かつてパワフル高校は常勝不敗の高校であった。
緻密かつ正確な野球をモットーとしたパワフル高校は、全国各地から才能あふれる選手たちを掻き集め、甲子園常連の強豪校に駆け上がった。
されど、その強さはあらゆるものを代償としたものであった。
理不尽かつ不合理な階級制度。練習中の上級生からの暴力を是とする体質。
学校側も甲子園出場効果による甘い蜜に溺れていった。全国から選手をスカウトする際にあたって、次第に強引な方法をとる事すら辞さなくなった。選手の経済状況を調べ上げ、多額かつ違法すれすれの額の奨学金を与える事など常套手段。時にOBを使った囲い込みや脅しすらも使う事を辞さなかった。
それが「伝統」であり、それがパワフル高校の「強さ」であると。彼等は二十年近くもの間、この考えに何の疑問も持たなかった。何も変える必要なんざないと、本気で考えていた。
故に、時代の流れに取り残され、置き去りにされ――ついに消え去った。
同県に、あかつき大付属高校が出来た。
次第に――県下における覇権はあかつきに移っていった。
あかつきも選手をランク付けする高校だ。ただしここには理不尽はない。実力を示せば誰もが好機を与えられる、平等な階級制度を持つ高校だ。
選手たちも、そちらに流れていった。
そして。
部活動で絶え間なく行われた暴力事件。それを高校ぐるみで隠していた事実。
幾つもの告発が届き、遂に高野連はパワフル高校の無期限部活動禁止の決定を下す。
その後――暴力事件によってコーチ数名が刑事告訴された事によって、部活そのものが消滅した。
忌まわしき昭和の残骸。
日本スポーツの悪癖の全てを抱え込んだ学校の末路――それがパワフル高校という学校の歴史であり、高校野球史の中での確かな位置付けだったのだろう。
その六年後。
パワフル高校野球部は復活した。
高野連に申請を出し、部活動停止処分を解除してもらい、彼等はひっそりと復活を果たしていた。
※
「――駒坂!足止まってるぞ!もう限界か!」
「いいえ!まだまだやれます!」
「OK!それじゃあ――ほれ!」
「------くっ」
パワフル高校野球部には、監督がいない。
部活顧問はいるが、指導者がいない。
だから、全てを選手たちが行わなければならない。
練習のプランニングも、こうしてノックを打つ事も。
そして――それを行っているのは上級生が中心だ。
現在ノックを打っているのは神宮寺である。
佐久間と駒坂へ、交互に、絶え間なく、ボテボテのゴロを打ち続ける。
「――おいコラ佐久間!飛びつくんじゃねえ!練習じゃいらねえんだよそういうのは!」
「-----はい!」
佐久間は悔し気にがくがくと笑っている膝を叩き、立ち上がる。
神宮寺のノックは、とにかくシンプルだ。
足を動かして取れる範囲に、遅いゴロを打つ。
ひたすらに打つ。
取れて当たり前のボールを打ち続ける――それが取れなくなったときイコール、体力の限界点に達している事と同じだ。
それでも打つ。
討ち続ける。
膝が泣いて動きが鈍くなろうが、苦渋の表情を浮かべようが、それでも打つ。打ち続ける。
いつ終わるのか。
それは――このグラウンドに立てば、誰もが自由にそれを決められる。
そして、佐久間博と駒坂瞬は誰よりも長く、このノックを耐えた人間である。
駒坂に至っては――倒れ込む寸前まで、定位置から離れなかったことすらあった。
人によっては、地獄という。
だが――地獄を通らねば、人は上手くならない。
しかして地獄に人を押し込むような愚挙を犯してはならない。
だから――地獄を自ら通り抜けられる者を選定するのだ。
それが、今のパワフル高校野球部である。
※
神宮寺光は、ヤンキーだ。
いかつい顔にいかついサングラス。決め手は古臭いパンチパーマのもじゃもじゃ頭。
でかい体を揺らしてわざとらしく肩を切って歩く姿はまさしく間違った時代に間違ったスリップをしてしまったタイム・トラベラー。
そんな男は、高い打撃センスを持ちながらも、何処の高校からも勧誘を受ける事は無かった。
素行が悪いとでも思われていたのだろう。そう言う噂が立っていた事も知っていた。
しかし、それ故にヤンキー魂にその時火がついたのかもしれない。
ならばゼロからはじめてやろうじゃないか。
ツッパった自分の性格を愛してやろう。出来る限り自分を貫こう。
だから彼は自宅から歩いて五分の地元の高校に進学した。
彼はツッパっていたが、根は真面目な人間だった。
そして曲がった事も大嫌いだった。
自分で部を作ったのだから、その責任は自分で負うべき。
その考えは当然のように持っていた。
だから――全部自分でやるのだ。
「おら、早く撤収しろ!次は素振りだ!」
彼はドスの利いた声でグラウンドに声をかける。
パワフル高校、三年。神宮寺光。
彼がパワフル高校の主将である。
※
「-----なあ、東條」
「なんですか?」
パワフル高校部室内。
佐久間博と――パワフル高校不動の四番、東條小次郎がそこにいた。
「今更なんやけどさ。どうしてここに来たの?君だったら幾らでも他の高校に行けたやろ?」
佐久間は、柔らかな口調でそう尋ねた。
――疑問と言えば、疑問だった。
東條小次郎。
TOJOインターナショナル御曹司にして――シニア最高クラスのパワーヒッター。そしてイケメン。
幾つもの強豪校からの誘いがあったにもかかわらず――されど彼はパワフル高校を選んだ。
「-----パワフル高校には、他校にはない魅力があったからです」
「-----なんなん、それ?」
こんな――弱小校どころか、一度死んでようやく蘇ったリビング・デッドのような高校にどんな魅力があったというのか。
「――猪狩兄弟とパワプロさんがいるあかつき大付属と、大会の度に必ず戦えることです」
東條は、そうはっきりと言った。
「俺はシニアにいた時、同じサードのポジションにいたのがパワプロさんでした。本気でどかしてやろうと思ってました。――でも、どかせなかった」
「そりゃあ、一年上の先輩どかすなんて簡単じゃないやろうしなぁ。ましてや、今やあかつきの四番やろ」
「あの人は俺に持っていないものを持っていた。あの人は、切っ掛けを掴むとすぐにそれをものにしてしまう。経験の積み立ての仕方が人とは違うんです。――俺は最後まであの人にかなわなくて、結局ファーストを守る事になった」
それもそれでいい経験でしたけどね、と東條は言い、続ける。
「その上で、シニア時代にいいようにやられた猪狩兄弟もいるあかつき大付属。――俺はどうしても、あかつきと戦いたかった。だからここに来たんです。猪狩さんの球を打ちたい。進の思考を上回りたい。そして――何より、パワプロさんを超えたい。同じチームにいた時は苦渋を飲まされたけど、俺は絶対に勝たなくちゃいけないと思ったんです」
「そうかぁ」
館西はその言葉を受け、微笑んだ。
「俺も同じや、東條」
「-----何がですか」
「ここに来た、理由。――俺も、あかつきぶっ倒したかったんや」
館西は、立ち上がる。
「さあて――それじゃあ練習しようや。じゃなきゃ勝てそうにないしなぁ。あかつき」
※
所変わって。
「―――」
河原の上。
一人の男が呆然と何かを眺めていた。
「で------きた」
左腕から放たれた、自らのボール。
それは――かつて右腕から放たれたボールと遜色のない威力を内包していた。
「-----直球は、戻った。後は――」
彼は人差し指と中指を、開く。
指関節の可動域を極限まで広げ、彼の両指はボールを挟み込む。
「-----フォークさえ戻れば、俺は」
挟み慣れていない彼の指が、悲鳴を上げる。
されど、構わない。
この痛みは、通らねばならない痛みだ。フォークを投げる者の宿命。故に――繰り返せば大丈夫だ。繰り返せば、過ぎ去ってくれる。
――県予選は既存の戦力でぶっつぶしてやります。甲子園までが期限です―――まあ、精々足掻いてください。
生意気な後輩の言葉が、脳裏によぎる。
そして――その後輩は、有言実行した。
見事――山口賢抜きの帝王で、海東高校を打倒した。
ならば。
「――解った。石杖。俺は――足掻き続ける」
左で、投げてやる。
石に齧りついてでも、こんなできっこない事を希望にしてでも――俺は野球を続けてやる。
もう一度、俺は俺を取り戻す。
俺の力で。
俺が作りあげた、俺を支えてくれた全てをかけて。
――俺はもう一度、帝王実業のエースである〝山口賢”を取り戻してやる。
※
N県、高校野球大会決勝戦
先行、パワフル学園
1 駒坂(二)
2 門倉(中)
3 佐久間(遊)
4 東條(三)
5 神宮寺(一)
6 矢坂(右)
7 鍵塚(左)
8 館西(投)
9 万代(捕)
後攻 あかつき大付属高校
1 猪狩守(投)
2 矢部(左)
3 猪狩進(捕)
4 パワプロ(三)
5 横溝(中)
6 種市(一)
7 山岸(右)
8 春山(遊)
9 田井中(二)
地方球場の電光掲示板に、打順が発表される。
その裏では――
「――さあ、構えろ」
ギリリ、とボールを握りしめる。
「ねじふせてやる。――完成した、僕の直球で」
猪狩守は――猪狩進が構えるキャッチャーミットに向け、腕を振るった。
――鋳車。パワプロ。感謝する。
鋭く、縦方向の軸に沿った軌道を描いて、
身体が前に向かう動きから、一拍遅れて、振る。
縦に。
腕の振り。指先へのボールへの絡み。そしてボールの角度。
その全てを、縦に向かう身体の動きに合わせる。
手首も肘も腰も膝も足先も。
縦に。
縦に縦に縦に縦に。
全ての動きを、リリースのタイミングに合わせて縦に直結させる。
ばあん!
進のミットに吸い込まれたその球は――。
「-----どうだ」
「-----間違いなく以前の球ではなくなりました」
「解った」
猪狩守は、闘志をその眼に宿し、真っ直ぐに自らの手を見つめる。
「――ならば後はもうマウンドで投げ切るだけだ。リードは任せた、進」
「了解しました。――やりましょう」
「当然だ」
自らの名がコールされるのを聞き、彼はグラブに一つ拳を入れ、走り出した。
もう、迷わない。
――僕は、エースだ。エースなのだから。
そう彼は、心中念じた。
暫し鋳車はおやすみ。