ーー姉、上……⁉︎
思わず、振り下ろす手を止めてしまう。
切っ先は志乃の喉とあと数㎜の距離だ。
もう少しで、憎い敵に似た小娘を殺せるのに。なのに、殺そうと思うと、彼女の顔が姉に似て見えて仕方ない。
フラフラと杉浦は後退して、床にへたり込む。
いくら憎んだことか。霧島志乃を壊して、殺してやろうと何度も思ったのに。
なのに何で、こんなにも、震える。
「……杉浦。いや……刹乃」
上体を何とか起こした志乃の真っ直ぐな視線が、杉浦の揺れた瞳を捉える。
「私はな……両親の顔なんか知らないし、両親がどんな奴らだったかなんて知らない。だからって、その二人のためだけに、私の人生狂わされたら、たまったもんじゃねーんだよ。他の誰にも、私の生き方は邪魔させねェ。……杉浦、あんたが何故私を恨むのか、よーくわかった。だがな…………
……ふざけんのも大概にしやがれ、コノヤロー‼︎」
「……はい?」
突然ビシッと指を指され、杉浦は思わずポカンとする。
座り込んだ状態のまま、志乃は喚き散らすように続けた。
「大体なァ、似てるとか似てないとか置いといて、私は霧島志乃本人だ!それ以上でもそれ以下でもないんだよ!それに、両親のツラ真面に見たこともねー娘にいちいち親のこと重ねられてたまるか‼︎アホかお前!つーか母親の昔話は銀に聞け!私が知るか‼︎」
「…………えーと、何この状況?俺怒られてる?どうなってる?コレ」
「とにかくなァ、私の言いたい事はつまり、過去ばっか振り返ってたって何も始まりゃしねーんだってことだ‼︎そりゃ一回くらい立ち止まって後ろ見んのも悪かねェ。だがな、そこにずーっといてもいいって問題じゃねーんだよ‼︎後ろ見た次は前向きやがれ‼︎居心地いいからって逃げてんじゃねーぞクソヤロー‼︎」
ポカンとした杉浦はギャーギャー叫ぶ志乃を見つめる他ない。
彼女は既に右半身に毒が蔓延して動けない状態。杉浦が殺そうと思えばいつでも殺せる立場にある。
なのに何だ、このガキは。計算高いのかただのアホなのかよくわからなくなってきた。
しかし、何か怒られているのはわかる。
要するに、既にこの世にいない姉に捉われるより、姉を奪った男に囚われるより、先に進めということだろう。
項垂れて、溜息を吐く。
「……ったく……意味わかんねーよ……お前」
「お前よりかは幾分マシだバカヤロー」
「なんか取り敢えずムカつくわお前」
腰を上げて立ち上がり、服についた砂を払う。
地面に転がっていた「鬼刃」を拾い、切っ先を志乃の首に向けた。
「いいか。俺はその気になればいつだってお前を殺せるんだ。わかったらさっさとその口を閉じろ、志乃」
「その気になればいつだって殺せる?よく言うよ。さっきその殺せるチャンスを自ら逃したのは誰だったっけ?」
「……………………っ!」
「はっは〜ん。今図星突かれたろ。なぁ、そうなんだろ」
「チッ……オイ黙らねぇと殺すぞ‼︎」
「ハイハイそんな激情しないの〜」
ムカつく。本当にこいつムカつく。マジで殺してやろうか。
イライラが募るが、華奢な首元に向けられた切っ先は震えるだけで、役に立たない。
わかっている。わかっているけれど、図星を指した程度で勝気になっている、目の前の憎たらしい女を殺したくて仕方がない。
ーーこんのクソアマ……‼︎
ケラケラ笑っていた志乃の表情が、不意に固まる。どこか青ざめていて、危険を察知しているようだった。
ようやく黙りやがったか……。
溜息を吐いてダラリと腕から力を抜くと、背中から全体にかけて、鋭い痛みが突き刺さった。
********
杉浦の体が、音を立てて崩れる。男にしてはなかなか細い腹を、銀色に輝く刃が貫いている。
驚きの声を上げる間も無く、志乃は杉浦の背後に立っていた見たこともない男達を見据えた。杉浦を消そうとしたのはあいつらだと、やけに冷静な思考はそう判断する。
「…………てめぇら……」
「よォ、助けに来てやったぜ〜?ーー"銀狼"」
へらっと笑ったその男は、背後に幾数人もの仲間を従えて、二人の元に歩み寄ってくる。
対する志乃の赤い双眸は、真っ直ぐ男達を見つめていた。微かに怒りを孕んで、ブレることなく真っ直ぐに。
感情が読み取れるからか、男達の余裕は変わらない。
「……てめーらに助けを頼んだ覚えは一度もねぇ。わかったらさっさと去れ」
「毒に侵された身でよくそんな強がりが言えるもんだな。流石だな」
男達の笑い声が、閑散とした倉庫に響く。志乃は口を噤んだまま、なんとか動く左手をついて立ち上がろうとした。しかし、毒の蝕む右半身のせいで、上手く動けない。
男達の様子を見る限り、狙いは杉浦ただ一人のようだ。つまり、自分はまだ安全圏にいるということ。志乃はなるべく相手を刺激しないように、問いかける。
「……お前達、一体何が目的だ。何故杉浦を殺した」
「目的?そんなの決まってる。そこにのびてる男はな、俺達を操ってたんだ。わけのわからない呪いをかけて、俺達を意のままになァ‼︎」
「…………まさかお前ら、杉浦の呪術に……」
杉浦に関しての情報を集めていた際、噂は薄っすらとだが聞いていた。彼が多くの攘夷浪士を操って、軍団を作り上げているということを。
もし彼がいつの間にかは知らないがこの呪術を解いていたとすれば……。
「なるほどな。さしずめテメーらは呪いが解けて何もかもに気がついて、
「ご名答。なぁ銀狼の嬢ちゃん。お前さんもこの男に騙されたクチだろ?俺達と一緒にコイツぶっ殺そうぜ〜‼︎」
ギャハハハハハハハ‼︎と下卑た笑い声が志乃の耳に否が応でも入ってくる。連中のことは知らないが、どうにもこいつらは気に入らない。
志乃は左手を懐に入れると、クナイを手に取ってそれを男達の足元に投げつけた。それも一本ではなく、四本。思わぬ攻撃に、男達は志乃に吠える。
「なっ……何しやがる小娘ェェ‼︎」
「テメェあいつに襲われてたんじゃなかったのかァァ⁉︎」
慌てふためく男達の様子が面白い。志乃は静かに口角を上げて、喚く連中を鼻で笑った。
「誰がこんなもやし野郎に襲われるって?私がそんな弱っちい奴だとでも?おめーらナメんのも大概にしろよ。私は地球最恐の"銀狼"だぞ。お前らが何かなんて知ったこっちゃねェが、
ビシビシと、体が毒に侵されていくのがわかる。座ってるだけなのに息が荒いままで、視界も段々ボヤけている。空元気を見せつけてみたが、どうやら立ち上がって戦うのは無理らしい。
どうすれば。どうすれば杉浦を助けられる?どうすれば、私はこの場を切り抜けられる?
頭を回転させようとすればするほど、思考があやふやになってまともに考えられない。
最早これまでか、とらしくない事を考えたその時。
「その女に手ェ出してんじゃねーよ」
「「「「‼︎」」」」
志乃も、男達も、目を見張った。
目の前に、杉浦大輔が立っていた。
いつも前髪で隠れて見えない右目を、赤く染めて。