翌日。天気は快晴。だが、志乃の足取りどころか手がかりは未だ掴めずにいた。
おかげで隊士達の士気も下がっている。天気とは相反した雰囲気を見渡し、土方は溜息と共に煙を吐いた。
「いい加減にしろてめーら。今山崎に容疑者の張り込みをさせてる。何かわかればまた指示を出す。……
「ふざけんじゃねェ」
その指令に、真っ向から否定を唱える声が上がった。
一番隊隊長、沖田だ。
「捜索打ち切り?ンなもん納得できねェ」
「……納得しようがしてなかろうがどうだっていい。とにかくてめーもてめーの仕事につけ」
「ふざけんな!!」
声を荒げた沖田が、土方に掴みかかる。隊士達はどよめき、近藤が彼を宥めようとする。
「待て、落ち着け総悟!」
「これが落ち着いていられるか!!……嫌な予感がする。アイツの身に何かあってからじゃ遅ェんだ、だから……!!」
「だからって、敵にその動揺した姿を見せるんですか?」
そこへ割って入ってきたのは、杉浦。その場にいる全員が、彼に注目する。
「それじゃ相手の思うツボですよ」
「なに……?」
「敵は今、俺達による探り手を見つけようと躍起になっているはず。どっちかって言うと、志乃の命より山崎さんの命の方が危ねェな、うん」
「いやちょっと待って、そんな重要な話をサラリと流さないで!?」
ウンウンと一人頷く杉浦に、近藤のツッコミが入る。今ものすごく重要な事というか、危ない事を言ったぞコイツ。
容疑者の松木に張り込ませている山崎が危ない。それはつまり、敵が既に
「お前はもうちょっと自分の発言に責任を持て!!“
「責任って言われましてもねー……」
ボリボリと頭を掻いて、やる気のない返事をする。
「
「!!てめェ……」
まるで山崎を捨て駒のように扱う彼の言動に、土方が青筋を浮かべる。だが、杉浦はそれに動じなかった。
「言っときますけど、“
俯き、そう呟く。
昔からそうだった。銀狼の名があるだけで、彼らはいつも孤独だった。「人殺し」、「人斬り」、「人間じゃない」とまで言われたこともあった。
それを誇るのが、銀狼の教え。自分達は、人間などとは違う……幼い頃から言い聞かされてきた言葉が、彼の心に染み付いている。
でも、違うと。そうじゃない、と声を上げた女がいた。それが志乃の母親ーー霧島天乃。
どうやら俺は、
「……そうか。確かに、俺達と志乃ちゃん達とは、全然違うな」
ふむ、と腕組みした近藤が独りごちる。
「だが、そんなの当たり前だ」
「………………」
「完全な存在なんていない。だから俺達はこうして集まった。その内の誰かが欠けようというのなら、俺は黙ってられない」
「…………!」
真剣な眼差しと、かつて見た強く紅く輝いていた面影が重なる。
あの人と同じだ。全て照らす、眩しい太陽のような。
近藤を見つめた杉浦が、ニタリと口角を上げる。
「……つまり?局長は俺にどうしろと?俺ァ馬鹿なモンでね、口にしなきゃわかりませんよ……」
「俺達を使って、事件を迅速に解決しろ。尚且つ犠牲を一切出さずに」
杉浦の怪しい笑顔とは対照的なそれを向ける。わざとらしく溜息を吐いた杉浦は、姿勢を崩し胡座をかいた。
「やれやれ……とんだ上司を持っちまったもんだな」
一度目を伏せ、手を顎に当てる。ブツブツと何かを呟きながら、思考の回転を始めた。
「まず最初は山崎さんの保護だ。今最先端の情報を持ってるのは彼しかいない。敵が動くならば彼の抹殺ーー情報流布の阻止。既にこちらの動向に勘付いてやがるなら、場所の特定に至らずも周辺への疑いはかけるだろうな。それからーー…………」
「トシ、」
「……ああ、わかってる」
紫煙を燻らせた土方が、指示を出す。
「十番隊は少数で分かれ、山崎の身辺を固めろ。敵に山崎の居場所を特定されたら話にならねェ、急げ」
「はい!」
「土方さん、いや、土方」
「はぁ!?」
原田達が部屋を出ていくのを見送る彼の背に、呼び捨てする声が。座っている杉浦だ。
「残りは敵の情報撹乱に使え。昨日と同じように志乃捜索に当たらせろ。いつもと同じ姿を見せつけて、敵の目を欺くんだ」
「なっ……てめェ、目上にはーー」
「言っておくが」
突然の敬語抜きに驚く土方に、杉浦の冷徹な声が飛ぶ。
「俺は杉浦大輔じゃない。俺は、“銀狼”霧島刹乃だ。邪魔すんなら誰だろうと殺す。あとーー」
剣呑な雰囲気に気圧される土方を見つめ、杉浦ーー刹乃はにこ、と優しく笑う。
「俺の方が、アンタよりずっと年上だ」
「ーー…………はぁ?」
「ま、どうでもいいだろ。早く他の連中を志乃捜索に当たらせろ。急げ。山崎に近付く十番隊を敵に気取らせないためにも」
淡々と話を進めていく刹乃は、腰を上げて他の隊士達を動かす。呆然と彼の背を見つめる土方の肩に、近藤がそっと手を置いた。
「トシ、俺達も行くぞ」
「……………………あぁ…………」
ようやく絞り出した声は、小さく消えた。
********
ーー彼女のことで思い出すのは、あの笑顔。にっこりと心から嬉しそうに笑う彼女は、いつも隊士達の中心にいた。
たとえるなら向日葵。太陽のように明るく笑顔を咲かせる彼女は、多くの人の心を癒していた。
初めて会った時、少なくとも彼女は笑っていなかった。ヘラっと口元では笑みを浮かべるものの、その目は欺瞞の感情そのもの。まるで、私はお前達を信じない、と突きつけられているようなーーそんな目だった。
何故、彼女はあそこまで頑なに己で全て抱えようとするのか。確かに彼女は年不相応に聡く、強い。だがあの娘もまだ子供だ。まだまだ甘えてもいい歳なのにーー。
「ーーん、近藤さん!」
「ハッ!?」
我に返った近藤が振り向くと、土方の訝しげな目と合う。
「どうした?さっきからボーッとして……」
「あ、いや………………なぁ、トシ」
先程まで考えていた疑問を、土方にぶつけてみる。
「志乃ちゃん……どこかで見たことないか?」
「……は?」
どういう意味だ、と眉を寄せる土方。
「いや、ほら……あの娘、初めて会った人にはいつも冷たいだろ。あの目……どこかで見たことあるような気がするんだけどな」
「……………………」
煙を吐き出し、土方も思い耽る。自分も以前、似たような事を考えたことがあった。
昔保護した、とある攘夷志士の妹。あの娘の猜疑に満ちた目は忘れられない。まるで、初めて志乃と出会った時のようにーー。
「…………まさか……」
土方の頭の中で、一つの結論が出ようとしていた。かつての記憶が呼び覚まされ、娘の姿も思い出される。
「あの時の娘じゃないか……!?」
「?どうしたトシ」
「間違いねェ!近藤さん、志乃は昔俺達と一度会ってる!!」
「昔、会ってる……!?」
「覚えてねェか?江戸で浪士組に入って間も無い頃、上から連れられた攘夷志士の妹……」
「……………………!!」
僅かな記憶を手繰り寄せ、近藤の目が見開かれる。
どうして思い出せなかったのだろう。あれほど目立つ少女を、何故忘れてしまったのだろう。人一人殺せそうな程鋭く光るあの目を、何故……。
********
彼らが初めて志乃を見たのは、江戸で真選組を作る少し前。
ボロボロの衣服を纏い、裾からチラチラ見える白い肌には痛々しい痣の痕。見るからに可哀想な少女だった。
しかし、その目は確かに生きていた。今にも崩れ落ちそうな身なりをしているのに、赤い目だけは鋭く近藤達を射抜いていた。
例えるなら、ピリッと強く張り詰めた糸のような。目を開き、決して気を緩ませず、神経を張り詰めさせて大事そうに一振りの刀を抱いていた。
その少女の名はーー彼女の口から聞くことはできなかった。
名前がわからなかった少女を呼ぶ術も無く、近藤達は少女の監視を命じられた。
とある攘夷浪士の妹。下手に暴れるようならば、殺してしまっても構わないーーそう言われた。
だが、近藤はそんな事できるはずがないと思っていた。相手はまだ10にも満たない子供だ。それを殺すなど、ひどい話にも程がある。
だから少しでも、彼女に近付こうとした。もし自分が彼女の心を開ければ、殺される可能性も低くなるかもしれない。だが、少女はそんな彼の思いなど知らず、
『どうして私をころさないの』
淡々とした声で、そう尋ねた。
『どうせこの先、生きてたって何もない。お兄ちゃんも父さんもいないこの世界で、何をのうのうと生きろと言うの』
ひどく悲しい目をした彼女は、決して泣かなかった。痛い程寂しい赤目をしっかりと開き、一人立つその姿は哀れを誘う。
そんな彼女は、決して自分達に心を開いてくれなかった。ただ毎日、庭や道場での稽古をひたすら眺めていた。
来る日も来る日も、稽古中の様子を物陰に隠れながら黙って見ていた。いつもキッと鋭い目は、この時だけは少しばかり緩んでいたように思える。
だが、彼女に近付こうとすると、パッと逃げられてしまった。
そんなある日。屯所にやってきてからロクに食事も取らなかった少女に、ついに限界が訪れた。高熱を出したのだ。部屋の中で倒れた少女を見つけた隊士がすぐに医者を呼んだものの、元々彼女の身体が弱いことも相まって、衰弱は著しかった。
『嬢ちゃん、意地を張ってる場合じゃないだろ?ほら、ちゃんとご飯食べて薬を飲んでくれ』
『ゴホッ……うるっ、さい……ッ!!お前、には……ゲホッ、かんけー、ない……!あっちいけ!!』
こんな状態になっても、少女は頑なに近藤達に頼ろうとはしなかった。
何故わからないのか。君は子供で、まだ大人に頼らないと生きていけないのは目に見えているはずなのに。
『これで……ようやく、死ねるんだ……邪魔、するな……!』
少女の紡いだ言葉に、愕然とした。それと同時に、カッと頭に血が昇る。
何故逃げる。目の前の辛い現実からひたすら目を逸らし、この世にはない場所に焦がれるなんて。
気付いた時には、近藤は少女の肩を乱暴に掴んでいた。
『甘ったれた事を言うな!!』
『……ッ!?』
『ようやく死ねる?そんなこと俺が絶対にさせない。嬢ちゃんは必ず助ける』
覗き込む少女の目は、再び敵意を映す。高熱とは思えない鋭利さだった。
『助けなんて、いらない……私は今までだって、ずっとそうしてきた……お兄ちゃん達の帰りを、笑って迎えなきゃいけないんだ……だから……だから、助けなんていらない!』
『違う。嬢ちゃんは助けてほしいから、兄ちゃんを必要としてるんだろう?』
『……え?』
ようやくわかった。少女の本心が。キョトンとした顔で見上げてくるその目に心が痛む。
少女は常に助けを求めていた。攘夷志士の妹である彼女は、戦いに征く兄の背中を見て育ったのだろう。
だから、「行かないで」と言うのはつまり、兄の枷になることを知っていたのだ。
本当は、普通の兄弟みたいに一緒に遊んだりしたかった。ずっと一緒にいたかった。なのに、それを願ってはいけない。兄の足手まといになるのだけは嫌。その気持ちだけで、少女は今まで生きてきたのだ。
『本当は、兄ちゃんとずっと一緒にいたかったんじゃないか?兄ちゃんがいなくなるのが嫌だったんじゃないか?』
『!!……………………』
『そうだろ、だから「助けなんかいらない」なんて言うんだろう』
見上げてくる少女の瞳は揺れていた。
熱で溜まった涙が頬を伝う。近藤は、少女をそっと抱きしめ背中を撫でた。
『大丈夫。君がここにいる間は、俺達が兄ちゃんの代わりになる。君の兄ちゃんが助かる方法を一緒に探そう。だから嬢ちゃんは、俺達を頼っていいんだ。俺は、俺達は何があっても嬢ちゃんの味方だよ』
『…………!ぅ、ひぅ……』
グズグズと鼻を啜る音がする。熱い小さな手が近藤の道着をぎゅっと掴み、涙に濡れた顔を押し付けた。
よしよしと頭を優しく撫ぜてやると、さらに顔を埋めてくる。その様はまるで美女と野獣だと、後に言われたとか言われなかったとか。
もし読んでてわからない所があれば、どしどし質問して下さい。
全て自分の語彙力がないせいなのはわかっていますが、なかなか向上の兆しは見受けられません。言葉って難しいですね。
前書きでも言いましたが、一話分で考えてたお話が長かったので、二つに分けました。次回は山崎の話と時雪と篤子の話も掘り下げます。