………は?」」」
完全に構えていた三人は、一気に肩の力が抜けていくのを感じた。
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下愚蔵の話によると、鬱蔵が倉に引きこもったのは五年前。ヤクザになることを嫌い、カタギとして呉服問屋に奉公に出ていたというのだが、突然奉公先から逃げ帰ってきて倉に日用品を運び込み、以来五年間、一歩も倉から出てこないというのだ。
「既に中で死んでるんじゃないのか」
「橘さん!やめて!」
「いや、この五年会ったことも話したこともないが、食事や欲しいものを書いた紙キレが毎日扉の隙間から出てくる」
噂をすれば影をさすとはまさにこのことで、すぐに扉の隙間から紙が出てきた。そこに書いてあるものを、すぐに部下に買いに行かせる。こんな極道があるだろうか。
ヤクザの息子が引きこもり。そんなことが外に知れれば、メンツが命のヤクザはやっていけない。それを気にして、下愚蔵は鬱蔵と正面から向き合わなかった。
「鬱蔵をここまで追い込んだのはわしの責任だ。…………息子の人生を取り戻すためならば、わしは何だってやるつもりでいる。だが情けない話だが、何をやっていいのかわからんのだ。……人の親とはこんな時、何をやればいいのだ」
「そこで黙って見ていればいい」
下愚蔵の前に立った橘は、倉を見つめる。
「その気持ちがあれば充分だ。あとは俺達に任せろ。ヤクザにデリケートな仕事は向かんだろう」
「……あんたら」
「要は、息子を倉から引きずり出せばいい。なら簡単だ」
橘は小春にアイコンタクトを送る。
受け取った小春は、太ももに隠してあるホルスターから拳銃を両手に取り、倉に撃ち込んだ。
「出てきなさい‼︎ニートは社会的に抹殺されるのみよ‼︎とっとと働きなさいバカ息子ォォ‼︎」
「それヤクザでも出来るだろーがァァァァ‼︎デリケートの意味知ってる⁉︎」
ものすごい乱雑で物騒なやり方に、下愚蔵は銃を橘に向ける。そしてさらには部下達が三人を囲んだ。
武器を向けられ、時雪は半泣きだった。その時、再び扉の隙間から紙キレが出てくる。
それには、「さようなら」と明らかに血で書いたような文字があった。
「これダイイングメッセージじゃろーがァァァ‼︎」
「何さらしてけつかんねん‼︎このボケがァァ‼︎どう落とし前つけるつもりじゃ‼︎」
再び刀やら銃やらが三人を囲む。その真ん中で、三人は手を挙げた。
「オイ、その辺にしとけ」
ヤクザ達に、別の声が呼びかける。それに全員の視線が向いた。
「こりゃ血じゃないわい。トマトジュースじゃの。若はちゃんと野菜もとっとるらしいわ。わしゃ安心した」
「兄貴ィ‼︎」
誰だ?と橘、小春、時雪は小首を傾げる。左の額から頬にかけて傷のある男が、縁側から腰を上げて下愚蔵に歩み寄ってきた。
「あの、あの方は……?」
「ウチの若頭、中村京次郎じゃ。鬱蔵がまだ外にいる頃、兄のように慕っていた奴よ。鬱蔵のことは、このわしより詳しい」
時雪が下愚蔵に尋ねた後に、京次郎が口を開く。
「おじき、いい大人が揃いも揃って子供にからかわれてりゃ世話ないのう」
「……わしは……息子と正面から向き合うと決めた」
「………………もう遅いさ。鬱蔵のことは放っておいた方がいい。……時が来れば、自分から出てくるじゃろう。これ以上鬱蔵を傷つけるな。アンタがアイツに何をしたか、忘れたとは言わせんけんの」
「……………………」
橘達は何があったかは理解出来なかったが、深く突っ込むこともしなかった。
下愚蔵が京次郎の言葉に反論出来ずにいると、ふと咳き込み始めた。口からは、血が流れている。どうやら下愚蔵の体は、既に死期を迎えていたらしい。
京次郎をはじめ部下のヤクザ達が下愚蔵に駆け寄る。そのまま下愚蔵は、病院に搬送された。
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すっかり日も落ち、月が輝く夜。小春と時雪は、病院でヤクザ達と共に下愚蔵を看取っていた。
しかし、橘だけは倉の前から動かなかった。背後に京次郎の気配を察し、ボソッと呟く。
「……ひどい奴だ。父親が倒れたというのに、ビクともせん」
「………………依頼者が倒れたんじゃ、こんな所におっても無駄じゃろう」
「顔が見たいだけだ。父親の死に際にも動かない頑固息子の顔を」
「……………………気ィついとったんかい」
倉の前に座り込む橘に、京次郎は御猪口を差し出した。しかし橘は差し出された御猪口を一瞥するだけだ。
「……………………それだけの事したんじゃ。おじきは」
「それ、息子のじゃないのか」
「ええんじゃ。酒の味は働いとるもんにしかわからんけーのう」
酌された橘も、京次郎に酌し返す。そして、酒をくいっと呷った。
鬱蔵は、昔から気が弱くて優しくて、極道の世界を嫌っていた。父である下愚蔵の反対を押し切ってまで、カタギで生きる道を選んだ。
しかし、それも長くは続かなかった。下愚蔵が跡取の彼を連れ戻そうと、奉公先にまで顔を出して店に数々の嫌がらせを仕込んだのだ。そして身内ということもバレ、あっという間にクビ。鬱蔵は倉に引きこもってしまったという。
五年間もほったらかしていたのに今慌てて外に出そうとしているのも、死ぬ前に鬱蔵に跡を継がせようという魂胆なのだ。
橘は京次郎から事情を聴いていたが、ふと空になった御猪口を地面に置いた。
「……事情はよくわからんが、親が子に会いたいというのに理由が必要なのか。親子が会う理由など、顔が見たい、それだけで充分だろう」
膝に手をついて立ち上がり、倉に歩み寄った。
「心の殻を被っていようがいまいが、力ずくでも連れて行かせてもらおう。出てこい。死にかけた父親の顔一発殴りに行くぞ」
その時、倉の扉の鍵が開く。
倉の中はかなり広くて、ゴミやこたつ、布団の上でテレビを見ている影があった。その影が、こちらを振り向く。
「あらァ、交代の時間?ちょっと早くない?」
「⁉︎」
普段仮面のように変わらない橘の表情に、驚愕の色が出る。
倉の中にいたのは、女だったのだ。
「鬱蔵は……」
「いねーよ」
その時、橘は背後に殺気を感じた。
「そんな奴とっくに、この世にはいねェ」