実況パワフルプロ野球 鋳車和観編   作:丸米

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帝王VS海東学院➈

場内が、ざわめいていた。

観客席にいる数少ない女性客の悲鳴を皮切りに、次々と何だ何だと注目が集まっていく。閑散とした、静かな雰囲気だからこそ、そのざわめきは如実に辺りの空気を変えていた。

唐突に―――肘から大量の出血を始めた瀬倉。

涙を流して、彼は笑っていた。

笑いながら、その場に座り込んでいた。

 

その後―――担架で運ばれた瀬倉は、そのまま救急車を伴い付近の市民病院へと運び込まれていった。

 

何が起こったのか―――全く解らない。

霧栖弥一郎に本塁打を打たれ、その直後にああなったのだ。

 

 

つまるところ―――死んだのだ。瀬倉は。

敗けたくないという意思に呼応し、彼の左肘は変異した。

彼が理想とする、魔球を作り上げんと。肉体を変異させ、左肘の関節を増やした。

 

しかし、ピッチャーとして完膚なきまでの敗北を味わわされた彼は、肉体を変異させていた原動力となる病的なまでの「思い」が打ち砕かれてしまう。

その結果―――増えた関節は自壊し、付随する骨が砕かれ、ああいう結果となってしまったのである。

ピッチャーとしての「死」を迎えてしまった。

彼の命の証である左肘の損壊と共に。

 

―――人ハ、自分ガ何者デアルカヲ常ニ探求シ続ケル生物デース。

 

そう、あの博士は言っていた。

そして、―――自分は「こういう存在だ」と決着をつけた人間は、とても幸せなのだとも。

しかし、―――決着を付けれない人間もまたいる。こうあるべきなのに、出来ない。誰にも打たれないピッチャーでありたいのに、そうあれなかった瀬倉のような人間も。

そう言った人間が選ぶ道は二つしかない。

諦めるか、それとも食い下がるか。

食い下がって食い下がって、それでも成りたい自分に成れなくて。

自己を否定し、自己を変える事を要請し、自己を変異させる。

 

自らの弱さゆえに―――自己を、変えてしまう。

それはまるで―――心の弱さにつけこむ悪魔の如く。

 

―――彼ハ、悪魔ニ憑カレテシマッタノデース。

 

そう博士は最後に締め括った。

「悪魔------か」

ぼんやりとしたその言葉は、確かに―――このぼんやりとした現象には、当て嵌まっている気がした。

 

 

「なあ-----アリカ先輩」

「何だよ」

試合は、当然の如く一時中止となった。

「------何だったんすか?アレ」

「知るか。ホームラン打たれたショックで開放骨折なんか聞いた事ねえ。まだ脳の血管千切れてぶっ倒れる方が可能性としちゃあるぜ」

「だよなぁ」

信じられない思いは、試合当事者が一番如実に抱いているものだ。

「------ま、考えても仕方ねえさ。そんな事より、二点差だぜ。霧栖」

「もうここからは―――正真正銘の馬鹿試合かもなぁ」

これから―――クリーンナップと向き合う場面。

久遠ヒカルが、その相手をする。

今の所、残念ながらまともに抑えられていない。

「次のイニングだな。次のイニングを抑えれれば、あの三人に打席に回るのは終盤しかない。となれば―――」

「継投か?誰に?」

「だよなぁ-----」

誰に継投した所で同じ話だ。あの中でベストな選択肢として久遠を投入したのも、投手陣の薄さの証左なのだ。―――どれほど帝王が山口に依存していたのか、現在チーム全員が噛みしめている事だろう。

 

次のイニングが勝負どころである。

 

クリーンナップをキッチリここで仕留めきれれば、大量点に繋がる場面はこれから終盤にかけてやってこないだろう。

仕留めきれれば、の話であるが。

 

 

どういうことだ。

あれは―――一体どういう事だ。

 

蛇島は愕然とした思いで―――救急車に運ばれる瀬倉の姿を見ていた。

左肘が壊れた。

 

何故だ。

何故だ。

何故、ああなったのだ。

―――私が求めていたのは、あれ程に危険な力だったのか―――。

 

得た力は、死と隣り合わせ。

左肘の崩壊。それはまさしく―――ピッチャーにとっての、死と同義である。

 

あの男は何を差し出し、何によって、あんな事になったのだ。

 

―――何なのだ。

凡人が力を得ようと思うならば、あれだけの代償を払わねばならないのか?

死と隣り合わせの力。それを求める狂気。代償すら恐れぬ強固な意志。

 

試合が再開する。

 

次は、自分の打順からだ。

まだ試合は中盤。点差は二点。今の久遠ヒカルの出来ならば、まだまだ逆転の目はある。

 

―――こんな所で立ち止まる訳にはいかない。

自分はまだまだ、先を行く人間なのだ。

立ち止まれる人間ではない。立ち止まってはいけない。

 

動揺する心を静めながら、彼は―――瀬倉に変わったピッチャーが、下位打線を処理する様を見届けていた。

 

 

あの唐突な瀬倉の“終わり”を目の当たりにして―――久遠ヒカルの心に到来したモノは、憐れみでしかなかった。

ざまあみろ―――そう思いたくなるのだと、思っていた。

けど、思う。

 

―――自分はあの状況下で、それでも自分の決め球を信じて投げられるだろうか。

 

石杖に弱点を看破され、攻略され、塁を埋められ、迎えた打者は―――中学から滅多打ちにされている天才スラッガー。

自分の心の支えである決め球。

それが仇となり、彼は逆に追い詰められた。

それでも―――それでも、奴は自分の決め球を信じた。あの場面、あの打者に、しっかりと投げ切った。

 

それだけの覚悟が、今の自分にはあるのか。あの場面で―――キッチリ勝負に向かえる心が自分にはあるのだろうか。

 

瀬倉。

あの男は、確かにクソッタレの畜生だ。

 

けど―――例えどれだけその原動力が邪であろうとも、奴は勝利への執着心だけは何処までも本物であった。

 

自分は、どうだ。

―――勝利へ、執着しているか?

 

していない。

 

今の自分の心は、執着ではない。

「勝ちたい」という気持ちより―――「勝たなければならない」という義務感。それだけが、今の自分の心を支配している。

 

友沢先輩の、山口先輩の仇だから。自分のトラウマを打ち砕かなければならないから。そこに外的な理由がいくつもいくつも並びたてられている。

 

そうじゃない。

「自分が」勝ちたいからだ。

「自分が」投手として独り立ちしたいからだ。

 

―――エースに、なりたいからだ。

 

いつから忘れていたのだろう。

 

自分は、―――ただ、エースになりたかったんじゃないか。

 

きっと、瀬倉だってそうなりたくて、そう在りたくて、あれほどの球を手に入れたのだ。

忘れていた。

そして思い出した。

 

ならば―――やるべき事は、ただ一つ。

 

腕を振って―――自分のありのままを、ただただあのマウンドで表現するんだ。

 

 

マウンドには、久遠ヒカルが上がる。

帝王の下位打線は沈黙し、攻守交替。一挙六点の猛攻の後、海東学院の攻撃に入る。

ここまで許した失点、四点。もうこれ以上の失点は許されない。迎えるバッターは、凶悪クリーンナップ。

 

打席には、蛇島が入る。

 

―――さあ、かかってきなさい。

 

瀬倉の末路への動揺は、もう切り替えた。

どうであれ、何であれ―――ここで勝てば、甲子園には出場できる。

 

残りの地方戦は消化試合のようなものだ。瀬倉がいなくなり、甲子園本戦の勝ち残りの目は無くなってしまったが、それは仕方がない。今考えるべき事は―――目の前の帝王を、打ち果たす事。

 

二点程度、この久遠ヒカルというピッチャーにとっては頼りない点差だ。挽回は、十分に可能であろう。

そして、一球目が投げられる。

 

腕の振りが、鋭い。

真っ直ぐのタイミングで、蛇島はバットを出す。

 

しかし―――。

「ストライク!」

球は見事に―――外角へと逃げていった。

「な―――!」

思わず、声を上げる。

腕の振りが鋭い。コースを狙って緩んだリリースから放たれるスライダーは、もうそこにはなかった。

 

はじめて、久遠の目を見た。

迷いも、恐怖も、そこにはない。

 

―――何が起こった。

 

そう顔をしかめるも束の間―――二球目が、放たれようとしていた。

 

 


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