美術館内にいた役人達も、慌ただしくなる。志乃達は時に展示物の影に隠れながら、狐の狙うお宝を目指していた。
「本格的に動き出したようですね」
「オイオイ、こんな騒ぎじゃあ狐も尻尾巻いて逃げんじゃねーの?」
志乃の言葉に、ハジが異論を唱えた。
「そいつは無いと思うでやんす。わざわざ犯行予告を送り付けてくる位だ。これ位の警備態勢、狐も予想してるはずでやんす」
『奴は必ず来る。男とは常に危険に身を置かねば生きられない血に飢えた獣なのだ』
「オイ、何やってんだお前!何で悠々とワイン飲んでんだ腹立つな‼︎」
志乃達が身を潜めているというのに、小銭形だけはワイン片手に窓の外を眺めていた。
『先刻から震えが止まらない。どうやら俺の中の野獣も居ても立っても居られず、暴れ出したようだぼろ"ろ"ろ"ろ"』
「完全にビビってんじゃねーか。吐く程ガチガチになってんぞ」
カタカタ震えていた小銭形は我慢できなくなったように、窓を開けて外に吐く。志乃は呆れて溜息を吐いた。
「バカだろお前。いい加減ワイン飲むのやめろや。もうお前がハードボイルドじゃないことみんな知ってるから」
「ワインじゃないカミュだぼろ"ろ"ろ"」
「カミュでもワインでもいいから酒で緊張を紛らわしてんじゃねーよ」
その時、志乃と八雲がこちらに近づいて来る気配に気づく。
「……誰か来る」
「おいマズイぞ、バレたら一巻の終わりだぞ!」
志乃はすぐに小銭形とハジに役人らしき気配が近づいていることを伝え、美術品の展示に紛れようとした。
すぐ近くに置いてあった甲冑を着た瞬間、役人がハジに気づく。
「なんだ……ハジか」
「こ……こちら異常ナシでありやす‼︎」
「今誰かいなかったか?」
「いえ、あちきだけでやんす」
「というかハジお前、今日警備から外されてなかったか?」
「いえ、狐が来ると聞いて居ても立っても居られず」
敬礼して答えるハジ。役人達の足が、志乃達扮する甲冑に向かう。
「あっ!そっちは調べやしたよ」
役人達の視線が、一斉に二人に向く。二人は必死に俯いて、ひたすらに息を潜めてこの場をやり過ごそうとした。
役人達が、彼らの前から去っていく。
ーーたっ……助かっ……。
助かった、と思ったのも束の間。役人達が集まった先には、家康像の背後をとった小銭形が、銃を後頭部に向けていた。
瞬間、志乃と八雲の顔が真っ青になる。
「……オイ、こんな像あったか?」
「コレ家康像じゃ……」
「ピンポンパンポン♪こちらの像は、家康公鷹狩りの折、一瞬の隙を突き背後をとった暗殺者のハードボイル像です(小銭形裏声)」
「「あるかァァァ‼︎んな像ォォォ‼︎」」
志乃と八雲が、同時に家康像に飛び蹴りを食らわせる。家康像の後ろにいた小銭形は、足から壊された家康像ごと床に叩きつけられた。
「小銭形ァァァ‼︎貴様ァァ!謹慎中にこんな所で何をやっているかァァ‼︎」
完全に見つかってしまった。
志乃と八雲は着ていた甲冑を剥ぎ取り、役人達に投げつけながら逃げる。小銭形はハードボイルドに葉巻を取り出した。
「チッ、こうなっちまったら是が非でも狐捕まえて名誉挽回せんと確実にクビだな。フン、望むところさ。よし、一旦BARに引き返して態勢を立て直すぞ」
「全然望んでねーだろーが!逃げ腰だろ!大体何だよ一旦BARって‼︎BARなんて一回も行ってねーよ!アレしみったれた屋台だろーが‼︎」
「あれがBARだ。オシャレなBARは緊張して入れない」
「お前ホント、ハードボイルドの欠片もねーな‼︎」
志乃が走りながら逃げようとする小銭形にシャウトする。
その時、ハジが転んでしまった。
「ハジぃ!」
「アニキぃぃぃ‼︎」
「ハジぃ‼︎」
役人がハジに追いつく。次の瞬間、志乃達が走っていた廊下の窓ガラスが割れた。
そこから、狐面を被った忍装束の男がハジと役人達の間に割って入る。
「きっ……狐⁉︎」
「出たァァァ‼︎狐が出たァァ!ひっ捕らえ……」
役人達が突如現れた狐に臨戦態勢をとろうとしたが、狐は一瞬のうちに役人達の間を駆け抜け、倒していった。
振り返った狐が、手で「来い」と挑発する。それに見事乗っかった志乃と八雲が走り出した。
「野郎ォ‼︎ナメやがって‼︎」
志乃達の背中を追い、小銭形とハジも駆け出す。
「アニキ……狐の奴、今の……まさかあちきを助けて……」
『フン……まさか……だが、あの狐からはどこか懐かしい風が匂った。その後俺達は狐を追ったが結局捕まえることは叶わず、一旦BARに戻り、態勢を立て直すことにした』
「何勝手に話進めてんだテメーは!どんだけBARに行きてーんだよ!いちいちBAR挟まねーと次の行動ができねーのか‼︎早く野郎追うぞ!」
『BARもしくはビリヤードなどを嗜みながら態勢を立て直すことにした』
「ビリヤードもダメです!行きますよバカ‼︎」
志乃と八雲はひたすら逃げたがる小銭形を無理矢理引きずり、逃げ回る狐を追いかけた。
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トントン、と軽く階段を飛び降り、追いかける志乃達を挑発する。狐がピンピンしているのに対し、志乃達は息を荒げていた。
「待でェェェェェェ‼︎」
「あんの狐……完全に私達をおちょくってますよ。ムカつきますすぐ捕まえて捻り殺してやります」
「獣衆」銀狼、白狐をしても、狐に追いつけない。八雲はバカにされて、完全にイラついていた。
Sは自分がおちょくられると、すぐにカッとなってしまうのである。
「くっそあの野郎ォォ……ってアレ⁉︎何か、前に進まないんだけど⁉︎」
『自分では前に進んでいるつもりでも、後ろに下がっていたりする。結局人生なんて、死ぬ時になってたった一歩でも前進していたらそれでいいのかも』
「うるせェェ‼︎疲れてる時にそれやられると異常に腹立つな‼︎死ねよお前‼︎」
「落ち着きなさい志乃、無駄な体力を使うんじゃありません!……にしてもコレ、確かに進まなすぎで…………ってコレ!床が後ろに流れてますよォォォ‼︎」
志乃が小銭形にキレているのを宥めた八雲が叫ぶ。
志乃達はいつの間にか美術館の盗難防止トラップの一つ、流れる床に引っかかってしまったみたいだ。
「ふざっけんなよ!今までの私の労力返しやがれコノヤロー‼︎」
志乃はトラップに八つ当たりをする。
次の瞬間、志乃達の後ろに壁が現れた。しかもこの壁、至る所に棘が付いている。
「ちょっと前!速く走りなさい‼︎壁が迫ってきてます‼︎このままじゃ串刺しにィィィ‼︎」
「無茶言うなやァァ‼︎もう足がガックガクなんだよ!生まれたてのバンビなんだよ!」
後方を走る八雲が、先頭を走る志乃に叫ぶ。今までの疲れが溜まって、一番前を走り続ける志乃は、疲労と苛立ち混じりに返した。
志乃の目の前を駆ける狐も同じように流れる床を走っていたが、壁をトントンと蹴って、難なく前に進んでいた。
「志乃!アレです!バンビのように跳ねて‼︎」
「こんのォォォォォ、やってやらァァァ‼︎天よォォ我に力ををを‼︎」
気合いの怒号と共に、志乃は跳躍する。
壁を蹴って、反対側の壁に……とその時、壁を蹴った足があまりの強さにめり込んでしまい、志乃はそのまま失速した。そして、後方から走ってきていた小銭形や八雲に衝突する。
「何してんですかァァ‼︎貴女"銀狼"ならこれくらいできて当然でしょうが‼︎」
「うるせー!
志乃と八雲が口喧嘩をしていると、さらにトラップである鉄球が転がってきた。この状況で、鉄球に足を掬われたら……間違いなく、後ろの棘の壁に串刺しにされる。
その時、小銭形が紐を付けた小銭を天井照明に投げつける。
「銭投げェ‼︎」
紐は天井照明に見事巻きつき、小銭形はそれにぶら下がった。
「みんなァ!俺に掴まるんだ!」
「小銭形さん、貴方やればできるじゃ……」
八雲が遠慮なく小銭形の足を掴んだ瞬間、紐が絡まり、小銭形の首に巻きついてしまった。おかげで彼は、完全なる首吊り状態に。
「うげェ」
「掴まれるかァァ‼︎」
そうこうしている間に、鉄球はどんどん迫ってくる。
志乃達はジャンプでそれを何とかかわしていった。
「もう無理‼︎限界です‼︎」
「アニキも限界でやんす‼︎」
「知らねーよお前んとこのバカ大将は!ヤバイって!次あの鉄球がまた来たら、今度こそ避けられない‼︎」
志乃達の前から、また何かが流れてくる。鉄球かと警戒したが、やってきたのは布団の上で眠る老婆だった。
「ラッキぃぃぃババアだ‼︎これなら楽勝でやんす」
「何でババアなんですか‼︎何のためですか誰が流してんですかァァ‼︎」
先程の鉄球とは違い、グレードダウンした仕掛け。それを簡単にかわして、流れてゆく老婆を見やる。
「でも助かったでやんす」
「一体どこのババアなんでしょうか…………」
後ろを振り返った八雲は絶句した。老婆が流れ着く先は、あの棘だらけの壁だったからだ。
それを見た志乃、八雲、ハジの考えは瞬時に一致した。
「チクショォォォォォ‼︎なんで見知らぬ流れ者のババアを担がなきゃいけねーんだ⁉︎」
このままでは老婆が串刺しになって死ぬ、と判断した三人は、布団ごと老婆が持ち上げて走った。この間、吊られた小銭形は放置である。
「ふざけんじゃねーよ!もうこっちも限界なんだよ‼︎もう次ババア来ても絶対無視な!もう知らねー!ババアオーバーだかんね‼︎」
志乃が後ろで支える二人に声をかけると、前方からまた何かが流れてくる。今度は普通に流れる床に座った老人だった。
「ちょっと!今度はジジイが来ましたよ‼︎どーなってんですかァァ‼︎誰です⁉︎誰のジジイなんです⁉︎」
「ジョウ、無視だ‼︎見るんじゃねェ‼︎これ以上荷物抱えるわけにはいかねーんだよ!」
このまま行けば、老人は串刺しにされる。しかし既に老婆を担ぎ上げている三人に、さらに彼を助けることは不可能だった。
三人の横を通り過ぎたその時、老人が呟く。
「バーさんさようなら、愛してるよ」
「ジジイぃぃぃぃ‼︎さよならなんてさせねーぞォ‼︎」
「隣です‼︎ババアなら隣にいますよ‼︎隣でもう一度さっきの言葉言ってあげて‼︎」
老人の愛の呟きで、否応にも彼を担がなくてはならなくなった三人。この間、吊られた小銭形は放置である。
「オイ一体何なんだよコレェ⁉︎なんの嫌がらせだ⁉︎もうちょっとした大家族だぞ!誰だァこれ流してる奴‼︎年寄りは大事にしやがれボケがァァ‼︎」
志乃が走りながら吠えると、さらにまた誰かが流れてきた。今度は、中年期間近の男。
「あっ!また誰か来たでやんす‼︎」
「オイお前息子だろ!ダメだろちゃんと親父達見てなきゃ!」
「志乃貴女よくわかりましたね!」
「目尻のあたりがそっくりだろお父さんと‼︎」
「父さん母さん、遺産の話なんだがね。全部私が貰い受けることになったよ。まァ、アイツらもごちゃごちゃ言ってたがねェ」
「遺産の話してますよ‼︎ご両親がこんな状態なのに!」
「コイツは串刺しでいいね。てめーが遺産生みだぜバカヤロー」
例によって三人の横を通り過ぎていく息子。志乃達は最低な彼を助けることもしなかった。
その時、赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。志乃が見やると、前から赤ん坊が流れてきていた。それも、目尻に見覚えのある。
「三世代目尻がそっくりだろーがァァァ‼︎生きろォォォ‼︎どんな悪人でもなァ、子供にゃ親が必要なんだよ‼︎」
結局、孫共々助けたくなかった息子も救出することに。この間、吊られた小銭形は放置である。
しかし、今までずっと走ってきた三人に、体力の限界が近づいてきていた。
「志乃、もうヤバイですよ‼︎無理!」
「バカヤロー!私らの肩にゃ家族の命がかかってんだぞ‼︎」
「無理‼︎もう無理ですから!死ぬ!」
無情にも、後ろの壁が迫ってくる。
もう少しで棘が突き刺さりそうになったその時、美術館内をバイクで疾走していた小春が壁を反対側から破壊し、志乃達はなんとか無事だった。
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美術館奥にある、金の油揚げ像。その前に、狐が立っていた。
「古くから狐は田の神、稲生の神の使いとして崇められてきました。お稲荷さんという奴ですな。狐の好物を金で作っちまうなんざ、江戸での人気っぷりもわかるというもんでしょう。しかし一方で神様なんぞと呼ばれていながら、その一方で人を化かす
狐が、こちらを振り返る。一つしかない入り口には小銭形とハジ、志乃、八雲、小春が立っていて、出口を塞いでいた。
「ほざけ下郎め。てめーは神でも