「おー、見ろよ新八」
新八を担いで廊下を疾走する志乃が、お妙の名を叫んで急ブレーキをかける小さいおっさんを指さす。
「ホラな、私の勘が当たったろ?」
「……志乃ちゃん、僕はもう何も言わないよ」
勘をバカにされたからか、いつもより得意げに鼻を鳴らす。そして、新八の腰を掴み、持ち上げた。
「え?ちょっと待って志乃ちゃん……え?」
「そぉおいやっさァァァァァァァ‼︎」
「ギャアアアア‼︎」
困惑する新八を無視して、彼を小さいおっさんめがけて思いっきり投げつける。新八は投げ飛ばされながらも、「天よォォ我に力をををを‼︎」と叫び、体を捻って小さいおっさんに飛び蹴りを食らわせた。
「
小さいおっさんーー輿矩を案じて女中達が集まる。逃げていたお妙の手を引き、新八もその場から脱した。それを見届けてから、志乃はゆっくりと輿矩に歩み寄った。
「あー、ごめんごめん。姐さんが困ってるみたいだったから、つい」
「つい、で人を投げる人がいますかァァ‼︎」
「何者ですか貴女⁉︎」
「ほら、邪魔だからどっか行って。私はそこの輿矩とか言う小さいおっさんに用があんの」
群がる女中達をシッシッと手で追いやりながら、立ち上がった輿矩と対峙した。
「どーもこんにちは。アンタがここの当主?」
「ではお前が、騒ぎを起こしている道場破りとやらか」
輿矩は額に皿を取り付け、改めて名乗る。
「いかにも、私が柳生家当主、柳生輿矩だ」
「私は霧島志乃」
そして、同時に木刀を構える。次の瞬間、鍔迫り合いとなった。
「貴様の狙いは読めているぞ、柳生家の看板だろう?」
「柳生の看板なんざ興味ねーな。私はねェ、
互いに剣を押し合う中、先手を打ったのは志乃だった。
一歩前に踏み込み、体を回転させて後頭部に向けて木刀を振るう。輿矩が咄嗟に屈んだことで木刀は空振りに終わったが、すぐに反対の足で輿矩の腹に膝を入れる。
「ぐふっ!」
苦しげな輿矩の声と共に、木刀が風を切る音がする。体勢が崩れたところで木刀を突き出し、皿を狙った。
しかし、それを輿矩の木刀に受け止められ、志乃は一度後ろに跳び、下がった。
再び睨み合う形となり、輿矩が感嘆するように言う。
「なるほど、単純な剣術と体術の組み合わせか。なかなかのものだな」
「ありがと。でも、アンタは大したことなさそうだね。それでも天下の柳生流?」
ニヤリと笑った彼女の挑発に、輿矩はこちらへ駆け寄ってくる。
対する志乃は一歩下がって水平に木刀を構え、左手を切っ先に添える。そして、足のバネを利用し、一足飛びに輿矩に挑んでいった。
「おらああああああああ‼︎」
木刀を振りかぶってから、薙ぎ払う。輿矩のそれとぶつかり合い、鈍い手応えを感じた。
こちらが全力で木刀を振っている以上、自然とその手応えは重く、手が痺れてくる。しかし、そんなことも言ってられない。
幾度も斬撃を叩き合わせ、志乃は輿矩に問う。
「大体よォお父さん、アンタはこの結婚に賛成してたのか?女同士の結婚によォ」
「!貴様、九兵衛が女だと……気付いていたのか」
「んなもん、一目見たらすぐわかったよ」
バシッと木刀を払いのけ、一度互いに距離を置く。
木刀を下ろし、志乃は嘆息した。
「変な話だぜ。一体何がどう転がったら、こんな事になるんだか」
「……アレがあんな風に育ってしまったのは、全て私達のせいなんだ」
そう言って、輿矩は語り始めた。
柳生家の当主は代々男が継ぐようになっている。しかし、輿矩の妻は九兵衛を産んですぐに亡くなってしまった。
一族の間で新たに妻をもうけよなどという話もあったが、そんなことをすれば、亡き妻の忘れ形見である九兵衛の立場と居場所を失くしてしまう。
そこで輿矩と彼の父、
もちろん、本当に男にしようとは思っていない。ただ、女である九兵衛に柳生家を継がせるためには、名実共に本当の強さが必要だった。
そんなある日、九兵衛は友であるお妙と新八が借金取りに攫われそうになった際、彼女らを護るために戦い、左目を失ってしまう。
九兵衛が左目と引き換えに自分達を護ってくれたことに負い目を感じたお妙は、「九兵衛の左目になる」と約束したのだ。
「……………………」
九兵衛の過去を、志乃は黙って聞いていた。一言も発することなく、何の反応を示すことなく、ジッと輿矩を見つめていた。
そして、フゥと溜息を吐き、呟いた。
「くだらねェ。んなモン、ただのエゴだろーが」
その時、ヒュンッと風が吹き、怒った輿矩が動く。完全に無防備だった志乃は咄嗟に木刀を振り上げ、突き出してきた木刀を受け止めた。
そこから、斬撃の嵐が彼女を襲う。
速く、正確な太刀筋。志乃の不恰好で野生的なそれとは、全くの正反対だった。
「チッ‼︎」
大きく剣を振り回し、相手の隙を狙う。しかし、木刀を跳んでかわした輿矩は、志乃の後頭部を足蹴にして、彼女の背後にまわった。その背中に、白い皿を見つける。
志乃は体勢を崩し、瞬時に振り返ることは不可能に近かった。輿矩は、勝利を確信した。
皿めがけて、木刀を突き出したその時。
ーーガッシィィ‼︎
輿矩の突き出した木刀が、動かない。背中にまわした彼女の木刀に阻まれていた。
輿矩は目を見開き、志乃の木刀を見据えていた。
何故だ。木刀を力一杯振り回して、さらにその頭を蹴飛ばして、体勢の立て直しは不可能だったというのに。何故あの一瞬で、彼女は自分の一撃を受け止められたのか。
志乃は肩越しに驚愕の色を浮かべる輿矩の顔を見て、不敵に笑う。そして上体を前に倒して、踵で輿矩の木刀を蹴り上げた。
「!しまった‼︎」
「油断は禁物だぜ、当主さん」
クルクルと回転しながら、宙を舞う。
木刀に注意を引かれた輿矩の懐に入り、志乃は渾身の力で木刀を振り抜いた。
「せいやァァァァァァァ‼︎」
バリィィンッ‼︎
輿矩の額に付けた皿が、音を立てて粉砕される。あまりにも重い一撃に輿矩はそのまま吹っ飛び、壁に叩きつけられた。
壁に体を預ける彼を見下ろしてから、志乃は背を向け歩き始める。
「アンタの娘さんがどんな辛い人生歩んでようが、どんだけ苦労してようが、こっちは全く興味無いし知ったこっちゃねーんだよ。
でもね、これだけはわかる。
ーー惚れた相手を泣かすような奴ァ、男でも女でも最低だよボケ」
そう吐き捨て、志乃は新八を追うべく足を速めた。