腰抜けハンター奮闘記   作:重さん

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第14話

 雪山の頂上にほど近い場所、エリア6。

 比較的広い場所だ。モンスターにとってもハンターにとっても戦いやすい場所。必然的に、ハンターはここを最終決戦の場として選ぶことが多い。

 その例に漏れず、ホイレンもまたここを最終決戦の場に選んでいた。

 傷はほとんどない。防具も損傷はなく、背筋が曲がっていない立ち姿からしてもまだまだ余裕があることが伺える。

 その一方で、相手方の姿は悲惨だった。

 右目は潰され、右前脚の骨は露出し、身体は満遍なく傷だらけ、後ろ足に至ってはほぼ引きずるような体勢となっている。

 絶対強者、そう言われるモンスターの姿としては、あまりにも哀れ。そういうほかなかった。

 ホイレンは喋らない。いつもは無駄口ばかり叩く彼であっても、戦場で無駄口を叩くような油断はしない。目の前の敵を見据え、次はどこを削ろうか、そう考える思考だけが彼の中にはある。

「■■■■■■ッ」

 小さく、少し弱弱しくなった咆哮を上げる轟竜。

 それは威嚇だろうか、だとしたら随分と情けない。ホイレンは内心肩を竦めながら、轟竜に向かっていく。

 大剣を体と一体化させ、エネルギーのロスを最小限に、相手の動きを観察し、回避に必要な動きだけを選択する。

 轟竜は目の前から迫ってくるホイレンに対して、その強靭な顎でもって噛み砕かんと食らいつく。

 ホイレンはその攻撃を大剣切っ先を下に向け、その側面で受け流し、轟竜の肌を若干削りつつそのまま大剣を振り上げた。一寸の角度のズレさえ許されないその動きを、ホイレンは呼吸をするように自然にやってのける。

 振り上げられた大剣は轟竜の首筋を切り裂き、血飛沫が舞う。若干呻く轟竜の隙を見逃すことなく、ホイレンは振りあげた大剣の勢いをそのままに身体を半回転、自分を噛むことに失敗した頭を打ちすえる。

 衝撃が轟竜の頭を襲い、方向感覚を狂わせる。絵巻であればその頭の頭上にはひよこの群れが輪をなしていただろう。ホイレンは更にその隙を突く。頭を薙ぎ払い、地面と挟み撃ち、再び薙ぎ払い、挟み撃ち。

 そうして頭を攻撃されていれば、轟竜の意識は上がろうとしても上がることは出来ない。この状態に持ち込まれた時点で、九割九分九厘轟竜の負けだ。

 しかし、それでも、野生動物のしぶとさは侮れない。

 轟竜は最後の力を振り絞ったのだろう。ホイレンが薙ぎ払いの体勢になり、轟竜の攻撃をガードできない瞬間、そのわずかな隙間を見計らって、ホイレンの身体に食らいつこうと口を開いた。

「遅い」

 しかし、ホイレンはその轟竜の口の前からは既にいなくなっていた。

 轟竜が動き出したことに気付いたホイレンは、あえて体の踏ん張りを無くし、大剣を軸にすることによって轟竜の攻撃を避けたのだ。

 何も獲物が居ない空の領域を顎が挟み込む。虚しく響いた歯がぶつかり合う音は、轟竜の命運が尽きた音でもある。

 振り下ろされる大剣は、潰された目では見えなかった。

 

 

 

「・・・割とあっさりだったな」

 頭を掻きながらホイレンは呟く。

 その言葉に嘘はない。

 ホイレンが轟竜と遭遇してから、およそ三時間しか経過していない。本来、二日間の日程で獲物を狩るハンターの狩猟から言えばかなり早いと言える。

 ホイレンはそれがどうにも不満だった。

 自分の実力がそれほどまでに上がっているのであれば文句はない。それは紛れもない自信になり、狩りのモチベーションも上がる。

 しかし、今回の狩りはそうではない。

「こいつ、どう考えても弱ってる」

 そう、このティガレックスは間違いなく弱っていたのだ。何が原因かは分からないにしても、まるで何かと戦った後のように動きが鈍かった。

 しかし、だとしても不自然だ。

 何故なら、ホイレンがこの轟竜に出会った時、確かにこのモンスターは無傷だったのだから。

「・・・何かから逃げたなら、傷の一つくらいつくはずだよな」

 逆に、傷一つない圧勝だったとしたなら、モンスターの回復力ですぐさま気力は回復するはずだ。

 目の前の轟竜は、まるで病み上がりの人間のような不自然な疲れ方をしていた。

 ホイレンは頭を掻いて、ため息を吐く。

「・・・仕方ねえ。ちょっとばっかり探索してから帰るか」

 ホイレンは轟竜の素材をいくつか剥ぎ取り、その場を去る。

 その日の雪山は、妙に薄暗かった。

刺さる。

 雪国の冬は寒いのではない。痛いのだ。身体の芯まで凍らせるような、という表現をよく見かけるが、そんな生易しいものではない。文字通り刺さるのだ。体の芯に刺さり、全身に痛みを告げる。そんな寒さ。

 この球状の星の最北端にほど近いポッケ村は、恐らく世界有数の寒さを持つのだろう。

 そんな極寒の夜の中、マキリは一人、竿を垂らしている。

 水面は揺れ、糸は垂れ、されど獲物がくる気配はない。

 空は雲に覆われ、灯りと言えば傍らのランプのみ。

 そんな闇の中、マキリは考えを巡らせる。

 彼女の行動に想うところはあった。

 例えば、何故好いても居ない相手の送り役をやるのか。余人ではならない理由があるのか。

 あるいは、そもそも必要性の薄い専属の仕事を自分に押し付ける必要が果たしてあるのか、どうか。

 この二年間平穏そのものだった雪山で、専属ハンターの仕事など微々たるもの。畑を守る、商人の安全を確保する、目的と言えばその程度。決して村の存亡に関わるような事件が起きたことなどない。

 マキリがハンターをやっている意味はあるのか。

 そう思わなかったと言えば嘘になる。

 けれど彼女はどこからともなく仕事を見つけてくる。中型の狩猟から採取まで幅広く、どこから持ち出しているのだと切り込みたくなるほどに大量の仕事。

 休む暇を与えないようにしているかのようなその様子を、マキリは己が嫌われているせいであると断じていた。その件についての思考をマキリは好まない。既に自分が嫌われている理由はトマリから語られている。考えるということはその理由をもう一度頭の中で繰り返すということにほかならず、意識的に考えることを避けていた。

 だがしかし、どうにもそうではなかったらしい

『ごめんなさい』

 またも聞くことになったその文句。いや応なく心に影が差し、口から小さな舌打ちが漏れる。

「・・・謝るくらいなら、どうして」

 自分の身体の傷などマキリにとっては些末なことだ。どうせ今更傷の一つや二つ増えたところで何も変わりはないのだから。

 しかし、それをそこまで気にするのなら、そもそも狩場に送り出さなければいいではないか。

『マキリに満足してほしかった』

「満足できるわけないじゃんか。こんな臆病者が」

 吐き捨てるように呟くマキリの竿には、何も掛かることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 トマリが目覚めるまで、マキリは傍に着いていた。

 身体のどこにもけがはなく、眠っている姿は極めて穏やかだ。だからこそ、心は波立つ。

 そんな事態になることは全く想定していなかったはずなのに、マキリの身体は半自動的に、迅速に動いた。母親の看病の時の動きと全く同じなのだ。一か月間絶えず続けてきた訓練はそう簡単に抜けるものではない。

 寝ている間に服を着替えさせるというのは気が引けた為、上着を脱がすだけに留めた。

 マキリは散々逡巡した挙句、トマリをベッドに乗せた。

 母親が使っていたベッドではない。それは母親が死んだとき既に廃棄した。今マキリの家にあるのは元は父親のベッドだったものだけだ。けれどやはり、同じ家で同じような症状の人間を看病するという状況はあまりにも不快だった。

 マキリがトマリの看病をしている間、フラヒヤ山脈には再び黒雲が掛かっていた。ただ、狩猟区からは少し外れている。あまりにも不自然な雲の動きだ。まるで何かを追いかけるように左右に動き回っている。マキリは流石に、父親から聞いたモンスターの姿を思い浮かべずには居られなかった。

 しかし、もしもそんなモンスターが居たとしたならマキリにはどうすることも出来ず、恐らくホイレンでも厳しい戦いになるだろうことは容易に想像がつく。したがって今は頭の片隅に追いやることしかできない。

 今重要なことは一つ。

「・・・マキリ?」

 困惑したような、寝ぼけたような、馴染み深い、優しいアルトボイスが耳に入った。

 マキリは薄目を開けて、少し眩しそうな顔をするトマリを正面から見据えた。

「・・・話をしよう。トマリ」

 聞かなければならないことが、今のマキリには山ほどある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんなさい」

 頭を下げたトマリに対し、マキリは頭を掻いた。その表情は驚いているわけでも困っているわけでもなく、呆れていた。

「・・・謝ってほしいわけじゃなくてさ、理由が聞きたいんだ」

 トマリが、マキリを狩場に送り出していた理由を。

 心労で倒れてまで、そうしたその理由をマキリは知りたかった。

 好奇心ではない。

 これは怒りだ。

 気付かなかった自分に対しても、そして黙っていたトマリに対しても。

「トマリ、どうしてそんなになってまで僕を送り出した?」

 真正面から、トマリに問いただす。

 先ほどのように取り乱さないかは心配だったが、今、そういった様子はない。落ち着いて、マキリの話に耳を傾けている。ならば、多少強気に言った方が真実を引き出しやすい。

 トマリは居心地が悪そうに身を捩るが、マキリから視線を外そうとはしない。

 居心地が悪そうなのは何か思うところがあるからだろうか。視線を外さないのは、話すという意思表示だろうか。

 マキリがそんなことを考えている間に、トマリはふう、と小さく深呼吸をした。

「・・・マキリは、さ。農業、楽しかった?」

「・・・いきなり何の話」

「ハンターやってるより、楽しかった?」

 マキリは、思わず顔を顰める。

 今、マキリには分かった。

 トマリがなにを言いたいのかも、どうしてマキリを送り出していたのかも、そのすべてが分かった。伊達に幼馴染をやっているわけではない。思考の型はなんとなく把握している。

 だからこそ、心は苛立つ。

「・・・正直に言えば、楽しいわけじゃない」

 マキリの答えに、トマリはほっとした表情を見せる。しかし、ここはほっとする場面ではない。マキリからしてみればただ単に自分勝手なことをしているだけだ。

「トマリ、僕がハンターに憧れてたから、だから無理矢理にでもハンターを続けさせたの?」

 その言葉に込められた怒気に、トマリは気付いたのだろう。唇を噛んで、顔を俯かせる。

 それは、何よりも雄弁な肯定だった。

「・・・マキリに、満足してほしかった」

 ぽつりと呟く。

 冷たい表情に隠されていたものが、滾々と、器が壊れた水のように流れ出る。

「・・・マキリが、戦えなくなってから、ずっと辛そうだった」

 その通りだ。

 マキリは辛かった。毎日毎日狩りに挑み、跳ね返され、村の人々には哀れみの眼で見られ、自尊心はぼろぼろになった。トマリだけが唯一、心の底から自分を心配してくれていた。

 心配して、手当てをしてくれた。

 その姿を見られていたのだ。分からないはずもない。

「農場でさ。マキリが働いているところ、私も好きだったよ。普通に笑って普通に泥だらけになって、釣りをしたり、コジロウと遊んだり、久しぶりだった。マキリが笑ってるところを見たのって」

 その通りだ。

 あの時、マキリは楽しかった。丁度マキリの心が折れた頃にやってきたコジロウと、農場で働くのが、マキリは楽しかった。コジロウなら自分を心配しない、憐れんだりしない。もうボロボロだった自尊心がこれ以上傷つけられることもない。まっさらな状態から自分を見てくれる。

 だからマキリはあの農場が好きだった。

 けれど

「でも、強引に笑ってたよね。マキリ」

 一体どこで見られていたのだろう。

 マキリが思い返しても、トマリが農場に来たことなど数えるほどだ。そもそもマキリとコジロウが作業しているときに、ポッケ農場に来る人間が少なかった。元々アイルーたちだけで管理できていた訳だし、わざわざ人間が見にくる必要もない。

 しかし、トマリはどこからか見ていたのだろう。

 隠れて、マキリが心にしこりを残していることを感じていたのだろう。

「・・・だから私、諦めてほしくなくて」

「僕を送り出した?」

 トマリは沈黙する。それが答えだ。

 マキリは瞑目し、息を小さく吐き出す。

 トマリのことは分かった。

 何がやりたいのかも、マキリにどうしてほしいのかも。よくわかった。

 だからこそ、マキリには我慢できない。

「トマリ、金輪際、それは無しだ」

「・・・」

 マキリの表情は、常になく厳しかった。

 目を細め、頬は引き攣り、眉間には皺が寄っていた。

 眼の奥で、静かな激情が暴れている。

 トマリはそれを見て、息を呑んだ。

「僕は今、結構怒ってる」

 見ればわかるだろうに、マキリは言わずにはいられなかった。

 自分のことを思っていてくれたのは嬉しい。それはマキリにとっても望んでいたことだ。

 しかし、自分の心に負担をかけるなどということをするようでは本末転倒だ。特に、マキリに対してそれは一番やってはいけないことだった。

「僕のことを考えてくれたことはうれしい。お礼を言っておくよ。でも、自分の身体を粗末にするようなことをしたのは許さない」

 トマリの眼が、僅かに揺れた。

 涙だろうか、自分の善意が、ただの押し付けにしかなっていないことに気が付いたのだろうか。

 後悔を、しているのだろうか。

 しかし、それでもマキリは止まらない。

「もう二度と、僕の心を勝手に推し量るな。自分の心に負担をかけるな。次そんなことをしたら」

 そんなことをしたら、どうするのだろうか。

 マキリは自分で自分に問いかける。しかし、口は勝手に動いていた。

「・・・僕は一生、お前の言葉を信じない」

 いつしかぶりの、何かが壊れる音がした。

 そしてマキリには、もう二度と、その壊れたものが治る気はしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 がごん、と、何かが叩かれる音がした。

 その音の方に、オッカイは向かう。片手には酒瓶を持ち、片手には徳利を持ち、ゆっくりと歩いて行く。

 そして、目的の人物を見つけた。

「・・・オッカイ、何の用」

 マキリは片手で釣竿を持ち、片手は固く握りしめられていた。オッカイの方を振り向いては居ない。恐らく、足音で誰かを判断したのだろう

 桟橋の板も一枚割れているところから見て、マキリが殴ったらしい。先ほどまでのやり取りを思い出し、苛立ちが頂点に達した結果だ。

「ものに当たるのは感心しないな」

「・・・悪かったよ」

 少し、気が立ってた。そう語るマキリの眼はいつもの比にならないほど鋭く、自他ともに目つきの悪い男と言われるオッカイですらそれに勝てる気はしなかった。

 オッカイはマキリの横に座り、酒を徳利に注いだ。

「飲め」

 そして差し出された酒に、マキリは首を振る。

「下戸」

「知っている。だから飲め」

 マキリは一層目を鋭くするが、オッカイは動じずに別の徳利を傾けている。マキリは諦めたようにため息を吐き、それを口に運んだ。

「・・・トマリと喧嘩をしたらしいな」

「あれは喧嘩じゃないよ。僕が一方的に怒っただけだ」

 妙に冷静だな。聞いた話だと、かなり怒っていたみたいだが。

 オッカイは頭を掻く。その仕草を見たマキリは思わず舌打ちをした。

「誰に言われたの?僕を説得しろって」

「・・・よくわかったな」

「わかりやすすぎ」

「お前に言われるとは思わなかった」

 そもそも、オッカイはこういった、人と人の中を取り持つようなことはしない。この男が器用なのは武器に限った話であり人間関係に関しては苦手も苦手、大の苦手だ。

 積極的にマキリに話しかけてきた時点で、マキリは違和感を感じていた。そこに困ったような仕草を認めれば自ずと答えは出る。

「トマリと仲直りさせろって?アイさんあたりかな」

「・・・鋭いな」

「一番やりそうなのがアイさんなんだよ」

 オッカイにとってこういった役割は最も苦手な役目だ。それを無理矢理にでもやらせることが出来るのは、思い切りが良い強引さを持つアイくらいなものだ。

 オッカイはアイに追われたことを思い出して顔を顰める。

「お節介が過ぎるんだあいつは。いちいちと口うるさい」

「まあ、見てられないんだろうけどね。知っちゃった以上はさ」

 竿を上下に揺らしながら、気だるげな表情を絶やさないマキリの声には芯が抜けていた。

 ただ思いついたことを喋っているだけ、頭の中で考えることをせずに感じたままを言葉にしている。そんな感覚だ。例えるなら寝起きの人間を相手にしている感覚に近い。

 しかし、オッカイにはこの状態から元に戻す方法を知らない。酒を使って言葉を引き出せるかと頭をひねっても見たが、結局のところあまりうまく行くものでもない。

 オッカイは面倒になり、ため息交じりに本題に入った。

「・・・マキリ、何故トマリを拒絶した」

「拒絶?」

 何を大袈裟な、そんな具合に鼻で笑ったマキリを、オッカイは睨み付ける。

「お前が諦めたハンターへの道をもう一度開いたのはあいつだろう。だというのになぜあいつを叱った」

「僕が危険に放り込まれたことを怒ったのがそんなに不満?ハンターなんて危険な仕事に何度も行かされたんだから怒って当然じゃ」

「俺は気が長い方じゃない」

 一向に真面目に答えようとしないマキリに、オッカイは視線を叩きつける。風がマキリの髪を揺らし、元々不機嫌そうだった目がさらに不機嫌そうに細められる。

「・・・僕がさ、どうして臆病者になったんだと思う?」

「父親が死んだのを見て、あっさり死ぬことが怖くなったんじゃないのか」

「んなもんどうでもいいよ。別にあっさり死んでも、ハンターなんだからあり得ないことじゃない。そういうのはもうとっくの昔に覚悟してる」

 極限状態で戦っている以上いついかなる時も死の危険はついて回るものと考えるべきだ。ましてやハンターなど自分よりも体格も大きく回復力もあり、時に火や酸を吐く様なモンスターたちと戦わなければならない。そんなハンターたちを自殺志願者と呼ぶ人間が居ることもマキリは知っている。

 それを承知でやってきたのだ。

 確かに、父親ほどのハンターでもあっさり死ぬということは衝撃だった。

 しかしそれでも、マキリにとっては少しばかり覚悟の質を変えればそれで済んだ。死んでも仕方がない。その時はその時だ。だから死なないように全力を尽くせばいい。そう思えた。

 けれど、母親の死はそうではない。

「僕もトマリが倒れてから気付いたよ。僕が怖がってるのは死ぬことじゃない。僕が怖がってるのは心配してくれている誰かが母さんみたいな、生きた屍になることだ」

 ただ単に自分が死ぬだけならばいい。

 しかし、そこに他人の死が介在してくると言う事実。それは母親という前例を見たマキリにとって余りにも重い。

「・・・よく、わからんのだが、要するにお前はトマリに心配を掛けたくなかったのか」

「そういうこと。だからさ、トマリが我慢してまで僕を送り出すとか、そういうのはさ、余計なお節介なんだよ」

 今ならわかる。

 トマリに送り出されれば狩場で硬直しないのは、トマリのことが好きだからとかそういう理由ではない。

 ただ、今のトマリなら自分が死んでも大丈夫だろう、そう思えたからだ。

 好意を得られていないと、自分を心配することはないと、生きた屍になることはないと、そう思えたからだ。だから戦場で無茶だって出来た。だって今までと変わらないから。

 しかし、その言い訳はもう使えない。

「馬鹿じゃないの。馬鹿だよ。なんでそんなことするかな。確かに狩りが出来なくなって不満だったかもしれないけどさ、そんなの普通、放っておくよ。放っておいてほしかったよ。そうすれば今頃諦めだってついたのに、普通に、農業やって、普通に暮らして、普通に、ハンターなんてやらなくてもよかったのに」

「その諦めるのが嫌だったんじゃないのか?あいつは」

 オッカイは途中から耳を傾けるのを辞めて、一人酒をちびちびと飲み進めていた。マキリはその横顔を睨み付けるが、どこ吹く風だ。

 既にオッカイは、聞く必要性を感じていなかった。

 要するにこうだ。という答えを既にオッカイは得ていたのだから。

 回りくどいことは嫌いだ。だからこそオッカイは正面から自分の考えを叩きつける。

「お前はあいつと話すのが怖いくて逃げてるだけだ」

 マキリの冷たかった表情が、一気に赤く染まる。その変化は劇的だった。さながら藁が一気に燃え上がるように、マキリの激情が外に漏れ出る。

「逃げてるだけ?どこが、僕のどこが逃げてる。あいつが勝手に僕のこと決めつけて勝手なことしたから怒ったんだ。それのどこが悪い?」

 先ほどまでの落ち着いた様子が嘘のように、マキリはオッカイに向かって言葉を叩きつける。しかし、その様子はまるで癇癪を起こした子供そのものだ。オッカイは頭を掻く。

「あいつは確かに勝手なことをした。お前の心を勝手に解釈して、こうするのが一番だと勝手に決めつけた。トマリが心配なお前からしてみれば一番やってはならないことだ。それはわかる」

 だが、オッカイはそう言葉を区切り、マキリを睨み付ける。それはマキリを糾弾するまなざしだった。

「お前もトマリに臆病になった理由を話していないだろう。トマリがそれを一番嫌がっていることをわかっていながら隠している。それを隠したまま相手を怒鳴りつけるのは公平じゃない」

 マキリがトマリを心配させたくないように、トマリもまたマキリを心配させたくないのだ。

 だからマキリは狩場に出れない。トマリは狩場に出てほしい。

 そんなすれ違いが二人の歪みを引き起こし、お互いの軸を歪めてしまった。そしてそれは次から次へと縺れていき、今の状態になった。

「トマリに、僕が臆病者になった理由を話せって?そんなことしたって何の意味があるの?むしろトマリは気にするだけだよ」

「ああ、あいつは怒るまでは行かないにしても、悲しむだろうな。なにせ叶えて欲しかった相手の夢を自分が邪魔していたのと同じだ。ただ、お前も夢を叶えて欲しいというトマリの願望を自分の都合で邪魔していたのと同じだ」

 マキリの表情が再び変わり、少しばつの悪そうなものへと変わる。その様子を見れば、マキリがそのことを自覚していたことがわかる。

 結局のところ、二人は同じことをしているのだ。

 お互いが一番嫌がることをお互いにやっている。しかもそれが善意によって行われている。だから変に噛みあってしまう。しかしどうしても歪みは出る。

 この二人は良くも悪くも、お互いのことを考えすぎている。

 オッカイからしてみれば面倒なことこの上ない。何故こうも複雑に絡み合ってしまうのか、理解に苦しむ。

「じゃあ、どうすればいい?話して、それでどうなる?」

 マキリは小さく呟き、項垂れた。気が付けば釣竿は桟橋に置かれていた。糸はそのまま続いているが、この様子では魚が来ることはないだろう。

 この問題、かなり面倒だ。

 当り前のことだ。二人がお互いに求める願望が二律背反になっている。

 トマリはマキリにハンターをやってほしい。例え自分が送り出して、死んだなら結果的に自分が殺したということになってでも。

 マキリはトマリに心配を掛けたくない。例えハンターと言う天職を諦めてでも、トマリには生きる屍になってほしくない。

 二つの観点に立って理想を実現するのはとても難しい。そもそもが相反するものなのだから。

 しかし、解決策は既に見つかっている。

 どうすればいいのか、ではなく、そういう時にやるべきことは決まっている。

「トマリと喧嘩して来い」

「・・・はい?」

 先ほどまで項垂れていたマキリが、目を瞬かせてオッカイを見た。オッカイは特別おかしなことを言った認識はなく、至って平然と話す。

「お前はさっき、一方的に怒っただけだと言ったな。それだからダメなんだ。意見がぶつかったときは喧嘩する。そして妥協点を探す。お互いに妥協する気がないなら説き伏せる。争い事はそうやって、喧嘩でどうにかするのが一番だ。どうしても説き伏せられないなら暴力に訴えても良い」

 まあ、自分より弱い相手に暴力を振ったらその時点で負けだとは思うが。オッカイは呟いて、ため息を吐く。

「お前らの問題点は結局お互いがお互いに黙って勝手なことをやったことだ。二人で決めたことなら多少不満があっても許せないことはないだろう」

 許せないのは、お互いのことを理解しようとしていないからだ。

 自分を理解しようとして、自分の為に何かをしてくれる人を怒ることが出来る人間など、そうはいない。今マキリが怒っているのはそれが善意ではなく善意に見せかけた願望の押し付けだからだ。

 だから、その願望を共有して来い、オッカイはそう言っていた。

「・・・オッカイもウイさんと喧嘩したりするの?」

「ああ。俺はクーを加工屋にしたいが、ウイは普通の主婦にしたいと言う。それで喧嘩することはしょっちゅうだ。結局はクーが決めることだと言って決着するがな」

「そっか」

「むしろ、喧嘩がない方が不自然だ。職人同士でも譲れない一線と言うものは存在する。いや、職人だからこそ、とでも言うべきか」

 オッカイは肩を回していた。緊張感のある場所で話し合っていたので肩が凝ったのだろうか。マキリはその様子がどこかおかしい。可笑しいと思えるくらいには回復した。

 意見がぶつかったら喧嘩しろ。確かに少しオッカイらしい、極端な意見だ。けれど間違ってはいない。そう思える。

 マキリは竿をもって立ち上がる。

「・・・ありがとうオッカイ。明日、少しトマリの家に行ってみるよ」

「ああ、で、どうするつもりだ?」

「何が?」

「あいつはお前がハンターになるように望むぞ。それを説き伏せられるのか?」

「ああ、大丈夫。それに関してはもう考えてあるから」

 マキリは憑き物が落ちたような顔をして、ため息交じりに呟いた。

「お互い、少し妥協しなくちゃいけないけどね」


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