両腕を胸の前に置き頭上へと振り上げるワインドアップモーションから、全身をバネに右腕が跳ね上がる。
斜め振りの腕の軌道から、低めへと真っ直ぐを投げ込む。
―――ストライク。
真ん中低めの真っ直ぐ。よく制球された、それでいて威力のある真っ直ぐであった。
球速は140前半。噂通り、高校生レベルであれば間違いなく本格派を名乗れるだけの力のある速球だ。
その球を実につまらなそうに眺め、再度瀬倉は構える。
二球目、三球目―――共にスライダー。ど真ん中の軌道から左打者である瀬倉の膝元に食い込む、変化球。曲がりも大きい。キレもいい。そうそう捉えられる球ではないだろう。瀬倉は二球目を見送り、三球目を空振る。
ツーストライクワンボール。追い込まれた瀬倉は、されど慌てる事無く打席に入る。
四投目は、外角の直球。バットの下っ面を叩きつけ、これを瀬倉はファールにする。
五投目、六投目。共にインサイドの真っ直ぐ。五投目は瀬倉の身体付近へ流れ、六投目は真ん中へと流れる。
六投目の甘めの直球を見逃さず、瀬倉は打ちにかかる。
ギィン、というけたたましい金属音と共に球は二遊間へと向かっていく。
センターへと抜けるかと思われたその打球は―――されど、そこに割り込む遊撃手によって阻まれる。
友沢だ。
スライディングしながらバックハンドでその打球を好捕。その後身体をファースト方向へくるりと腰を回しながら鋭く送球を行う。
アウトの宣告を恨めし気に聞きながら、瀬倉はしかし―――キッチリと久遠の実力を把握した。
―――決め球が、甘くなる。粘れば粘る分だけ、ボールが甘くなる。せっかくそれぞれいい球を持っているのに、メンタル部分が完全に雑魚のそれだ。
内角に投げ込んだ後に、吸い込まれるように直球が真ん中に来ていた。これだ。これこそが奴のメンタルの弱さの証左だ。
―――ゲームが進んでいく中で、ずっとこの調子でいられると思ったら大間違いだぜ。
※
二番富永は初球のカーブを引っ掛けセカンドゴロに終わり、相対するは―――蛇島桐人。
―――解りやすい。実に解りやすいですよぉ、久遠さん。
ツーアウト。ランナー無し。そしてクリーンナップの入り口。
―――「確実に」仕留めようとするでしょうねぇ、私を。
「確実に」とはつまり―――球数を使っても構わない。それよりも際どい所に投げ込み、こちらを打ち取る事を優先するような思考形態である。
―――本当に、馬鹿ですねぇ。確率のスポーツである野球において「確実」を求める事程馬鹿らしいことは無いと言うのに。
この思考形態に沿っていくと、実に配球は解りやすい。危険ゾーンに投げ込めないのだから内角は使わないのだろう。となれば外角での直球の出し入れとスライダーが中心----というか、それしか投げないはずである。カーブやシュートも投げられるみたいだが、「確実」を求めるのであるならば、中途半端な球は使えない。ほら、見た事か。「確実」を求めるが故に内角の選択肢を消し、他の球種の選択肢も消した。
第一投。外角の直球。ボールゾーンへ流れる。ワンボール。
第二投。外角から逃げていくスライダー。本来ならば右打者にとってまさしく鬼門となるであろうこの球も、読んでさえいるならば我慢できる。スイングを止め、ツーボール。
さあ、どうする?
カウントを稼がねばならないぞ。外角ピッタリにしっかり直球を投げ込めるだけの制球力がお前にはあるのか?それともゾーンにスライダーを投げ込めるだけの覚悟があるのか?
―――山口には、あったぞ。
第三投------蛇島の内角付近へと抜けていく、逆球。しかしベース板の上は通っていた為、カウントは取られる。ワンストライクツーボール。
制球が怪しくなってきた。
第四投―――外角の、しかし甘く入ったコース。
蛇島は一切迷う事無くしっかりと踏み込み、―――そのボールをしっかりと芯に食らわせた。
強烈なライナーが一二塁間を駆け抜けていく。
―――バシン!という強烈な音が響き渡った。
「―――む」
セカンド石杖が、一塁方向へかなり寄ったポジショニングによって、ライナーの軌道に何とかその身体を割り込ませていた。
見事なファインプレーを演出した男は、顔をしかめながらスリーアウトの宣告と共にベンチへと引き下がって行く。
「―――見事ですねぇ」
蛇島は、そう思わず口にしていた。
―――アレは、全てを理解できた上でなければ出てこないプレーであろう。
外角に偏った配球。そしてそれを蛇島が完全に読み切っているという事実。―――それらを完全に読み切って、あのポジショニングをとることが出来たのであろうから。
「―――本当に、勿体ないですねぇ」
まさしく―――自分のプレースタイルとあまりにも似つかわしい男に、心の底から嫌悪感が溢れ出さんばかりに湧き起こる。
―――やはり、潰したいですねぇ。貴方は。
くっくっ、と含み笑いを忍ばせながら、蛇島は打席を去って行った。
※
攻守交替。次にマウンドに上がるは、海東学院高校のルーキーエースである、瀬倉弓也であった。
投球練習を終え、打席には―――これまたルーキーの有島将吾であった。
―――いいか、有島。お前には打つ以外の事なんざ何も期待していない。
先輩一同、皆からそう有島は言われた。
―――初球からぶん回して来い。
うす、と返事をし、バッターボックスへ。
腰を大きく捻り、それと連動して身体全体を大きく捻じって行く。
そこから―――有島から見て背中側から、ボールが放たれる。そのリリースポイントは、このままボールがすっぽ抜ければ有島の背中に叩きつけられる事となるであろう。
反射的に恐怖を覚えるが―――しかし、有島には天性の度胸と思い切りの良さがあった。
放たれたボールに、初球から振り抜いていく。
―――結果は、ファール。ボールの上っ面を叩き、一塁方向から大きく外れてファールゾーンへと向かっていく。
―――打ちにくいったらありゃしねえな。こりゃあ。
大きく捻りが入るフォーム。背中側からクロスで入って来る軌道。恐ろしく速い腕の振り----130後半程度の直球だが、それ以上の速度が感じられる。
二投目は、インハイへの直球。今度は身体とリリースから近い部分へと向かっていく。
内角側へ外れたボール球だが、しかし有島は思わずその球を振ってしまう。
------自分の背中側にリリースポイントがあるという状況は、かなり感覚のズレが生じている。視界ギリギリから放たれる球の軌道予測とゾーンとを合わせる作業が、一打席だけでは追いつかない。だからこそ、選球に狂いが生じてしまう。
苛立たし気に再度打席に入る。
―――来るはずだ。絶対に来るはずだ。
あの男の代名詞が。しっかりと追い込んだ今、使わない訳がない。
足を上げ、腰を捻り、左腕が横手から放たれていく。
そのリリースに合わせ、有島将吾は球が放たれるタイミングと同時に、足を上げ、バットを振りだす準備を始める。
しかし、
―――球が、来ねえ。
まさしく、一瞬の差である。先程の直球を投げ込んだ際と、リリースのタイミングがほんの一瞬、違和感を覚えた。
だが、その一瞬が、命取りとなる。
リリースの瞬間には―――もう、ボールは手元にあった。
浮かび、沈む―――スクリューの工程を認識する間もなく気付いた時には有島はバットを振り、そしてアウトカウントを一つ稼がれていたという事実だけがそこに残っていた。
―――何が起こった。
有島将吾は、霧栖弥一郎程ではないが、それでもよくボールを見ることが出来るバッターだ。ピッチャーとのタイミングを合わせる天性の才覚があるからこそ、今まで迷いなく初球を躊躇いなく振ってこれたのだ。
だが、今回がはじめてであった。
自分が対面したボールの軌道を、認識できないという状況が。
まるで狐に包まれたかのような感覚のまま、有島将吾はバッターボックスを去った。