とある少女の仮想世界(シミュレーション)   作:類子

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リアルが忙しく、更新が遅れてしまいました。
今回やたら長い割にキャラとの絡みが少ないです。すみません。そして今回からやたらオリキャラが出張ります。ご注意ください。


4、主人公の喪失

 

真っ黒な暗幕の空。白い絵の具を散らしたような星。丸い白熱灯みたいな月が、ぽっかりと浮かんでいる。

昼間の暑さも落ち着き、悪くない夜だった。風情がどうのとか言い出すような人間なら、ふらりと夜の散歩と洒落こんだかもしれない。

 

だが、陽向は意地でも外に出てたまるかとばかりに、学生寮の自分の部屋に立て籠っていた。

 

それもそのはず、今日の日付は七月二十四日。時刻は午後八時になる十五分前である。

前世でとあるシリーズの愛読者であった陽向は覚えていた。あと十五分ほどで、『原作』のイベントが起こる。それも、二人の魔術師が別々の場所で力を振るうという、陽向にとっては悪夢のような戦闘イベントが。

単なる魔術師であればまだ救いはあったかもしれないが、二人のうち一人はなんと炎を専門とする魔術師である。自分の死因を司る死神じみた神父なんぞに、陽向は死んでも出会いたくなかった。

 

幸い彼らが出現すると思われる場所……小萌先生の家から近場の銭湯にかけてのルートは、陽向の家から徒歩二十分はかかる。以前彼女の家に書類を届けた際に確認済みだ。あのときはひたすら面倒なだけだったが、今となっては行っておいて良かったと心から思う。場所が分かっているのと分からないのでは安心感が違うのだ。

 

とはいえ、油断は禁物である。巻き込まれ体質である陽向は、何がどうなって被害を受けるか分からないのだ。明日まで絶対に家から出ない。意地でも引きこもってやる!そんな決意を胸に、寝るまでの数時間を消費するついでに課題を終わらせようとした、そのとき。

 

「うそ……だろ……」

 

――――筆箱が、ない。

ない。鞄の中にも、机の下にも、布団の中にもない。明日提出の課題を終わらせるための必須アイテムたる筆記用具が、……ない。こんなときに限って学校に忘れ物をするとは。巻き込まれすぎて上条の不幸が移ったかと、陽向は思わず頭を抱えた。

 

学校へ携帯していく筆箱の中身以外に、筆記用具を持っていない陽向の取れる選択肢は三つ。課題を諦めるか、学校に取りに行くか、それとも、コンビニに買いに行くか。

赤点を取ったために課された課題を諦めるという選択肢は、普段比較的真面目な生徒を演じている陽向には、到底選べない行為であった。となれば残る選択肢は二つだが、この二つ、なんとどちらも外出しなければならないのだ。

 

どうすればいいのか。陽向が葛藤の末に時計を見ると、まだ八時になるまでに十分以上時間があった。一番近いコンビニまでは、徒歩五分もかからない。つまり、急いで買い物をすれば、戦闘に巻き込まれることなく家に帰ってくることができる時間だ。

 

「……行くか」

 

陽向は覚悟を決めた。大丈夫、距離だって離れている。きっと何の問題もなく帰ってこられるはずだ。そう自分に言い聞かせて、陽向は玄関の扉を開けた。

 

 

 

財布を家に忘れる。文房具が売り切れ。そんなちょっとしたトラブルさえもなく、陽向はスムーズに買い物を済ませ帰路に着いた。

上手くいきすぎて、逆に恐ろしい。これから何かあるんじゃないか、という不安が沸いてくる。魔術師に会うのは流石に出来すぎだとして……例えば、例の小学生にしか見えない教師あたりに出会してしまう、とか。

 

「……あれ、緋乃ちゃん?こんな夜中にどうしたんですか?」

 

……何か、聞こえた気がする。

幻聴だろうか。きっと幻聴に違いない。陽向はそのまま歩き去ってやろうかとも考えたが、もし幻聴でなかった場合それはそれで面倒なことになる。観念して、ゆっくりと後ろを振り向いた。

 

「…………小萌、先生」

 

そこには、教師のくせに赤いランドセルが良く似合う、クラスの担任、月詠小萌その人がまさに立っていた。

立てたフラグを秒速で回収してしまい、陽向は思わず遠い目をした。

 

「緋乃ちゃんだって女の子なんですから、あんまり夜中に一人で出歩いちゃ駄目ですよー?」

 

それに気付かず、目の前の小学生教師は続ける。もしかしたらこのまま軽い世間話をするだけで済むかもしれない。僅かな希望に望みを賭け、陽向は笑顔を貼り付けて会話に応じた。

 

「いやー、急に夜の散歩がしたくなって……小萌先生は、どうしてここに?」

 

その質問は、ただの世間話の延長だった。少なくとも陽向は、そのつもりで言葉を発した。

しかし、目の前の人物の返答を聞いたとき、そしてその意味に気付いたとき、陽向は自分がした質問を激しく後悔することとなる。

 

「先生はちょっと急用が出来てしまったのですー。時間がかかりそうで、朝まで帰れないかもしれないんですよー……」

 

ため息と共に、やれやれといった様子で言葉を吐く担任教師。陽向は教師という職業の忙しさにも、小学生じみた外見の人物が夜中に出歩いている事実にもまるで興味がなかった。

しかし、『朝まで帰れない』……この言葉が、陽向の頭にどうにも引っ掛かった。何故こんなに気になるのか。喉の奥に小骨が引っ掛かったような感覚に堪えかねて、陽向は何とか理由をはっきりさせようと考えを巡らす。

そして、思い出してしまった。

 

――――確か、魔術師との戦闘に敗れた主人公を回収して手当てをするのは、この人じゃなかったか?

 

これ、まずいんじゃないか。陽向の頭に次々と嫌な想像が浮かぶ。

 

朝まで……ということは。戦いに倒れた主人公は、朝になってこの人ないし誰かに見つけてもらえるまで、そのまま放置され続けるのだろうか。

意識を失うほどの、その後三日も目覚めないほどの傷を手当てもされず、何時間も不衛生な地面に倒れ伏すのだろうか。

 

どうせこんなことを言いつつ、目の前の登場人物(キャラクター)が主人公を回収するに違いない。そうでなくても、運良く通りかかった誰かが救急車でも呼ぶだろう。そもそも、あの魔術師達が、主人公を禁書目録(インデックス)の足枷として使うために生かすはずだ。

 

そうは思っても、はっきりと形を取りはじめた不安は、消えてはくれなかった。

もし、自分というイレギュラーのせいで、僅かなズレが生じていたら?そのズレのせいで、物語に必要なはずの人物が途中退場してしまったら?

 

――――例えば、主人公(ヒーロー)が。

 

「……緋乃ちゃん?」

 

教師が自分の名前を呼ぶ声で、陽向はようやく我に返った。

そうだ、主人公なんだから、どうせ助かるに決まっている。それよりも、今は自分の心配をしなければ。

 

「ああ、すいません……ちょっとぼーっとしちゃって。もう家に帰って休みますね」

 

なるべく早く話を切り上げて家に帰らなければ。うかうかしていると巻き込まれて、面倒なことになるだけならまだしも、酷い目に遭うかもしれない。

 

気をつけるのですよー、はい先生も、そんなやり取りをして、担任教師は大型研究施設がいくつかある方へ向かって行った。例の戦闘イベントが起こる場所とは、真逆の方向だ。

陽向の住んでいる学生寮も教師の進んだ方にあるのだが、陽向は、逆へと足を進めた。これ以上登場人物(キャラクター)と関わりたくなかったのだ。決して、例の場所に向かって、主人公を回収するためではない。……そう、決して。

 

陽向は、寮に帰るために角を曲がろうとした。どうなろうが自分には関係ない。主人公が死のうが知ったことか――――

 

そこまで考えて、陽向は気付いた。上条当麻(あいつ)、何度か世界の危機救ってなかったか?

 

つまり、つまりだ。ここで主人公(ヒーロー)が死ぬと、結果的に世界が終わる。当然、平穏な日々を過ごすどころではない。陽向はこの世界に執着など欠片も無かったが、前世が酷かった分、今回くらいは普通に、安らかに死にたかった。世界が消滅して死ぬなどというトンデモ死因は、当然お断りである。

……結局、あの場所に向かうしかないのか。陽向は、がくりと地面に膝を付いた。嫌だ。嫌すぎる。例の魔術師達は片や魔術界では戦力的に核爆弾と称される聖人、片や自分の死因を操る悪魔のような神父。ぶっちゃけ半径一キロ以内に近付くことさえ嫌だった。

 

叫びたくなる衝動を必死に抑えて、陽向は渋々起き上がり、歩き出した。目指すは感じる魔力の中心。ここから徒歩約二十分の場所。ゆっくり歩いて向かおう。きっとその頃には、全てが終わっているはずだと信じて。

 

 

 

遠くに感じる炎の気配。赤い色の魔力。離れていてもじりじりと肌を焦がす熱を避けながら、陽向はようやく主人公の元にたどり着いた。

 

大手デパートから漏れる明かりに照らされる、片道三車線の大通り。その真ん中に、上条当麻はボロボロになって倒れ伏していた。体の至るところから血を流し、鋭い刃で切り刻まれたアスファルトの上に転がる主人公。気弱な人物が見れば気絶モノだろう。

だが、陽向は特に動じる様子もなく、周囲を確認しながら主人公へ歩み寄った。既にあの炎の魔術の気配はなかった。人払いのルーンも、いずれ解かれるだろう。今はまだ人の気配はないが、早くこの瀕死の人物を連れて撤収しなければ直に騒ぎになる。

 

「あー……これは酷い」

 

近くで確認すると、彼の容態の悪さがよりよく分かった。無数の切り傷だけでなく、複数の人間に殴る蹴るの暴行を受けたような内出血、左肩は砕かれ、右手はズタズタだった。

これ普通に考えて病院行きだろ。救急車を呼んだ方が話が早い。陽向は思わずケータイを取り出しかけたが、原作で主人公が目覚めたのが例のアパートだったということは、諦めて運んだ方が良さそうだ。面倒なことこの上ない。

 

「…………ぃ……」

 

諦めて、陽向がとりあえずの応急処置のために、道すがら購入した包帯を取り出したそのとき、気を失ったはずの主人公がうめき声をあげた。

こんな状態で意識があるのか。さすがは主人公。陽向が僅かな驚きとある種の哀れみに手を止めると、主人公は言った。

 

「……ィン…………デッ、クス…………」

 

ヒロインの、名前。それだけを呟いて、上条当麻は再び動かなくなる。意識は、なかった。

 

インデックス。陽向も一度会ったことがある。もう二度と、関わることはないだろうと思っていた少女。陽向は少女を半ば見捨てたことに、雀の涙ほどの罪悪感しか抱いていなかった。けれどそれは、少女(ヒロイン)がいずれ主人公(ヒーロー)に救われるからだ。だから陽向が少女に関わる必要がなかった。

そう、主人公には、上条当麻にはインデックスを救ってもらわなければならない。妹達(シスターズ)だってそうだ。主人公(ヒーロー)が、必要なのだ。

 

「……俺がここまでするんだから、途中で死んだら許さない」

 

仮想(シミュレーション)だと、物語(フィクション)だと思っていても、感情が全く動かない訳ではない。前世で『原作』を読んでいたときだって、登場人物(キャラクター)達に感情移入して、怒りだって悲しみだって、喜びだって感じた。

ただ、現実味がないのだ。感じる想いはどこか、薄っぺらい。仮想(フィクション)で事足りるはずがない。本やゲームがあれば、人間はたった一人でも生きていける……そんな理屈が成り立たないから、人々は誰かとの関わりを求めるのだ。

だから、いつか失ってしまった現実を取り戻すか、そうでなくても作り物の世界から安らかに消えていけるその日まで。陽向は、ただ平穏な日々を消化していたかった。そのために、主人公には陽向の関われない数々の厄介事を解決し、陽向の救えない沢山の人々を救済してもらう必要があるのだ。死んでもらっては困る。

 

手際よく処置を終えて、陽向は上条当麻を軽々と担ぎ上げた。後見人の伯父に叩き込まれた怪我の応急処置も、幼い頃いけるんじゃね?という軽い気持ちで自販機を持ち上げたとき発覚した怪力も、まさかこんな形で役に立つとは思っていなかった。できることなら、これから先二度と使いたくない。

 

空には白い月が浮かんでいる。今の陽向には風情なんて繊細な感情も、もう分からなくなってしまった。けれど、確か前世で普通の学生をやっていた頃の自分は、夜中に散歩をするのが好きだったと思う。

街の明かり。星の煌めき。月の輝き。そして何より、暗い夜の非日常。そこには何か素敵なものが転がっているような、そんな期待が、確かにそこにはあったのに。

もう戻らない。戻りたいと思うことさえ諦めた自分を、それでも時々手を伸ばしたくなる自分を、この頼りない主人公(ヒーロー)なら救ってくれるのだろうか。

 

それはなんて――――なんて、下らなくてありきたりな物語(フィクション)だろうか。

 

馬鹿馬鹿しい。自分はただのモブキャラだろうに。自分で自分の幻想を握り潰して、陽向は例のアパートへと足を速めた。

 

 

 

誰かの、暖かい手を感じた気がした。

 

ほんの僅かに、意識が浮上する。ここはどこだ。何故こんなことに。それさえ分からないほどぼやけた頭で、上条当麻は誰かの微かな声を聞いた。

けれどその声が何を言ったかは分からない。ただ、聞き覚えのある声だった。女子にしては低くて、穏やかで、どこか冷めた声。それをどこで聞いたのかが、上条には思い出せなかった。

 

「……じゃあ、俺はこれで」

 

今度ははっきり聞こえた。そして、思い出した。いつもいつも出会しては不幸に巻き込んでしまう、上条のクラスメイト。恨まれても仕方ないだろうに、いつだって困ったような笑顔で水に流してくれる良い奴。女子なのに男っぽくて、セーラー服を着てなきゃ男にしか見えないアイツ。

待ってくれ。訳も分からずそれでも引き留めようとして、けれど意識は闇に飲まれていく。僅かに残った感覚も消え、上条は再び気を失った。

 

 

「……そういえば、とうまを手当てしたのって、結局誰だったのかな?」

 

上条当麻が目を覚ました後。インデックスは布団に横たわった上条へと、不思議そうに言った。

そう、あの夜、インデックスがチャイムの音に扉を開くと、全身を痛々しく包帯で巻かれた上条だけが倒れていたのだ。辺りを見回しても誰もおらず、結局上条の傷の手当てをした人物は分からないままだった。

 

「あー……もしかしたら……」

 

しかし、上条には心当たりがあった。意識を失っているとき、夢うつつで聞いた声。あれは間違いなく、クラスメイトの『アイツ』の声だった。

 

「とうま、誰か分かったの?」

 

「……まあ、勘違いかもしんねーけどな」

 

インデックスの問いを、上条は曖昧に濁した。あれは夢だったのか、それとも現実か……どちらにせよ、全てが片付いたら会いに行こう。

もし本当に自分を助けたのが『アイツ』なら、礼の一つでも言わなければ。思えば迷惑をかけてばかりだ。今度何か奢ってやろう……

今度、また今度と、上条は悠長に考えていた。自分が、そんなことさえ忘れてしまうとは知らずに。

 

 

 

時と場所は変わり、数日後、とある高校にて。正確には、七月二十八日の午後一時、数学の補習が行われている教室で。

あの夜アパートまでたどり着いた陽向は、上条を玄関に置き、ピンポンダッシュをかますという手段でインデックスとの再会を回避した。そして無事に、五体満足で、魔術師に出会すこともなく、自分の城へと帰ってきたのだ。その瞬間、陽向は思わずガッツポーズをした。

課題も終わらせて提出したし、その日のミッションは完全にクリアした、はずだ。『原作』と僅かなズレが生じていた辺り不安ではあるが、目下の問題としては、数学の補習を終わらせなければならない。ならない……の、だが。

 

補習の真っ最中、陽向は机の上のプリントを前に、頭を抱えていた。

さっっぱり分からない。数学教師がプリントを終わらせてから帰るようにと告げ、教室を出てから何時間か経つが、全く空欄が埋まらない。黒板には教師が書き並べていった説明のようなものもあるが、正直暗号にしか見えない。昔から、どうも数学だけは駄目なのだ。

ああ頭が痛い。こんなことなら、昨日のうちに公式だけでも覚えておくんだった。しかし、後悔先に立たずである。……何か最近、後悔ばかりしている気がする。

 

「うへえ、わっかんねー……ひのー、なんとかしてよー」

 

陽向が悩んでいると、右隣から声をかけられた。陽向の横に座っているのは、クラスメイト兼同じ文芸部の花田。日本人にしては明るい焦げ茶色の髪を二つ結びにした、ぱっちりした大きな目がかわいらしい小柄な少女である。ただし、性格は残念極まりなく、少女というよりはいたずらっ子のそれである。

 

「そうだよ、緋乃頭良いじゃん。我々にも恩恵を分けて欲しいですなあ」

 

更に、花田の後ろから、澄んだ声が聞こえた。そこにいるのは同じくクラスメイトで文芸部員の阿賀野。肩まで伸びたさらさらの黒髪に、整った顔立ち、すらりと伸びた手足の持ち主だが、こちらも性格が全てを台無しにしていくタイプの女子だった。

 

「……うーん、無理かな。俺も分からないし」

 

面倒なのに絡まれた。陽向が何とか作り笑いで返すと、補習の常連たる二人は揃って、えーっと大袈裟にリアクションしてみせた。

 

「だってひの、この前のテストで満点取ってたじゃん!」

 

花田が叫ぶ。そこに、そうだそうだと阿賀野が同意した。

満点。まあ、確かに取った。取ったは取ったが……

 

「それ、国語の話でしょ……」

 

陽向は前世で大学二年生まで生きた。つまり、専門分野であった文系科目、特に国語は余裕で満点を取れるのだ。何だかチート技を使っているようで若干の後ろめたさを感じることもあるが、こちとらその前世の記憶のせいで爆弾級のトラウマを抱えているのだからプラマイゼロ、むしろマイナスである。

しかし、前世でも赤点続きで終いには諦めた数学に関しては、二回目の人生でも全くできるようにならなかった。そんなこんなで陽向の学力パラメーターは、文系科目に極振りするのに夢中で数学やその他関連科目に振り忘れた、みたいな無計画ステータスと化していた。

 

「えー、そこはがんばろうよ!国語できるなら数学もいけるいける!」

 

「緋乃ならできるって。諦めんな!」

 

右側から訳の分からない応援が飛んできた。それに陽向が苛立つのもお構い無しに、花田と阿賀野はどんどんヒートアップしていく。終いには、二人は席を立って陽向の周りを狂ったように回りはじめた。いや何でだよ。陽向は遠い目をした。

いつもはこの二人と一緒にいる、官野という冷静なまとめ役が場を収めるのだが、彼女は苦手教科でも最低限補習に引っ掛からない点数は取るので、落ちこぼれと不真面目の集会場(この場)にはいない。ストッパーを失った暴走機関車達は止まらなかった。

 

「今日上やんいないんやねー」

 

諦めて現実逃避をする陽向の耳に、教室の離れた場所から、胡散臭い似非関西弁が聞こえた。どうやら男子達が、最近補習に来ない上条当麻のことを話しているらしい。

来る訳がない。特に今日は。上条当麻は昨日、『死んだ』のだ。

 

記憶を失うことは、死ぬことだ。花田や阿賀野、そして官野と接していると、そのことを身に染みて感じる。

 

――――実はその三人、前世でも陽向のクラスメイトで、同じ部活だったのだ。

 

前世から彼女達が何か変わったかというと、何ら変わりない。レベル0の超能力というアイデンティティーが追加されただけで、あとは名前も、顔も、話し方も、仕草も、何もかも。前世と全く同じなのだ。

それでも。それでも、何かが違う。何か、根本的なところが。この世界で初めて三人に会ったとき、ぞっとするほどの違和感を感じたのを、陽向ははっきりと覚えている。

 

記憶を失うことは、死ぬことだ。彼女達は例え生まれ変わったとしても、記憶を失ってしまった時点で、その身体だけでなく、精神(こころ)まで永久に死んだのだ。そして、仮想世界(フィクション)歯車(キャラクター)になった。

 

そしてそれは、上条当麻にも言えることだ。あの上条当麻は死んだ。思い出を全て失ってしまったのだ。ヒロインのことも、学校のことも、家族のことも……そして、陽向のことも。もし道ですれ違ったとしても、振り向きもせずに通りすぎてしまうだろう。

その事実に、陽向は何も思わない訳ではなかったが、かといって心を痛めるほどでもなかった。忘れられることに傷つくほど、共に過ごした訳でも、何かをもらった訳でもなかったから。

 

「おい、花田!阿賀野!」

 

パン!と手を叩く音で、陽向は我に返った。それは陽向の周りで最終的にダンスを踊っていた花田と阿賀野も同じだったらしく、手を繋いで今にもぐるぐる回りだしそうな体勢のまま固まっている。

 

「その辺にしておいたらどうだ?緋乃の目が死んでたぞ」

 

ため息混じりに言ったのは、これまたクラスメイトで文芸部員の官野。腰までの長い黒髪をポニーテールにまとめた、切れ長の目を持つ美人である。花田や阿賀野と比べればだいぶまともな性格をしているが、妙にラスボスじみたオーラと強いリーダーシップで、恋愛対象というよりは崇拝対象として見られることの方が多いとか。どんな高校生だよ。

 

「「はあーい」」

 

問題児二人も、官野の言うことは素直に聞く。噂では何やら怪しげな集団を束ねているという話だが、陽向には真偽のほどは分からないし興味もなかった。

とにもかくにも、壊れて止まらなくなったメリーゴーランドの中に放り込まれたような騒々しさからようやく解放され、陽向はため息を吐いた。

 

「……そういえば、官野さんはどうしてここに?」

 

先ほども述べたように、官野はこの補習の対象ではない。ふと疑問に思って陽向が問いかけると、官野はやれやれとばかりに首を振った。

 

「どうせこいつらだけじゃ何時まで経っても補習が終わらないと思ってな。助太刀に来たという事だ」

 

どうやら友人二人の補習課題を手伝いに来たらしい。確かにあの状況から見るに、下手をすれば朝まで居残りコースだったかもしれない。

 

「さっすが官さん!話が分かるー!」

 

「いやあ、ありがたい。我々頭を抱えていたのですよ隊長ー」

 

救世主の到来に盛り上がる花田と阿賀野に、官野はため息混じりに言う。

 

「お前らの『頭を抱える』は躍り狂う事なのか?」

 

鋭い指摘に、先ほど陽向の周囲で狂ったように舞っていた二人は、ギクッ!と口に出して言った。花田と阿賀野がこういう漫画的な言動をよくするのは前世(むかし)からだが、今の陽向にはいやに感じの悪い表現だった。だから陽向は、あえていつもの笑顔を作って、いつまでも続きそうな茶番を遮った。

 

「官野さん、俺にも教えてくれないかな?どうも数学は苦手なんだよね……」

 

「ああ、構わないぞ。どこが分からないんだ?」

 

そう、今は大した関わりもなかった主人公よりも、この補習を終わらせなければ。陽向は手始めに、にっこりと微笑んで官野に告げた。

 

「全部だね」

 

「……そうか」

 

もしかしたら、官野の手を借りても朝まで居残ることになるかもしれない。目の前のいやに現実的な問題に、陽向は本日何度目か分からないため息を吐いた。

 

 

 

『上条ちゃんによろしくですよー』

 

そんな担任教師の言葉により、夕暮れの中、陽向は第七学区の大学病院に来ていた。

あの後無事プリントを終わらせて帰路に着いたところで、うっかり担任の小学生教師に捕まってしまったのだ。どうやら上条に再補習のお知らせを届けようとしていたらしく、ついでにお願いするですよー、などとプリントを押し付けられてしまった。ついでって何だ。俺は大学病院に寄る予定なんて今日どころか今後一切ない。陽向はそう叫びたかったが、お人好しを演じている身で断れるはずもなく。

 

「はぁ……帰りたい……」

 

既に帰りたい。学生寮(安全地帯)が恋しい。とはいえ学生寮も学生寮で炎の魔術師が出没したり多重スパイが住んでいたりするので、安全とは言い難いが。陽向は改めてこの世界の異常性を感じた。

 

とにかく、お見舞いに来ているかもしれないインデックスと如何に鉢合わせずに、上条当麻に届け物を渡すかが問題である。本当は上条当麻にさえ会いたくないのだが、本人に用があるのだからどうしようもない。具体的な対策が浮かばないまま、陽向は病院の入り口をくぐった。

 

するとそこに、なんと上条当麻がいた。

どうやってセットしているか謎なツンツンヘアー。白い病院着から覗く全身に巻かれた包帯。そして神をも殺す右手は、ギプスでしっかりと固められていた。

見たところ一人のようだ。手には財布が握られている。喉が渇いたかお腹が空いたかで、売店に買い物に来た、といったところか。

何にせよ好都合である。このまま軽く声をかけてプリントを押し付ければ、自分の仕事は終了だ。陽向は早足で上条当麻に歩み寄った。

 

「上条!」

 

上条当麻が振り向く。どうやら自分の名前は分かっているらしい。しかし、やはり陽向のことは覚えていないようだった。

 

「……えーっと……」

 

本気で困っているらしい上条に、何かを感じた気がして、それでも陽向は完璧な作り笑いで答えた。

 

「ああ、覚えてない?クラスメイトの緋乃陽向なんだけど……そうか、あんまり話したことなかったしね」

 

それは真っ赤な嘘だった。巻き込まれ体質である陽向は、不幸体質である上条としょっちゅう出会していたし、その関係で学校でも多少は会話をしていた。

上条当麻と出会って三ヶ月と少し。その間、ファミレスで出会した途端店員に二人揃って水をかけられたり、階段の踊り場で突然ぶつかられて転げ落ちたり、とばっちりで危うく超電磁砲(レールガン)の電撃をくらいかける羽目になったり……あれ、迷惑かけられたことしかなくないか?

次々と浮かぶ受難の記憶に、だんだんと腹が立ってくる。そうだ、記憶を失ったということは、あの忌々しい事故の数々もリセットされたのだ。感傷に浸っている場合ではない、ここを切り抜ければもうあんな目に遭わなくて済むかもしれない。

 

「そう……か?じゃあ、何で俺に……?」

 

陽向の嘘をすっかり信じこんで疑問を口にする上条に、陽向は心なしか早口で告げた。

 

「俺この辺りに用事があって先生からついでに上条への届け物を頼まれたんだ。はいこれ」

 

半ば無理やりに、お知らせプリントと課題の入った封筒を押し付ける。戸惑いがちに上条が受け取ったのを確認し、陽向は早々に帰ろうと別れを告げた。

 

「じゃあ、俺はこれで」

 

上条当麻はそのとき、奇妙な既視感を感じた。何も覚えていないはずなのに、どこかでその言葉を聞いたような。やり残したことが、言えなかったことがあったような。記憶を失った上条が感じるはずのない何かは、しかしいやに頭のどこかに引っ掛かっていた。

 

「待っ……」

 

そして上条は、今度こそ陽向を引き留めようと、手を伸ばした。

 

瞬間、巻き込まれ体質と不幸体質が揃ったことによる、必然とも言える事態が発生した。

 

「ぐわああっ!!?」

 

「なっ、うわあ!!」

 

まだ治りきっていない体への無理が祟ったのか、上条は思い切りバランスを崩した。そして無防備な陽向の背中へ、見事なタックルをかまし――――

 

陽向が凄まじい既視感(デジャヴ)と共に目を開くと、背中には床の硬い感触、目の前には、上条当麻の顔があった。

……またか。また、ラノベの主人公に押し倒されるなんて恐ろしい目(イベント)に遭ってしまったのか。思わず陽向は、死んだ目で呟いた。

 

「……何でだよ……」

 

 

現実感がないくらいに白い病院のロビー。

 

窓の外から、橙色の電球のような光が射し込む中。

 

ざわつく群衆(モブ)の視線の元。

 

どうやら、まだ陽向の受難は終わらないらしい。予想される未来に、陽向はただ、乾いた笑いをこぼした。

 

 


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