満月を見上げながら、キセルを吸う男は独りごちる。
「今日はまた随分とデケー月が出てるな。かぐや姫でも降りてきそうな夜だと思ったが、とんだじゃじゃ馬姫が二人も降りてきたもんだ。……まァ、アイツもかぐや姫なんてもので収まるような女じゃねーか」
女と間違われた時雪は訂正しようとしたが、目の前で悠々と立つ男から感じるオーラに、口を噤んでしまう。
この男、何かが違う。そう感じた。神楽も神楽で、ヤバイと感じていた。
その時、二人の足元に銃弾が飛んできた。二人は反射的にそれをかわし、その時に別方向へ逃げてしまった。
銃弾は神楽と時雪両方に降り注ぎ、それをかわしていく。ふと神楽の方に、銃弾の正体である人物が降ってきた。
「!!」
時雪が助けようと神楽を振り返るが、神楽とその人物はお互い銃口を突きつけている。
自分達を襲っていた犯人は、なんと女だった。
「貴様ァァ!何者だァァァ!?晋助様を襲撃するとは、絶対許さないっス!銃を下ろせ!この来島また子の早撃ちに勝てると思ってんスかァ!?」
「また子、股見えてるヨ。シミツキパンツが丸見えネ」
「甘いな、注意を逸らすつもりか!そんなん絶対ないもん、毎日取り替えてるもん!!」
「いやいや付いてるよ。きったねーな。また子の股はシミだらけ〜」
「貴様ァァ!!これ以上晋助様の前で侮辱することは許さないっス!」
正直時雪は耳を塞ぎたい気分で一杯だった。女の子同士がなんて話をしているのだろう。そりゃ男の身からしたら、あまり聞きたくない。
時雪は神楽とまた子の元に駆け寄り、油断したまた子の隙をついて、彼女を突き飛ばした。
「うがっ!!」
「ごめんね、女の子に手を上げたくないんだけど」
その間に神楽は立ち上がり、時雪と共に逃げ出す。
背中でまた子の声が聞こえたと思ったら、今度は二人に向けてライトが浴びせられる。見上げると、船の上の屋根に一人の男が立っていた。
「皆さん、殺してはいけませんよ。女子供を殺めたとあっては、侍の名が廃ります。生かして捕らえるのですよ」
「先輩ィィ!!ロリコンも大概にするっス!ここまで侵入されておきながら何を生温いことを!」
「ロリコンじゃない、フェミニストです。敵といえども女性には優しく接するのがフェミ道というもの」
一斉に襲いかかる浪人達を、二人は薙ぎ払っていく。特に時雪は散々女扱いされて苛立っていた。
「くそッ!!どいつもこいつも見た目だけで判断しやがって!!」
「トッキー、キャラ変わってるネ」
神楽に指摘されてもお構いなしに、木刀を駆使して暴れまわる。神楽が、きっとここにいるであろう桂を呼ぶ。
「ヅラぁぁぁ!!どこアルかァァ!?ここにいるんでしょォォォ!!いたら返事をするアル!!」
一人を傘で殴り飛ばした神楽は、時雪にまた子の銃口が向けられているのに気付いた。
「トッキー!!」
神楽はすぐさま、時雪に体当たりする。
時雪が倒れたのと同時に、神楽の左肩を銃弾が貫いた。そして追い討ちとばかりに、左足まで貫かれる。
「神楽ちゃん!!」
倒れ込んだ神楽に駆け寄り、彼女を抱き起こす。
「もう……トッキーはやっぱり手がかかるアル」
「今だァァァ!押さえつけろ!!」
浪人の一人が迫り来るのを見て、時雪は木刀で彼の顎を突き飛ばした。そして神楽を横に抱き上げ、船内に逃げ込んだ。
「トッキー……」
「神楽ちゃんごめん、傘借りるね」
時雪は神楽の手から傘を奪い取ると、追ってくる浪人達に向けて銃弾を発射した。
なんとか振り切った二人は、船内の奥に向かおうとする。その時、彼らはあるものを見た。
「なっ……」
「何だ、ココ」
二人が衝撃に目を見開いているその背後で、また子が神楽を抱きかかえている時雪の後頭部に拳銃を突きつけた。
「そいつを見ちゃあ、もう生かして帰せないな」
そして、静かになった船内に銃声が響き渡った。
********
気がつくと、目の前が真っ暗になっていた。
体が重い。まだもう少し寝ていたい。
しかし、体が勝手に瞼を開けた。
「………………」
「あっ!!志乃ちゃん起きた!?大丈夫!?俺のことわかる!?」
立て続けに大声で話しかけてくる、地味な雰囲気を纏った男が、涙目で覗き込んでくる。
視界が薄っすらとして、志乃にはよく見えない。しかし、聴覚を頼りに彼の名を呼んだ。
「ザキ、兄ィ……?」
「よかった!全然動かないから、このまま死んじゃうんじゃないかと思って……」
涙を拭って、山崎が笑顔を見せる。
志乃は彼に手を伸ばそうとしたが、ズキッと体に鈍い痛みが走った。
「いっ……!!」
「動いちゃダメだよ、志乃ちゃん体を貫かれてたんだ。待ってて、今水とか持ってくるから。局長達も呼んでくるよ」
「待っ、て……ザキ兄ィ……」
掠れた声で呼び止めても、それは彼の耳には届かない。痛みを堪えながらなんとか手を伸ばしたが、掴むのは宙だけだった。
脳が急速に覚醒していくと共に、昨日のことを思い出す。
そうだ。私は、岡田にやられたんだ。
銀を助けようとして飛び込んで、結果返り討ちにあってしまったんだ。その後、紅桜で私を串刺しにして、そのまま意識を失って……。
伸ばした手をそのまま貫いた腹の上に置くと、やはりそこには布団しかなかった。震える手で布団を退かして、無理やり体を起こす。
あの一撃で血塗れになった服が着替えさせられ、いつもの藤色の浴衣から白い着物になっていた。
「……まるで死装束だね」
汚れ一つない真っ白な着物に触れ、嘆息する。それから、髪を掻いた。いつもより短い気がする。髪が肩辺りでざんばらに切られていた。
しかしまぁ、いつか坂本が言っていたように、生きていたから儲けもんだろう。
でも、誰がここまで運んできてくれたのか。
銀時は大怪我を負っていたから不可能。岡田は論外だから……新八か、と志乃は一人で納得する。
その時、襖が勢いよく開いた。
そこには、近藤と山崎、土方もいた。
「志乃ちゃん!!」
「志乃ちゃん、寝てなきゃダメだよ!傷が深いんだから!」
「別にこの程度……どうってことない」
上体を起こした彼女を見て、慌てる山崎。
近藤らはすぐに志乃が横になっていた布団の隣に正座した。
「何があったんだ?」
そう切り出したのは、土方だ。訝しげな視線が、彼女を捉える。
「昨日、あの野郎のとこの眼鏡が、瀕死のお前を背負ってやってきたんだ。夜中にだぜ?色々訊こうと思ったんだが、そいつお前を預けるとさっさと行っちまってな」
「昨日の夜……」
どうやら、そこまで日は経ってないらしい。その事実に、志乃はホッとした。
今すぐにでも岡田に報復しに行きたいところだが、今は情報が少ないし、何より得物がない。金属バットはあの川に落としたままだろう。後で取りに行かねば。
しかし、もし事が刻一刻を争う事態なら、金属バットがどうこう言ってられない。「鬼刃」を使うか……。
「オイ聞いてんのか」
「ぁ……うん」
あれこれ頭の中で考え過ぎて、まだ脳が呆けていると思ったのだろう。
志乃は適当に相槌をうって、昨日のことを簡略化して話した。
「……じゃあ昨日の夜、コロッケパンを買いに行った帰りに辻斬りの人斬り似蔵にバッタリ会っちゃって、殺されかけた……ってこと?」
「まァ、そんなとこ」
かなり簡略化したが、これはこれでいいと思った。我ながら上手い具合に嘘を吐けたものだ。
しかし、これは一時のものになるだろう。
何せ、ここには少し心は開いたものの、ずっと警戒してくる鬼の副長がいるのだ。
真選組の頭脳と謳われる彼なら、これくらいの嘘は、バレるのが時間の問題だ。きっと今も、ほとんど信じてないに違いない。
しかし、こんな所でのんびりしているワケにはいかない。今優先すべきは、あの岡田のことだ。
あいつをぶっ飛ばさない限り、気が収まらない。
「……意外だな」
「え?」
土方がライターで煙草に火をつける。
いつか志乃が渡した、あのマヨネーズの容器を象ったライターだ。
「まさか"銀狼"ともあろうお前が、辻斬り相手にこのザマとは」
「……返す言葉もないね」
煙を吐いた土方に、志乃は肩を竦める。そして、宙を見上げた。
「……私、兄貴達からずっと、剣を持つなって言われてきたんだ。あいつらがそれを望んだから。あいつら極度のシスコンでさ。私に戦争の終わった平和な世界で生きてほしいって、剣を取った。戦場に征って、最終的には帰ってこなかった奴もいたけどね」
志乃は視線は近藤らに向け、ニコリと作り笑いを浮かべる。
「それから私は、剣の代わりに金属バットを持った。特にという理由はないけど、護身用にって。自分で言うのもなんだけど、私それでも強かったから、今まで一度も稽古とかちゃんとしたことなかったんだ。でも、それじゃダメなんだって……今更思い知らされたよ。情けない」
志乃は溜息を吐いてから、真剣な目で近藤らを真っ直ぐ見つめた。
「人斬り似蔵の事を聞きたい。お願い、話せるだけ全部話して」
********
それから、志乃はたくさんの事を聞いた。
その話の中で一番驚いたのは、岡田があの高杉と繋がっているということだ。
山崎の話によれば、高杉は岡田の他にも強力な部下を抱えて、鬼兵隊を復活させたという。しかも、高杉は秘密裏に兵器を開発し、それを使って幕府転覆を狙っているとか。
しかし、残念ながら真選組は、高杉一派の潜伏先の情報を掴めていないとか。
志乃は思わず頭を抱えそうになった。
本当に
岡田は、高杉が欲している存在が志乃だと知らなかったのだろう。だから、殺そうとしたのか。まぁ、岡田の真意がどうでも、志乃にとってはどうでもいい話である。
ぶっちゃけ、慰謝料含めて高杉を訴えられないだろうか。
ーーいや、そんな冗談じみた話、あいつに通用するわけないか……。
志乃は溜息すら飲み込み、ガシガシと少し軽くなった頭を掻いた。
「あーあ、辻斬り狂犬の飼い主はテロリストでした……って、そんな嫌なオチがあってたまるかよ」
「だが仕方ねー。それが事実だ」
「まさか志乃ちゃん、敵地に単身飛び込むなんてことは……」
近藤がハラハラしているような目で、志乃の顔を覗き込む。大怪我を負った彼女が、また無茶するのを恐れているのだろう。
志乃は肩を竦め、枕元に置いてあった血に濡れた浴衣を持って立ち上がる。
「大丈夫。そんなバカみたいなマネしないから。看病してくれてありがと。大人しく帰るわ」
「志乃ちゃんダメだって!!まだ傷が治ってないんだから」
「そうだぞ志乃ちゃん。無茶は禁物だ。わざわざ家に帰らなくても、ここに泊まってけば……」
「もう全然痛くない。私の一族は怪我の治りが早いの。そーいう体なの。アンタら人間と一緒にしないで。私は、
志乃は狼狽える山崎や近藤を無視して、襖を開ける。
外では、雨が降っていた。