バレンタイン。その一週間前、志乃はある人物の家に赴いていた。
「今日の稽古はここまで」
「ありがとうございました!」
そう、師匠こと志村新八の家である。
いつものように剣の稽古をつけてもらった志乃は、道場の掃除をささっと終える。そして、新八の前に直立した。
「あ……あの、師匠」
「ん?」
突然改まった弟子を見下ろして、新八は首を傾げる。
少し俯きがちな顔は少し赤くなり、指先は胴着の袴をいじいじしていた。
こういう時は大抵、少し恥ずかしいけど言いたいことがあるというサインだ。曲がりなりにも弟子として接してきた新八には、それが察せた。
「どうしたの?志乃ちゃん」
「ぁ……あの……その……お、お願いがあるんですけど……」
「稽古終わったんだから、敬語なんていいよ」
志乃の緊張を解かせようと、優しい声音で言う。
ついに志乃は意を決したように目を瞑って、口を開いた。
「お願いしますっ!私に料理を教えてください!」
「……えっ?」
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事情を聞くと、もうすぐバレンタインだから、時雪に手作りチョコを贈りたいとのこと。
それまでは時雪が毎年勝手に作ってプレゼントしてくれたのだが、今年は今までと違う。バレンタインは女から好きな男にチョコを渡すものだと知っていた志乃は、今年は時雪にチョコを渡したいと思ったのだ。
しかし、自分は料理ができないし、したことがない。
「それで、教えてほしいと……」
新八が話をまとめると、志乃はうんうんと頷く。
なるほど、なんだかんだいって志乃ちゃんも女の子なんだなぁ、と感じた。
チョコを貰える時雪に嫉妬していないといえば嘘になる。だが、ここは師匠として弟子の初恋を全力で応援してやるのが筋ではないか。
「わかった。僕でよければ、教えてあげるよ」
「ほ、本当⁉︎ありがとう師匠‼︎」
緊張していた表情から一転、花のような笑顔を浮かべる。
新八は早速志乃の料理センスを見ようと、台所へ向かった。
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「わぁぁぁぁ‼︎志乃ちゃん危ない‼︎」
「へ?」
新八の絶叫が、台所に響き渡る。
キョトンとした志乃はダン!という大きい音と共に、板チョコを切った。包丁のすぐ横には、彼女の白い指が。
どうやら指は切れていないらしい。ホッとしたのも束の間、すぐに指導に入る。
「包丁使う時左手は猫の手にするって言ったでしょ⁉︎」
「ん?あ、そうだった」
「もう、気をつけてよ……どんだけヒヤヒヤしたか。志乃ちゃんも刃物持ってるなら、もうちょっと緊張感持って」
「いや、こんなの刀に比べたらそこまで長くねーし大丈夫かなって」
「刀と一緒にするなァァ‼︎いや、確かに志乃ちゃんにとっては慣れ親しんでるだろうけど‼︎それとこれとは別だから‼︎わかった⁉︎」
「はーい」と呑気に返事をする弟子に、新八は脱力する。
確かに志乃は包丁よりも刀と接する機会が多いため、危機感がそこまで持てないのだろう。彼女の包丁の扱いは、見ていて危なっかしいの一言に尽きた。
ぶっちゃけると、志乃の料理センスは案外悪くはなかった。少なくとも普段から料理をしていれば、それなりに美味しいものが作れるくらいには。
姉のようでなくてよかった、と心からホッとしていると、「師匠ー」と呼ばれた。
「これどうすればいいの?」
「ああ、えっとね。次はーー」
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「でっ…………できたァァァァ‼︎」
今度は嬉しそうな声が上がる。
今回作ったチョコは、市販の板チョコを溶かして固めただけの簡単なものなのだが、料理なんて一切やらない志乃にとっては偉業を成し遂げたくらいに感じられた。
「うん、よくできてるじゃないか。じゃ、これをラッピングして完成だね」
「本当にありがとう師匠‼︎あ、お礼に一個食べていいよ!」
「えっ、本当⁉︎ありがとう志乃ちゃん‼︎」
思わぬところで、チョコを貰えた新八は心から喜んだ。
何せ彼はバレンタインでチョコを貰ったことがない。姉のお妙から義理チョコを貰ってはいるが、何せ彼女は何を作っても全てダークマター一色に染まるので、こんなまともなチョコを食べるのは久々な気がする。
「ふふっ、トッキー喜ぶかなぁ」
「きっと喜んでくれるよ。好きな女の子が自分のために作ってくれたんだもん」
「そうかな、そうかなぁ?うふふっ!」
期待に胸を膨らませるその姿は、まさしく恋する乙女。
そんな彼女を見て新八が少し複雑な気持ちになったのは、また別の話。
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そして迎えた、バレンタイン当日。真選組のバイト中にも関わらず、志乃はルンルン気分だった。
しかし、とある通報により、その気持ちは一瞬で冷めることとなる。
「ーーはぁ?バレンタインのチョコが次々盗まれたァ?」
顔をしかめる志乃に、「ああ」と短く答えた土方はさらに説明を続けた。
「近頃、バレンタインに向けて女共が買ったり作ったりしたチョコが盗まれる事件が多発してな。犯人は怪盗『リア充爆発しろ』とかいうふざけた名前の奴らしいが、被害の数は相当なのが現実だ」
「へぇ〜」
「ついでに言うとお前の師匠んとこにも出たらしくてな。今から近藤さん回収ついでに事情聴取に行くぞ」
「了解」
おどけて敬礼ポーズをとってから、志乃は土方と共に車に乗り込み、志村宅へ向かった。
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「よーっす師匠、姐さん……」
「あら志乃ちゃん、いらっしゃい」
部屋に通すなり、にこやかな笑顔で出迎えてくれたお妙。しかし、縁側には気絶して白目を剥いた近藤が倒れていた。
それを気にせず、お妙に事情を聞く。
「ねぇ、こないだここに今話題の怪盗が現れたって本当?」
「ええ、でも私はまだチョコを買ってなかったから大丈夫だったんだけど……」
お妙は申し訳なさそうに目を伏せる。
「……ごめんなさい、志乃ちゃんの初めての手作りチョコ……奪われてしまったわ」
「……え」
お妙が告げた衝撃の事実に、志乃は呆然とする。
志乃は作ったチョコを、志村宅の冷蔵庫に入れて冷やしてもらっていた。自宅には時雪がいるし、彼もバレンタインでチョコを作るため、バレないようにしたかったのだ。
それが、盗まれた。
一時放心状態だった志乃だが、ふつふつと煮え滾る怒りに脳が支配される。
「………………」
「志乃ちゃん⁉︎」
しばらく黙っていた志乃だが、不意に踵を返す。どうしたのかとお妙は驚いて彼女の名を呼んだ。
お妙を振り返らず、志乃は答える。
「野郎、ぶっ潰してくる」
「えっ?」
「この"
「ちょっと待てお前、やる気満々なのはいいが殺すなよ⁉︎絶対に殺すなよわかってんのか⁉︎」
土方が釘を打つが、今の彼女には届かず、目にも留まらぬスピードで志村宅を出て怪盗『リア充爆発しろ』を探す。
土方は明日の朝刊に血塗れの彼女が一面記事に掲載されないよう、祈る他なかった。
********
一方、志乃の自宅。そのキッチンでは、時雪がボウルで生地をかき混ぜていた。
志乃が帰ってくるまで、まだたっぷり時間はある。その間にバレンタインチョコを作ってしまおうと考えたのだ。
生地をコップに流し込んで、オーブンに入れて焼き上げる。頃合いになってオーブンから取り出したら、あとは熱を冷ますだけだ。
窓の外から、ジッと彼を見つめる一人の男がいた。彼こそが、巷を騒がす怪盗『リア充爆発しろ』なのだ。
彼が見ているのは、今まさに彼氏のためにチョコを作り終えた彼女の光景。実際彼女と思われるその人物はれっきとした男なのだが、このタイミングでは触れないことにする。
もし今、彼女の目の前でチョコを奪い貪ってやったら……どんな絶望の表情を見せるだろう。
これが自分を散々迫害してきたリア充共への天罰だと、彼は信じて疑わなかった。
彼女の作ったチョコカップケーキを奪おうとしたその時。
「オイ」
不意に背後から声をかけられ、首根っこを乱暴に掴まれる。それから引っ張られて、地面に強く倒された。
「な、何だ‼︎」
顔を上げると、そこには少女が立っていた。
背中辺りまである銀髪を簪でまとめる彼女の表情は、太陽を背にしているせいであまりよく見えない。
ただし、彼女の纏っている真選組の服装と肩に担いでいる金属バットを見て、嫌な予感しかしなくなった。
「よくも私のチョコを盗んでくれたな、コノヤロー……」
低く、怒気を孕んだ声。
急いで逃げようとしたが、服の裾をクナイで縫い止められ、動けない。少女はコツコツとブーツの音を立てて、迫ってきた。
「全世界の女を代表して、私が鉄槌を下してやるよ。女の恨み……しかと、思い知りな」
昼下がりのかぶき町に、男の悲鳴とボグシャという何かが潰れた音が響き渡る。
時雪はそんなことすら気づかず、カップケーキが早く冷めないか待ち遠しかった。
********
「ただいま……」
深い溜息と共に、志乃は帰宅した。
制裁を下したのはよかったものの、結局肝心のチョコは既に食べられていた。おかげで犯人は志乃の怒りの腹パンを食らう羽目になったのだが、そんなの志乃の知ったことじゃない。
奥から足音と共に、時雪が迎えてくれた。
「おかえり、志乃」
「……ただいま」
背中に何かを隠すように持っている。きっと、チョコだろう。せっかく目の前の彼のために作ったのに、それを渡せない現実に溜息を吐く。
何か彼に渡せるものはないかーー考えた矢先、志乃はあることを思い出した。
そんな彼女の胸の内など知らぬ時雪は、手作りチョコカップケーキを手渡す。
「ハイこれ、バレンタインのチョコ」
「!うわぁ……」
チョコの甘い匂いが、鼻腔をくすぐる。こんな手の込んだものを作れるなんて、やはり時雪はすごい。
「ありがとう、トッキー。あの…………私からも……」
「えっ?」
「チョコじゃないんだけどね、あげる」
そう言って、志乃はポケットに手を突っ込み、時雪に渡した。
掌に握っていたそれはーー袋に包まれたイチゴ味のキャンディ。
「その……本当は、チョコ作ってたんだけど……巷を騒がせてたあの怪盗に盗られちゃって」
「ごめんなさい」と俯く志乃。
時雪は掌の乗ったキャンディと志乃を見ていたが、ふと微笑んで、キャンディの袋を開ける。
「……トッキー?」
「これ、本当に俺にくれるんだよね?」
「?う、うん……」
「すっごく嬉しい。ありがとう、志乃」
キャンディを口の中に放り込んでから、突如抱きついてくる。志乃は真っ赤になって、テンパった。
「ト、トトト、トッキー⁉︎」
いきなりどうしたのだ。彼は確か、飴すごい好きとかそんなんじゃないはずなのに。
驚いて見上げてくる志乃に、時雪はいたずらっぽく笑いかける。
「志乃はさ、バレンタインのお返しがあるって知ってるよね?」
「え?うん、ホワイトデーでしょ?バレンタインの一ヶ月後に、チョコをくれた相手にお返しに、マシュマロとかクッキーとかいうお菓子を渡すんだよね」
「そう。でも、そのホワイトデーのお返しに意味があるのって知ってた?」
「へ?」
ホワイトデーのお返しに意味?
キョトンとする志乃に、時雪は続ける。
「マシュマロは、"貴女が嫌い"。クッキーは、"貴女は友達"……っていう風にね」
「へぇ〜、そうなんだ。でも、何でそれをいきなり?」
そう。最も疑問を感じる点はそこだ。
まだバレンタインなのに、何故いきなりホワイトデーの話をするのか。
「だって、これホワイトデーのお返しでしょ?」
「えっ⁉︎」
口の中のキャンディを指さして、時雪は笑う。
「えっと……その」
「それなら嬉しいなぁ、って思っただけ」
「ど、どういうこと?」
時雪は志乃を抱きしめたまま、耳元に口を寄せる。
そして、小さな声で囁いた。
「キャンディはね……
ーー"私も貴女が好きです"って意味なんだよ」
「…………」
一瞬、ポカンとする。
しかし、一拍置いて、
「〜〜〜〜っ⁉︎」
ボフッ!と耳まで一気に赤くなって、「ぇ、あ、……ぅぅ」と挙動不審になる。
恥ずかしくなって、顔を見ようとしてくる時雪の胸に飛び込んだ。
「ね、どうなの?」
「…………うるさい」
彼女に真相を尋ねようとすると、さらに顔を胸に埋めてくる。普段ドSとされる志乃のこんな姿を見られるのも、彼氏の特権だと思う。
ふふっと楽しげに笑う時雪を、志乃は弱冠潤んだ目で睨んできた。
「ごめんごめん」
「ったく……」
まだ赤みの残る頬。まだ照れているのだと思うと、この上なく胸が高鳴った。
志乃はそっぽを向いて、時雪から貰ったチョコカップケーキに口をつけた。
「!美味しい‼︎」
「そう?よかった」
さっきまでの恥ずかしさはどこへやら。カップケーキに夢中な志乃に、時雪はまた微笑を送る。こんなに愛おしい彼女は、この世界で霧島志乃だけだ。
時雪が志乃の頭を撫でる。カップケーキの食べカスを口に残した志乃が、それに気づいて幸せそうな笑顔を浮かべたーー。
次回、かぶき町四天王篇、参る‼︎