――別に俺の球は遅いわけやないと思うんやけどな。
そう思っていた。
小学生の時も、中学生の時も、館西は野球で困った事なんて一度も無かった。
マウンドに上がって、敗北の味を覚える事も少なかった。
彼には武器がある。
――どのコースにも投げ分ける事が出来る、天性のコマンド能力。
中学に上がって、変化球を投げるようになった。
器用な彼は、握りを覚えればすぐに投げられるようになった。
天性のコマンド能力は、変化球であってもコースを選ばず投げ分け出来る能力を彼に付与させた。
そんな彼の最高球速は――138キロ。
速い方だ。130キロ投げられる高校生はそう多くはない。
けれどそれは、所詮地方大会レベルでの話。
甲子園という魔窟に入れば――140キロ越えはざらであり、トップクラスのエースであれば150は優に超えていく。
どうしても。
どうしても。
自分の能力に疑問が湧きあがる。
上のレベルへ行けば行くほど、実感する。
誰も自分の球に空振りしてくれない。
外にスライダーを投げても、内角にシンカーを落としても。彼等は振ってくれない。彼は色々な球種を投げ分けられるが、球を急激に曲げる類の変化球は投げられなかった。
どうすればいいのだろう?
その疑問が彼の頭に降り立った時――こう思った。
楽しい、と。
――憧れるんやけどなぁ。剛速球でバッタバッタと相手を薙ぎ倒していくピッチャー。
でも、別にそれだけがピッチャーの在り方じゃない。
スライダーを振ってくれないのならば、見逃しの道具にすればいい。シンカーはシュートと投げ分ければ、内角のコースにも上下の使い分けができる。カーブで緩急をつけ、直球でファールを取り、シュートで詰まらせてゴロでアウトを取ればいい。外のスライダーを見せ球にアウトローに直球を挟み込むのもいいだろう。外角のシュートでボールゾーンからストライクゾーンに入れる方法だって知っている。
幾らだって手はあるのだ。
アウトの取り方なんて、星の数ほどある。
彼は――その方策を考える瞬間が、一番自分にとって幸せで、楽しい時間だという事を自覚した。
だから彼は――目に見える球の威力に、それ程拘らない。
自分の頭の中で行われる思考の冴えこそ、自分というピッチャーを形作る個性なのだから。
球の威力で重ねていく三振もいいだろう。
けど。
分析に分析を重ね、思索に思索を重ね、頭を捻って捻って積み上げていくアウトも――きっとカッコいい。
そのカッコよさは、きっと自分以外解ってはくれない。
自分の思考なんて、誰も見る事なんて出来ないのだから。
でも構わない。
自分が自分に誰より自信を持っておけばいい。
派手な活躍なんてピッチャーにはそれほど必要ない。どうせ守備の時だけ咲く花だ。
だったら――他の守備に添えられる地味な花でも構いやしない。
それが――館西勉というピッチャーであった。
※
――さあて、これはどういう意図やろうなぁ。
館西はずっと考えていた。
あかつきが組んだ、この打線の意味を。
――まあ、猪狩守はんのモチベーション向上のため、というのもなきにしもあらずやろうけど。それだけでこの大幅な打線変更は無いんちゃうかなぁ。
一番猪狩守。二番矢部。三番猪狩進。四番パワプロ。
いつもはクリーンナップに居座る猪狩守がトップバッターに立ち、それから四番まで強打者を繋いだこの打線の意味を。
一番猪狩守が打席に入る。
――まずは一巡やな。そこを処理して打線についてはもう一度考えよ。
ひとまず、館西はそう思考にケリを付けた。
今は、全体を俯瞰するよりも一人一人の打者を斬っていくことに集中する。
眼前に立つ天才を前に、館西は第一投を投げる。
内角のコースから膝元に落ちていくスライダー。
猪狩は出しかけたバットを止め、これを見逃す。
第二投。今度は真ん中外よりのコースから外角ピッタリに曲がっていくシュートボール。カウントを一つ奪う。
内。外。
ストライクからボール。ストライクからストライク。
どのボールも、球種もコースもばらけている。
――成程。投げている球は凡庸だが、いいピッチャーだ。
バットを出そうと思えど、微妙に曲がってくる。ゾーンの出し入れが激しい分、この微妙に曲がるという性質が厄介になる。
球の威力は無いから、思わず手を出したくなる。
けれどもコースが絶妙でかつ、球が芯を外してくる。しっかり低めに制球されているが故に、何処に投げられようとコースを跨ぐ可能性が不意に頭によぎってしまう。
三投目。館西は外角に向け投げ込む。
先程よりもコースは寄っているが、されど浮いている。
無理矢理に引っ張り上げようとバットを出しかけ――しかし、止める。
それは――浮いた様に見えた軌道から、ボールゾーンギリギリに逃げ去るシンカーであった。
手を出せば、一塁線に転がるかファールボールになる未来しかない球だ。猪狩は一つ顔を顰め、一度ピッチャーを制止し、間合いを取る。
――大体解って来た。あの館西というピッチャーは、手を出したくなる絶妙なコースから低めへと向かう変化球を投げる事でゴロを奪うスタイルなのだろう。
一投目に厳しいコースからボールゾーンへと向かうボールを内角に投げつける。
それから緩いコースから隅へと向かう変化球を投げ込んでいく。
コースの緩急、とでも言おうか。
明らかに手は出せない厳しいコースと、手を出しても打てそうなコースを使い分け――その組み合わせを用いて相手のバットを出させる。もしくは見逃しを奪う。
空振りは狙えないであろう。バットを出せば当てられるだろう。もしかしたらヒット位は打てるかもしれない。
だが――ベターな打球ならば割と打てるチャンスがあるが、ベストなスイングを絶妙に阻害する投球術を持っている。
その結果、
「――く」
四投目にボールゾーンからストライクに入り込むスライダーを投げ込む、ツーツーカウントまで追い込まれる猪狩守。
五投目。
内角に投げ込まれた直球に――見事差し込まれる。
一二塁間にボテボテのゴロが放たれ、セカンド駒坂が難なく処理しアウトカウントが一つ灯る。
館西のピッチングは、要は――我慢比べだ。
打てるかもしれない球の中に厳しめの球を織り交ぜ、相手に我慢比べを強いる。
コントロールがいいピッチャーにありがちな、ただひたすらに厳しいコースに投げ込むことでボールカウントをいたずらに増やすスタイルではない。
様々な撒き球を餌に、ゾーン内でしっかりと打たせて取るピッチングが出来るピッチャーだ。
そして――このピッチングスタイルに、ガッチガチの内野陣の組み合わせはまさに凶悪の一言。
このピッチングスタイルは、どうしてもゾーン内で勝負を仕掛ける必要がある為、四死球は少なく被打率は高い。だが被打率は鉄壁を誇る守備陣により、カバーされる。
あのピッチングは――強固な守備陣あってのものだ。
コースを選ばず投げられるのも、どの方向に飛ぼうとも処理をしてくれる安心感あってのものだろう。バックがピッチャーを支え、ピッチャーの選択を無限に増やす。そういう正のサイクルを上手に回しているチームなのだろう。
「いいじゃないか」
パワフル高校、館西勉。
投球の渋さの中に、不敵な心を感じられる――いいピッチャーだ。
決勝戦に上がって来たのも、きっと偶然じゃない。
「こうでなくちゃつまらない。僕の復活戦に見合うに相応しい舞台だ。――楽しくなってきたじゃないか」
猪狩守はそう一言呟き、ベンチへと帰っていく。
――多分だが、この試合終盤まであまり得点が入らないだろう。その確信がある。
それ故に、
――今回は、一点もやれない。全力を以て試合に臨もうじゃないか。
引き上げる猪狩守の頭は、もう次のピッチングに切り替わっていた。
ああ、もう二月も中盤なのだなぁ。
あと一カ月とちょいすれば野球が始まるのだなぁ。
------でも見れないんだなぁ。あーあ。