重い扉を破壊した木刀の柄には、洞爺湖、と書かれてあった。
見覚えのある木刀に、晴太は目を見開く。
「こ……こいつは」
「オイオイ聞いてねーぜ」
乱入してきた、気怠げな声。百華達の死体を越えて、一人の男が奥から現れた。
「吉原一の女がいるっていうから来てみりゃよォ、どうやら
木製の扉にヒビが入り、固く閉ざされていた戸がゆっくり開く。
「
涙に濡れた目で、日輪は振り返り、晴太を見た。
「店長、新しい娘頼まァ。どぎついSMプレイに耐えられる奴をよ」
「………………貴様、誰だ」
鳳仙、小春、神威、志乃、晴太が、一斉に同じ方向を見る。木刀を投げ、扉を破壊した張本人。
「なァに、ただの女好きの遊び人よ」
「……銀!」
「ぎっ……銀さァァァん‼︎」
志乃の表情がパアッと明るくなり、ホッとしたのか、晴太の目にも涙が光っていた。
銀時は二人の姿を見ると、シッシッと手を振った。
「…………何してんだアホんだら。俺はいいからさっさと行け」
しかし、晴太は日輪を横目で見て、急に不安になる。今まで顔を見たことはあっても、こんなに近くで会うのは初めてだ。
「行っても……いいの?血も繋がってないのに……オイラみたいな汚いガキが、あんな綺麗な人……母ちゃんって……呼んでいいの?」
「今更何言ってんのアンタ」
腕を組んで、志乃は晴太を見下ろしフッと笑う。
「たくさん呼んでやりなよ。何度も何度も、聞き飽きるくらい。腹の底から、母ちゃんって」
トンと志乃に背中を押され、暗い部屋に足を踏み入れる。
晴太は震える声で、必死に言葉を紡いだ。
「か……母ちゃ……」
「…………いいのかい。血も繋がってないのに、こんな……薄汚れた女を母ちゃんなんて呼んでも……」
ーーたくさん呼んでやりなよ。
「……母ちゃ……ん」
「…………いいのかい。今まで……アンタに何にもしてやれなかった私を……母ちゃんなんて呼んでも」
ーー何度も何度も、聞き飽きるくらい。
「…………母ちゃん‼︎」
「いいのかい。私なんかが、アンタの母ちゃんになっても……」
ーー腹の底から、母ちゃんって。
頭の中でリピートされた、志乃の言葉。
晴太は溢れる涙と共に、日輪の元へ駆け出した。
「母ちゃんんんんんん‼︎」
「晴太ァァァァァァァ‼︎」
「母ちゃんんんんん‼︎」
八年越しの、
母親。自分の母親の顔は覚えてはいないが、もし生きていたら。こんな風に、優しく抱きしめてくれるのだろうか。
「……よかったね、晴太」
羨望を抱きつつ、志乃は抱き合う母子を見守っていた。
一方銀時は、鳳仙の隣に立つ小春に気付いた。
「……お前、何でこんな所に」
「………………」
銀時に問われても、小春は背を向けて黙ったままだ。
彼女の件は後回しにすると決め、自分は鳳仙と対峙する。
「……そうか。貴様が童の雇った浪人。わしの
「好き勝手?冗談よせよ。俺ァ女の一人も買っちゃいねーよ」
「そうか、ならばこれから酒宴を用意してやる。血の宴をな」
相手は夜兎の頂点に立ったとされる夜王鳳仙だ。まともに戦ったところで、負けるのは目に見ている。
抜刀する銀時を見て、志乃は今すぐにでも二人の間に割って入りたい気持ちを抑えていた。心のどこかで、きっと銀時なら……鳳仙を倒せると信じていた。
「鎖を断ち切りにきたか。この夜王の鎖から日輪を、小春を……吉原の女達を解き放とうというのか」
「そんな大層なモンじゃねェ。俺ァただ旨い酒が飲みてーだけだ。天下の花魁様に、ご立派な笑顔つきで酌してもらいたくてなァ」
ただ二人を見つめる他ない志乃の隣を、神威が通り過ぎる。神威は鳳仙の肩にポンと手を置いていた。
「こりゃあ面白い。たかだか酒一杯のために夜王に喧嘩を売るとは。地球にもなかなか面白い奴がいるんだね。ねェ鳳仙の旦那」
次の瞬間、鳳仙が手刀で傍らにあった柱を破壊していた。銀時と志乃は爆風に顔を顰めて、咄嗟に腕を盾にする。
柱が倒れると、ケラケラ笑い声が聞こえてきた。
「お〜コワッ。そんなに怒らないでくださいよ。心配しなくてももう邪魔はしませんよ」
神威は鳳仙の一撃を食らう前の一瞬で、傘を咥えた兎の銅像の背に、足を組んで座っていた。
「神威。貴様、何が目的だ。わしの命を獲ろうとした次は、童を手助けし日輪の元まで手引き。そうしてまでわしの邪魔をしたいのか……それとも、母を求める童の姿を見て、遠き日でも思い出したか」
「…………何を世迷い言を。夜王を腑抜けにした女。一体どれほどの女かと思えば、ボロ雑巾に縋るただの惨めな女とは。吉原の太陽が聞いて呆れる。違うんだよ。俺の求めている強さは、こんなしみったれたものじゃない」
「妹だろうが親父だろうが構わずブッ殺す、そういう奴かい」
銀時が銅像に座る神威を見下ろした。志乃も彼を見て、銀時に乗せる形で口を開く。
「皮肉なモンだね。血が繋がっていても妹を殺そうとする兄貴もいれば、血は繋がってなくても
「………………」
神威は何も答えず、笑顔を志乃に向ける。
その時、鳳仙が上着を脱ぎ、渡り廊下から跳躍して兎の頭に着地した。
「その絆とやらの強さ、見せてもらおうではないか」
銀時は志乃と小春の前を通り過ぎ、扉に刺さったままの木刀の元まで歩いていく。
「貴様が、わしの鎖から日輪を解き放てるか。わしが、奴等の絆を断ち切れるか」
銀時と鳳仙、お互いが得物に手をかけ、それを引き抜く。銀時は木刀を、鳳仙は兎の口を砕いて咥えていた傘を引っ張り出した。
鳳仙の持つ傘は、身の丈に合わない程大きいものだ。それを肩に担ぎ、視線を銀時に向ける。
「地球人風情に、この夜王の鎖、断ち切れるか」
「エロジジイの先走り汁の糸で出来たような鎖なんざ、一太刀でシメーだ」
銀時が、木刀と真剣を構える。志乃も腰に挿した金属バットを抜こうと柄に手をかけた。
しかし。
「来るな」
突き放すような声で、銀時がそれを制する。志乃を振り返ることなく、もう一度言い放った。
「手ェ出すな」
「銀……」
不安げな彼女の視線を背中で受けつつ、それでも来るなと背中で訴える。
いくら攘夷戦争で白夜叉と恐れられた銀時とはいえ、今回の相手は夜王鳳仙だ。夜兎族最強とも言われた男。銀時を信じてはいるものの、不安は尽きなかった。
彼女の心など知らず、銀時は今まさに、鳳仙と打ち合おうとしていた。