実況パワフルプロ野球 鋳車和観編   作:丸米

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今回、結構キツイ描写があります。最後あたり。苦手な方は、読み飛ばす事を推奨します。


帝王VS海東学院⑧

―――誰よりも、球に当てる才能を持っていた。

―――誰よりも、球を飛ばす才能を持っていた。

 

そして、誰よりも努力する才能も持ち合わせていた。

巨大な原石が、誰よりも自己を研磨する事を怠る事をしなかった。

それが、霧栖弥一郎という男であった。

 

楽しかった。

眼前のピッチャーはどんな球を投げるのだろう。

どんな風に、自分に立ち向かってくれるのだろう。

どれだけ打った所で、打率が十割に達する事はない。中学時代、およそ半分をヒットにしたこの男だって、裏を返せば半分は凡退に終わっている。

成功と失敗がでんぐり返しのように繰り返す度に、彼はその記憶を忘れぬ様にバットを振った。

 

自分に立ち向かってくれたボールに、確かな敬意を持って。

別にこの男に高尚な野球哲学が存在する訳ではない。その敬意は、ただ一つの思いに集約している。

 

野球が、楽しい。

成功も失敗も。打つも守るも走るも。あらゆる全てを含めた上で、どうしようもなく楽しかった。

 

凡退する度に―――悔しさよりも、次にそのボールをどう攻略してやろうかという思索が優先された。

 

だが、今少しだけ理解出来る。

 

「勝ちたい」という気持ちが。

自分の野球ではない。チームとして、相手に勝ちたいという思いが。

 

―――少なくとも。今自分は許容できない。

この相手に敗けるという事が、一切許容できない。

例え自分が全打席ホームランをかました所で、チームが敗ければ意味がない。

 

そうか。

皆は―――こんな思いを抱えながら野球をやっていたのだ。

 

自分がどうこうではない。チームが勝たねば意味が無い。

だから、敗けて納得できないのだ。だから、敗けて怒るのだ。

 

ああ、そうか。

これが自分に無かったものなのだと―――認識した。

 

心地よくはない。

この心の在り方に如何ほどの価値があるのか―――それは、この試合が終わった時に解る事だ。

 

だから、―――俺は今ここで打たなきゃいけない。

そう心の底から思えた。

 

 

うねり、落ちていく瀬倉のスクリュー。

それはまさしく理想的な軌道を描いていた。

真ん中のゾーンから逃げていく様に外角へと滑り落ちていく。

 

しかし、瀬倉の目から見ても解った。

外角のボールに泳がされる事も、タイミングを外されている様子もない。

 

軸足に根が張り、リリースの瞬間にはバットのヘッドが後ろへと移行する。

同じだ。

中学の時に、ボコボコに打たれたあの時の記憶と、マッチする。

 

―――ああ、そうだった。

霧栖弥一郎は、こういうバッターだった。

タイミングをどれだけ外そうと、視界から消えるように変化球を投げ込もうと。

 

それでもこの男は幾度となく打ち砕いてきたのだ。

 

根が張ったように動かない軸足。

主柱のような体幹から回旋し、バットが駒のように回る。

 

外角に落ちていく、シュート回転のボール。

恐らく右バッターにとって一番飛ばしにくいコースのボールを、呼び込んで、打った。

 

弾けるような金属音。

それと共に―――反対方向へ、巨大な放物線を描いて消えていく。

 

 

―――なあ。

―――ここまで、俺だって、色々やってきたんだよ。

自分の才能と折り合いをつけてサイドスローにした時。

それが上手く嵌まって一気に才能が開花したように思えた時。

そしてそれが打ち砕かれた時。

―――それでも、俺はこんな結末を迎えてしまうのか?

 

怪しげな博士の力を借りて、こんな肘に変えちまって。

それでも―――。

 

歓声が響き渡る。

どうしようもない程の、歓声が。

その声が―――どうしようもない現実の狭間に、瀬倉を押しやっていた。

 

 

「ねえ」

「何デスカ?加藤先生?」

怪しげな地下室の中、二人は話していた。

加藤と、ダイジョーブの二人である。

「------瀬倉弓也君、だっけ?あの子の左肘、手術したの貴方でしょ?」

「ハイ、ソノ通リデース。トテモ貴重ナ、さんぷるデシタ」

「あれって-----?」

「言ウナレバ、“肉体変異種”ノ一種デース」

「貴方、また性懲りもなく肉体改造に手をかけたの?」

「オウ、アレハ違イマース。確カニ手ヲ加エタノハ確カデスガ、アレハ私ノ化学デハアリマセーン」

「じゃあ、何?」

「アレハ―――」

ダイジョーブは、説明する。

瀬倉弓也の、左肘について。その肘の合間に潜む、“何者”かを。

「成程ね。病的-----いえ、もう“病”に陥ってしまったと言っても構わない程の意思によって、肉体が変異する現象。それが、瀬倉君に------」

「いえす。彼ノ左肘ニハ、ソノ兆候ガモウ既ニ存在シテイマシタ」

“意思”もしくは“思い込み”。

それが肉体を変異させる。

「それって、プラシーボ効果のようなものなのかしら?」

「近イデース。ケレドモ、ぷらしーぼヨリカハ、モット深刻デスネー。ぷらしーぼハ“効果”ヲ発生サセル事ハアリマース。ケレドモ、肉体ソノモノヲ変エル事ハマズナイデース」

例えば、“水を飲まなくても死なない”と思い込んでいる人間がいるとする。

プラシーボは、水が枯渇している状態においてもその思い込んでいる効果を肉体を騙し、効果を発生させる。

この“病”は―――水がなくても生きて行けるように、肉体を変化させる。

成程、と加藤は思った。

思い込みによる肉体の変化。

 

―――ならば。

―――その思い込みそのものが打ち砕かれた時、その病に罹った人間は、どうなるのだろうか―――?

 

「ソノ時ハ―――」

博士は、その結末を加藤に告げた。

 

 

敗けた。

自分の全てを賭けて、このスクリューを形作った。

俺の。俺だけの。スクリュー。

 

なのに。それでも―――それでも。

あの輝きを放つスラッガーには、勝てなかった。

 

決め球を運び込まれてスタンドイン。ご丁寧に直球を見逃し追い込まれた状態からの―――この、流れ。

4-6。

一挙五点を奪われての、逆転劇。

 

言い訳無用の敗北。

それを受けて―――ただただ、呆然とする他ない。

 

この左肘から生み出されるスクリューはきっと打たれはしない。

俺よりも才能のあるやつでも。俺よりも体格のでかい奴でも。

きっと打てない。この魔球を打てはしない。

 

敗けたくない思いから生まれた瀬倉の左肘。そこから生み出されるスクリュー。

それを―――こんな風に、こんな見事に打ち砕かれて。

 

ああ、と思った。

結局、無理だったのだ。

 

この変化した左肘でも。

 

そう思った瞬間。

何か音がした。

 

ぼきり。

ごきり。

そんな骨が砕かれる音と共に。

ぐちゃり、とか。

ぎちり、とか。

肉が裂かれたり貫く音だったり。

 

「―――え?」

自分の左腕を見る。

肘から、何かが見える。

それは、どす黒いナニカ。

 

まるで何かに食い千切られたような、そんな色。それが長袖のユニフォームから垂れ流されて―――。

 

「あ-----あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

何かがぶり返すように、激痛の波が襲いかかって来た。

ぼたりぼたり、と零れる鮮血。

周囲が血相を上げて近付いて来る。

 

やめろ。

やめろ。

見るな。見るんじゃない。

 

違う。これはちょっと、ちょっとだけ何かが起きただけなんだ。解るだろう?こんな所でこんな風に成る訳がないじゃないか。そうだろう―――?

 

集まった連中に、ユニフォームが捲られる。

「やめ―――」

止める声も聞き入れず、隠されたその先にあったのは―――。

 

伸び切った関節が、伸び切ったまま―――骨を、左肘から露出させている光景であった。

開放骨折。

それも折れた骨ではない。関節が伸びて、骨と骨とがぶつかり合って、出来上がった―――ひしゃげ、“砕かれた”骨だ。

 

ああ、そうだ。

そうだった。

 

騒然とする周りの声すら耳を貸さず、彼は一人絶望の最中に血に濡れたマウンドを見る。

 

敗けたくないという思いから生まれた俺の左肘は―――敗けた瞬間、こうなっちまう運命だったんだ。

 

ひひひひ。

はははは。

瀬倉は―――もう、笑う事しか出来なかった。

 

これが、帰結だった。

これこそが、俺の。


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