志乃と晴太が連れていかれたのは、街の中で一番大きな建物。ここに、夜王鳳仙がいる。
男ーー
そんな男に、春雨が会いに来た。一体何のために?
客間に通された志乃は、阿伏兎にここに残るよう言われた。
「そもそもアンタはガキの付き添いだ。付き添いがわざわざ交渉の席に座られちゃ困るんでね」
「交渉?」
志乃が首を傾げて、阿伏兎に問う。しかし、敵である彼女に教えるつもりは、彼にはさらさらなかった。
そこに、包帯頭ーー今は包帯を巻いていないーーが、にこにこしながら志乃の背後からひょこっと顔を出した。
「ここから出ちゃダメだからね。もし逃げたら、この子供を殺しちゃうよ」
「………………わかった」
「いい子だね」
志乃は、よしよしと頭を撫でてくる目の前の青年をずっと見つめていた。
似ている。神楽に。もしかして彼が、以前星海坊主が話していた息子なのだろうか。それが、今は春雨に入っている。
髭面の男、云業が晴太を縛り上げ、三人が部屋を出て行く。
一人残された志乃は、畳の上に座った。
櫛や簪を挿していた髪は、先の戦いで全てなくなり、下ろしている。髪はいつの間にか、背中の肩甲骨に届くまで伸びていた。
「……これなら括れるかな」
懐にしまった髪紐のお守りを取り出し、口に咥え持って髪を高めの位置で纏める。それから、紐で縛った。
「よし」
ポニーテールの完成に、志乃は少し嬉しかった。
やはり、戦う時にはこの髪が少し邪魔になる。短い時はさほど気にしていなかったが、ここまで長くなると流石に振り乱れて邪魔だった。
昔はここまででないにしろ、ポニーテールで括っていた。それがまた出来て、嬉しかった。
壁に凭れかかって、天井を仰ぎ見る。
「暇だな」
ボソリと呟いてみても、もちろん何も起こらない。
今頃、小春はどこで何をしているのだろうか。彼女を思い出し、志乃は拳を握りしめた。
「……必ず助ける」
決意を再び固め、志乃はゆっくりと目を閉じ、意識を手放した。
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一方その頃。小春は、綺麗な着物に身を包み、男に酒を酌していた。
髪を上げ簪で纏め、長さの足りない髪が一束、うなじに溢れている。
小春が酌していた相手は、あの夜王鳳仙だった。鳳仙は御猪口に酒が注がれたのを見て、彼女を下がらせる。
そして、正面に座る青年を見た。
「これはこれは、珍しいご客人で。春雨が第七師団団長、
春雨。その名を聞いて、小春は思わず反応してしまった。
春雨は以前、志乃を攫おうとした敵。あの一件以来、小春自身は春雨とやり合うことはなかったものの、高杉と桂が袂を分かった時には、志乃と時雪がその戦闘に巻き込まれたと聞いた。
「春雨の雷槍と恐れられる最強の部隊、第七師団。若くしてその長にまで登りつめた貴殿が、こんな下賤な所に何の用ですかな」
鳳仙が尋ねると、神威はケラケラ笑う。
「人が悪いですよ、旦那。第七師団作ったのは旦那でしょ。めんどくさい事全部俺に押し付けて、自分だけこんな所で悠々自適に隠居生活なんてズルイですよ」
小春は心を押し隠し、座敷で笑顔を取り繕う。
まさか、自分を連れ戻した鳳仙が春雨の元幹部だったなんて。
しかし、神威の話によれば、鳳仙は既に春雨を抜けているようだ。ならば、春雨がここに来た理由は……?
小春は彼らの話を聞きつつ、様子を伺った。
「人は老いれば身も
「いえ、わかりますよ」
「ほう、しばらく会わぬうちに飯以外の味も覚えたか。ククッ。酒か?女か?吉原きっての上玉を用意してやる。言え」
「じゃあ……日輪をお願いします」
爽やかな笑顔で口にしたのは、日輪の名。
小春は、鳳仙の空気が変わったのを感じ取った。
ーーあの子……何を考えているの?日輪を出すなんて、鳳仙の怒りを買うのは目に見えているのに……。
神威の腹の内を読めぬまま、小春はジッと彼を見つめた。ポーカーフェイスと対峙しているように、笑顔の裏さえ読めない。
手土産と称された少年を見ても、鳳仙の険しい表情は変わらない。
「嫌ですか、日輪を誰かに汚されるのは。嫌ですか、この子に日輪を奪われるのは。嫌ですか、日輪と離れるのは」
日輪をしきりに出してくる神威を見て、小春は確信した。
ーー間違いない。この男、明らかに鳳仙を煽っている!
鳳仙を見やると、彼は黙って俯いていた。やがて、低い声で言う。
「少し黙るがいい。神……」
「年はとりたくないもんですね。あの夜王鳳仙ともあろうものが、全てを力で思うがままにしてきた男が、たった一人の女すらどうにもならない。女は地獄、男は天国の吉原?いや違う。
「神威、黙れと言っている」
鳳仙が言うのも聞き止めず、神威は彼の前に立った。
「誰にも相手にされない哀れなおじいさんが、カワイイ人形達を自分の元に繋ぎ止めておくための牢獄」
「聞こえぬのか、神威」
神威が徳利を手に取り、鳳仙に酒を酌す。とても嫌な予感がした。
「酒に酔う男は絵にもなりますが、女に酔う男は見れたもんじゃないですな。エロジジイ」
刹那、小春は懐に隠した拳銃を両手に持ち、駆け出した。
鳳仙が、扇子で神威を殴ろうとしているのが見える。さらには神威も、鳳仙のすぐ後ろにいた遊女の服を掴んでいた。
神威はあの遊女を、身代わりにするつもりだ。
そう判断した小春は、銃身で鳳仙の扇子を受け止め、神威の眉間にもう一丁を突きつけた。
「‼︎」
「!」
「そこまでです」
鳳仙と神威が目を見開き、間に割って入った小春を見る。
鳳仙の扇子を受け止めた拳銃は、ミシミシと音を立て、今にでも破壊されそうだった。
「鳳仙様。かような男の言葉など、お気になさらず。それと貴方。その子から手を離しなさい」
小春の仲裁によって、鳳仙は扇子を下ろし、神威も遊女から手を離した。
「小春。銃を下ろすなよ」
「はい」
鳳仙は小春に命じると立ち上がり、箱膳を蹴り飛ばす。
「貴様ら、わしを査定に来たのだろう。
鳳仙は着物の上を脱ぎ、阿伏兎と対峙する。
「吉原に巣食う、この夜王が邪魔だと。ぬしらに、この夜王鳳仙を倒せると」
鳳仙のプレッシャーを感じながら、阿伏兎は彼を落ち着かせようとしていた。
その成り行きを見守りつつ、小春は拳銃を神威の眉間に当てていた。
「ねぇお姉さん」
小春が振り向くと、神威はにこっと笑いかける。
「お姉さんもしかして、"金獅子"?」
「…………貴方の上司から聞いたの?」
「話はね。でもがっかりだなァ」
「何……っ⁉︎」
神威は笑顔を浮かべながら、ミシミシと拳銃を握り潰していた。小春の表情は驚愕に染まり、神威から目を逸らせなかった。
次の瞬間、小春の腹に躊躇なく神威の拳が入った。
「弱すぎる。これじゃあ、銀狼と天地の差だよ」
「がふっ……‼︎」
小春の体は屏風を破砕し、壁に強く打ち付けられた。薄れゆく意識の中、小春は神威を睨みつける。
ーー何故……お前が、
しかしそれを問う前に、小春は気を失った。
********
その時。客間で一人、膝を抱えて眠っていた志乃が目を覚ました。
呼ばれた気がした。誰かに。
「ハル……?」
鉛色の空を見上げた瞬間、外から大きな爆発音が響いた。