書類とグレイフィアと呼ばれていた女性に挟まれながら、部屋に散乱していた書類を片付けていくサーゼクス。
先ほどまでの、どこか頼りない感じはすでになく、そこに悪魔のために動く魔王の姿があった。
「随分と張り切っているな」
俺も床に散らばっている書類を拾い集めながら、サーゼクスに話しかける。
「そう見えるかい? 私にとっては、これが普通だよ。これでも魔王の一人だからね」
「そうか。なら、後ろに控えている悪魔の言葉も、しっかりと聞くのだろうな。立派だよ、魔王さまは」
「え?」
サーゼクスが後ろを振り返るより早く、俺は書類集めに戻った。
なぜかだと?
サーゼクスの後ろには、魔王すら恐れる女性が、満面の笑みで佇んでいるからだ。
背後で、何事かを冷え切った声で言葉にするグレイフィア。
逃れられないと悟り、顔を青ざめさせながら聞くサーゼクス。
おかしな光景だが、悪くない。
「ヴァーリ、どうかしたかい?」
二人を眺めていると、サーゼクスから疑問の声が飛んできた。
「なにがだ?」
「なにがって、おかしな顔をしていたからね。楽しいことでもあったのかな?」
おかしな顔? 俺はそんな表情をしていた覚えはないが……。
「おかしな顔だったのか?」
グレイフィアにも問うが、当の彼女は、優しい笑みを浮かべ、俺を見つめるだけだった。
「せめて、なにか言ってもらいたいものだな」
「ふふっ、そのうち話してもくれるだろう。それよりヴァーリ。今日は早めに切り上げてグレモリー邸に行こうか」
ここぞとばかりに声量を上げて言う。
だが――
「サーゼクス?」
――グレイフィアがなんて言うのだろうか。
「……冗談だ。わかってくれ、グレイフィア。ほら、せっかくだから、親子で語り合わないといけないこともあるし、家の案内も必要だろ? 私たちは、まだ出会ったばかりだ。わかりあうには、早め早めの行動が」
「よくまあ、そこまで言葉が出てくるわね」
「落ち着こう。落ち着いて話し合うんだ!」
「ええ、落ち着いているわ。だから、今日は一度帰りましょうか」
彼女の言ったことが理解できなかったのか、サーゼクスは返す言葉もなく黙り込み、室内から音が消えた。
内心、俺も驚いている。
会って数時間と経っていないが、サーゼクスの休みたい願望が僅かながらに含まれている要求を認めるなど、あり得るものなのか?
「そうと決まれば、今日やるべきことは三倍速で終わらせてくださいね」
どうやら、俺の勘違いだったと見える。
この人が、ただで帰らせてくれるわけがないと思い知らされた。
余談だが、サーゼクスは五倍速で働かされ、心身共に疲弊しきった状態で、グレモリー家に転移した。もちろん、俺とグレイフィアを連れて。
事情を一切説明していなかったのか、俺を拾ってきたという事実を前に、サーゼクス同様、紅の髪を持つ男性と、亜麻色の髪の女性が驚きを隠せずにいた。
「サーゼクス、おまえにはミリキャスがいるというのに、養子ときたか……そうか。二人目の孫か」
髪の色からもわかることだが、サーゼクスの父親だ。
「とはいえ、ルシファーの名が世に出れば、もっと言ってしまえば、奴の名が出れば、それこそ混乱を招くぞ」
「こどもに罪はありませんよ」
俺の肩を強く抱き、離すまいとする。
「父上、生まれてくる子に罪はありません。我々は、歓迎こそすれど、否定などあってはならない」
「サーゼクスのいう通りです。あなたの危ぶむところもわからないわけではありませんが、彼はルシファーではなく、グレモリーです。私たちの愛すべき子なのですから」
小さな子を抱いた、亜麻色の女性が話に入ってくる。
グレイフィアにその子をそっと渡し、俺にも視線を向ける。
「過去がどうあれ、サーゼクスが言うのだから、あなたもまた、真っ直ぐで強い男になりなさい」
一言告げると、俺から離れていく。
「まったく。これでは、私が反対しているように映るではないか。ヴァーリと言ったね。サーゼクスは適当で、親バカで、呆れることも多いだろうが、いい目標になるだろう。困ったことがあれば遠慮なく言いなさい」
気の利いたあいさつができればいいのだが、生憎、そんなものは知らない。
首を縦に振り、意思表示だけに留める。
「ひとつ疑問が残っているのだが、俺はグレモリーでいいのか?」
この場にいる全員に問うと、サーゼクスが代表して受け答えた。
「それは、ルシファーと名乗らなくていいのか、ということかい?」
「その通りだ」
「私は真なるルシファーではなくてね。現在の魔王は世襲制ではなくなったから、ルシファーとは名乗らず、グレモリーと名乗って欲しい」
なるほど。
根本からして、あのクソ悪魔の時代とは違うらしい。
「わかった。なら、俺はやはり、ヴァーリ・グレモリーでいい」
自ら名乗りを決めたことで、サーゼクスとグレイフィアが嬉しそうに頷く。
「さて、残すは一人」
サーゼクスの側に、グレイフィアが近づく。
「その子は?」
「私たちの子だよ。名を、ミリキャス。ミリキャス・グレモリーだ。そしてヴァーリ、キミの弟だ」
グレイフィアが屈み、俺にも見える位置で赤子を抱く。
「サーゼクスと同じ、紅の髪の子か。なるほど、確かにグレモリーの子だな」
思ったことを口にすると、突如、横にいたグレイフィアに片手で引き寄せられた。
「ヴァーリ。あなたも、もう私たちの子なのよ」
「私とグレイフィアの子たちだ。紅と銀。どちらもいて、最高にいいことじゃないか」
銀……俺の髪のことだろうか。
グレイフィアと似た、髪の色。
「……ああ。そうだな。俺はあなたたちの息子だ。そして、ミリキャスの兄として、この子を守ってみせる」
まだ、力も知恵も足りない身だが、ここに来て、ようやく家族というものを本当の意味で知れそうだ。
「ミリキャス。まだ未熟で、家族もわからないが、おまえの――弟のことは、兄に任せろ」
小さな手。
まだ、生を受けて間もないだろう命。
俺とは違う、温かい家庭に生まれた子。虐待も、小さな悪意にも触れたことがないのだろう。
「だが、俺もここで、生きていける」
目の前の小さな手に触れると、指を握られた。
まるで歓迎されているかのように。
この日、俺は初めて、家族全員で味わえる温かみを知ることになる。
みんなで食卓を囲み、他愛ない話や、今日のサーゼクスの失敗談。挙句、俺のことにまで話は及んだ。
楽しい。
そのたったひとつの感情だけが、俺の中に浮かんでいた。
家族での会話が続く中、俺は一人抜け出し、静かなテラスに来ていた。
「俺は、ここにいてもいいのだろうか?」
こぼした言葉は誰に聞かれるでもなく、消えていくと思っていた。
「私たちは、ここにいてほしいと思っていますよ」
背後から、今日出会った女性の声が聞こえる。
振り向かなくてもわかった。
「グレイフィア……」
「あなたの過去がどうであれ、もうグレモリーの――私の息子だもの」
後ろから、包まれるように手を回される。
「不安はぜんぶ、私に預けなさい。その代わり、私からはその何倍もの愛情をあげるから」
「母、か。悪くないな」
遠くから、俺たちを呼ぶサーゼクスの声が聞こえてくる。
また、バカ話の続きだろう。
「戻ろうか。サーゼクスの話に付き合わないと」
「そうね。ヴァーリ、私のことはお母さんと呼びなさい。長い時間をかけてもいいから、必ず」
ああ、まだ呼べないけれど。
いきなりは照れてしまうけれど。
先に行くと言った背中を見送りながら、ポツリと言葉が漏れた。
「そのうちあなたたちの前でも呼べるようになるよ――母さん」