「……ん」
志乃の意識が覚醒したのは、翌日の昼だった。
目の前に、見慣れない天井が広がる。
志乃はゆっくり体を起こし、うなじに手をやる。
そこで、昨日まであった長い髪が無くなっていたのに気がついた。
「……あ、そっか」
昨夜のことを思い出した志乃は、溜息を吐いて布団から出た。
ふと、襖の向こうから気配がする。
襖が開くと、そこには山崎が立っていた。
「…………」
「あ、おはよう志乃ちゃん。気分はどう?」
「………………」
「あの……志乃ちゃん?」
山崎がどうしたのかと志乃に近寄る。
しかし彼女は、この状況を整理するのに必死だった。
(ちょっと待て、誰だこいつは?真選組の隊服着てるけど私こんな奴知らないぞ。ハッ!!まさかロリコンか?コスプレした新手のロリコンか?この後手錠とかで色々なプレイをするタイプの奴か!?ギャーーーーキモい!!衆道本で読むだけなら萌える展開なのに、何で私がリアルでやられなきゃいけないんだよ!!ふざけんな!男とやってろ!)
「ねぇ、志乃ちゃん聞いてる?」
「死ねェェェェこの変態がァァァ!!」
「ギャーーーー!?」
平和な昼下がり。
真選組屯所に、山崎の悲鳴が響き渡ったーー。
********
「いやだって聞いてよ。目が覚めてすぐに男が入ってくんだよ?そりゃ危機感っつーかヤバイとか思うでしょ、ね!」
「だからっていきなりバットで殴らないでよ……」
「だから、その件については悪かったって思ってるってば。えーと、山崎……だったっけ?ホントにゴメンね、ザキ兄ィ」
「いいよ。俺も突然出てきたから、びっくりさせちゃったよね」
志乃は両手を合わせて、頭を下げる。
山崎は人当たりがいい男なのか、あっさり彼女を許してくれた。
志乃は銀髪をわしゃわしゃ掻いて、山崎に問うた。
「ねぇ、何で私はこんな所にいるの?あの後どうなったの?」
山崎は志乃の問い通りに答えた。
あの後、カラクリをたった一人で一掃した志乃は、カラクリの動きが止まっても破壊活動を止めなかった。
全てを破壊した後、意識を無くし倒れたという。
「それで、志乃ちゃんの自宅がわからなかったから、取り敢えず俺達の屯所で介抱するってことになったわけ」
「なるほどね……ありがと、ザキ兄ィ」
志乃は山崎から貰った茶を飲み、礼を言う。
そこに、襖は開けて近藤と土方と沖田が入ってきた。
「よく眠れたか?お嬢ちゃん」
「おかげさまでね。ありがとう」
「そーか、良かった。しかし驚いたぞ?カラクリ相手に女の子が、金属バット一本で立ち向かってたなんてな!」
「あっそ。それはよかったね……」
甲斐甲斐しく話しかけてくる近藤に、志乃は素っ気なく対応しながらも茶を飲む。
一方土方は、鋭い視線を志乃に送っていた。
目の前にいる、年端のいかない少女。
こうして見ると一般人と変わらぬようだが、あの時の殺気は一体何だったのか。
カラクリと対峙した時に見せた、敵を殺すことだけを生き甲斐にしているような、恐ろしいあの目は?
当の本人は土方と目が合うが、彼の心中を知らずかキョトンとした表情で見つめる。
土方のただならぬ雰囲気を察した近藤が、話題を変えた。
「そうだお嬢ちゃん。髪は大丈夫か?」
「え?髪?」
「戦いの途中で敵に切られたのか?」
「なんでも土方さんがこのガキの髪を引っ張って、嫌がるのを無視して無理やり切ったらしいですぜィ。流石土方さん。こんなガキ相手でも容赦なしでさァ」
「トシィィィ!?何てことをォォォォ!!髪は女の命なんだぞォォォ!!って母ちゃんが言ってた」
「総悟テメー!捻じ曲がりまくった事実を言うんじゃねー!」
「待て待ておっさん!違うってば!私このチンピラに助けられたの!」
「だったら恩人にチンピラ言うなこのクソガキ!!」
志乃の脳天に土方の拳が打ち据えられる。
それを見た近藤は、目を見張った。
「トシ!!女の子に暴力なんてふるっちゃいけません!!」
「へェ、土方さんは娘を痛めつける趣味があったんですかィ。それは初めて知りやしたぜ」
「ただガキを叱っただけだろーが!!変な想像してんじゃねーよ!!」
「志乃ちゃん大丈夫だよ。もし何かあったら俺が護るから!」
「は?」
「山崎ィィィィ!!」
「ギャアアアアア!!」
志乃に明らかな悪影響を植え付けようとする山崎(彼だけではないが)に、土方が制裁を下す。
コントのような茶番を聞き流していた志乃だが、不意に金属バットを片手に立ち上がった。
「じゃあ私帰るわ。長居も出来ないし、依頼料を受け取りに行かないと」
「あ、そのことなんだけど……」
「しぃぃぃぃぃのぉぉぉぉぉちゅわぁぁぁぁぁんんんんんん!!」
山崎の台詞に割って入って、襖が蹴破られる。
襖を蹴った人物は、そのまま山崎も蹴り飛ばし、志乃の姿を捉えると一直線に志乃に抱きついた。
「うぐえっ!ハ、ハル!」
「志乃ちゃん!もう立って大丈夫なの!?怪我は?どこか痛くない!?」
「えっと……ハルに追突された腹が痛いです……古傷が……」
「ってあ"あ"あ"あ"!!志乃ちゃんの髪がァァァ!!誰!!誰にやられたの!?」
「……スルーかーい」
志乃に抱きついたのは、小春だった。
カラクリに殴られた腹部を摩り、小春を離す。
小春が志乃の髪を見て殺気立つ中、沖田はさらっと隣に座る土方を指差した。
「はーい、この人でーす」
「総悟テメェェェェ!!」
部下があっさりと上司を犯人に仕立て上げる光景が、そこにはあった。
小春が、土方を視界に捉える。
「……ほ〜ォ。そっか、アンタが……。よーし、そこを動くな。風穴ぶち抜いてやらァァァ!!」
「いい加減にせんかどアホォォォォ!!」
拳銃を構えた小春の後頭部に、お瀧の飛び蹴りが炸裂する。
小春はそのまま吹っ飛び、前のめりに倒れた。
そこに追い打ちをかけるように、お瀧は小春を踏み付ける。
「アンタええ加減にせんとマジでぶっ潰すで!志乃助けて保護してもらった恩人によォ風穴開けれるなァ!?」
「うぐっ!ちょ、瀧待って……痛いっ!?」
「まだ殺気収まらへんか?何ならアンタの体をぶち抜いたるで!!」
「あぁん!?やってみろクソ猫ォォ!!」
「はーい、仲良くしましょうね〜」
お互い喧嘩腰になる小春とお瀧に、八雲が笑顔でダブルラリアットを食らわせ2人まとめて叩き伏せる。
バイオレンスな茶番を繰り広げる中、橘が一人正座して近藤たちに向き直った。
「うちのバカ共がお騒がせして、大変申し訳ありませんでした」
「あ、いえ……?」
「放っといて大丈夫なんですかイ、アレ」
「大丈夫です。いつものことなので」
「なかなかバイオレンスな空間で育ってるんだね、志乃ちゃん……」
「まぁね。乱闘が起きない方が不思議だよ」
志乃は溜息を吐いて頭を掻く。
橘が八雲の一撃で沈められた2人を抱え、志乃は八雲と橘に付き添われて屯所を後にした。
5人仲良く帰っているその背中を見送りながら、土方は志乃ただ一人を見つめていた。
土方は、あの祭りの時に見た猛々しい彼女が忘れられない。
まるで返り血を浴びるようにカラクリの破片を浴びながら、それを物ともせずにカラクリを潰していく。
その目は、明らかに瞳孔が開いていた。人を斬る目だったのを覚えている。
(一体何者なんだ、あの娘……。ただの娘じゃねーのはわかっていたが……)
「おい、どうしたんだ?トシ」
「いや……何でもねェよ」
近藤の問いを短く答える。
(今は……保留にしておこう)
土方は頭の中でそう結論付けて、屯所の門を潜っていった。
********
家に着くと、一人留守番をしていた時雪が勢いよく扉を開けた。
「志乃っ!!」
「わ、……っ」
志乃を見つけた途端、抱きつく時雪。
「よがった……心配、したんだからね……!」
グスッと鼻水混じりで話す時雪を見て、胸の奥が熱くなる。
嬉しいという感情だとわかるのに、時間はかからなかった。
しかし、人間というものはこういう時に、なかなか素直になれないものである。
「……フン。私はこんなとこで死なねーっつーの。心配しすぎ。さ、今日の晩ご飯何〜?私手巻き寿司食べたい!」
「……うん、わかったよ!」
志乃は精一杯照れを隠し、時雪を奥に引っ張る。
涙を拭い、時雪は心から微笑んだ。
********
一方その頃。
水風船を弄びながら、街を歩く男がいた。
ゴムの反動で戻ってくる風船は水を含んでたらふく太り、手とぶつかるとパンッという音がする。
男はレストランに入ると、レタスだらけのサラダを食らっている男の席の向かいに座った。
レタスを貪る手を止め、男は彼の姿を見てニヤリと笑う。
「平賀の奴、祭りで失敗したらしいですね?
ーー高杉さん」
水風船をはねさせながら、男ーー高杉はくつくつと愉快そうに嗤う。
「思わぬ邪魔が入ってな」
「万事屋の旦那ッスか」
「まぁな。牙なんぞとうに失くしたと思っていたが……とんだ誤算だったぜ」
高杉は一度、水風船を
男はレタスを一枚口に含み、楽しそうな彼を眺めた。
「人は何かを護るためなら牙を剥きますよ。どんな奴にも牙はある。それを隠しているかどうかの問題でしょ。……ま、剥き出したままのアンタはただの獣ですがね、高杉さん」
「獣で結構。……だがお前、桂みてェなこと言いやがるな」
「そーですか、そんなのどーでもいいっしょ。そ・れ・よ・り……」
男は机に乗り出して、ニヤニヤしながら高杉を見つめた。
「随分と大事にされてますね、その水風船」
「…………」
「将来のお嫁さんからのプレゼントですか?」
高杉は水風船を手中に収めると、口角を上げてみせる。
「何故、そう思う?」
「アンタが
「お前の報告通りだったよ。幼い頃の可愛さはそのままに、あれから格段に美しくなってやがる。……俺以外の男に襲われねェか心配だぜ」
「
男はさも可笑しそうに笑いながら、レタスに手を伸ばす。しかし、そこにはもうレタスは無かった。
「ありゃ。無くなっちゃった。おーいお姉さん!レタスサラダ追加してー」
ウエイトレスに声をかけた男は、皿を下げたのを見てグラスの水を
グラスを置いてから、高杉が問いかける。
「お前、これからどうすんだ?」
「真選組を辞めますよ。志乃ちゃんと接触出来た時点で、俺の役目は終わってるでしょ。それに……」
運ばれてきたレタスを一枚手に取り、笑顔で食い千切る。
「これ以上真選組に居たら、獣衆の連中に目ェつけられちゃいますから☆」
「まァ、そうだろうな。志乃を手に入れるのに一番邪魔なのが獣衆だ。奴らと敵対すると面倒だからな」
高杉も出された水を飲み、目の前の男に笑いかけた。
「だが、よく志乃の居場所を見つけてくれたな……。流石だぜ、
ーー杉浦」
「…………貴方のお役に立てて嬉しい限りですよ、高杉さんーー」
杉浦大輔は口内のレタスを咀嚼してから飲み干すと、人の良さそうな笑顔を高杉に向ける。
その笑顔は、狂気に染まっていた。
次回、真選組で幽霊騒動です。