その後の展開は、実に解りやすいものだった。
エースが倒れ、その後失点を重ねていく海東高校のリリーフ。
中盤から安定し、自慢のスライダーで次々とバッターを打ち取っていく久遠。
瀬倉を打ち崩した帝王の勢いを止める事が出来ず―――試合は終わった。
10―5。
145球5失点完投。
これが、久遠ヒカルがこの試合で残した結果であった。
様々な因縁が絡み合い、彼はこの場に立たざるを得なくなった。
全てを賭けるつもりでこの場に立った。
敗ければ、自分の野球人生は終わる。そんな悲壮な覚悟を以て挑んだつもりであった。
だが、こんな試合で―――こんなロクでもない因縁ばかりが頭をもたげる試合で、自分は今までどうしても見つからなかったものが見つかった。
この場に立つ意味。
勝負に賭けるという、その意味が。
だから―――久遠は。
「ありがとう―――ございました!!」
試合終了と同時、整列し、一礼する瞬間。その言葉が、瞼が涙で押しあがり、溢れ出した。
山口さんの無念が、チームの怒りが、少しでも晴れたのだろうか?
そんな事は、知らない。
それは自分が抱え込めるような代物だと思う事は、ただの自惚れだ。
自分の心に問いかけて、―――間違いなく、今このグラウンドが晴れやかに広がっている事。
それだけが、今の自分にとって重要なのだ。
だから―――ボロボロと景色を滲ませながらも、彼は前を向いた。
※
フラフラと、蛇島は試合場を後にしていた。
「クソ------何たる失態でしょう-------!!」
地方予選二回戦負け。
こんな結果では、注目なんてされるわけがない。
「こんな所で------何故-----!」
蛇島はギリギリと奥歯を噛みしめながら、呟く。
そうだ。
自分はこんな所で足踏みしていい人間じゃないはずだ。
なのに、今の自分は―――。
「よぅ」
そんな声が、聞こえた。
見上げればそこには、白髪の男がいた。
つい最近、会話しただけの仲の男であり―――本日、瀬倉を追い込んだ張本人。
石杖所在であった。
「-----何の用ですか?石杖さん」
苦渋の表情を必死に噛み殺しながら、蛇島は笑みを張り付け石杖に対面する。
「用?特にねえな。―――まあ、強いて言えば、お前のその表情を見物する事かね」
「------悪趣味ですねぇ」
「そりゃあお互い様だろ。お前には散々俺の身内を嬲られてんだ。ちっと仕返し位したい気分にだってなるだろ」
「------」
―――この男の所為だ。
そう、本能で理解できた。
今の自分がこんな場所でこんな風にあり得ざる地平に立たされているのは。
あのゲームの全てが。
何故、あの試合がああなったのか。
久遠が途中で立ち直った所為か?
それともあのスラッガーの所為か?
―――違う。
この、取るに足らぬ凡人の野球の所為で敗北したのだ。
あの男が、久遠の立ち直りを、霧栖の怒りを、意味のあるモノにした。
「------覚えておくことですね。石杖所在。私は、貴方を決して忘れません」
「へぇ。俺をどうするつもりなんだよ?」
「------言葉にするのもおぞましい、絶望を。絶対に貴方に与えてやります。それまで-------」
「絶望?お前が?」
石杖は小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「お前が与えた絶望なんざ、全員乗り越えたぞ?久遠も、友沢も、そして山口さんも。―――まあ、仕方ねえか。お前みたいな小物にとっての絶望なんざ、本物にとっちゃあ絶望でもなんでもない。ただ、ちょっと長い野球人生の中で面倒で嫉妬深いお邪魔虫が噛み付いてきた程度のモンだ。ハナから、眼中にねえんだよ」
「-------」
奥歯が、軋む。
貼り付けた笑みが、無惨にも崩れていく。
その表情を見届け―――石杖は満足気にうんうんと頷いた。
「ま、ここからはお前に忠告だ。―――この先、絶望を与えられるのは間違いなくお前の方だからな。覚悟位は、しておいて損じゃないぜ」
「------私が?」
「おう。―――そろそろ自覚しろよ。後ろ盾のないお前なんざ、ただの小賢しい小物だってな」
じゃあな、と言葉を残し、石杖所在は呆然と立ち尽くす蛇島の眼前から去って行った。
※
「お―――アリカ先輩。何処に行ってたんですか?」
試合終了直後、姿を消していた石杖に霧栖はそう声をかけた。
「ああ、スマンスマン。ちと腹の具合がよろしくなくてな。試合が終わった後に駆け込んでいた」
「嘘はいけねえっすよアリカ先輩。緊張で腹の具合が緩くなるようなタマですかアンタ」
「失敬な。俺はこんなんでも人間だぞ」
「はいはい。―――ま、これで一番の障害は越えましたかね」
「おう。これでもう甲子園は確定だ。―――あとは、山口さんを待つだけだな」
―――この試合を通じて、それぞれのメンバーが、それぞれに、一つ壁を超えた。
過去の清算を終えた久遠と友沢。
そして勝利への執着を知った霧栖と石杖。
間違いなく―――今、帝王は強くなっていっている。
「甲子園か。―――なあ、キリス」
「何すか、先輩?」
「―――全国で、戦いたい奴とかいる?」
何となく。何となくだ。
石杖はそんな有体の無い質問をしてみた。
以前なら、きっとこの男なら「甲子園に出る様な化物だったら、どれでも歓迎だ」とでも言っていただろう。
しかし、今のこの男は、
「------実は、一人」
そう―――少しだけ照れ混じりに呟いた。
「へぇ。誰?」
「―――あかつきの、鋳車」
「鋳車って言えば―――あのアンダースローのシンカー使いか。へぇ。何で?」
「解んねえっす。本当に、解んねえ。―――でも、練習試合ではじめて対峙した時に、何だか他人じゃねえ気がしたんです」
「何じゃそら」
「小さいタッパも、大きく見えたんすよ。遅いはずの球も、死ぬほど早く見えたんすよ。―――何つうか、あの球を手に入れるまでの過程というか、軌跡が、対峙した時に見えちまうんですよ」
「-----ふぅん」
「だから、もう一回。もう一回だけ戦ってみたい。そう今本気で思うんす」
そうか、と石杖は一つ呟いた。
―――この男にも、キッチリと“ライバル”と言えるような人間が出来たのだな。
「その為にも、あかつきにはしっかりと出てもらわねえとな」
「うす。―――絶対に、次も打ってやるっす」
霧栖はそう宣言すると、照れくさくなったのかその場からそそくさと立ち去った。
―――何だ。ちゃんと熱くなれるじゃねぇか、と石杖は呟いた。
※
その後の顛末について、少しばかり話しておこうと思う。
この試合の後、ポツポツと高野連には匿名の告発状が届くようになった。
それは海東学園にて日常的に行われていた暴力行為及び、学校ぐるみでそのもみ消しを図っていたという内容であった。
最初は悪戯であろうと気にもしなかった高野連であったが、幾つも同内容の告発状が連日届く現状に無視を貫く事も出来ず、その主犯格であった瀬倉に聞き取り調査を行った。
そして―――心身ともに疲弊していた瀬倉は、全面的に告発内容を認めたのであった。
そうなると、さあ大変。理事長の息子であるという特権的身分を振りかざし好き勝手に振る舞っていたともなると、野球部だけでなく海東学院全体の問題となってしまう。
理事長は、必死に方策を考えた。
今更息子を庇う理由も無い。だが、自らの保身は守らねばならない。―――シナリオ上、別の黒幕を用意せざるを得なかった。
そこで用意された生贄。
それは―――。
「ふ-----ふははははははは」
蛇島は、腹の底から笑い声を上げた。
高野連からの聞き取り調査の為の呼び出し状を目にした瞬間、聡い彼は全てを理解した。
「はっははははははははは!うわははあはははははははは!」
彼は狂ったように笑った。
笑った。
自分の終わりを如実に向き合いながら、彼は涙しながら笑った。
終わりの際。それ位しか彼には出来なかった。
これが、顛末。
部活動の無期限活動停止処分。
そして―――蛇島という男が瀬倉と手を組み暴力行為を行っていたという公式文書が残された。
それだけの、顛末であった。
※
その時―――。
「君が山口賢君だね」
河川敷で投げ込みを行っている山口の前に、一人の男が訪れる。
中肉中背。何の特徴も無い、のっぺりとした顔の男。
「------そうですが」
山口は端正な顔を怪訝そうに歪め、そちらを見た。
「ああ。よかった。―――ねえ、山口君」
男は顔面を一度地面へと向け、彼に提案した。
「―――その右腕、治したくないかい?」
横浜首位記念。京山も飯塚もバリオスも神里も全員最高や!