マキリは微睡の中にいた。
頭の中で再現されるのはかつての日々だ。自分が常に前を向いていた日々。輝かしい成長の日々。心も体も常に走り続けていた日々のこと。
狩りで大怪我負った影響なのか、マキリはその光景を、まるで絵本でも見るような気分で眺めていた。
父との稽古。母との食事。村人との会話。トマリとの遊び。
それらすべてがマキリにとっては過去の産物だ。失われたというには大袈裟過ぎるが、既に終わってしまった過去のことではある。
その中の一ページに、マキリは触れた。
母が死んだ時の事。
大した感慨もわかなかったあの時のこと。全てが変わるきっかけになったあの日のこと。
「大丈夫?」
あの声を聴いたとき、マキリはただ「大丈夫だ」と、そう返した。
そう返すしかなかった。大丈夫だと思っていたから。強がりでも何でもなく、そうだと思っていたから。
でも、本当は大丈夫でも何でもなかったのかもしれない。
マキリは気付かなかったのだから。
その時のトマリの顔は確かに心配していたけれど、それ以上に、何かを恐れていたのに。
※
「おい寝坊助。起きろ」
声と共に与えられた衝撃で、マキリは目を覚ます。
ベースキャンプの硬い寝台と薄汚れた天井が目に入る。タイガの中にあるベースキャンプはどことなく安らぎを覚えるものの、身体の痛みがそんな安らぎを完膚なきまでに叩きのめす。
まるで、身体の内側からすべての皮膚を針で刺されているような痛みだ。起き上がろうとする気力すらそぎ落とされる。
朝霧の靄が掛かった思考で考える。なぜこんなにも痛いのか。その答えはすぐに出た。昨日行った戦闘のせいだ。
そして、目の前のホイレンが居る理由も、すぐに思い出す。
「・・・おはよう。ホイレン。準備はもういいの?」
「当り前だ。こんなに時間かけて準備が出来てないようならハンターの称号返上しなくちゃならねえ」
確かに、昼過ぎから準備をして、翌日の朝に準備が整っていないというのは、聊か優柔不断が過ぎる。
「まあそうかもね」
マキリは痛みを抑えながら上体を起こす。動かそうとするたびに身体の節々が危険信号を送っているが、そんなものよりも目の前のホイレンを見る。レウスシリーズを纏っているところは変わらないが、大剣は白い、先ほどまで見ていたフルフルの色合いをした大剣だった。恐らく轟竜に合わせて属性を変えたのだろう。そういうハンターも居る。
「ホイレン。その装備は?」
「名前はフル・フルミナント。刀身に雷を纏わせて攻撃するっつー武器だ。まあ、わかるとは思うがお前が狩ったフルフルの装備だ」
ホイレンの言葉に、マキリは目を丸くする。
しかし、ホイレンは呆れたように肩を竦め、エリア1の方を見て少しだけ笑った。
「見てきたぜ。派手にやったじゃねえか。ま、その代償も大きかった見てえだけどな」
マキリは自分の身体を見渡して、確かに、と納得する。
マキリの身体は、ほとんどの場所を包帯で覆われている。しかも、包帯のほとんどにはどす黒い血が滲んでいる。浅い傷では決してそうはならない。さらに、その傍らに、もはや胸と腰の部分しか残っていないようなマフモフが置いてあるのだ。どれだけマキリの身体が負担を負ったのかは想像に難くない。
マキリの身体は、凄まじいほどの怪我を負ったのだ。
それこそ、生きているのが奇跡と言えるくらいに。
「正直、あそこまでやるとは思ってなかったぜ。精々ドスギアノス一体で終わると思ってた」
「・・・僕も、そう思ってたんだけどね」
いつの間にか、収まりがつかなくなっていた。
頭の奥に靄がかかるような感覚と、何もかもが研ぎ澄まされた感覚が並立した不可思議な感覚。それがマキリの狩猟を助け、自己防衛本能を抑えたのだろう。気が付けば血みどろで、ベースキャンプに戻っていた。
冷静なようで冷静ではなかった。マキリは自分でそう思う。
「そういや、フルフル初狩猟だな。お疲れさん」
「え?あ、ああ、そっか。そうだね」
「あ?なんだその「僕今まで忘れてました」みたいな顔」
「いや、忘れてたわけじゃないんだけど、ボーっとしてて」
フルフルと戦った記憶は確かにマキリの中にあるのだが、あれを自分で狩ったと言っていいものか、マキリには疑問だった。言って仕舞えば半自動的に、何も考えずに狩りに没頭した結果がアレだ。どうにも自分で狩ったという感覚がない。終わりもフルフルが一人でに倒れてしまったわけだし。
だが、今考えてみれば、頭蓋骨を割ったのだからそのままフルフルが息絶えても違和感はない。むしろ砕けた骨が血流にのればいくらモンスターと言えど全身をずたずたに切り裂かれて死ぬだろう。まあ、頭蓋骨を割られてもしばらく暴れ回ったモンスターの生命力はやはり凄まじいと言わざるを得ないのだが。
「・・・ま、お前が無茶な狩りしたってのは体見りゃわかる。とりあえず、家帰れ」
「・・・え?」
「え?じゃねえよ」
何を言われているのかわからない、とでも言いたげなマキリの顔に、ホイレンは拳を押し付ける。マキリはあっさりと上体をベッドに戻してしまう。せっかく痛みを抑えて起き上がったのに、そう文句を言おうと上体を起こす。
しかし、その行為が出来なかった。身体が動かないのだ。臆病者の時とは違う。純粋な疲労によるもの。
「起き上がれねえだろ。そんなに疲れてるのに家帰らねえとか、アホのすることだ」
マキリはなんとか上体を起こそうとするが、それは叶わない。身体を貫く針のような痛みも、じわじわ響くような鈍痛も、マキリを打ちのめそうとはするが助けようとはしてくれない。
しかし、その言葉を受け入れる気にはなれなかった。
「・・・大丈夫だよ。あと少し寝れば治る」
「いや、無理だろ。お前の身体、怪我の見本市みたいなことになってんぞ。あと少し寝て治ったらお前のことを人間とは認めねえ」
ホイレンは頭を掻きながら言うが、マキリは眉間に皺をよせていた。
「でも、まだクエストは終わってないし」
「・・・お前、疲れてないときに疲れてるって言ったり疲れてるときに疲れてないって言うな。天邪鬼か?」
「・・・違うって」
そういえば、ホイレンと最初に、落ち着いて話をした時もこんなやり取りをしたような気がする。ほんの数日前なのに随分と昔のように感じられた。
「僕はまだクエストを終えてない。それが終わるまでは」
「自惚れんな」
いつになく厳しい言葉に、マキリは目を見開く。ホイレンの表情には遊びの要素は全くなく、ただ事実だけを伝えようとする無機質がある。知らず知らず、マキリの背筋は伸びた。
「お前はよくやった。十五歳の餓鬼に出来る仕事の範囲を完全に超えてるよ。正直、臆病者云々を抜きにしても才能の塊なんて言葉でも説明できねえ。単純に、お前は強い」
たぶん、これからも強くなるだろう。ホイレンの言葉に、マキリは背中がむず痒くなる。G級ハンターがマキリのことを認めているのだ。それを考えれば無理からぬ話だろう。
だが、ホイレンが言いたいことは、むしろそのあとにある。
「けどな、それだけの怪我を負った奴が狩場に出てみろ。一瞬でお陀仏だ。それくらいお前だってわかってるだろう」
「・・・っ」
声も出ない。
実際、マキリだって思っていたはずではないか。
生きていることが奇跡と思えるほどの怪我を負っていると。
しかし、マキリはまだ納得した様子を見せない。唇を引き結び、己の言葉に説得力がないことを自覚してもなお、この場に留まることを諦めていない。
「・・・お前、なんでここに残りたがる?臆病者じゃなくなったと思ったら死にたがりになったか?」
「・・・臆病者が治ったわけでもないし、死にたがりになったわけでもない。多分、そういう問題じゃないんだ」
自分がここにいても役立たずだということはわかる。それこそ嫌と言うほど。普段だったら、何のためらいもなく家に帰ってぐっすりと休むだろう。こんな硬い寝台ではなく、柔らかい布団にくるまれて、穏やかな喜びに身をゆだねる。
だが、マキリはどうしても帰りたくなかった。
本当の理由は分からない。ただ予感、あるいは、直感があるのだ。
このまま村に戻るのは不味い。何が不味いのかは分からないが、取り返しがつかないことになるような予感だ。
何の説得力もない言葉であることはマキリが一番よくわかっている。自分でも信用し切れていない言葉をどうして他人に信じさせることが出来るだろう。
ホイレンは俯いたマキリを見て、ため息を吐く。
「・・・ま、なんとなく理由はわかる。
「え?」
マキリはホイレンを見上げる。ホイレンは先ほどまでの真剣な表情を崩し、いつもの軽薄とも呼べるような表情を浮かべた。軽く笑い、肩を竦める。
「今日まで、お前を結構な頻度で見てきた。観察して、まあ大体の行動原理というか、性格は掴んだ」
ホイレンはマキリの額に指をあててコツコツと叩く。その行動にどんな意味があったのかは分からないが、ホイレンの表情は出来の悪い弟を見るような、どうしようもない奴を見るものだった。
「お前の行動原理の九割は、嬢ちゃんで出来てる。お前が感情的になることがあったら、そいつは嬢ちゃんが関係してる。だから自分で自分のことがわかんねえときは、てめえの中にいる嬢ちゃんに聞け」
きっと、納得する答えが返ってくる。ホイレンは首を掻いた。
首を傾げるマキリをよそに、立ち上がり、ベースキャンプの外に向けて歩き出す。
「俺はこれから轟竜を狩ってくる。間違っても狩場に出るな。あと、お前は一度、嬢ちゃんと話した方が良い」
そういったきり振り返ることもせず、ホイレンはベースキャンプを出て行った。本当に、轟竜を狩りに向かったのだろう。
「・・・」
残されたマキリは、しばしそこでキャンプの天井を見つめていた。
自分の中に居るトマリ。とはどういうことだろう。本物のトマリとは違うのだろうか。
ホイレンからの、恐らくは初めてのアドバイスらしいアドバイス。
しかし、そのアドバイスは随分抽象的だった。詩的と言い換えてもいい。
「・・・でも、帰るか」
考えれば考えるほど、分からない。
一つだけ分かったことがあるとすれば『村に帰る』というホイレンが提示した選択肢は、間違いなく間違っていないということだけだ。いや、間違っていないのではなく、むしろ正しい。
このままここにいても何の役にも立たない。ならば、村に帰ってゆるりと休んだ方が身体にもいいだろう。
だが、その正しいはずの言葉と裏腹に、マキリの心は沈んでいく。
「・・・もしかして、怪我し過ぎてトマリに呆れられるから、沈んでるのかなあ」
だとしたら、いい加減マキリは自分の女々しさに嫌気がさすのだが。
そこのどころ、どうなのでしょうか。
自分に問いかけてみたものの、大した答えは返ってこない。
マキリは自分の沈んだ気持ちと、どうにも拭えない不安感を抱えながら、マキリは竜車に乗り込んだ。ただし、アイルーたちの手を借りて。
どこまで行っても締まらない。ため息を吐きながら、マキリは村に向かって出発した。
※
雪山の山頂は暗闇に覆われていた。
そこに吹き荒れる圧倒的な殺気は、何人たりとも近づくことを許さない。事実、そこには有象無象の生物の姿すらない。あるのはただ1つ、理解不能な何かだけ。
黒く、冷たい領域で、一体の何かは体から黒い軌跡を吐き出し続ける。
黒い身体に長い尻尾。四本足に二枚の翼。
体躯に比べて圧倒的に巨大な翼は、その並外れた飛行能力を表している。
『■■■■■■■■■■ッ!!!』
禍々しく、忌々しい、何かを威嚇するようなその咆哮が、雪山に轟いた。